奇術師の王子様1

 え、何?なんで俺こんな所にいるの?今まで一人暮らしらしい狭いリビングでテレビをリラックスしながら見ていたのに。
瞬きした次の瞬間に見慣れない路地裏だなんて。ゆ、夢なのかな?いたっ!ほっぺた抓ってみたけど痛い……ってことは現実!?ああ、どうしよう俺なんでこんなと―
「ねえ、お兄さん」
「へ?」
茫然自失の状態から百面相をしていたに声が掛けられる。パニックになっている所に声を掛けられ、はっと意識が戻るが辺りをきょろきょろ見回しても人の姿はない。
「こっちだよ」
「わっ!」
気のせいかと人影を探すことを諦めかけた時、自身のズボンが引っ張られるのを感じて下を見ると、小さな子供がいた。
髪の毛がオレンジ色の少年―見たところ6歳程度だ―は俺の気付くのが遅くて多少むっとした表情で俺を見上げていた。
今時、こんなファンキーな子供もいるんだなあと思考が違う方向へ向かっている中、その子供は言った。
「ねえ、今お兄さんさ、突然現れたよね。どこから来たの?」
興味深そうにすっと細められた目に、心のどこかで子供らしくないと感じながらも、先の事を思い出す。
そうだ、俺はなんでこんな所にいるんだ。早く家に帰らなきゃ。家には一人暮らしの俺を癒してくれるロロア―サボテン―がいるに。きっと水遣りを待っているに違いない。
「どうしよう……俺、帰り方分かんない」
「え?」
突然ぐずぐずと泣き始めたもうすぐ成人の男、に少年は戸惑いの声を上げる。
子供の目の前でみっともない、何やってんだ、と頭では分かっているが、意味の分からない展開に涙が止まらない。
だって、こんなわけのわからない所に来てしまって、二度と両親や友人に会えないかもしれないのに。
しゃがみこんで、うっう…と泣き続ける大人に、少年がポケットから白いハンカチを取り出してひらひらと揺らす。
「?」
「このハンカチ、種も仕掛けもございません。それがあーら不思議…ジャーン!」
「わ」
目の前で白いハンカチから虹色になったそれを見て、は驚きの声を上げる。
ぴたりと涙も止まっていて、少年はやれやれというように肩を竦めた。
「ご、ごめんね…いきなり泣いちゃって。いきなり色んな事が起こったから…」
「良いよ。僕も困ってて泣きたかったから。けどお兄さんが代わりに泣いてくれたし」
お恥ずかしい、と目の前の少年に頭を下げながらふと思う。何だろう、この子なんとなく見覚えがあるんだけど。それにこのマジック…。
だが、困っているという少年の言葉にその思いはどこかへ飛んで行ってしまい、彼に訊ねる。
「困ってるってどうしたの?」
「ママたちとはぐれちゃってさ…」
先までとは違い、しょぼんと元気を無くしてしまった少年に、今度は俺が慌てる。
そういえばこの子の傍には母親らしき人は見当たらないし、今頃気付いたけど此処は路地裏だ。
こんな所に子供が一人でいるなんて怪しいと最初に気づくべきだった。
「ボク、家なら近くて分かるから、お兄さんに一緒に行ってもらいたくて…」
「え、そんなんで良ければ俺連れてってあげるよ」
さっきはお世話になったし、と付け加えると、俯いていた少年は顔を上げてにっこりと笑った。
笑ったのに、なぜだろう。にやりという効果音が似合いそうな笑顔だった。
じゃあとりあえず表に行こう、と少年の手を繋いで引く。どうだろう、俺今誘拐中ですみたいな感じに見えてないよね。大丈夫、きっと警察は呼ばれない筈。
表に出ると、人通りも多く明るい街並みが視界に広がる。
先の路地裏のように陰鬱とした雰囲気がなくなっただけでも、少し元気が出てきた俺はたぶん大丈夫と思えるようになった。
「ところで、君って何ていう名前?俺は
「僕、ヒソカっていうんだ」
……………へ?what?今あなた何て言いましたか?まさか、某少年漫画のあの変態奇術師の名前ではなかろうか。
いや、きっと聞き間違いだよ。だっていくらなんでもあの奇術師がこんな子供で俺と手を繋いでいるわけがないし。ね、うん。きっとそうだ。
「ヒソカ。よろしくね、
「よ、よろしく」
あ、やっぱり聞き間違じゃなかった。笑顔で固まっている俺に、もう一度教えてくれた名前に、俺の希望は打ち砕かれる。
いや、まだあのヒソカって決まったわけじゃないし、同じ名前だっただけかもしれないし。でも、さっきのマジック…いや!違うはずだよ!
