あれ以来、大学の帰りにポアロに寄るのが日課になってしまった。その甲斐あって、あの時話しかけてくれた店員の梓とは仲良くなって一緒に出掛けるまでの仲になってしまっていた。
「こんにちは、梓ちゃん」
ちゃん、いらっしゃい」
今日もそんなに客が多くない時間帯に来たから彼女はゆったりと振り向いてを窓際の席に通してくれた。もはやこの席はの定位置になりつつある。マスターに許可を貰ったのか、の前の席に腰を下ろした彼女は「今度新しい映画見に行かない?」と話し始めた。新しい映画か。そういえば近日中に公開されるアクション映画の中にはの好きなアメリカの女優が出ている。それではどうかと彼女に訊ねたら良いねと頷いてくれた。
ちゃんアクション映画好きだよねぇ」
「うん、あの爆破シーンとか大好きなの。日頃のストレスが吹っ飛ぶ」
面白そうに笑う梓にアクション映画の魅力を語って聞かせる。の持論でしかないが、ビルや車が派手に爆発するシーンを見ると必ずと言って良い程気持ちがスカッとするのだ。その上、下手なラブストーリーよりも余程面白い恋愛が混ざっているし。
梓との会話を楽しみながらマスターが淹れてくれたカフェオレを飲む。毎回カフェオレを頼むのでがカフェオレと言う前に梓がいつものやつね、と読み取ってくれるようにまでなっていた。

「ただいまー」
「おかえりなさい!ちゃん!」
いつものようにポアロから帰ってくれば、出迎えてくれたのは沖矢ではなく母の有希子だった。お母さん!と驚けばリビングから駆けてきた勢いのまま彼女はに飛び付いた。わっと彼女の身体を受け止めればぎゅうっと腕の中に抱きしめられてしまう。昔から変わらないけれど、こうもいきなり抱きしめられると吃驚する。
「何だかんだで会えてなかったから嬉しいわ〜!」
「ちょ、お母さっ、やめてよ〜!」
久しぶりの再会に、頬にキスをされたは顔を赤くしながら彼女を押しのけようとした。彼女の愛情は大きすぎて嬉しいけれどたまにとても恥ずかしくなる。その上、ここには沖矢もいるのだから見られたら堪ったもんじゃない。そう思っていたが、くすりと笑う声が聞こえてはっとする。
母の後ろに視線をやれば、見られたくないと思っていた彼にばっちりこの現場を見られていたらしい。ああ、もうだから嫌だったのに!
「仲が良いんですね」
「ええ!自慢の娘なんだから〜!」
「親バカしないでって…!」
沖矢の言葉が嬉しかったのか彼に見せつけるように更にぎゅうぎゅうと抱きしめてくる母に顔が熱い。家族の中だけならこういうのも別に大丈夫だけれど、彼の前でこんなことをされるのは酷く恥ずかしい。私だって良い大人なんだから、まだ親離れできていないのかと思われそうで。
漸く再会の抱擁から解き放たれたはダイニングキッチンへと向かった彼女について行く。緑茶を淹れはじめた彼女に、ところでと話しかけた。
「今日はどうしたの?」
「あら、週一で彼に変装と料理を教える為に通うって話だったじゃない?」
「…ん?」
「あの、有希子さん…?」
椅子に腰かけて彼女の後ろ姿を窺っていたら、突然何か変な言葉が聞こえた気がする。料理を教えるのは良いと思う。だけど、変装?ちらり、と沖矢を見ればそんな彼女に若干困惑している様子だ。そして母に視線を再び戻せば「あらっいっけなーい!娘だからってついポロっと…」と沖矢に向かって苦笑している。
えっと、つまり、どういうことかちゃんと説明してほしい。

――と言う訳で、赤井秀一ではなく今は沖矢昴という姿で組織から隠れている身なの。と母、有希子から説明されたは背中に冷や汗を垂らしながらへえと頷いた。やっぱり、彼はが思っていた通り赤井秀一だったらしい。来葉峠での死体すり替えトリックにまんまと騙された監視役の男は、彼が生きていることを知らないようだ。
だけど何でそんな大事なことを私に言ってしまうんだ。今まで命が惜しくてドイツに留学していたのが水の泡になりそうではないか。もしが赤井秀一の死について知っているなどと誰かに知られてしまえばいったいどうなるのだろう。はただ新一たちを見守りながら穏やかに死亡フラグを回避して真っ当な人生を送りたいと思っていただけなのに。
「安心して、うちの子口は堅いから情報が洩れることは無いわよ」
「そうですか。それは良かった」
「いや、脅されたら全部喋りますから。私の命最優先にして良いですよね?」
涙を飲んだを放って進められていく会話に、待ったをかける。確かには誰かに秘密を相談された場合他の人に話さないような口の堅さを持ってはいるけれど、それとこれは話が別だ。何しろ自分の命がかかわるようなことなのだから。彼の死とは組織の中ではそれなりに大きなことだったのだろう。だからミステリートレイン編でバーボンが赤井の死についてもう一度調べてくれないか、みたいなことをベルモットに言っていたのだし。
そんな組織との戦いの中にが巻き込まれるなんて思ってもみなかった。
――私は、2度目の人生も!安全に!暮らしたいんだ。
「そんなことにはならないように僕が守ると誓いますよ」
「きゃ〜!素敵ね!流石イケメン!!」
しかしの怯える姿に対してふっと不敵に笑った彼に不覚にもときめいてしまった。これだからイケメンは。これだからイケメンは!何だかんだで1/4しか血の繋がりがないのにしっかりと母の遺伝子(イケメン好き)を受け継いでいるはこの動悸を落ち着けようと明後日の方向を向きながら「ありがとうございます」と呟く。それに敏感に察した母が照れちゃってと突っ込んでくるからはもうやめてくれと彼女に懇願したくなった。


