沖矢がこの家に住むことになるのは知っていたけれど、だからと言って事件に巻き込まれたくないは彼がどんな事件に巻き込まれるのか思い出そうとしていた。うーん、しかし思い出せない。沖矢が現れてそれなりに事件があってコナンに信用されていて、ミステリートレインあたりで哀のことを助ける為に動いていたことぐらいしか記憶にない。ん?ミステリートレイン…。
あの事件では確か沖矢を含む3人の人物がメインに動いていた気がする。確か安室透という組織の男と世良真純という女子高生探偵。ぼんやりと自室の窓から空を見つめながら、その2人のことを考えた。うーん、どうにも昔過ぎてあまり思い出せないな。は安室が組織の人間だと分かってから少しまでしか読んでいなかった為、その後のことは分からない。安室は確か赤井との間に何かありそうな雰囲気だった筈。彼のことを思い出していくうちに彼の好青年ぷりを思い出しては内心によによと笑ってしまう。
組織の人間だと分かっていても彼のあの格好良さには惹かれるものだ。勿論、新一や哀が危険に晒されるのはの望むことではないので、彼のことは敵として扱うつもりだが。そもそも原作を変えようと思わないにとっては、事件に関わって自分が死ぬ、なんて未来を防ぐことが出来れば良いのだ。
がこの世界にやって来たことで何かしら少しは変わっているのだろうが、今の所大まかな原作の流れは変わっていない筈。それならばいつかコナンが新一に戻れる日もやって来るだろう。はその安寧を守るだけ。彼が彼に戻れたその時におめでとうと言って、抱きしめてやればそれで良い。あと我が侭を言うならさっさと蘭とくっ付いてほしいが。
にしても安室さんと世良さんが出てくるのが楽しみだなぁ、なんてミーハー心丸出しのはその時を楽しみにしていた。


 こんこん、と書斎の扉をノックする。どうぞ、と返事を貰ったはお邪魔しまーすとその中に入った。手にはドイツで買ってきたお土産のオレンジ風味のビール。毛利家や園子、大学の友人たちに渡したお土産の残りである物の一つであるそれを持って、一緒に飲みませんか?と訊ねる。今日は怪盗キッドが予告状を出している日だし、お酒を飲みながら見るのも楽しかろうと思って。新一はきっと今頃蘭と園子と共に現場に赴いているんだろうなぁと密かに笑う。毎度毎度ご苦労なこった。
「良いですね。ドイツのお土産ですか?」
「そうですよ。リビングで怪盗キッド見ます?」
「そうですね」
一緒にリビングに向かってテレビを付ける。バーボンを棚から取り出した彼はに飲みますか?と訊ねたけれど流石にそれは飲めない。ビールもオレンジ味というもの珍しさに釣られて買っただけだし。
プシュッとプルタブを開けて彼のグラスに注いでから自分のグラスにも注ぐ。場所的に一番見やすい二人掛けのソファに座ったの隣に沖矢がバーボンと氷が入ったグラスを持って腰を下ろした。
――え、隣。まあ良いけど。
普通に沖矢がテレビに対して横向きの席に座ると思っていたは驚いたが、一緒に座ると言っても別に身体がくっ付くほど近いわけでは無いし良いか、と特に何も考えないことにした。
「甘いですね、これ」
「嫌いですか?」
「いえ、不思議な味だなぁと」
のお土産のオレンジ風味のビールに口を付けた彼。同じようにもそれをごくりと飲んでみると確かに普通のビールよりは甘いと思う。は普段ビールを飲まないから明確な違いは分からないけれど。でもこんな程度で甘いなんて言っていたらがお金を費やした極甘ワイン――貴腐ワインやアイスワインを飲んだら彼は大変なことになりそうだ。
「それで甘いなら沖矢さんは貴腐ワイン飲めませんね」
「ああ、あれはかなり甘いですよね。僕はちょっと無理そうです」
が思った通り、ドイツでは有名なその名を出せば彼は苦笑した。やはりそんなに甘い酒は飲めないようだ。大体ウイスキーを飲んでいる時点で大人の舌を持っているんだろうが。
