工藤、と呼ばれる声がしてはキャンパス内を移動する中で振り返った。
「あれ、伊藤くん。久しぶり」
「久しぶり。最近工藤と全然会わないなって思ってたら会えたわ」
よっと手を挙げて此方にやって来たのは去年まで学科の必修科目の少人数制の授業で一緒になっていた伊藤だ。彼は金髪に数個のピアスという一見チャラそうな外見をしているけれど、話してみれば案外しっかりしていて将来を見据えている。彼は既に就活について考えているらしく、教育実習もあるし黒髪にしないとなと自慢の金髪を弄っていた。
「ああ、教育実習か。大変だよね。どこの高校だっけ?」
「埼玉の母校だよ。埼玉って東京から微妙な距離だよなぁ」
図書館で借りたい本があった為は図書館に向かっているのだが、彼は時間など大丈夫なんだろうか。ちらり、と彼を見上げてその旨を確かめれば大丈夫だよと微笑まれる。
それなら良いんだけど。だけど授業で席が近かったから話していたけれど、大して彼との共通の話題を持っていないはどう話を膨らませれば良いのかに悩んだ。
「あ、雨…」
「え、本当だ。うわぁ今日傘持って来てないのに…」
だが話題よりも目下の課題が現れた。曇りだったけれど雨は降らないだろうと思って傘を持ってくるのを忘れたは、ぽつぽつと降り出した雨に眉を顰める。ついてないなぁ。とりあえず、すぐ近くの図書館に入った。図書館に入ったは良いが帰りはどうしようか。
「傘持ってないなら俺と一緒に帰る?」
「え?良いよ、反対方向じゃん」
図書館で借りたい本を探しながらも、小さな声で話しかけてくる彼に嬉しいけれどと断る。だって彼の家は大学を出て右の20分程歩いた場所にある学生寮だ。しかしは大学を出て左の最寄り駅まで歩いていかないといけない。最寄り駅と言っても10分程かかるそこまで一緒に行ってもらうのは申し訳なかった。
欲しかった本を見つけて一先ずカウンターに置いて学生証を渡す。ピ、とバーコードを読み取って貸出完了した本を受け取ってバリケードを出た。
「良いって、食料調達しなきゃいけなかったし」
「そう?悪いねえ、ありがとう」
しかしにこにこと笑顔で彼が言うものだから、迷惑ではないのだろうと思っては頷いた。彼が嫌ではないならは雨に濡れたくないので彼に駅まで送って行ってもらうことにした。図書館を出て正面門へと向かう途中、ピリリリと電話が鳴ったことでは彼に断りを入れて電話に出た。相手は新一だ。
「もしもし?どうしたの?」
『正面門の所に昴さんと迎えに来たから。今日傘持ってってないんだろ?』
何かあったのだろうか、と彼に問えば迎えに来てくれたらしい。しかも沖矢と一緒に。というか、いつどこでが傘を持って行っていないという情報を入手したのだろうか。の無言に敏感に察した彼が『昴さんとこに行ったらいつも使ってる折り畳みが置きっぱなしだったからな』と不敵に笑う。ああ、家に帰って来ていたんだ。それならどうして彼が知っているのか分かる。弟相手にストーカーだと疑わなくて良かった。
姉ちゃーん!」
「し、コナンくん」
電話の最中だったがちょうど正面門にやって来た所、沖矢が普段乗っている赤いスバル360デラックスが止まっていた。後部座席の窓から手を振る新一に、手を振り返す。隣で傘をさしてくれている伊藤に知り合いが迎えに来てくれたことを伝えると、彼はそっかと頷いた。
「すみません、迎えに来てくれて…」
「良いんですよ、丁度コナンくんと出かけていた所なので」
「伊藤くん、ここまでありがとうね。じゃあまた」
「ああ、またな」
助手席の扉を開けて席に座るまで傘を差してくれていた彼を見上げて礼を言えば、彼はちらりと沖矢を見やってから帰路に着いた。ぱたん、と扉を閉めてがシートベルトを付けるのを確認してから沖矢は車を発進させる。
良かった良かった。新一の機転と沖矢の優しさから大学まで迎えに来てもらったおかげで濡れずにすんだ。そう思っていたら、後ろから「ねぇ」と声をかけられた。
お姉ちゃん、今の人誰?」
