きみは真昼の匂いのするひと

シャボンディ諸島を出てから数日。順調に航海を続けている日々だが、船内の空気は今までとは少し変わりつつあった。それが分かる者もいれば、分からない者もいる中で当事者たちはどことなくそわそわと落ち着かない様子であるのを、キラーは眺めることが多くなっている。
、ソース」
「ん」
キッドがサラダにかけるソースを取るために、彼女の目の前にある容器を指差す。それに彼女は頷いて彼の手に渡そうとするのだが、微かに彼らの指が触れることで、彼女はまるで電流が走ったように体をびくりとさせて容器をゴトンと机の上に落とした。何やってんだよ、とキッドは呆れながらも落ちた容器を拾って、何事も無かったかのようにサラダにかけているが、僅かに耳の先が赤くなっている。一方、彼女はあわあわと「ごめんなさい」と顔を赤くしながら自分の料理に視線を戻していた。
――春だなぁ。
キラーは人知れずそんなことを思って、ステーキを口の中に入れた。


――どうしてくれるんだ。このなんとも言えない甘酸っぱい空気を。
キッドは今までにない感情に戸惑いつつも、その正体に気付いていた。いつからだとかどうしてか、なんて明確なことは分からないが、どうやら俺はに恋をしているらしい。ただ、彼女の存在がいつの間にか彼の中で大きくなっていて、なくしたくないと思うようになったのだ。
彼女の笑顔とか、泣き顔、膨れっ面、おかしな行動とか、俺を船長として慕う様子、それら全てが愛しくて堪らない。こんなこと、恥ずかしすぎて誰にも言えないが。そんな、自分のイメージとはかけ離れすぎていることをしているという事実があるだけで、彼は船を破壊したくなる衝動が生まれる。
――俺が恋とかする柄じゃねェだろ!!!
しかも何で相手は寄りによってあの小動物のような、性を感じさせないような無垢な少女なのだ。今までの俺であれば、恋ではなくとも一晩の相手には背が高くて胸が大きい、派手で色気のある女を好んで選んでいたというのに。そんな女たちとは正反対だ。
いつぞやに見た、下着姿は彼女の性格にあった白色のレースで控えめな胸を飾っているものだった。その時の彼女の顔といったら、顔を真っ赤にして固まっていて可愛かった。ああいう純粋無垢な生娘が快楽に溺れた時の貌はどのようなものなのか。
――って違ェ。ふざけんなよ、想像するだけで下半身が反応するとか餓鬼じゃねェんだから勘弁してくれ。
はぁ…と溜息を吐いて、頭を掻き毟る彼。とりあえず、風呂だと身体を洗ってさっぱりすることに決めた。風呂入って頭を冷やそう。
 無事に溺れることもなく風呂から上がって簡易的な服を着る。髪の毛から滴る水を拭きつつ、今頃あいつは寝ているだろうかと彼は時計を見やった。時計の短針は既に12を指している。確実に寝ているな。そう思って、彼は今後の航路を確認しようと海図を広げた。
今いる所がここで、と考えた所でふわっと頭の中にの笑顔が浮かぶ。おい、やめろ、今は彼女のことを考えている場合ではない。そうやってぶんぶんと頭の中の彼女を追い払おうとするが、そうすれば、彼女がしゅんとした顔でこちらを見やってくる。
「あーー!!くっそ!!集中できねェ!!」
頭の中の彼女に構ってやれば、彼女が犬のように嬉しそうに尻尾を振る幻影が見えた。