だが、彼を観察すればするほど、大人のヒソカを彷彿とさせるその容姿に、段々背中に冷や汗が流れだす。
奇抜な髪色だってそうだし、目の細さだって似ている。おまけに手品までできるだなんて、これはもう子供の時のヒソカに出会ってしまったとしか考えられない。
「や、やっぱり俺、用事を思い出しちゃって……」
これ以上この子供ヒソカ(まだ確信は無いが)と付き合っていると危険な気がしてきたは何とか理由をつけて彼から離れようとする。
「僕を家まで送ってくれるって言ったじゃないか」
突然うえーんと往来で俯いて泣き出したヒソカに、ぎょっとした大人達がを非難の目で見つめる。
ああ、違うんです。違くはないけど違うんだ!泣かせるつもりはなかったのに!流石に子供を疑うなんて間違っていたか…。
「ご、ごめん!!ちゃんと家まで送っていくから泣かないで!ねっ?」
子供に弱いは、俯いたヒソカの口元が上がっている事に気づかず、泣いている彼の頭をよしよしと撫でる。
ちょろいなあ、と呟かれた声は雑踏の中に溶け込んでの耳に入ることはなかった。
「じゃ、行こう」
「う、うん…」
先まで泣いていたとは思えない程、けろりとした様子のヒソカに、何だか騙された感が否めない。
もしかしてさっきのはウソ泣きだったのかもしれない、なんて考えが頭を過るがぶんぶんと頭を振り、自分の考えを否定する。
きっと大丈夫。大丈夫ってさっき思ったんだから。ああ、でも大丈夫な気がしない。
「違う、こっちだよ」
「ちょっと、どこで転んでいるんだい?」
「だからそこはラーメン屋さんじゃなくてステーキ屋さん!」
「何回迷子になりかけたら気が済むんだい?」
申し訳ない、と自分より小さな子供を見て謝る。あまりの自分の方向音痴とドジっぷりに、自分でも情けなくなる。
結局、ヒソカの家に着くまでに俺がヒソカを連れて行くどころか、俺が家まで案内されたようなものだった。
なんて格好悪い19歳なんだ。俺が何かをする度に、ヒソカの化けの皮が剥がれていくようで何だか怖い。
「送ってくれてありがとう。お茶でもどう?」
「いや、エンリョしときます…」
家に上がっていけと無言の威圧を受けながらも、断ってこの場を後にしようとする。
だが、くるりと背を向けても手が引っ張られて、足が進まない。
「お茶、どう?」
「……ありがたくいただきます」
本当に子供の力か?とでもいうような強さで手を掴まれて、家に上がるという選択肢しか選べなかった。

カチャと置かれたガラスコップに入っている麦茶を口にする。前に座ったヒソカが嫌ににこにこしていて気味が悪い。
たぶんママとはぐれたなんてのも俺をここに連れてくるための嘘だったのだろうなあ、とどこか諦めた思考で考える。
「本当はボクが何に困っているか知りたくない?」
知りたくない知りたくない知りたくない。知ってしまったら二度とこの家から生きて出られない気がする。いや、入った時点で俺の未来は消え去ったに違いない。
「な、何に困ってるの…?」
訊け、というオーラに当てられて仕方なく先を促す。とほほ…俺ってどうしてこう運が悪いんだ。
「実はボクある人に子供の姿にされちゃってね。元の姿に戻りたいんだ」
へ〜…子供の姿に…。ってことは今の姿は本来の姿ではないってことか!本来の姿っていったい何歳なんだ。
子供ヒソカでも勝てる気がしないのに、大人ヒソカになんかに戻られた暁には、俺殺される……!!?