「伊藤くん。去年同じ授業で仲良くなったんだよ」
どことなく低い声を発する新一に、これはもしかしてまたシスコンを発動させているのだろうかと内心ヒヤヒヤする。しかし彼に嘘を吐いても見破られてしまうことは確実なので、素直に彼との関係を言えばふーんと頷く新一。何か、何も言わないのが逆に怖いなあ。お姉ちゃんが男子と歩いているくらいでこんなに怒らないでほしいよ、全く。
「もしかしてお邪魔してしまいましたか?」
「いえ!全然。彼、帰る方向が逆だったんで申し訳なくて。助かりました」
隣で運転しながらくすりと笑った沖矢にぶんぶんと首を横に振る。伊藤もなんかと誤解されたらいい迷惑だろうと思って。彼はそれなりに爽やかで格好良いから色んな女子からモテているだろうし、きっと彼女くらいいるだろう。だから全然邪魔なんてことはない。寧ろ電車で帰る手間も省けてにとっては嬉しいことばかりだ。
「まあ変な虫が付かないように注意してくれと新一くんから言われていますし、丁度良かったです」
「え…?」
コナンくんを介して伝えられたのだ、と言う沖矢には目を丸くした。おいおい、変な虫って。伊藤を変な虫扱いしている沖矢と新一に失礼じゃないか、と思う。そもそも新一はそんなことを彼に頼んだのか。良い迷惑だよ、こんな年になってまで弟に見張られるなんて。いつになったら自分に恋人が出来るのだろうか、と彼女は内心溜息を吐く。
は何だか今まで恋人が出来なかったのも段々新一のせいに思えてきた。なんて、流石にそれは責任転嫁しすぎか。
「伊藤くんは変な虫じゃないし、そんなことしなくて良いですよ」
「何言ってんだよ、もろ下心出てたじゃねーか」
「いやいや、あれは伊藤くんが優しいから」
さんは新一くんからもコナンくんからも愛されているようですね」
後ろに座っていた新一が立ち上がっての髪の毛を引っ張って抗議する。痛い痛い、この弟暴力的。その上伊藤のことを悪く言うのでは溜息を吐く。彼はに近付く男を敵視しすぎなのだ。善意からしてくれているのに、そんな風に思われたら相手も不憫すぎる。
姉弟喧嘩を始めた2人をちらりと見ながらも、沖矢はのんびりと笑った。まあ、こんなことが出来るんだから平和と言っちゃ平和かなぁ、なんても笑った。そうしたら新一に聞いてんのかよと耳元で怒鳴られて鼓膜が破れるかと思ったが。


 と沖矢の関係は良好だった。つかず離れずでお互いのことをそんなに詮索しない。たまに、深いことまで話したりするが基本的に相手のプライベートなことには首を突っ込まないようにしていた。
同じ場所にいる分には干渉するが、かと言って四六時中一緒にいるわけでもない。そんな彼からのある言葉には目をぱちくりと瞬かせた。
「一緒に映画でも見に行きませんか?」
「え、良いんですか?行きたいです」
普段は一緒に出かけるなんてことをしないから、咄嗟に返事をするのが遅くなってしまっただったが、彼のその言葉は嬉しかった。今から映画か、良いなあ。
じゃあ早速行きましょう、と言う彼に頷いては必要な物を鞄に入れて彼の車に乗り込んだ。
「何見るんですか?」
「何が良いですか?」
質問を質問で返されたは、勿論アクションと言った。しかし、どうやら彼はミステリーが見たいらしい。何が見たいかと訊いておいてそれはないだろ。そう思ったはアクションは譲れませんと運転する彼にアクション映画の魅力を語る。そうすれば彼は丁度公開されたばかりのミステリーがとても面白そうなのだと、その映画の監督の実績やキャストの豪華さを訴える。
「まあ、着いてから他の映画も見て決めましょうか」
「そうですね」
バチバチと2人の間に火花が散ったが、一先ず映画館に着くまでは見る映画を決めるのはお預けとなった。
 映画館にやって来て、2人でカウンター付近にある時刻表を眺めた。どうにもと沖矢が見たい映画以外で面白そうなのはホラー映画ぐらいしかない。
「間を取ってホラーにしますか」
「ええ」
