06 どろりとした怒りの矛先

「むかつく……」
最近噂に聞く、ゾルディック家のカナリアの存在が酷く忌まわしい。しかもよりにもよって長男に寵愛されているなんて。
ご執心だなんて、そんな言葉をメイド達の口から盗み聞きするなんて自分でも思わなかった。
よくも、このアタシの顔に泥を塗ったわね。この罪はとても重いわよ。
「イルミにはアタシという可愛いフィアンセがいるのに」
ぎりぎりと悔しさの余りに拳を強く握り締める。ああ、今すぐこの手でそのカナリアなる女を絞め殺せれば良いのに。
嫉妬の焔が轟々と燃え上がる瞳は鋭く、憎悪が込められている。美しい容貌ゆえか、その目で睨まれたら人々は寿命が縮むだろう。
今までは私だけのイルミだったのに、ぽっと出のどこぞの泥棒猫が横から掻っ攫っていくなんて許せない。
大体、そんな女に引っかかるイルミも許せない。アタシには全然連絡も寄こさないくせに。
「絶対後悔させてやる」
そう呟いてアタシは部屋を飛び出した。


「ちょっと、あんた」
がちゃりというドアノブを回す音が聞こえて、下げていた視線を上に上げると、扉を閉めて入ってきた綺麗な女性と目が合った。
スタイルも女性らしいラインを持ち、程よい肉付きはさぞかし男性に人気があるのだろうと思わせる。
対して、私といえば肉付きは少ない貧相な身体だと劣等感を覚えた。
私を見つめるその目は鋭く、見間違えでなければ嫌悪さえ抱いているように感じる。
「どちらさま、ですか?」
使用人の恰好をしていない彼女はきっと客人なのだろうと思い、丁寧口調で話しかける。
自分が望むものを持っている彼女にそんな風に見つめられていると酷く居心地が悪い。
きっとこの家の誰かに用事があるのだろうから、早くこんな貧相な娘がいる部屋からは出て行ってほしかった。
「アタシはマリアよ。イルミの婚約者」
その衝撃の単語を耳にして、私は軽く目を見開いた。驚くまでもない。彼はこの家の長男で成人しているのだから、そういう話があってもおかしくない。
そう頭では理解している筈なのに、心は全くいう事を聞いてはくれずに嫌な音をたてて軋んだ。
「それなのに、あんた…アタシの婚約者に手を出すなんて、何て恥知らずなの」
しかも、イルミの部屋と隣り合わせだなんて、巫山戯てるでしょ。そう憎しみの籠った声で責められて、私は俯いた。
「私は、別にイルミ様と特別な関係など持ってはいません……」
「信じられないわ」
ツカツカと高い音をたてるヒールで彼女が私の前にやって来て、顔を持ち上げる。間近で見る彼女の険しい表情は美しいが故に恐ろしかった。
そう思った次の瞬間、パシン!と乾いた音が部屋に響いた。次いで遅れてやって来た頬の痛みと熱で、漸く彼女に平手打ちをされたのだと理解する。
「こんな、念も使えない弱っちい小娘にあの人を横取りされるなんて許せない」
「……っ」
赤く熱を発する頬を押さえて、殺気立ち私を見下ろしてくる彼女を見上げる。慣れない空気に歯がかちかちと鳴る。
その様子を見て、彼女は口元を歪めた。それは嗜虐的な色を見せていて、私は椅子から立ち上がって後ろへ下がろうとしたが、華奢なヒールに足元を取られて尻餅をついた。
「…あっ」
「ぜんぶ……イルミがあんたに与えたものね。本当、むかつく奴」
彼女によって発せられた言葉は地を這うように低く、私を見下ろしている瞳には憎悪しか無かった。

 イル兄との体術の訓練を終えて階段を上っていた。向かうは、もちろんの部屋だ。イル兄は図書館へ寄ると言っていたから彼女の部屋に来るのはもう少し後になるだろう。
今日はどんな話をしよう。そう考えていると、パリンッと何か固い物が割れる音が聞こえた。その音はとても大きいとは云えなかったが、聞こえた場所が今向かっている彼女の部屋からのものであるから、急いで残りの階段を駆け上がり彼女の部屋の扉を開いた。
「あら、キルア。どうしたの?そんな顔して」
「お、お前…何やってんだよ!」
彼女の部屋に入った途端、荒れ果てた彼女の部屋に愕然とした。何よりも、本やティーカップなどを投げつけられて、額から血を流し気を失っている彼女の姿が平常心を無くさせた。
竦む脚を叱咤して、マリアとの間に入ってを庇うように自分の背中の後ろに隠す。
「何って…この子が気に入らないからお仕置きしてただけ」
でもつまんなーい、全然声出さないんだもの。そう言うマリアの言葉を聞いて腸が煮え繰り返る。
「マリア…こんな事して許されると思うなよ…っ」
「可愛いー!その子守ろうとしてるの?妬けるわね〜。でも実力ならアタシの方が上よ」
「っ!!」
確かにその通りだと思った。彼女が投げかけてくる殺気は自分が耐えることが出来るぎりぎりのラインで、多分それは手加減した上での力なのだ。
自分の意思とは反対に震えだす脚を無視して彼女を睨み上げる。本当ならここで――出来るかどうかは置いておいて―――彼女を消し去ってしまいたい所だが、彼女はこれでも兄の婚約者だ。怪我をさせただけでも五月蠅いだろう。
どうすれば良いんだ。そう逡巡している所に、聞きなれた無機質な声が鼓膜を揺らした。
「ねえ、何やってんの」
「イ、ルミ…っ」
いつも以上に冷たい響きを持つその声に、マリアは振り向くが彼女が振り向いた時には既にイルミは彼女を通り過ぎ、倒れたを見下ろしていた。
イル兄は此方をちらりと見て俺の頭にぽんと大きな手を乗せた。いつもなら多少の恐怖を与えるその手が今は安心感を齎している事が不思議でたまらない。
「な、んで…。婚約者がいるのに、どうしてその女を大切にするの!?」
を抱えて隣の自室に連れて行こうとするイルミを見てマリアが怒りを込めた様子で声を荒げる。
そんな様子に、イルミは心底面倒だというように彼女を見下ろして言葉を発した。
「幼い頃の親同士の口約束だろ?俺はそんなものに縛られるつもりはない」
それと、次やったらいくらお前でも容赦しないから。禍々しい殺気を漂わせながらそれを言い残してイルミは自室に戻る。
それに続くように彼の部屋に足を踏み入れかけた俺は、マリアが俯いた後に荒々しく扉から出て行く様子を見ていた。


2012/06/20

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