私は部屋でベッドに座り頭を抱えていた。
お、おかしい。最近、キッド船長を見ると何だか胸がドキドキするようになってきたし顔だって熱くなるのだ。前までこんな風になることはなかったのに、いったい何でだろう。キッド船長が格好良いのは元々だけど、最近益々その恰好良さに磨きがかかっているように見えるのは私の目がおかしいのか、それともキッド船長が美容に気を遣うようになってきた(仮定)からなのか。う、う〜ん……。原因を探すべく、私はここ最近の出来事を思い返してみることにした。
シャボンディ諸島を出る時に特訓を始めると言った彼は、その言葉通りに私を扱き始めた。今まで運動というものを体育の時間にしかやってこなかった私は大して体力があるわけでもなく、使える筋肉が付いているわけでも無く、自分でも呆れてしまったほどだ。
、力こぶ作ってみろ」
「??ちからこぶなに?」
トレーニング室にやってきて私の前に立った彼は、力こぶってのはこれだと言って腕に力を入れた。ぽこっと出来上がったこぶに、ああと納得する。なるほど、私の筋肉がどれくらいあるのかを見極めたいらしい。
よしっと気合を入れてふんっと腕に力を入れてみる。固い!固いぞ!きっと今までで一番固いんじゃないだろうか。
「はやく…!!」
力を込めているのが思いの外大変で、気を抜いてしまったらいつもの腕に戻りそうだ。そうやって彼を急かせば彼はぐにっと私の腕を躊躇なく掴んだ、というよりは潰したが、如何せん彼の握力が強くて「ぇあ」と情けない声を出して力を抜いてしまった。
「……これが本気か?」
「ほんき!」
私を見下ろす彼の顔は困惑から呆れに代わり、はぁ………と長い溜息を吐いた。本当かよ。そう呟く彼にどうしたものかと考える。も、もしかしてあまりにも柔らかすぎたのかな。
少ししょんぼりしていると、ううむと唸った彼が突然べたべたと私の身体を触り始めた。
「わっ、ひっ?!きっどせんちょ!?」
お腹、腕、太腿と、ぐにぐにと何かを確認するような手つきのそれは、私にとっては過剰なスキンシップで羞恥心から顔が熱くなる。うわ、やだどこもかしこも脂肪が気になる所だってのに…!
普段ワイヤーたちに抱き上げられることがあるとはいえ、こんな風に遠慮なく身体を触られることがなくて心臓が破裂しそうだ。真っ白になった頭でどうにかぐいぐいと彼の腕を押し続けると、漸く彼の手が離れた。も、もうすこしで心臓が止まるかと思った。
「お前……全身だるんだるんじゃねーか」
「だ、だる…??」
しかし彼が至極真面目な様子で発した言葉によって、私は心臓をバクバクさせながら彼を見上げた。彼はその言葉の意味が分からないと思ったのだろう、触ってみろと私の手を彼の腹筋に導く。え!?ちょっと待って!!そう思うも、がしっと腕を掴まれているため、逃げられず素直に彼の腹筋を触ることになった。
皮膚は柔らかいけれど、その下の筋肉は固くて私のお腹とは大違いだ。格好良い。あまりにも格が違う。思わず、へらっとした笑みを浮かべて誤魔化した。
「違いが分かるか?」
「………つよい」
固い、な。そう訂正した彼は、まずはお前に筋肉と体力を付ける所から教える、と言って腕を組む。
――何か、今までで一番固いかも、とか言っていたさっきの自分が馬鹿だったということに気付いた。確かにこのままではろくに敵から逃げることもままならないだろう。
と思ったが、つい先ほど触れた彼の身体の逞しさを思い出して顔を赤くする。あれ?キッド船長ってこんなに逞しかったっけ?

 彼との思い出を振り返っていたが、原因はそれだろう。あの時の出来事を思い出してまたもや大声を出してしまいたいような羞恥心に襲われた。
『う〜ん……』
だけどどうしてこんな気持ちになるのか分からない。ベッドにぼふんと体を横たえる。だがそこからいくら考えても原因を突き止められない。
『まあいっか!』
だが頭が破裂しそうだったので途中で考えるのを止めた。危うく頭から煙が出る所だったもの。
ふん、と大きく鼻から息を吐いて目を閉じる。少し疲れたから寝よう。
ものの数秒で意識を飛ばした私は部屋に近づいてくる足音に気づかなかった。