「そ、そうなんだー。本当は何歳なの?」
「今年で16歳くらいになるよ」
16……。ヒソカの年齢に頭がくらりとする。駄目だ…俺死亡フラグ立った。お父さん、お母さんどうか先立つ親不孝な息子をお許しください。
でも、なんでこんなパンピーな俺を連れてきたんだろう。どうせなら役に立つ念能力者とか除念師とか念能力者とかさあ!!
「…で、どうして俺を?」
色々の疑問を含めてそのことを口にする。ああ、どうか暇つぶしの玩具とか遊び道具とかそういうものじゃありませんように…!切実に願う!
「だって、って見てて面白いんだよね。それになんかボクの事知っているようだし…ね?」
アウトオオオオ!駄目だああぁぁ……これはもう逃げる道は無くなってしまった。あの名前を聞いた時の挙動不審さが彼の目に留まってしまったのか。
ね?って完全に確信している目だよ。口止めに俺を殺す気だよ。いや、お遊びで殺す気かもしれない。でもどっちにしろ俺の未来は“死”だよ!
「いや〜…よく知っている人とヒソカの名前が一緒だったから…」
「へえ…にしちゃあ―あ、時間だ」
ボーンボーンと夜7時になったことを時計が知らせると、今まで追及してきたヒソカが俺から時計へ目を移す。
何が時間なのかよく分からない。食事の時間なのか、はたまた俺を甚振る時間になったのか。
「これ、戻る時ちょっと痛いんだよね…」
「?!?!な、なななな」
目の前で起こっていることに目を見開く。些か目を疑う光景に瞬きができない。
今まで子供の姿だったヒソカがみるみるうちに大人のヒソカの姿になっていく。
子供サイズの服はいつの間にか脱ぎ捨てられていて、彼の肉体美が俺の目の前に晒される。
あっという間に俺の身長を抜かした16歳のヒソカがにっと笑った。俺より立派な……ってぎゃあああああ!!!下着を着ろ!!!あ、そうだコイツ、人に裸を見られても恥ずかしくない奴だった。
ずささささと勢いよく後ろに退いた俺は赤くなったり青くなったりで忙しい。な、なんで子供から青年に早変わりしたんだ。
「どうやらボクは夜7時から朝7時まで本来の姿に戻れるらしくてね」
ほ、ほう。そうでございますか。もうこれは何が何でもこの家から逃げ出すしか俺の生き残る道はない!
「へ〜…ヨカッタネ。ブジニ元ノ姿ニモドレテ!ジャ、ボクハコノヘンデ…」
なるべくヒソカの裸体から目を逸らして、片言でさよならを述べてそそくさと広いリビングを後にしようとする。
一人称が俺からボクに変わっていることにも、彼は気づいていない。
後ろをくるりと向いた途端、がしりとヒソカに腕を掴まれて、油の少なくなったロボットのようにギギギと首を回した。
確か俺とヒソカの間には3メートルくらいあった筈なのに。目の前にはにこにこと笑うあの変態奇術師が。
「泊まってきなよ」
あ、やばい近い近い近い!!ペイントのされていない美青年の顔が俺に迫ってくる。
「エ、エンリョ―」
「泊まってきなよ。帰り方分かんないんだろ?」
あああああああああ俺の馬鹿ああああ!!無垢な子供―その実は一番腹黒い危険な奇術師―だと思って色々言ったからあぁぁ!
俺の遠慮の台詞を遮って言われた言葉にがっくり肩を落とす。あんな言葉「どうか煮るなり食うなりしてください」と言っているようなものだ。
「泊まるよね?」
「っ!わ、分かったから」
疑問形なのに最早疑問ではないその台詞が俺の耳に吹き込まれる。あんなに低い声で、弱い耳元で囁かれた俺は顔が林檎みたいに赤くなっている。は、恥ずかしい。年下の、しかも男相手に。
「じゃ、ご飯食べよ」
「う、うん。ってその前に服を着ろ!」


2012/3/14

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