奇術師の王子様2

 漸く家に帰ってくると、時刻は6時を回っていた。さあ、ご飯の時間なんて呟いているヒソカに、もう食べる気なのかと呟く。
かく言う俺も長時間買い物を続けたおかげで腹ペコだからあまり人の事を言えた義理じゃない。
ぐるるるると鳴き声を上げる空きっ腹に、水を流し込んで宥めようとするけれど、まったく効き目はなかった。
「じゃあ作ってるからお風呂にでも入ってこれば?」
「そうさせてもらうよ」
料理を作った端から食べていきそうなヒソカを風呂へ押しやり、料理の準備を整えていく。
冷蔵庫に入れておいた材料をいくつか取り出し、今晩の献立はビーフシチューを作ることにした。
母親の手伝いを日常的にしてきた俺に不可能な料理は無い!……筈。俺は食にだけはうるさい。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、材料を程よい大きさに乱切りしていく。乱切りにすると野菜に味がしみ込みやすくなると教えてくれた母の技だ。
根野菜はまとめてレンジで熱を通してから鍋の中の肉に加える。お湯をいれた鍋の中に魔法の粉の塊―ただのルーだが―を加え、ぐつぐつと煮込む。
煮込むだけで良い段階に来たら、鍋から離れて買ってきたフランスパンを斜めに切っていく。外側がぱりぱりに焼けているそれは香ばしい匂いを発していた。
ああ、丸ごと噛り付きたいなと思うが、俺の歯はそこまで頑丈じゃないから諦めた。あ、そういえばサラダ作ってない。急げ急げ。
急いで何種類かの葉野菜を手でちぎってその上に切ったトマトを盛り付ける。ふう、これで上出来だ。
「ヒソカ早く出てこーい」
お腹減った、など本人がいないと思って発していた言葉に、ボクもと後ろから返ってくるはずがない返事が返ってきた。
「ちょっ!おま、服ぐらい着ろ!!」
青年の姿をしたヒソカが腰にタオルを巻いた状態でリビングに立っている。時刻は7時を過ぎていたから元の姿に戻ったのだろう。
髪の毛は濡れたままで、ぽたぽたと垂れては床に水滴を作っていた。
つーか、無駄に色気がありすぎんだよ!なんだこの胸板とか腹筋…俺にはそんなものはない。せいぜい力を入れれば固くなるぐらいだ。
顔だって、メイクや髪の毛を逆立てていないから、素顔のままだし。ちょっとあどけなさが残っている顔なんて反則だ。
洗面所からバスタオルを持ってきて、邪念を振り払うようにソファに座らせたヒソカの髪をわしゃわしゃと拭く。まるでゴールデンレトリバーを拭いているような錯覚だ。
そして、今だけはヒソカより目線が上になる。なんて小さな優越感に浸る。そんなのすぐに覆されるのだが。
「ドジのわりには良い匂いがするね」
「ドジは余計だ」
軽口を叩きながら、食事の準備をしてくれる彼の皿にたくさんシチューをよそう。体の大きな彼は俺の倍くらいは食べるのだろう。
綺麗に片づけられたテーブルの上にサラダ、シチュー、パンと並べていく。うん、まともな出来だ。花が活けられた花瓶が置いてあったら更に料理が際立つんだがなあ。
いただきますと二人して手を合わせ、口に入れていく。
「…おいしい」
「だろ?俺、料理だけは出来るんだ」
驚きで目を丸くしているヒソカに、してやったりとほくそ笑む。俺をただの方向音痴なドジっ子だと思ったら大間違いだぞ。
なんて、素直に喜べば良いのに、変な所で頑固な俺はふふんと笑う事しかできない。
年上としての矜持がそれを許さなかったのだろう。ただでさえ、色んな部分でヒソカに負けているというのに、そこだけは勝ちたかったらしい。
「こんなにおいしいの生まれて初めて」
「!」
本当に心からの笑顔なのだろう、年相応に笑った彼の表情にきゅんと心を掴まれる。
なんだろう、これがもしかして噂の父性愛か?そうだよなあ、お袋の味を知らないヒソカが美味しそうに食べる姿を見てそう思うのも仕方ない。
うんうん、と一人感慨に耽っているを置いて、ヒソカはぺろりと完食する。
ごちそうさまと言う彼の声で現実に戻ってきた俺は急いでご飯を食べる。別に急ぐ必要はなかったけど、なんとなく。
「お風呂、入ってきたら?」
「そうする」
食事も終わったという事で、お風呂場へと向かう。服を脱いで自分の身体を見てみるけれど、やっぱり彼と違って俺には筋肉がない。
きっとヒソカに抱きしめられた女の子はイチコロだろうなあ。あんな力強い身体で抱きしめられて安心しないわけがない。
蛇口をひねってお湯を頭からかぶる。汚れとか何かをお湯で洗い流してから、髪をかきあげ鏡をちらりと見ると、不思議なものが目に入った。
「え、まじで」
左目の下に俺は昔から泣き黒子があったのだが、それが何故か星形になっている。
えー、まじかよすげー、などとじろじろと自分の顔を見てみるが、ふと、これではヒソカと同じではないかと気付く。
今の段階ではまだ顔にペイントをしていないようだが、将来彼は変態ピエロになる運命なのだ。
大きさは違えど、それは重要なことだった。これは自然にできたものだと何とか説明しなければ。
と、俺は強く心に決めていたのだが、湯船につかって頭を洗い終わった後にはもうすっかりそのことは忘れていた。


