それはまるで盲目の恋のように

 小さい頃、よく親父から“花守り”について聞かされていた。“花守り”は“花”として生まれてきた者を守る存在だと。
その二つの存在は運命で結ばれており、出会った瞬間に分かるらしい。その役柄は名前のままで、当時の6歳の俺は「他人に仕える人生なんて嫌だな」と思っていた。なぜ使用人を何百人も持っている俺たちがわざわざ“花”とやらを守らなければならないのか。そんなことは使用人がしていれば良いのに。
その何年か後にそれを改めることになるとはつゆ知らず、親父の話を聞きながらそんな事を俺は考えていた。その“花”とやらは一体どういうものなのか。そのことについても親父は、彼にしては珍しく饒舌になり語ってくれた。
――“花”とは我々の祖先、より具体的に言えば宗家の人間と神が交わって生まれた遺伝子を持つ者だ。俺たちは分家だからその者が生まれる可能性はないが、何十年に一度、突然変異の如く何かの偶然でその“花”の遺伝子を持った者が宗家に生まれる。“花”は生まれた瞬間に我々を導く存在となり、膨大な力を持つ。そしてその“花”として生まれた者は親の遺伝子と拘わらず―――。


 ぱらりとめくっていた文献をぱたんと閉じる。元にあった場所へ文献を戻して図書室を出た。神と交わる、とは大げさだ。神など実際には存在しないだろうに。
「花守り…か」
先程読んでいた文献はゾルディック家に代々受け継がれてきた歴代の“花”のことが書かれたものだ。遡れば5代目まであるが、それ以前の“花”についての資料は載っていない。きっと初代ゾルディック家の長もまさかこんな因果な商売が60代以上も続くとは考えていなかったのだろう。
15代目あたりでゾルディックは宗家と分家に分かれてその頃に1代目の“花”が生まれたようだ。だがそれも文献に書いてあったただの推測であり、証明されていない。
どうしてその文献を読んでいたかと言えば、丁度5年前にその“花”が宗家に生まれたからだ。“花”が生まれたというのは生まれた瞬間に分かるようで、父―シルバに兄である宗主から10分も経たずに連絡が入ったらしい。
所詮俺は分家の長男という立場でそれほどすぐには知らされなかったが、一族総出でお祝いの用意を始めているのを見て少しだけ興味が沸いた。だが“花”は生まれた時から厳重に保護されるべき存在として伝えられているために、5年経った今でも彼女―生まれた赤子が女児だということは知っている―のことを見たことはない。
今まで大事に隔離されてきたその“花”が今日、今から1時間以内に初めて公へ姿を現す。今日は彼女の生誕日ということもあり、彼女が現れる部屋は嫌味にならない程度に飾り付けをされていた。
「イルミ、時間だ」
「うん」
親父に名前を呼ばれてその部屋へと向かう。部屋の中にはまだ宗家の者しかいないらしく、扉の外で家族全員が首を揃えて待っている。
「兄貴、入るぞ」
「ああ」
親父が先陣を切って部屋の中に入り、祖父ちゃん、母さん―ちなみに腕にはキルアを抱えて―、俺、ミルキの順に彼の後に続く。入った部屋には中央に彼女が椅子に座り、その後ろに宗主たちが立っていた。彼女を視界に入れた瞬間軽く目を見開く。それは初めに部屋へ入った親父も同じで、ミルキに至ってはぽかんと口を開けて彼女を呆けたように見つめていた。
彼女は何枚も着物を重ねられていて、十二単まではいかないものの到底身動きを取ることが出来なさそうな様子である。だが、俺が目を見開いたのはそんな理由ではなく、彼女を目の前にした途端、途方もない念の量を感じ圧倒された事だった。13歳の念が使える自分より大きな量は、修行を積んだとしても到底5歳児が手に入れられるような量ではない。
己と同じ色をした髪の毛は長く伸ばされ、前髪は眉と同じ位置で真っ直ぐに切りそろえられている。耳の傍に椿の花飾りが着いていたが、彼女が身に着けていると本当にただの飾りだった。
そしてその瞳は5歳児にしては確固たる意志を持ち、その色は――

