01 籠の中の小鳥

「今日からカナリアを飼うから」
その一言がどれだけ私を驚かせたか。
私が彼女と初めて対面した時、彼女は煤に汚れ、尚且つ水に濡れてみすぼらしかった。
一体何がとは思ったが、それは噫も表にださず、彼女を温める為に入浴を勧めた。
「ありがとう」
ふわりと笑う彼女の声を聞いて、カナリアという言葉に納得する。確かに、消えてしまいそうな位に儚い、美しい声だった。
イルミ様はこのように羸弱とした方が好みなのかと最初は思ったが、そうではなくこの声に惹かれたのだろう。
入浴後の彼女は先程とは打って変わって綺麗になり、金色の髪も先程より輝いていた。
こうしてゾルディック家で、カナリアを飼うことになった。


 薄暗い部屋の中、窓から零れる光を頼りに本を読む。外は幽寂とした趣の庭園が広がっていて、蕭颯たる風景を醸していた。どうやらこの部屋には電球がないらしく、私は多少夜目が利かないので不都合を感じるが、住まわせて貰っている身分でそんな事は言えない。
また、部屋は私なんかには勿体ない程の高級家具が並べられているが、一週間もたって感覚がおかしくなってしまったのか慣れてしまう自分がいた。
イルミ様の部屋と私の部屋は扉一つで仕切られているから、彼が帰ってきた時に気配を感じる。だが、イルミ様は仕事が忙しいのか、たまにしか休みがないので、この広い部屋で煢然と過ごす時間が寂しい。たまにゴトーさんと一言二言話すけれど、彼は執事の枠を超えない程度しか話してくれない。きっと主人の躾が厳しいのだろうけど、イルミ様と彼以外の話す人がいない私にしてみると少し物足りない。
まあ彼が悪い訳ではないのだけれど。早くイルミ様が帰ってきてほしい、とわがままがつい出てしまう三時ごろ。


 夕方になると木漏れ日はほとんど無くなり、私の部屋は暗くなる。私にとっては暗闇と等しく、目的地に着くのも、先程呼んだゴトーさんが親切に手を引いてくれなくては一々家具に脚をぶつけていただろう。
だが、夜になって何本もの蝋燭に火を付けられるのがお洒落で、私は案外気に入っている。そっと、イルミ様が与えてくれたクリーム色の膝丈のワンピースに皴を付けないように整えてから重厚な椅子に腰掛けた。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼が淹れてくれた紅茶に対し礼を述べ、口をつける。香り高い紅茶の味は格別で、ほうとため息がもれた。
「もうそろそろイルミ様がお帰りになる時間ですよ」
「あら、本当?確かにもう夕食の時間ですね」
時計の方に目を向け、教えてくれた時間に嬉しくなり、莞爾として笑う。私の部屋でイルミ様と食事ができるのは朝だけ(たまに昼もあるが)で、彼は夕食では家族の方ととっている。だが、食事の前後に会えるため私はその時間が好きなのだ。
「ただいま」
ちょうど話していた人物の声が耳に届く。噂をすれば何とやら。ノックなしに彼と私の部屋を繋ぐ扉が開けられ、待ち侘びた彼の顔が目に入った。
「お帰りなさいませ」
そう言ったゴトーさんと同じように、私もお帰りなさいと言う。自然と頬が綻び、笑顔になった。
「今日のお仕事はどうでした?」
「ん、いつも通り」
一見そっけない返答だが、彼が他人に対して返事をする事自体が珍しいとゴトーさんから聞いているので、これだけでもとても嬉々としてしまう。
は?」
「ずっと本を読んでいました」
「ふうん」
剰え自分の事まできかれて益々嬉しくなる。単純で痴駭なる思考だと、自分でも思う。
「夕食持ってきて」
「かしこまりました」
彼はゴトーさんに私の夕食を頼み、椅子に座った。ゴトーさんは会釈してから部屋を出て、パタンと微かに扉を閉める音がした。
しばらく彼の無機質な黒い瞳が私を映して、おもむろに彼の冷たい指が私の頬に触れる。
「今日もまた後で歌って」
「わかりました」
そして、冷たいが心地好い指の感触は、名残惜しい熱を残し離れていった。そのまま席を立って彼は自室に向かう。もう帰ってきてから20分程経っているから夕食の席に向かうのだろう。
「お待たせいたしました」
こんこんとノックをしてから、食事のトレーを運んできた彼がテーブルの上に何品も並べていく。
「ありがとう」
「いえ、では失礼します」
今度こそ本当に一人になって寂寥とした空気が流れる。
カチャカチャと自分が動かすナイフとフォークの音が広い空間に響き、吸い込まれていった。
「ごちそうさまでした」
デザートを咀嚼し終わり、ちらりと時計を見ると、時刻は8時半を回っていた。もうそろそろ彼も食事が終わって帰って来るのではないかと期待していると、やはり彼の跫音が耳に届く。いつもは足音一つ、気配もたてない彼が自分の居場所を私に知らせている。そう慢心してしまって良いのだろうか。
ガチャリと扉が開き、薄暗い部屋に闇に溶ける事を許さない彼の濃密な黒が現れる。
「こっち」
「はい」
彼が私の手を引き、月光が差し込む窓辺のソフアに導く。
「いつものね」
「はい」
彼が決まって請う歌―「月の光」は私も大好きで思い入れのある歌だ。
彼の願い通り、歌詞を口ずさむ。その声は、夜を起こしてしまわないように慮っているのか小さく、か細い。
哀切で身を切るような歌詞を、彼女の声が益々強調する。
唄い終わる頃には青白い焔を放つ月光の勢いは増していた。

夜はこれからだ。まだ長い。
2012/2/18

inserted by FC2 system