嫋やかな青

 間違って履修した一般教養の期末試験で赤点を取ったことで、自暴自棄になっていたのが今となっては悔やまれる。
大学1年生ではフル単をゲットして舞い上がっていて、2年でも絶対フル単だー!!と意気込んでいたのに、一度履修した教科は変更できないという訳の分からない履修制度のせいで、分からないなりに懸命に勉強したにもかかわらず論理学の単位を落した。
『こんな紙切れー!!』
夜中という理由から誰もいない河川敷にかかる橋の上で返ってきたテスト用紙をビリビリに破いて川に向かって投げた。しかしその一瞬後に「ポイ捨てダメ」という常識を思い出した上に罪悪感に駆られて、わー!!と散らばって宙に舞った紙きれを捕まえようと、橋の上から身を乗り出して手を伸ばした、のだが。
『あっ、わ!!?』
思ったよりも橋から身を乗り出していたらしく、ぐらりと身体が傾く。下は夜の冷たい川。水深はどれくらいあるのか分からないが、私の背丈以上は明らか。
――やだ、落ちる!!
叫ぶこともできずに、橋から身体が離れて、浮遊感と恐怖から目をぎゅっと瞑った。


『いっだ!!』
しかし次いで身体を襲った衝撃は確実に水ではなく、固い地面であった。お尻で全衝撃を受けた私は、うう…と呻いてお尻を擦りつつ恐る恐る目を開いてみれば。周りにはセーラー服のようなものを揃って着ている屈強な男たちがぎょっとした顔で、私を見ているではないか。
『ひっ』
思わず喉から小さな悲鳴が出ても仕方がないと思う。
「な、なんだこの娘は!?」
「突然ここに現れたぞ!!能力者か!?」
「おい!娘!!お前は何者だ!」
口々に何か英語らしき言葉を喚きながらこちらに詰め寄ってきた男たちに、恐ろしさから身体に力が入らずそのまま身体を拘束された。意味が分からない、なんでいきなりこんな乱暴な扱いを受けなきゃいけないの。
男たちの顔も、理解出来ない英語らしき言語を使って問い詰めてくる様子も、私の恐怖心を煽るだけで、頭が働かない。ただ震えてじっと涙を堪えることしかできなかった。
「あらら〜何騒いでんの、お前ら」
「た、大将青雉!!お疲れ様です!」
「突然現れた不審な娘を捕えて尋問していた次第です!」
ふと、低くてやけに間延びした話し方をする声が聞こえると、私を捕えていた彼らは一斉にビシッと敬礼をして、私の後ろを見やった。緊張した様子の彼らから、きっと私の後ろに現れた人間は、彼らの上司なのだろうと漸く考え始めることができた頭で推測する。
「へぇ…急にねぇ」
上司らしき人物がぽつりと言葉を漏らすと、私を拘束している男がぐいと乱暴に彼の方に身体を向けさせた。痛いと顔を顰めるが、その上司を見た途端私はぴたりと身体が硬直した。
私の目線ではお腹までしか見えず、恐る恐る視線を上にずらしていけば、首が痛くなる程上に曲げた状態で漸く彼の顔が目に入る。何この人の身長。3メートルはある。意味分かんない、こんな人この世界にいるわけないじゃん。嘘…。取り留めのない言葉ばかりが頭の中でぐるぐるして、彼の身長の高さから放たれる高圧的な視線に、キャパオーバーを起こして私は意識を手放した。