『“花”として生まれた者は、親の遺伝子と拘わらず翡翠の瞳をどちらかの目に持つ』

「…オッドアイ」
瑠璃と翡翠の瞳を持つ彼女を前にして、幼き日々に親父が教えてくれたことが脳裏に甦る。文献で読んだ情報とも同じで、彼女は右目に翡翠色、左目は母親と同じ瑠璃色を持っていた。
、挨拶しなさい」
「…はい。はじめまして、です」
桃緋色の唇を開いて紡がれた声と名が鼓膜を揺らした瞬間、身体に衝撃が走った。彼女は緊張しているようだがしっかりと地に足を着いて立っている。というのに、俺はその逆で脚の震えが止まらない。
よたよた、と自分でも訳が分からぬ間に彼女の前に出て跪く体制になり、その手の甲にキスをした。これは殆ど衝動に近く、そうしなければ気が済まなかった。
「イルミ」
キスをして顔を上げると、彼女は俺の名をまるで昔から知っているかのように呼び、緊張して固かった表情が一変してふわりとした笑顔になった。
彼女は俺の名前を知らない筈なのに、何故。
「どうやら、“花守り”はイルミらしいな」
手の甲へのキスは忠誠の証。そして“花”はそれに応えるかのように今まで知らずにいた“花守り”の名を手に入れて呼ぶ。名前には力が宿るというが、彼女によって俺の名前が呼ばれた瞬間、俺の心はかちゃりと音をたてて囚われた。歴代の“花守り”たちも“花”と対面した時、言葉にできぬ衝動を感じ、こうして忠誠を誓ったらしい。
宗主の声にはっとして腰を上げると、彼は親父によく似た顔でにやりと笑っていた。
「俺はてっきりシルバがなると思っていたが、イルミだったか」
「兄貴も意地が悪い。俺が跪く様を見たいと言えば良いのに」
父と伯父が二人してくつくつと笑う様子を見ながら、俺は俺の膝程度の身長しかない彼女のことを見下ろす。
後ろで母さんと祖父ちゃんが嬉しそうに会話を弾ませているが、その内容は俺の耳に入ることはなく、俺はをじっと見つめていた。そして彼女も俺のことをひたすら見上げていた。
二人の間に流れるものはこの場の空気とは微かに違い、神聖な時の流れだ。彼女と見つめ合っている時間は数秒にも何時間にも感じられ、この時俺は初めて運命というものを理解した。

俺は君と出会ったことで変わったんだ。


 月日は流れては16歳になっていた。身長は以前より遥か高くなっていたが、彼女は12歳のキルアよりも背が低いことを気にしているらしい。
、こっち」
「うん」
イルミの呼ぶ声が聞こえて彼女は彼の元へ寄り、彼が促すままに椅子へ腰掛ける。片手を彼に取られて純白の手袋を着けられ真紅のリボンで手首の部分を固定される。もう片方をそうされて彼女は彼に礼を言った。
彼女は彼のリボンの結び方が上手いことに礼を言ったのだが、彼としては自分の方が礼を言いたいらしい。
が手袋を身に着けることを拒否しないおかげで、彼女の手が汚れることがないのだ。度を過ぎた過保護ぶりは彼にとっては至極当たり前のことで、今までもそしてこれからも続くものだと考えている。
因みに彼女に着せている服は皆イルミが選んだものばかりで、夏日の今日は軽くフリルが付いた半袖のシャツにベスト、プリーツスカートにパンプスという恰好だ。奇抜な服を好むイルミにしてみればまともすぎるセンスで、だがそれは彼女の為に女性雑誌を大量に読み漁り研究を重ねた結果だった。いつも通りの無表情で女性雑誌を読んでいる兄貴を見た時は死ぬほどビビったとキルアが溢していたのは余談である。
露出している腕や脚から窺えるが、ろくに屋敷から出ない彼女は深窓の令嬢如く肌は白く、体力も少ない。あれほど念の絶対量が多いのだから―――今もそれの成長は止まることを知らない―――さぞかし体力もあるのだろうと彼は思ったが、そうではないらしい。どうやら念の絶対量が多い代わりに極端に体力は少なく、散歩をするだけでも疲れる身体であるようだ。それを知ってからの彼は、彼女が歩く度に抱き上げて運んでいる。
幼いを抱き上げながら移動するイルミを見た使用人たちは微笑ましい光景としていつも頬を緩ませていた。従妹の彼女をまるで目に入れても痛くないように甘やかすその様子は、本当に仲睦まじい兄妹のようだとキキョウが過去に言っていたこともある。
月日が経った今もその習慣は続いており―――最近はが恥ずかしいと言って抱き上げて歩くことは減ってしまったが―――使用人は度々その光景を見かけることがある。それほどまでに彼女を大切にしている彼。平生であれば物事に淡白な彼がここまで大切にするほどの少女。それが意味している事はめったに彼らを目に入れることがない守衛達でさえ理解している。
「今日のティータイムは何かしら?」
「きっとの好きなものに決まっているよ」
ころころと鈴の音のように軽やかな笑い声を上げて彼女はそうねと言った。イルミはそんな彼女を最も愛しい者を見るように目を細める。彼女にとっても彼にとってもこの日常は何にも代えがたい穏やかで愛しいものだった。


2014/03/12

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