 以前誰かから受け取った菓子を見つけた為、キッドはそれをに与える為に彼女の部屋に足を向けていた。彼としては自分で食べても良かったが、こういった甘いものにめっぽう弱い彼女が満面の笑みで自身を見上げることを期待していたのだった。
、」
ドアノブを回してからノックするのを忘れていたことを思い出した彼だったが、鍵がかかっていない扉に眉を寄せる。不用心な奴だな。
入るぞ、と一応声掛けをして中に入れば彼女はベッドで横になってすやすやと昼寝をしていた。
大方昼食の準備に走り回っていたから疲れたのだろう。そう思って彼はベッドまで近づき音を立てないようにそこに腰を下ろす。
彼女が寝ているということもあり、まじまじと様子を観察する。いつもはキラキラと輝く瞳が長くてくるんと上を向く睫毛に隠され、頬は眠たくなった時の子供のように色に染まっている。桃色の唇はうっすらと開いており、無防備なのにどこか艶めかしさを感じさせる。
――可愛い。
思わず頭の中に浮かんだ言葉にブンブンと勢いよく頭を振って消す。いやいや、いくら何でも寝込みを襲うのは良くない。しかし、日ごろの特訓―今のところまだ筋トレのみだが―を確かめなくては。なんて悪魔がキッドの耳元で囁く。
「(腹だけなら許されるか)」
以前筋肉を確かめた時よりもできているか確認するだけだ。そう言い聞かせて、彼女の腹をそっと触ってみる。以前触った時は筋肉など1%も感じさせないそこは、今では少し引き締まった弾力がある。
「(ちっとは付いたか)」
すす、と脇腹に指を這わせれば寸胴だったそこは僅かにカーブを描いていて。
――まずい。ムラムラしてきた。
腹だけを触るつもりがその上も下も触りたくなってきた。襲い掛かる衝動にモンモンと悩んでいる目の前で、が「うーん」と目をこすりぱちぱちと瞬いた。
「きっどせんちょ?」
「………よお」
何でここにいるの?と目で問いかける彼女に、キッドは内心焦ったがそれを表面に出さずに挨拶をした。
「もしかして、ねむい?ねる?」
いつもより言葉数少なく目を伏せているのを、眠いと勘違いした彼女が訊ねてくる。純粋な彼女が発する「寝る」という単語がそういう意味で言っているわけではないのにアンバランスだが最高に良い響きだったので、キッドはその欲求に従うことにした。言い訳なんて考えなくても良さそうだな。
「ああ、そうだな、寝るか」
「ぐえ」
ギシリと音を立てて狭いベッドに体を乗り上げて彼女を壁際に寄せれば、蛙が潰れたような声を出す彼女。どうやら彼の体に押しつぶされそうだったらしい。梅干しのように圧縮させられた彼女の変顔といったら。
「わりぃ」
思わず笑いそうになった彼だったが、横になった状態で彼女の体を持ち上げて、自分の体の上に乗せたのはほとんど無意識だった。
「!?」
『なっ、え、どういうこと…!?』
それに二人同時に目を見開く。は驚きすぎて母国語で何かを口にしている。その上、胸の上に頬を乗せている彼女の体が硬直した後に一気に体温が上昇したのが分かる。心臓もばくばくと音を上げてキッドの腹に響いた。同じくキッドの心臓の音も徐々にヒートアップして鳴り響いているのが彼女の鼓膜には届いているだろう。胸やら太ももやらの柔らかくて生々しい感触が服越しに伝わってきて、キッドは自分で乗せておきながら慌てた。
「あー、お前はちょうど抱き枕に良さそうだからな!」
「なに??だきまくら?」
変な汗をかきながら言い訳をするキッドには単語の意味を理解していないようだった。寝る時に抱きしめる枕だと分かりやすく説明すれば、どうやら彼女も焦りながらそれを理解したらしい。だが、ほとんど理解しないで頷いていてもおかしくない。彼女の心臓の音がけたたましいくらいに響いているから。
「お前は抱き枕だからな、抱きしめねェとな。」
「だ、だきまくら、もんね!」
もはやこの状況が何なのか二人とも分からなくなっていたが、必死に「抱き枕だから」と言い聞かせる始末。
そっと彼女の背中に回していた手に力を籠めれば、この腕の中にがいることをまざまざと感じてぼんやりと心のどこかに柔らかい炎が宿る。人を抱きしめたのはほとんど初めてかもしれないと感じる程の感覚だった。
今は顔が見えない彼女の顔を見たいという衝動に駆られるが、今見てしまえば止まらなくなることは分かっていた。だから、手だけで彼女の表情を確かめるように片手で頬を触る。さわさわと撫でていた手を横に滑らせれば、唇に到達してぴくりと身じろぐ彼女。
――あ、ヤバイ、勃
、鍵をかけてない、な、ん…て……」
しかし突如として開く扉から見える仮面。の母親―もとい父親のように見守るキラーだった。この現状に固まる彼は一度扉を閉めて消える。だが、数秒後またガチャリと扉を開けた彼は、同じ光景が広がることに怒気を膨らませた。
「キッド………」
「…おう」
やけに静かな彼が恐ろしい。呼んだきり特に何も行動に移さない彼に、逆にキッドが自分からをベッドに下ろし立ち上がる。先ほど立ち上がりかけたものは既に元の位置に戻っていた。
そのまま親指で扉の外を指す彼にキッドは聊か冷や汗を垂らし従った。こういう時のキラーはヤベェ。キラーは「いい子にしてろよ」と言うように、顔を赤くしてハテナマークを頭に浮かべるの頭をポンポン撫でてから外へ出た。


「順序というものがあるだろ!!」
数秒後、船全体にキラーの怒声が響き渡り、キッドの鼓膜は暫く使い物にならなくなったのであった。


2019/01/03
◇あとがき◇
さまんささん。遅くなりましたが、この度はリクセストしていただきありがとうございます。キッド船長とのイチャイチャ!書くの楽しかったです。今度書くときはもっとイチャイチャさせたいです。

inserted by FC2 system