ワインからテレビへと意識を移して見ているとリポーターが今宵もまた怪盗キッドのマジックショーを中継することが出来ます!と興奮気味にカメラに捲し立てている。
観客がいないとやる気が出ないので今回はマジックショーを行わない、なんて話になっていたらしいが、我が侭な怪盗だなとは思った。画面の中では網のバリケードに外へ追いやられている人々が彼の言葉によって暴徒と化して網を破って雪崩のように中へと押し寄せた結果、ミュールを中心に人だかりが出来ている。
――うわ、行かなくて良かった。
この騒ぎの中にいる新一や蘭、園子の安否が気になる所だがまあきっと大丈夫だろう。
「大変なことになってますね」
「ええ、テレビで見て正解ですね」
警察の人達がてんてこ舞いになっている様子を見て本当にそう思った。キッドには熱狂的なファンが多すぎるんじゃないだろうか。そう思ってぼんやりテレビを眺めていたら、カメラが急に何かを捕えるかのように乱暴に動いた。
『ではギャラリーも集まってきたようなので間も無くショーを開演したいと思います』
空中にふわふわと落ちてくる機械から発せられた言葉にわああと歓声が上がる。昨日は瞬間移動なんて凄いことをやっていた彼だったが今日もそんな凄いトリックを使うのだろうか。人並みに怪盗キッドに興味があるはわくわくして画面を見つめる。
キッドが現れるまでは昨夜の瞬間移動のシーンを検証してみましょうと言うリポーター。そして切り替わる画面。
「どんなトリック使ってると思いますか?」
「そうですね、実際に見ていないから分かりませんがおそらく…」
昨夜の怪盗キッドの様子が流れる。鈴木家の力で四方八方を網のバリケードで囲われている中、見事テレポーテーションを行いバリケードの隣のデパートの上に姿を現した彼に首を傾げる。隣にいる沖矢に訊ねれば、彼は顎に手を当てて不敵に笑った。
「先程、“大好きな女性大募集”とデパートの電光掲示板に流れていましたよね?」
「えーと、はい」
氷をからんとグラスの中で回して口にした彼が推理し始めたのを聞く。彼曰く、「大好きな女性」では何が好きなのか分からない。そしてその電光掲示板が流れた直後にそのデパートの屋上に怪盗キッドが現れたことから、彼はその電光掲示板付近に滑車を使いフックを手摺にかけて仲間を重しとして飛び降りさせ、その反動で自分が屋上まで一気に上がっていったのだ。その際に、「犬好きな女性」の点の上に彼がいたことで「大好きな女性」に見えてしまい意味が通じない電光掲示板になったというわけだ。
「沖矢さんって何だかすごい推理しますね」
「ミステリーが大好きなので」
勉強は出来るが知識を詰め込むタイプのはこうやって推理することはあまり得意としていない。それに対して新一や沖矢は少しのヒントから推理をしていくのだから天晴れなものだ。素直に彼の推理に感嘆の溜息を吐けば、彼の返事はまさかというもので。もしかして、と思って「ホームズですか?」と訊けば、「ええ」と嬉しそうに笑う彼。ここにもシャーロキアンがいたのか。
新一が蘭と一緒に暮らすことになって家からホームズオタクがいなくなったと思ったらまた同類の人がやって来てしまったらしい。類は友を呼ぶというか、ホームズオタクだから彼に家を貸したんだ、なんて新一なら言いそうだ。
『怪盗キッドが現れました!』
突如響くリポーターの声に再び意識をテレビに戻す。夜空に現れた真っ白なスーツに風にたなびくマント。目立ってしょうがないその姿でお宝を狙うその姿は正しく大胆不敵。興奮した群衆のキッドコールの中、彼はパラグライダーで宙を飛んでいる。
だがパラグライダーの後ろにプロペラが付いていることからあれはダミーだろう。そして切り替わる画面。群衆に紛れて近付いたのか、既にキッドがミュールが置いてある台に立っており散りばめられた宝石がキラキラと光り輝くそれを掴んで胸元にしまい込む。
「うわぁ、鮮やか」
「ここからどう逃げるかが見所ですよ」
