俺のリトルブルーバード

 視界に入ってくる黒髪の少女。天然パーマのくるくるとした髪を風に靡かせながら、甲板をデッキブラシで一生懸命磨いている。彼女は一番隊所属の非戦闘員もとい雑用のだ。
俺の部下にすると言った当初はこんな戦えもしない少女を、と反対されもしたが今では一番隊のマスコット及びこの船のアイドル的存在になっている。彼女は戦えなくても、俺たちを癒すという他の誰にもできない仕事をこなしているのだ。しかも無意識のうちに。今では、この船に欠かせない愛玩動物のようになってしまった末の妹。俺はそんな彼女が可愛くて仕方がない。
「マルコ隊長―」
「どうしたんだい、
俺が彼女を見ていることに気が付いた彼女がぱあっと笑顔になって、とてとてと小走りで此方へやってくる。おいおい、俺を見て笑顔を咲かせるのは嬉しいが、そんな風にブラシを持ちながら走ったらおっちょこちょいな彼女のことだ、ブラシに足が絡まって転んでしま――
「わわ!」
ほらやっぱり。
ブラシと仲良しこよしをしてしまった彼女の足が縺れて転びそうになる。ぐらりと傾いた彼女の身体はそのままいけば、今度は甲板とこんにちはをしてしまうだろう。ぎゅっと目を瞑った彼女の様子は、今から感じる痛みに耐えようとしているようだ。だが、甲板に倒れるよりも前に俺が彼女の身体を抱き留めた。
「大丈夫かい?」
「す、すみません!マルコ隊長っ」
抱き留めた彼女の顔を覗きこむと、彼女は顔を赤くしながらわたわたと慌てて、俺に謝った。慌てながら俺から離れようとする彼女はまた転びそうになって、思わず笑みがこぼれる。俺をこんな風に笑わせる奴なんて、この船では彼女一人だけだ。
「で、何か用があったんじゃないのかい?」
そういえば、彼女は俺の顔を見てこちらにやって来たのだ。何か俺に伝えたい用事などがあったのかもしれない。そう思って言葉をかけると彼女は先程のまだ赤が治まらない顔でにへらと笑って口を開いた。
「マルコ隊長が見えたから話しかけちゃいました」
「…ッッ!!そうかよい」
ああああ、もう何ではこんなに可愛いんだよい。俺の顔が見えたからって!!可愛すぎるにも程があるだろい!俺の妹――というか俺の年齢からしたら娘の域だ――はどうしてやることなすことが全て俺を悶えさせるんだ?あ、が可愛いからか。ああ、今すぐ彼女を抱きしめたい。ぎゅうぎゅうしたい。俺の腹程度までの身長しかない彼女を腕の中に閉じ込めたい。
けど恥ずかしがり屋の彼女のことだからきっとまた顔を赤くして「離してください!」だなんて慌てるんだろうなあ。
そんな葛藤を噫にも出さないようにして、俺は彼女に笑いかけた。まったく、彼女の爆弾発言には毎回心臓の平和を脅かされる。


 は海賊たちに襲われた商船の中で発見された。彼女は奥深くに隠れていたためか海賊たちには見つからずに済んだようだった。怪我一つしていなかったが、大層恐ろしかったに違いない。俺たちがその商船を見つけた時には既に船の人間は彼女を残して誰ひとりとも息をしていなかった。その中に彼女の母親もいたらしく、彼女は心に大きな傷を負った。
俺はあの時の彼女の姿を今でも覚えている。暗い倉庫の奥で一人身を竦ませて震えていた少女。俺は行く宛もないをこの船に乗せてやろうとオヤジに持ちかけた。俺が一番に発見したという責任感もあったのかもしれない。オヤジはもちろん快諾してくれて、彼女にとっては皮肉なことかもしれないが彼女もそれに感謝しているようだった。