 目の前で俺を見て急に意識を飛ばした少女を見下ろして、どうしたものかと考える。いつものようにサボりの散歩をしている最中に、何やら騒々しさを感じて珍しくその場に姿を現してみれば、そこには背丈の小さな女が海兵たちに身体を拘束されていた。
自分の位置からでは彼女の顔は見えなかったけれど、身体がぶるぶる震えていることから、きっと怯えているのだろう。
俺に確認させるようにぐいっと身体をこちらに向けられた彼女は、最初は俺の腹部に視線をやっていたけれど、徐々にその顔を上げて俺の顔を見やれば大きく目を見開いた。
まぁ、良くも悪くもどこにでもいそうな平凡な顔をしてる。きっと、笑えば可愛いだろうに、今は顔が青ざめて硬直しているせいで、お世辞にも魅力的とは言い難かったけれど。
堪えていただろう涙がぽろりと大きな目から零れ落ちたのを、彼女は気付いていたのだろうか。その後失神してしまったから気付いてない筈だが。
「あー、とりあえず、アレだ。アレ」
「はっ!!して、アレとは…」
近くにいる海兵の一人にちょいちょいと指で招いて命令を伝えるけれど、アレでは伝わらなかったようだ。“アレ”つったらアレしかないでしょ…と返すも、彼は申し訳なさそうに、アレでは分かりません、大将!と俺を見上げるので、ぽりぽりと頬を掻いた。
俺、これでもサボりの途中だったんだけど…。サボりがバレたらまたセンゴクさんに怒られちゃうじゃない。だけど、命令の言葉を探すのも面倒くさい。
――はぁ…仕方ねぇな。
「あー…まぁお前たちはいつも通りに頼むわ」
「了解しました!!」
よいしょ、と地面に倒れている少女を担いで、彼らに指示を出す。彼らのうちの一人だけは説明係として連れて行くことにして、他は俺の指示通りに普段の業務に戻っていった。
面倒だな…とセンゴクの部屋へ向かいながら、少女をちらりと見やる。本当にどこにでもいそうな娘なのに、急に現れるとはいったい何なのか。七武海の一人に人を好きな場所に飛ばすことが出来る男がいるが、彼が飛ばした相手の周りには大きな肉球の痕が残っているから、彼女がそれで飛ばされたという線は薄いだろう。
後ろに付いている男の手には彼女の鞄が抱えられていることから、もしかしたら少しはその中身から情報が得られるかもしれないと彼は考えた。彼女が何者か分かるまでは暫く、どこかに閉じ込めておく方が良いだろう。そう思って、側を通りかかった海兵に海楼石の手錠を持ってきといてと伝える。
――さぁて、センゴクさんにどう説明したもんかな。