キッドを捕えようと飛び出した警備員の男たちの手をかいくぐって飛びあがった彼はポンと煙を上げて消えてしまった。騒然としている群衆を見たリポーターはキッドはいったいどこにテレポートするのでしょうかとカメラに向かって予想している。
だがそれ程しないうちに、Three, Two, Oneと書かれた紙がそれぞれ順番に人々の頭上へと落ちて拾い上げる彼ら。その直後電光掲示板の上に重力に逆らって垂直に立つ彼の姿が現れた。
銃で幕にカードを撃った彼はそこから飛び降りて誰かの手を掴んでパラグライダーを開き、ギリギリの所でバリケードを越えて飛び去っていく。
興奮冷めやらぬ群衆の中でリポーターが今回の怪盗キッドのマジックショーについて話し始めていた。はそれを見ながらビールをぐびっと飲む。いやあ、今回は見ることが出来て良かった。
「流石にドイツじゃ怪盗キッドの中継なんてやってないから見れて良かったです」
「そうですね。流石は怪盗キッドと言った所でしょうか。鮮やかな手口でしたね」
今回のマジックショーも大満足で一息吐けば、隣に居た沖矢も楽しそうに笑っていた。きっと彼はとは違った視点でこのショーを見ていたのだろう。主にトリックを見破ることについて。そしてそれが見破れたことが嬉しかったに違いない。
それじゃあ飲み会もお開き、ということでは自分が使ったグラスを洗って沖矢とは別れ二階に上がっていくことにした。


 次の日、ゼミの女子の話題ではやはり怪盗キッドが一番に上がっていた。悠莉もそれには漏れず、あの時の垂直に立ってるキッド様素敵だった〜!と頬を染めていた。彼女には彼氏がいた筈ではと思ったが、彼氏とアイドルのような違いなのだろう。
そんな風にキッドの話で盛り上がったゼミだったが――教授もキッドのファンらしくゼミ生に混じってキッド談義をしていた――今日の大学は終わり、帰り道を歩いていた。
しかし喉が渇いた。普段であったら家で作った紅茶を大学に持っていくのだが今日は水筒を忘れてしまって、どうせゼミだけしかないしと何も飲み物を買わなかったは喉の渇きに悩まされていた。最初は我慢できると思ったんだけどなぁ、と変な所で節約志向の自分を恨んだ。ちらり、とどこかのカフェに入ろうかと周囲を見渡せば、丁度探偵事務所の下にあるポアロというカフェが目に入る。丁度良い。あそこは確か蘭たちも良く使うと言っていたから不味くはないだろう。
ちりんちりん、と鳴った扉の鈴。店内に入ればそこには何人かがまばらに座っていた。丁度空いている時間だったのだろう。可愛らしい女性に窓際の席に通されたはラッキーと喜んだ。
「おすすめはマスターが淹れるカフェオレですが、いかがでしょうか?」
「私苦いのが得意じゃなくて…」
「そういう女性の為にもうちのコーヒーは一味違う工夫をしているんですよ」
メニューを選ぶ際ににこにこした笑顔で教えてくれる彼女に、へえと頷いた。コーヒーが苦手な人でも飲みやすいのか。それなら飲んでみても良いかも。それじゃあ、このカフェオレにしますと言えば彼女はかしこまりましたと嬉しそうに伝票にメモをした。どうやらこの店で働いていることが好きらしい。
見た所とそう年も変わらない気がする。キッチンに向かって行く彼女の後ろ姿を眺めながら良い店だなと思った。
――数分してテーブルの上に置かれたカフェオレに口を付ける。んん!美味しい!今までこういうコーヒー系はコンビニの甘い物しか飲んでこなかったのだが、これならいけるかもしれない。
目を丸くして味わっていたに、他の客にも注文の品を届けていた彼女が近付いてきた。
「本当に飲みやすいですね」
「お口に合ったようで良かったです」
彼女の言う通りこのカフェオレにして正解だったと微笑めば彼女もまたにっこりと笑って会釈した。


2015/08/06

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