愛しのリコリスの少女

 彼女の赤毛がぴょこぴょこと跳ねる。風に煽られて自由奔放に跳ねるそれは地に燃えるリコリスの花のように赤々と存在感を放っていた。そのくせ毛の持ち主の少女――は俺の妹だ。青い空に栄えるその少女はいつでも俺の視界に入ってくる。なぜなら俺が彼女をいつでも見つめているから。
「おーい、
「エース!」
名を呼べばすぐさま振り返る彼女。笑顔で俺を見つめる彼女の何と愛しいことか。彼女はだだだと猛スピードで駆けてきて俺の腰に体当たりした。どんっという衝撃と共に彼女の赤毛が俺のむきだしの胸をくすぐる。色んな角度に跳ねている彼女の髪をがしがしと乱暴に撫でると彼女はきゃあきゃあ騒いで一気に甲板の上が賑やかになった。
「ちぇっ、今日こそエースをはっ倒してやろうと思ったのに」
「ははっ、お前にはまだ無理だ!」
自身の胸までしかないこの少女はいつだってその元気を持て余している。俺を見るとすぐに突進してきて力比べをしようとするのもそのせいだ。その度に俺は余裕で彼女を受け止めるけれど彼女はそれを諦めない。きっと俺たちの間での挨拶の儀式みたいになっているのだろう。
俺はもちろんそんな彼女が可愛くて仕方がない。しかし、そうなっているのは俺だけではない。この船の連中はこぞって彼女には甘いのだ。彼女がオヤジに肩車をしてほしいと言えば、オヤジはすぐに肩車をしてやるし、彼女が空を飛びたいと言えばマルコが不死鳥になって空を自由に泳ぐ。ダイヤモンドが見たいと彼女が言えば、ジョズが身体の一部をダイヤモンドにするし、おやつが食べたいと言えばサッチがとびきり腕によりをかけたケーキを作った。他にも色々彼女の武勇伝というか、我儘を叶えた男たちの話は尽きない。
ビスタなんて知りたがりの彼女の知的好奇心を治める為に深夜を過ぎて翌朝になるまで質問に付き合っていたこともあったほどだ。しかし、それでも彼女がこの船の連中に愛されている理由はその我儘が可愛らしいものだからだ。それに、その我儘は俺たち個人に見合った我儘で、自分にしか出来ないことを頼む。そりゃあ、訊いてやらない訳が無い。
「エース!思いっきり空に投げて!たかーくねっ」
「おう!任せろ!」
そして俺はまたもや彼女の願いを叶えるべく力を入れる。彼女の脇腹に手を入れて思い切り宙に放り投げる。ぶんっと勢いよく空に飛んで行った彼女は一定の高さまで上がると落下してきた。
「あはは!たかーい!!」
「そのまま落ちてこいよ!」
――受け止めてやるから!!
腕を広げて彼女を受け止める準備をする。ひゅるると青い空をバックに落ちてきたは広げた俺の腕の中にきちんと落ちた。勢いのままぎゅっと抱き寄せると、彼女は満面の笑みでありがとうと言ってくれた。ああ、俺たちはこの笑顔見たさにの我儘を訊くんだよなァ。この笑顔を見ると皆幸せになれるんだ。
ルフィに勝るとも劣らない程愛しいこの妹。女だからよけいだよなァ。あいつは男だからここまで可愛くはないし。いつか、ルフィとが会ったら面白いことになりそうだなァなんて俺は考えながら、彼女を抱えたまま甲板に寝転がった。


 先程から俺の背後でずっとついて来る気配がある。俺はその気配の持ち主が誰だか気付いている為、それを気取らせないように知らんぷりを続けていた。
視界の端で揺れる赤い癖毛。あれで隠れているつもりなのだ、可愛いったらありゃしねぇ。きっと、今か今かと俺をおどかすチャンスを狙っているのだろう。仕方がない、いつまでもこの状態なのもつまらない。何より早く彼女と話がしたいから、俺は彼女がおどかしやすいように油断しているような背中を見せた。
「わあああああああ!!!」
「うおっ」
どんっと俺の背中に衝突した重みには大して驚かなかった。しかし耳元で響いた、思っていたよりも大きかった彼女の声に俺はびくりと肩を揺らした。こいつ、いつも俺の予想の斜め上をいくな。
「えへへ、ハルタびっくりしたー?」
「ああ。そんなに大きな声出せたんだな」
俺の背中に飛び乗りしがみ付いたまま、顔をひょこりと覗かせる彼女。自然におんぶの状態に持って行ったこの少女は本当に甘えるのが上手だ。にこにこと笑っている彼女の顔がすぐ隣にあって、俺はそれだけで気分が良くなる。彼女はこの船のアイドルなのだ。会おうと思わなければ会えないし、一緒にいても次の奴が彼女を攫って行ってしまう。
「ハルタ、プロレスごっこしよ!!」
「よっしゃァ!!良いぞかかってこい!」
甲板に辿り着いて俺の背中からぴょんと降りた彼女。俺は毎回の如くかけられる究極の技の威力に冷や汗を若干かきながらもそう叫んだ。と遊ぶためだ、それくらいの犠牲はつきものだ。
そう自分を鼓舞して満面の笑みで「ていや!」と俺に攻撃をしかけてくる彼女を避ける。因みに、彼女の言う“ごっこ”とは必ず俺が何度か軽く攻撃を避けた後に、プロレス技をかけられると予め決まったことのことを言う。
予め決まっているとはいえ、最近では彼女の攻撃も中々躱しにくくなってきている。このままいけば実力で俺をねじ伏せプロレス技をかける日も近いかもしれない。
「つーかまえった!!」
「やべっ」
そんなことを考えていたらまんまと彼女のフェイントにひっかかって、俺の左足に彼女の左足を引っ掛けられる体勢に持って行かれた。ぐん、と彼女の体が俺の右脇下にもぐりこんできて、あっという間に両腕で俺の頭をクラッチして捻りあげられた。
彼女の得意としている“コブラツイスト”だ。
「あだだだだだだ!!!!ギブギブギブ!!!」
「やったぁあ!私の勝ち!!」
密着していた身体を離して笑顔でピースサインをしている彼女。周りでこの光景を見ていた男たちは羨ましさ半分、同情半分といった顔で俺のことを見てくる。どうだ、羨ましいか。これが俺の特権だ!!
「前より強くなったなコノヤロー!!」
「きゃあああははは!!ハルタくすぐったい!」
ぎゅうっと彼女を自分の腕の中に閉じ込めて、大声で笑いながら彼女の脇腹をくすぐった。二人して甲板に倒れ込んでごろんごろんとのた打ち回りながら笑い続ける彼女。守っているだけが嫌になったのか俺の脇腹をくすぐり始めた彼女のせいで、俺は涙が出るまで笑い続けた。