 とてつもなく大きな体の男性に連れられて、ボーリングの玉みたいに丸い髪形をした地位が高そうな男性に話を聞かれて――そもそも話にすらならなかったけれど――からは、空き部屋に閉じ込められて数日間尋問が繰り返された。その頃にはようやく彼らが話しているのが英語だと分かってきたが、いかんせんこんな厳しい状況下で使える英語など限られており、言語としては相手からすれば幼児レベルであっただろう。
しかし、今現在はその尋問から解放されて、青キジの執務室で彼の隣に座ってぼんやりと宙を眺めている。どうやら数日間で私がこの組織に害を成す存在ではないという認識が出来上がりつつあるが、未だ末端の者にまでその意識は広がっていない為、こうして大将という地位にいる彼の傍にいることが多いのだ。
彼は優しかった。怯える私に怖がらせるようなことは一切せずに、ただ時々話しかけたりプリンをくれたり、大きな手で頭を撫でてくれたり。
この状況に戸惑っているのはお互い様だろうに、それでも彼は大きな懐で私を受け入れてくれた。そのおかげで私は彼には心を開くことができている。
『帰りたいなあ…』
「どしたの、ちゃん」
「……」
無意識に言葉にしていた思いに、溜め込んだ書類から顔を上げる彼。彼の地位や難しい通り名については写真や絵を介して教えてもらった為理解できていた。その為、多忙な彼を煩わせるのは申し訳なくて――更に誤解を生まないように英語にするのが難しかった――口を噤む。
ふるふると首を振ってニコリと作り笑顔をすれば、彼はふうと一息ついた。
「外、出かけよっか」
「いいの…?」
彼がゆっくり発音した内容を理解して、目を瞬かせる。だけど、私はなるべく日中はこの部屋から出ないように言われているし、そもそも彼は今センゴクから鬼のような顔で指示を出されたこの書類を片付けなくてはいけない筈だ。言葉がよく分からなくても、ジェスチャーでセンゴクや青キジの部下たちがこの書類についてやいやい言っているのを理解できたからこそ、戸惑う。
――今ここで私たちが街へ出かけたらあの人たちは血圧が上昇して卒倒してしまうのでは?
そう思ったのが表情で伝わったのだろう、彼が苦笑する。
ちゃんの笑顔の方が大事だからね」
そんなこと言って仕事から逃げたいだけでは、と思うのはこの数日で彼の怠け癖に対して部下が嘆くのを嫌というほど傍で見ていたから。
『わっ』
しかし、よっこいせという掛け声と共に立ち上がって私を担ぐ彼に声が出る。
「な、なに!?」
「普通に歩くとセンゴクさんに捕まっちまうでしょ。だから、」
窓を開け放つ彼に、言葉が理解できなくても、まさかという思いがよぎる。それは、やめてください。お願いだからや
「あああああああ!!!!」
「お〜、今までで一番おっきな声」
落ちた。正しく言えば、飛び降りた。ビュンと通り過ぎる窓枠と共にひゅうっとお腹から何かが喉元にせりあがる。何か大切なものが体から抜けようとしていた。
死ぬ。そう思ったが慌てふためく海兵たちの間にスタッと着地した彼は、スタスタとどこかへ向かって歩き出す。私の口からは魂が抜けかけていた。
「大将青キジ!センゴクさんには」
「あ〜、大丈夫センゴクさんには1時間だけ散歩してくるって言ったから」
「ええ!?確認しますのでお待ち」
「じゃ、1時間後に戻るわ」
「大将―!!!」
必死の形相で詰め寄ってくる海兵たちに何か適当なことを言っているのだろう。彼は片手をふりながら彼らを撒こうとした。それを至近距離から見ていた私と青キジとばっちり目が合う。
少しだけ口角を上げた彼は本格的に海兵を撒く為に周囲を見渡した。


チリンチリン。軽やかな音は自転車のベルだ。だがそれは、本来聞こえる筈がない大海原の上で響いていた。ちゃぷちゃぷとした波音にすぐ消されてしまったそれだったが、青キジの服に捕まりながら自転車の後ろに座っている私は始終目を輝かせていた。
「すごい、すごい!」
「そ〜?そんなに褒めてくれるなんてオジサン嬉しい」
車輪が前に進むたびに、大海原に一本の細い氷道ができる。パキパキと音を立てて道を作るのは彼の“ノウリョク”だと教えてくれた。
「まほうすごい!ね!」
「魔法ね〜、そんなもんじゃないけどほら」
自転車を漕ぐ彼が器用なことに海面を蹴り上げれば、飛び散った飛沫が瞬間アーチ状に凍った。その下を潜り進んでいく彼に私は初めてマジックを見た時のように目を見開いた。
「サービス」
「すき!もういっかい!」
ニッと笑った彼に渡しは思い切り良い笑顔を向けた。親指を立てた彼に単純な言葉でお願いをすれば、彼は不承不承といった体でもう一度同じように氷のアーチを作ってくれた。きらきらと太陽の光に照らされて光る氷のアーチに、落ち込んでいた気持ちがふわりと上昇する。
その後も一時間かけて大海原を散歩した中で彼は氷のマジックを何度も見せてくれた。その度に私ははしゃいで、危うく一度海に落ちそうになったけれど、寸でのところで彼に助けられて無事だった。


「青キジ〜〜〜!!!!!」
しかし、楽しんだのも束の間、海軍本部に戻った時のセンゴクの怒号に、二人して鼓膜をやられたのであった。

2019/1/2
◇あとがき◇
アルさん。お待たせしました!異世界からこんにちはシリーズで青キジでした。青キジさんのところに落ちたら最初は厳しくてもなんだかんだ甘やかしてもらえそうだな〜というのをまとめてみました。楽しんでもらえたら幸いです。

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