 沖矢が赤井であると分かってからも、彼は沖矢としての態度を崩さないようだった。正体を知っている私の前では別に演じなくて良いんじゃないですか?と訊ねた所、ふとした時に素が出てしまっては危険だからと彼は首を横に振った。なるほど、確かにそれはそうだ。徹底的に沖矢昴を極めようとしている彼に、純粋にすごいと思った。やはりプロは意識が違う。
不可抗力とはいえ、沖矢の正体を知ってしまってから彼は以前より少しフランクになった気がする。も共に過ごしているうちに彼のことは人として好きになっていたので、嬉しい限りである。
「そういえば、少し気になったんですが、さんはあまり有希子さんと似ていませんね?」
「まあ、本当は母は叔母ですし」
リビングでテレビを見ている最中にふと彼から問われた内容に、は何でもないことのように答えた。だって、彼の訊ね方が世間話のそれだったし、テレビの内容もバラエティだ。しかし、彼はそのことに対してすみません、失礼なことを…と気にしてしまったようだった。まあ、普通ならこういう態度になっても仕方ないよね。逆の立場だったら私もこうなる。
「良いですよ。両親のことは本当の家族だと思ってるので」
「そうですか。良ければ、どうして工藤家に引き取られたか聞いても?」
にっこり笑って彼にこちらが何も気にしていないことを伝えれば彼はほっとしたようだった。赤井ならこんなに感情を表に出さない筈だろうけど、これは沖矢として振る舞う為の演技なのだろうか。なんて少し気になったが、流石に彼もそんな面倒なことをにしないだろうと思ってそれは流すことにした。
そして彼の質問にええと頷く。両親が事故で亡くなり、その後5歳の時に両親の親友であり、妹夫妻でもあった工藤夫妻に引き取られた話をする。あの時の記憶は本当にぼんやりしているけれど、生まれたばかりの新一がすごく小さくて可愛かったのは覚えている。あの時の新一天使みたいだったなあ。自分よりもはるかに小さな新一を見て、守らなきゃと幼心に思ったんだ。
「ご両親のことは覚えてますか?職業とか、性格とか…」
「あんまり覚えてないんですけど、父は確か国の安全を守る仕事で母は女優だった気が…」
両親について訊ねてくる彼に、うーんと頭を悩ませる。こんな風に考えなければ思い出せない程両親の記憶は風化してしまっているのだが、偏にそれは有希子と優作がのことを新一と同じように愛してくれたからだ。だからいつまでも死んでしまった両親に未練がましく縋りつく必要がなかった。2人のことはちゃんともう一つの家族として大切に記憶に留めているし、自室には彼らの写真を飾ってあるけれど。
「養子の場合本当の両親について調べたくなるかと思ったのですが、さんは違うんですね」
「今の両親がたっっくさん愛情を注いでくれましたから、過去を見る必要が無かったんだと思います」
こんなこと言うのは失礼かもしれませんが、と前置きをした彼に首を振って笑った。別に失礼ではないだろう。も、彼に言われて確かにそうだなぁと思ったから。彼に指摘されて初めて、血の繋がりがある両親について興味が湧いた。いったい彼らはどんな仕事をしてどんな風に暮らしていたのだろう。
有希子や優作は2人のことについて何も話してくれなかった。きっと、彼らも親友や姉を亡くしたことで心が傷付いていたんだろうし、2人のことを話すことでを傷付けたくないと思っていたのだろう。
「何か沖矢さんに訊かれたら気になってきました」
「そうですか。何か手伝えることがあれば言ってください。協力しますよ」
何だかどんどん彼らについて知りたい気持ちが湧きだしてきた彼女。それは沖矢のおかげだ。彼がの新しい望みを明らかにしてくれた。彼を見て笑えば、彼は優しい言葉をくれる。彼はFBIだしきっとすごい手伝い方をしてくれそうだなぁ、なんて抽象的なことを考えながら彼に礼を言った。
まずは今度母がやって来た時にでも両親のことについて訊いてみようかな、とは考える。彼女が快く頷いてくれるか分からないけれど、彼らの死から既に20年以上経っているからきっと訊いても大丈夫だろう、と。

――だけど、そんなことをしたら「ちゃんにとって私たちは両親じゃなかったの?」と彼女を泣かせてしまいそうな気がして、訊き方を間違えないようにしなくてはとは決意した。


2015/08/06

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