 にだって苦手としている分野はある。それは射撃だ。彼女は銃の扱いがからきし駄目だった。どんなに俺が時間をかけて教えても、いつも彼女は的に当てることが出来ない。それでも諦めない彼女が俺は好きだった。何て言ったって、その負けず嫌いな性格のおかげで彼女と一緒に過ごすことが出来るのだから。
――そして少し離れた所で、的の模様が描かれた板を頭上に掲げている男が三人。
「イ、イゾウ隊長ォォ…!許してくださいよォ!!」
「こ、こんな…の射撃に付き合うなんて…」
「俺たち命がいくつあっても足りませんよ!!」
涙を流す一歩手前といった様子の彼ら。何にそんなに怯えているのかと言えば、今から俺はを手取り足取り教えながら射撃の練習をするところなのだ。彼らを利用して。
「イゾウ、私がんばるから!」
「おう、派手にぶっぱなせ」
『ひいいいいいぃぃぃ!!!!!』
なぜこの三人が的の役目を負わされたのか。それには正当な理由がある。
一人目、金髪の男マイケルは知らずとだが、が楽しみに取っておいた彼女のプリンを食べてしまった。二人目の男、アサロは彼女を可愛がり過ぎて逆に泣かせてしまった。三人目の男、ジョーンズは彼女の大切にしていた本をふんずけた。
どれも故意にしたことではないが、彼女を傷付けたことには変わりない。見せしめの意味もあるが、一番の理由は彼女を傷付けた輩を少し懲らしめるという正当理由を携えて、嫌がらせできることだった。俺は人の嫌がる顔を見るのが好きだからな。それを大切に可愛がっているこの妹と一緒に行うのだ、楽しくないわけが無い。まあ彼女の場合は純粋にお灸を据える目的なんだろうけど。
「ほら、まっすぐ構えて」
「うん」
彼女の背後に立って自分の手を彼女のそれに重ねる。ゆらゆらと落ち着きが無かった構えがそれによってぴたりと止まる。因みに、彼女に持たせているのは俺の愛用の銃だ。
「よーく的を狙え。おい、お前ら動くなよ」
「ひいい!」
とんでもない射撃の腕を持つのことをよく知っている彼らは俺に言われた通りにしゃんと姿勢を正す。彼女はどうやら一番左にいるジョーズに狙いを定めたようで、頭上の的を食い入るように見つめていた。
――彼女の真剣な横顔。いつもの楽しそうな笑顔とはまた違う彼女の表情を、俺は一番近くで見ることが出来る。俺はこの瞬間の彼女が好きだった。普段真剣な表情をすることが彼女は少ないから、こういった時は貴重なのだ。
――パン!引き金を引いた音が響く。
「ぎゃああ!!」
「あれ?」
傍には他の男たちもいるからいざという時でもどうにかなるだろうと考えていた俺は、その思わぬ軌道に驚いた。
彼女は左にいるジョーズの的を狙っていた筈なのに、弾は真ん中にいるアサロの的を貫通したのだ。驚きの悲鳴を上げた彼は「なんでこっちに来たんだよォオオ!!」と叫び慄いている。
「お前は本当に天才だな」
「えへへ、たまたまだよ」
しかし、弾は的の中心を貫通していたのだ。かなり脇に逸れてしまった彼女の腕を呆れるべきか、それともその隣の的の中心に当てたことを褒めるべきか。俺はどちらも区別しかねてそのままの感想を彼女に述べることにした。
とりあえず彼らのお仕置きは終了だ。それよりも面白いことを見てしまったから。まったく、彼女にはいつも飽きることが無い。
「これからも暇なときは射撃の練習付き合ってやるからな」
「ありがとう、イゾウ!」
俺はにっと笑った彼女の頭をぐりぐりと撫でた。


2013/04/04

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