あれから一年経つが、今の彼女は以前より悲しみを乗り越えて生きているように思える。すっかり俺に懐いて、何かにつけて俺の後ろを付いて回る様子はまるで刷り込みをされた雛鳥のようだ。懐くまでに時間を要した為、その分可愛さは強い。ああ、くそ。可愛すぎる。絶対嫁になんかにはやらん。百歩譲ってやるとしても、俺が――加えてこの船の男達が――彼女に相応しい男かを審査してやる。
「どうしたんですか?マルコ隊長」
「ん?いや、は可愛いねいって思ってただけだよい」
にぼうっとしていることを指摘され、俺は思っていたことを素直に彼女に伝えた。そうすれば、彼女はまた顔を赤くして「お、お世辞はよしてください」と慌てる。ああ、もう。こういう所が可愛いんだよなあ。彼女は知らないのだろう。こんな、無意識にやることが俺の加護欲やからかいたい気持ちをくすぐるなんて分からないに違いない。
「じゃあ掃除してきますね!」
「ほどほどにな」
たたた、と赤い顔のまま先程の仕事に戻っていく彼女の後ろ姿にそう声をかける。その言葉は隊長からすれば失格かもしれないが、俺は彼女の仕事なんかよりも彼女の身体の方が大切だからそう言うのだ。オヤジの足元を綺麗にすべく、何やら彼にお願いしている彼女の様子は見ていて飽きない。オヤジは彼女のお願い通りに片足ずつあげて、彼女が掃除しやすいようにしていた。分かりきってはいたが、オヤジも末の娘にはでれでれのようだ。
ブラシを一生懸命ごしごしと動かしている彼女の頭を、あの大きな手でわしゃわしゃと撫でている。彼女はそれに一瞬驚くものの、嬉しそうにそれを享受していた。目を細めてその手にすり寄る様は、まるで猫のようだ。
「おーおー、ちゃんばっかり見やがって。このロリコンが」
「サッチ…てめェどうやら俺に殺られたいようだねい」
よっと声を上げて甲板に現れたフランスパン男に、俺は鋭い目付きで迎えた。を見ていたことは別に否定しねェが、俺は決してロリコンなんかではない。俺は彼女のことを父親のような目線から見ているのであって、決してやましい気持ちを持って接しているわけではないのだ。こいつはそこら辺を分かっていない。
というか、胸がでかけりゃ十代の女にも手を出すコイツの方がよっぽどロリコンだとは思うんだがねい。
「お、頭撫でられてるなァ」
「あいつら…オヤジならともかく、の仕事邪魔しやがって」
働き者の彼女の頭を犬か猫のように可愛がって撫でている野郎どもの緩みきった顔を見ていると苛立つ。彼女もそれに甘んじて受け入れていて、野郎どもはそれに益々機嫌を良くしているようだった。
ったく、仕事が出来ないからと言って断れば良いものを。彼女は底なしの優しさを持つ少女だから好意を無碍にできないのだろう。ったく、あんな顔しやがって。
「いやーん、マルコ隊長嫉妬してるのー?」
「きめェ」
何故かサッチはそんな俺に裏声に加えてオカマ口調で話しかけてきて余計に苛立ちが増した。何だこいつ、キモすぎる。
きめェなんて酷ェ奴。俺、傷付いちゃったー。サッチが笑いながら言う。勝手に傷ついてろと言い返せば、こいつは急ににやりと笑って口を開いた。
ちゃんに慰めてもらおっかなァ」
「はァ!?てめェ何ぬかしてんだよい」
ゲスい表情を貼りつかせながらたたたと軽い足取りで彼女に走り寄るサッチ。ばっ、テメ、にちょっかい出してみろ絶対殺るからな!!
彼女の元に辿り着き、はっはー!と勝利顔で俺に振り返ったサッチ。俺はその後をすかさず追っていたから、その勢いのままサッチの腹部に拳を埋めようと腕を振ったが、流石にこいつも伊達に隊長なんかの地位に就いていない。さっと出した手でぱしっと俺の拳を受け止めた。
「あっぶねー!お前、今の本気だったろ」
「さっき言ったよなァ。殺るよいって」
「俺聞いてねェ!!」
お互いがぎらぎらと光る眼で相手を見据えていると、真横で突然そんな喧嘩じみたことを現在進行形で目の当たりにしているは酷く驚いたようで目を丸くして、次いで慌てだした。
「お、お二人ともどうしたんですか!?」
あわあわと目に見えて狼狽している様子の彼女に、流石にこのままの状態でいるのはあまり宜しくないだろうと判断する。それはサッチも一緒のようで、ほぼ同じタイミングで腕に入れていた力を緩めた。
「なァに、どっかの悪い虫が俺の大切なもんにくっ付きそうになってたからよい」
「俺ァ、害虫扱いかよ。ひでェ奴」
「は、はぁ……」
俺の言っている事がよく分かっていないといった風に、ぽかんと間抜けに口を半開きにさせて見上げてくる彼女。頭上にはハテナマークがたくさん飛んでいるのだろうということが容易に想像できて面白かった。彼女は考えていることがすぐ顔に出るからとても分かりやすいのだ。その分、期限を損ねた時なんて見るからに不貞腐れているから俺は酷く焦る。まあ、それは余談だったな。
ごく自然に――どさくさに紛れてとも言う――彼女の肩に手を置こうとしたサッチの手を軽く叩く。バチバチと彼女の見えない所で火花を散らせている俺たちのことなど彼女は全く気付いていない。
「マルコ隊長」
「よい?」
ふと、彼女が自分を見上げたことによって、サッチに向けていた剣呑な目付を止めて目元を緩める。俺を見上げる彼女の表情はいつもの幼い笑顔とは違って、何かを企んで楽しんでいる小悪魔のようなそれで。その表情に一瞬見とれた。
口を開けてくださいと言われて、それの通りに口を開ける。
「甘いものは人を幸せにするんですよ」
彼女の細い指が俺の唇に微かに触れる。あーん、という言葉と共に口に放り込まれた固いもの。さく、と噛めばすぐに割れてしまう甘いそれは、クッキーだ。
「もう喧嘩しちゃダメですよ?」
はい、サッチ隊長もどうぞ!そう言ってあーんとサッチにもクッキーをやっている彼女。いつもならすぐさまそのような行動を阻止する俺はしかし、サッチを怒鳴りつける事も出来ずにただぽかんとしていた。
――なんだ、心臓が五月蠅い。いや、それはいつものことだ。それなのに、何かが違う。ああ、何だ。やけに顔が熱い。
――喧嘩しちゃダメですよ?
ふふ、と微笑んだ彼女の笑顔はいつもより少し大人びていて、それが脳裏から離れない。
一瞬唇に触れた彼女の指も、大人びた微笑も、今までの彼女からは一度も見たことがないもの。
心臓がばくばく喚いている。ああ、まさか、まさか俺は。
俺は、のことが
「マルコ隊長?」
不思議そうに俺の目を覗き込む彼女。背伸びしているのかいつもより近い顔。
俺は耐えられず、その場から逃げ出した。


2013/04/03

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