02 隠されていた宝石

 午前十時頃、は窓の外を眺めていた。イルミは部屋にはおらず、家のどこかで仕事をしているのだろう。
彼女は翁鬱としたこの森の中にまで射し込んでくる、秋にしては暖かな太陽の光に見とれていた。
この光のおかげで、少ないながらも大切にしている趣味を楽しむことができているのだ、と考えるとこの光がとても慈悲深いものに思えるのだ。
ソファに、彼のくれた栞が挟まれている本がゆったりと寛いでいる。それをそっと手に取り、表紙の質感を細い指で撫でて楽しむ。
ぱら、と栞の挟まれている所で開くと、赤や黄のドライフラワーで飾られているそれが目に優しく映る。文字の羅列の中に、その花は鮮やかで映えて見えた。
昨夜の読みかけの行から続きを読もうとした時に、控えめな音でコンコンと扉が鳴らされた。
「どーも、こんちは」
「?」
どちら様?と言う間も無く、見知らぬ銀髪の少年が扉からするりと猫のように入ってきた。
大きなアーモンドアイがじっと私のことを見つめる。
「あなた、誰?」
「キルア」
あんたは?と問われたことにと答える。ふうんと澄ました態度の少年はどことなく、愛しいあの人に似ていた。
特に目とか、こんなことを言うのはどうかと思うが、自分勝手な所とか。そんな所も好きなのだけれど。
どうやらこの子はイルミ様の兄弟らしい事が彼の容姿から窺えた。そしてそれが正しいという事が彼の口から聞かされた。
ってさ、なんで此処にいるの?」
「……イルミ様が、私を此処に呼んだからですよ」
とても疑問を感じていたのか彼が私を見上げながら訊ねる。
意識したわけではないけれど、自ずと言葉使いが敬語になる。きっといつもイルミ様に対して敬語を使っているからだろう。
は、イル兄の恋人?」
そわそわとしながら彼がそう訊いた姿に目を丸くする。
そんなこと、どんなに望んだとしても叶うことではないのに。私なんかのような矮小な身には一緒に暮らしていることさえ勿体無いくらいのことなのに。
「……そんな関係ではないですよ。私は、ただの唄人です」
私は私の声を、ただあの人に捧げるだけの存在なのだ。きっとこの声がなければ、彼は私を此処に連れてきてくれることなんて無かったのだから。
「じゃあ、いつも夜に歌っているのはなんだ」
「そうです」
五月蠅かったですか?と少し気にしてみると、彼は先程とは違い、目を煌めかせて俺にも聴かせてと口にした。
「俺、あの歌聴きたい」
「……ごめんなさい。私、イルミ様にしか唄ってはいけないのです」
こんなに目をキラキラさせて私の唄を聴きたいという彼には申し訳ないけれど、私はイルミ様とそう約束しているのだ。
ちえっと口をとがらせて不満気な様子の彼に、頭を撫でようと手を伸ばした所で、彼と私の部屋を結ぶ扉が開かれた。
「キル、何してるの」


 この前の夜にあの声を聴いてから何日か過ぎたが、好奇心や聴きたいという欲求は収まることを知らず、気付けばイル兄の部屋の前にまで足が動いていた。
此処は彼の部屋の右隣だが、此処の窓からあの指が見えていたのだ。きっとこの中にあの美しい声を持つ女がいる筈だった。
今はイル兄の気配もしないし、きっと屋敷のどこかで仕事をしているのだろうと思い、彼女の顔を見てみることにした。
控えめにノックをして、外から掛けられている鍵を容易く外し、するりと中に入ると窓際のソファに座っている女が目に入った。
彼女はとても華奢で、容易く折れてしまいそうな百合の花のようだった。
本のために物憂げに伏せられていた金色の長い睫が、俺が入室したことによって上を向いた。
こんちは、なんて挨拶を言いながらも、声のイメージ通りの容姿に驚く。絶世の美女、なんてものではないが、彼女は綺麗で儚く、たぶん男の加護欲とかをくすぐる姿をしている。
俺はイル兄の兄弟だという事は言ったが、なぜか彼女は俺に対して敬語を使う。
染みついている癖なのか、それとも俺がゾルディック家の三男だからか。どちらか分からないけど、使用人ではないのに敬語で話しかけられるのはあまり好きではなかった。
「ごめんなさい」
唄ってとに頼んだ時、彼女は酷く申し訳ないという表情をしていた。何故、イル兄にしか唄ってはいけないのか分からないけど、彼女を困らせるのは心苦しい気がして、俺は不満げな顔をするだけに止めておいた。
彼女は気付いてないかもしれないけど、俺が入ってきた扉には外からしか鍵が掛けられないようになっている。つまり彼女はイル兄に幽閉されているのと同じだった。
けど、穏やかな顔をして笑っているから、やはり彼女は扉に近づいていなくて鍵の存在に気づいていないのだろう。
イル兄の歪んだ愛情を向けられているのはどうやら、俺だけではなくもう一人いたらしい。少し、可哀想に思えた。
「キル、何してるの」
突如、気配もなく扉を開けて現れた兄に驚愕する。イル兄は、隠しておいた宝物を見つけられた子どものように、機嫌が悪いのが彼の放つオーラで分かった。
流石にイル兄を怒らせたら怖いので、素直に謝ろうとすると、それよりも前にがソファから立ち上がって、俺の横に立った。
「少し、お話しをしていたんです。イルミ様とよく似ていたので」
「ふうん」
がイル兄の機嫌を察知したのかどうかは分からないが、先程見せた穏やかな微笑みで俺の事を話す。
彼女が俺とイル兄が似ていると言ったことが嬉しかったのか、機嫌の降下は止まり、イル兄は先程まで彼女が座っていたソファに横になった。
「俺だけのカナリアだったのに」
少し不貞腐れた風に呟かれた言葉に、はふわりと笑った。それは嬉しかったからか。俺には少し理解ができない。
カナリア、という単語に思い当たる節があり記憶を探ってみると、イル兄がカナリアを飼うと言っていたことを思い出した。
そうか、彼女がカナリアだったのかと分かると同時に、彼女がカナリアと称されるのも納得できた。
こんなに美しい声を持っているのだ。絵本で読んだ、あの人魚姫のように。
「私はイルミ様の前でしか唄いません。だから、これからもたまにキルア君と話しても良いですか?」
俺にも彼女のイル兄に対する想いが分かるくらいの言葉が述べられた後のそれに俺は目を丸くした。
つまり、彼女は俺とまた会いたいと言っているのだろうか。驚きすぎて頭の回転が鈍い。
「……仕方ないなあ」
「ありがとうございます」
がイル兄にお願いしてくれただけでも嬉しかったが、まさかそのお願いが通ると思っていなかった俺はとうとう口まで開いて間抜け面になった。
まさかあのイル兄がこんな願いを聞き入れるなんて。この時のイル兄は俺にとって宇宙人に近かったかもしれない。
「あら、キルア君。口が開いていますよ」
俺の開いた口を、綺麗な指でそっと閉じて莞爾として笑った彼女は、とても嬉しそうで俺も釣られて笑ってしまった。


2012/3/8

inserted by FC2 system