「遅かったね。中で寝てるかと思ったよ」
「俺は長風呂派なんだ」
やっとが出てきたと思ったら、とうに2時間は経っていた。それを告げれば、彼の中でも長かった時間であったらしく、そりゃあ熱くなるわけだと呟いた。
特にすることもなくテレビを見ていたボクは、皿を洗った後ぼけっと彼が出てくるのを待っていた。
風呂から出てきた彼は全身ボディソープやシャンプーの良い香りで包まれている。彼はのぼせて赤くなった顔を冷まそうと手を団扇の形にして仰いでいた。
買ったパジャマがまだ手元にない今は、ボクの着ていたパジャマを貸してあげている。彼の身体よりも大きいそれは、ぶかぶかで彼の身体に合っていなかったが、手足が簡単に隠れる様子は可愛らしかった。
ずるずると脚にひっかかるそれに、ボクとの体格差を暗に感じていたのだろう、彼が「ズボンなんて暑くてはいてられるか」と脱ぎ捨てた。
今は5月半ばだが、夜はまだ冷えることが多々あるので、寝る前にはちゃんとズボンもはかせなければ彼は風邪をひくだろう。
上着が大きかったことのおかげで彼の下着は見えなかったが、他の男よりも綺麗な脚が柔らかそうに視界に映る。
はやっとそれですっきりしたのか、ソファに横になってくつろいでいるけど、隣にいるボクはその脚が気になって仕方がない。
確かに女の子よりは筋肉質だけど、普段肌を露出していないせいか彼の脚は他の部分より色白で、その肌に触れたくなる。
「あんまり無防備にしてると襲うよ」
「大人をからかうな」
ボクとしては忠告をしてあげたのに、は冗談と受け取り顔をしかめた。別にそんな顔したって怖くないんだから。
ていうか、上目使いで睨んでいるなんてどう考えても誘っているようにしか見えない。
ま、忠告してもが聞かなかったんだから、ボクは悪くないよね。
「わっ」
柔らかそうな内腿をするりと撫でると、彼がびくっと反応して、横にしていた身体を起こした。
お前、何触ってんだ!とぎゃんぎゃん喚く彼に、忠告したのに聞かないが悪いと言い返す。
ボクとしてみれば、あんなことやこんなこともしたかったのだが、それを我慢したのだ。褒めてほしいよね。
そうすれば、ぐっと言葉に詰まった彼はぱくぱくと金魚のように口を開閉していたけれど、諦めたのかふんと鼻を鳴らした。
男の脚なんて触ってなにが面白いんだ、とぶつぶつ独り言を言う彼に、の反応が面白いんだよと心中で返事をする。
「ねみい……」
「ほら、歯磨き」
眠さを訴えてくるの口に歯磨き粉を付けた歯ブラシを突っ込んで磨かせる。
もしかしたら、意外にという人間はとても怠惰な生き物かもしれないと心中呟く。
今も歯を磨きながら夢の世界へ旅立とうとしているのを見て、軽く彼の肩を揺すった。
半分夢の世界へ脚を突っ込んでいる彼は、ふらふらと頭を揺らしながらなんとか歯磨きを終えた。
終えたころにはほとんど眠りこけているをおぶって二階の寝室へと向かう。
きっと今日一日慣れない買い物をして疲れたのだろう。彼はあまり身の回りの物に拘らないから、いつも早く買い物を済ませてしまうに違いない。
キングサイズのベッドに横になって、彼にズボンを履かせた。すうすう寝息をたてている彼の穏やかな寝顔に、こちらもだんだんと眠くなってくる。
子供の姿になる前は大抵、夜中も眠気を知らず、お遊びと称した殺人を毎日続けていたのに、今では夜に遊びに行くことはない。
置いていくの身が心配というのもあるが、最近は何故か破壊衝動が少ない為に、夜のお遊びをしなくなった。
もしかしたらに毒気を抜かれてしまったのかもしれない、と思った。平凡な一般人で弱い彼だからこそ、ボクの闇の部分を奪っているのかもしれない。
弱くて脆いから、簡単にボクの甘い囁きに頷いて一緒に暮らすことになっているけれど。
あの時、「帰る家もないのに?」とボクに訊かれた、彼の心が軋むのが聞こえる筈もないのにボクの鼓膜に届いた。
なんて繊細で脆いのだろう、とボクはニンマリ笑った。ボクなんて生まれた時から帰る場所だって、家族だっていなくてずっと独りぼっちだったのに。
それなのに、ボクは今こうして元気に生きているにも関わらず、は何かが傍にいないと生きていけないのだ。
だから弱い彼のためにボクが帰る場所になってあげよう。ボクしか頼れないようにして、ボクしか要らないようにして、ボクだけを見つめ続けるようにしてあげる。
ボクはもう本気だから、君を絶対に逃がしたりなんかしない。逃げようとしたら悲しくなってのこと壊しちゃうかもしれないから、逃げようだなんて考えないでね。
だから早くボクのところへ堕ちておいでよ。こんなにもボクの心を捕えている君がボクを想わないなんて許さないんだから。
ボクは気が長いからたぶん一年くらいだったら待てるかな。それまでにボクを好きになってくれたら、ボクは君を二度と手放しはしないから。
「すぐに堕としてみせるよ、
ちゅ、と彼の額にキスを落とし、ボクも眠りについた。


2012/3/15

inserted by FC2 system