04 手折られるならあなたに

「―でさ、簡単に訓練終わらせたからブタ君が怒っちゃったわけ」
「それはお兄さんがキルア君より子供だったのですね」
くすくすと小さく笑うと大きな声で笑うキルアは、午後の日向に溢れる庭の一部に座って談笑していた。
傍にはイルミはおらず、紅茶の入ったポットとティーセットが置いてある。
本来なら、彼女が部屋から出ることなどイルミが許すわけがなかったが、制限時間を設けることでそれは可能になった。
ひとしきり笑って訪れた沈黙に、キルアは恐る恐る口を開いた。
「あのさ、。俺に君付けとか敬語で話すのやめてほしいんだ」
突然の言葉に、彼女は一瞬飴色の目を丸くした。やっぱり、言わない方がよかったのかもと、早くも後悔しているキルアに彼女は微笑んだ。
優しく細められた瞳に、根拠もなく心が落ち着く。
「じゃあイルミ様には内緒。キルアの前だけね」
少し悪戯っ子のような表情をしたに、キルアはうんと頷いた。内緒だよ、と小指を出され「指切り拳万―」と歌を歌い、二人だけの約束を交わす。
そんな些細なことなのに、彼はとても嬉しかったらしく、始終ニコニコとして彼女と話を続けていた。


 窓から外を眺めると、庭でとキルアが楽しそうに談笑しているのが目に入る。
外へ出てみたいのです、と俺の目を見て言った彼女の瞳が今でも忘れられない。こんなの、いつもなら記憶にさえ残らないのに。
そう言った時の彼女の目はいつもの優しい光ではなく、どこか強い意志を持った瞳をしていた。
確かに彼女を部屋の外へ出したことは無いから、本当は部屋から出すなんて心底嫌だったけど、これといった上手い理由も見つからなくて仕方なく彼女の外出を許した。
しかし、キルアもも俺のものには変わりないのに、がキルアと一緒にいると異様に胸の内がざわついて落ち着かない。
多分、彼女の相手が誰であろうとも苛々するのは止められないのだろう。今も苛々としながら彼女らを見つめている。
楽しそうに指切りなんかして。果たしてその約束事は俺の約束よりも重いものなのだろうか。
だが、何故ここまで彼女に執着したり、彼女の事で心が悶々とするのか自分でも分からない。彼女はただ俺に唄を捧げるだけの存在であるのに。
声が美しいからか。あのように辛い過去を持つからか。容易く手折ってしまえるような身体だからか。
どれもその答えに当てはまらない気がした。憂いに満ちながらも優しさがあるあの瞳が、頭の中で俺を見つめる。
「すきだから……?」
は?自分で言ってみて笑えた。俺にそんな感情があるわけがない。キルアは勿論俺にとって大切な存在だけど、彼女に対する想いはまた別のもののように感じる。
閉じ込めて、俺の傍だけにおいて唄わせて、俺しか頼れないようにして。そういった願望は“好き”という感情から来るものなのだろうか。
認めるのは癪だが、認めてしまえばある意味楽な気がする。ならば、仮にこの想いが“好き”であるとしたら、このモヤモヤは嫉妬なのだろうか。―俺が?キルアに?
ありえない。そう言って笑いたかったけど、何故かその考えはすとんと心の中に落ち着いて妙に納得している自分がいる。
嘘だ。ぽつりと呟いたのと同じ瞬間に、彼女との約束の時間が五分も遅れていることに気が付いて、益々苛々は俺の神経を蝕んでいった。


、時間過ぎてる」
木陰から現れたイルミは機嫌が悪そうに、の腕を掴む。彼はキルアとの談笑の後に唄を唄ってもらう約束をしていたため、その時間が過ぎても帰ってこないに苛立ったのだろう。
ごめんなさい、つい弾んでしまって。と申し訳なさそうにイルミを見上げる彼女に、キルアはまたなと声をかけた。
「ええ、また今度」
「じゃな!」
握られていない方の手で軽く振られたことを見て、彼は走り去った。きっと兄の怒りを買うのが恐ろしかったからだろう。
いつもより速い足取りで自室に向かうイルミには遅れまいとついて行く。握られている手首は少し痛い。
自室に着いて、やや乱暴に開けられた扉がぱたんと閉まる音を聞きながら、彼女は扉に押し付けられた。
「…っ」
「…俺との約束より、キルと話すことの方が大切なの?」
ぎりぎりと圧力をかけられている両手首が痛い。けれど、それは彼の愛情故だと彼女は考えていた。
愛しいから怒るのだと。大切だから私を独占したがるのだと。だから、この与えられている痛みも、彼から受けるものは全て、痛くとも苦しくとも、愛しいものとして感じている。
故に、彼とは恋仲ではないが、それがたとえ片思いであろうが、そう思うことで彼女はこの生活を受け入れることができた。
今、まさに与えられている痛みも、彼女にとっては彼女の存在意義を表してくれる酷く愛しいものであった。
窓から射しこむ光だけの、薄暗い部屋の中で飴色の瞳がとろりと光る。
「イルミ様が一番です」
痛みを感じていないのかと思える程に、莞爾として微笑んだ彼女に、イルミの手の力は弱まる。
そっと離された手首は強く握られていたからか赤い痣になって、まるで桎梏のよう。
彼女はその手首を愛おしそうにゆっくりと撫でた。彼はそれを無機質な瞳で見つめる。
「―じゃあ、いつもみたいに唄って」
「勿論です」
彼に促され、はいつものように窓際のソファに腰掛ける。ただ、いつもと違うのはイルミの膝の間に座らされたことだった。
後ろから腰に回される腕が、加減をしながらも決して離しはしないとでも云うように固定され、彼女はすっぽりとイルミの腕の中に収まっている。
背中に伝わる温もりとゆっくりとした心音に、の心が落ち着き、ゆっくりと唄いだす。
彼女が唄っている最中、イルミは先程自分が彼女につけた痣を優しく指で撫でていた。
どのようにすれば、は俺の元から離れなくなるのだろうか、などと考えながら彼女の唄を聴く。
どうか、この手につけた痣が彼女にとって桎梏となり、どこにも行けぬようになれば良いのにとイルミの思考はどんどん深くなっていく。
「?」
は唄い終っても身動きしないイルミが気になり、首だけひねって見てみると、珍しいことにも彼は小さく寝息を立てて寝ていた。
いつもなら決して見れるようではない彼の寝顔にきょとんとした後、彼女はくすりと笑ってしまった。
こんな無防備な様子を見せてくれるなんて、私は信用されているのだろうかと慢心してしまう心にいけないと諭しながらも、彼の様子が愛しくて胸をきゅっと掴まれる。
今、この瞬間だけなら私たちは恋人同士に見えるのに。どうか、時間がこのまま永久に止まってしまえたらいいのにと無理な願いが心に浮かんでは消え、浮かんでは消える。
ぽたり、と頬を伝って落ちた雫を拭き取ることもせずに、はイルミと一緒に添い寝をすることにした。
願わくば、一番愛しい彼が私を少しでも見てくれますように。


2012/3/13

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