ホラーと言ってもそんなに怖くないだろう、とポスターから判断したは沖矢に頷いた。じゃあチケット買ってきますからここで待っててくださいとスマートににお金を出させない方向で動いた彼に彼女はきゅんとした。いや、彼とはかなり年が離れているし彼にとっては女性にお金を出させないことなんて普通なんだろう。前世のは、赤井は三十路を越えているだろうと予測していたし、彼は出来る大人の男なのである。恋人もいたし、慣れていても別におかしくはない。
それじゃあ彼がチケットを買っている間にはポップコーンやジュースを買おうと売り場の列に並んだ。
「いらっしゃいませー」
「ポップコーンMサイズ一つとオレンジジュース、ジンジャーエール一つずつで」
客がそんなに多くない為すぐに順番が回ってきたは彼の好みはよく知らないがなるべく甘くない物にしておこうと、ジンジャエールを頼む。すぐに注文の品を持って来て会計を済ませた店員に出来る店員だなと驚いただったが、持つ物が多くてすぐにそちらに気を取られた、
「買っておいてくれたんですね」
「はい、チケットありがとうございます」
丁度沖矢の方もチケットを買えたらしく、両手が塞がっているからポップコーンとジンジャーエールを受け取る。どうやら飲み物はジンジャーエールで大丈夫だったようだ。じゃあ入りましょうか、と言う彼に頷いて受付の人にチケットを渡して1番スクリーンがある部屋に向かった。
 映画が始まって数分で、はこの映画をチョイスしたことを悔やんでいた。何がそんなに怖くないだろうな、だよ。過去の自分くたばれ…!!夜な夜な美しい屋敷の中で日本人形が動き回って人を殺していくという単純なストーリーなのだが、如何せんカメラワークや不気味な人形の映し方や俳優の名演技のおかげでこの作品は非常に恐ろしい出来になっている。
『いやあああああ!!来ないで!!誰か、誰か!!』
「―――ひっ!!!」
逃げ場所が無い部屋に追い詰められた女性が髪の毛を振り乱して人形から逃れようと絶叫するけれど、彼女は壁際でカタカタと揺れるおかっぱの人形に日本刀で刺されて死んでしまった。
――あ、ああああ……、もう駄目。
どす黒い血が迸る映像にポップコーンを食べる所ではなくて、はガタガタと震えた。駄目だもう涙腺が崩壊する。怖すぎて泣く。あの追い詰められる瞬間の女性の心臓のように、もばくばくと心臓が激しく内側から叩きつけていた。だけど隣にいる沖矢は何のその。細い目から彼が起きているのか寝ているのか分からないが時々ふ、と笑っていることから起きているのだろう。どうしてそんなに鋼の心を持っているのか分からないが、にもそんな心を少し分けてほしいと思った。
「出ますか?」
「だ、大丈夫です…」
があまりにも身体をびくびく震わせているからだろうが、沖矢は小さな声で提案してくれる。だけど彼がせっかく買ってくれたチケットなのに最後まで見ないのは勿体無い。勿体無い精神から外に出ることを拒否したに彼は笑って、怖ければ僕の手をどうぞと手を差し出してくれた。
――ありがたい、神様か。
は彼の誘いに頷いて遠慮なく彼の手を握った。大きくてしっかりしていて所々にマメのようなものがある。男性の手だ。しかし、今はそれ所ではない。何とかこの映画を乗り切らないといけないのだ。は人形がまた1人2人とこの屋敷の人物を追い詰め殺していくのを見る度に彼の手をぎゅっと握りしめた。
――あ、やっぱり怖いものは怖いです!!

 最終的に映画が終った途端に今まで我慢してきた涙が溢れ出して、は彼に手を引かれるまま泣きながら家に帰った。
「だから出ますか?と訊いたのに」
「だって、最後にあんな終わり方するなんて知りませんでしたから…!」
うう、と車の中で恐怖に打ち震えるに沖矢は苦笑する。もし工藤家にある人形が動き出したらどうしよう、なんて自宅にまで恐怖心を募らせるに、沖矢は今度からはホラーはやめましょうかと言っての頭をぽんぽんと撫でた。


2015/08/06

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