翌朝、はフリック家総出でルフトハンザ空港まで車で送っていってもらった。運転手はもちろんアリベルトだ。彼の早すぎる運転も最初はとても怖かったけれど、半年彼の車に乗っていればそれにも慣れてしまって日本に帰ったらこんなにスピードを出す車には乗れないのか、と少し寂しくなる。
「元気でね、。テレビ電話でたまに話そう」
「アリベルトもね。ありがとう!フローラさんのこと大事にしなきゃ駄目ですよ」
、たまにメールするのよ」
「クリスマスにはおいで。クリスマスマーケットに連れて行ってあげるから」
空港のロビーで彼らとの別れを惜しむ。ドイツに来た時よりも一つ増えたスーツケースを持ってくれていたヨハンネスにハグされてもハグしかえした。順番にデボラ、アリベルトにハグをされたは照れくささと寂しさでまた涙が出そうになったけれどそこは我慢する。もう二度と会えないというわけでもないし、電話やメールが使えるこの時代なら離れていても距離は近いから。
「じゃあ、また」
「ああ、気を付けてな」
「風邪をひいたらジャガイモの布巻を食べて顔サウナをするのよ!」
「今度来る時のお土産は包丁が良いな!」
3人それぞれの言葉を貰って、は搭乗口に入っていった。何度も振り返って彼らに手を振る。彼らはが飛行機に乗ってしまってからもずっと手を振ってくれていた。


 ドイツに行った時と同じように12時間程時間をかけて日本へと戻ってきた。今はお昼前だ。半年と少しドイツで過ごしたから日本の雰囲気に久々に触れてまだ家に着いていないのに落ち着く。
新一が黒の組織の男たちに殺されかけたほとぼりも冷めているだろう。新一は元の姿に戻れたのだろうか。そんなことを思いながらタクシーに乗って自宅まで帰る。電車という手もあったけど流石にこの大荷物で電車はきついから。
大きなスーツケース2個を自宅前で下ろしてくれたタクシーの運転手に礼を言っては家の鍵を開けた。
――家だ。やっと帰ってきた。
新一には今日帰ると伝えてあるから家にいる筈だろうけど、どうだろうか。
「ただいまー」
家に着いて靴を脱いだ途端旅の疲れがどっと押し寄せて来てはぐったりと玄関に座り込んだ。もうこんな重い荷物を自分の部屋に持って上がるなんてことは出来ない。一つのスーツケースの中身は全部お土産だけど。
しかし彼からの返事はない。おかしいな、人の気配はするんだけど。
「おかえりなさい、さん」
「え」
スリッパで此方にやって来る足音が聞こえて振り返れば、そこには知らない男性が立っていた。誰この人。ピンクブラウンの髪の毛に眼鏡をかけた長身の彼には固まった。何やら彼は彼女の名前を知っているようだし知り合いだろうか。しかし彼の顔は見たことも無い。
え、何これストーカー?相当なイケメンだけど、それとこれは話が別だ。震える声でどちら様ですかと訊けば彼はあれ?聞いていませんでしたかと首を傾げた。
「コナンくんに家主の許可を取ってもらってこの家に住まわせて貰っているのですが…」
「は……」
さんのことはコナンくんから、と言う彼に目が点になる。彼は自己紹介が遅れましたが僕は沖矢昴ですと名乗った。沖矢昴。どこかで聞いたことがある名前だ。しかし、今はそれを考えるより前に新一に聞きたいことがある。彼に断って新一に電話をかける。プルルルというコール音が2回続いた後に彼は受話器を取った。
「ちょっと新一、どういうこと?」
「あ、おかえり。ドイツどうだった?」
もしもしも無しにドスの利いた声で彼に問えば、彼はははと曖昧に笑って全く違うことを話し始めた。声はまだ子供の声だから新一には戻れていないのだろう。だが、彼の質問に答えることなくもう一度どういうことかと問い詰めれば諦めた彼は話し始めた。
彼の話では、沖矢昴とは東都大学の院生であり暮らしていたアパートが燃えて暮らす家が無くなったということで彼が親切から貸したらしい。その話を聞いていくうちにはおぼろげな記憶が蘇った。ドイツ留学でポーンと原作知識が抜け落ちていたが、確かこの人は沖矢昴に変装したFBI捜査官の赤井秀一だった気がする。気がするだけで本当に彼がそうだかは分からないのだが。つまり、組織の人間のような怪しい人ではないということだ。
「別に危ない人じゃねーしお願いだよ。母さんも週一で来るから」
「……仕方ないなぁ、分かったよ」
この家に住むのは原作で決まっていたことなのだと思い出せばそれは仕方のないことだと考えることが出来た。実家に帰ってきたらいきなり知らない男に出迎えられてとても吃驚したけれど。新一の話で納得したはピ、と電話を切って再び沖矢に向き直った。
――これからこの人と共同生活をするのか。
「大方の事情は聞きました。知っていると思いますが、私は工藤です。今日からよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。お腹空いてませんか?今丁度昼食を作っていた所なんです」
先程より落ち着いた気持ちで彼に挨拶をすれば、彼はにっこりと笑ってダイニングを指差した。確かに良い匂いがする。良い匂いというか、和食の匂いだ。
彼の問にはいと頷けば、では昼食にしましょうかと歩き出す。スーツケースは後で沖矢が二階に持って上がってくれると言うし万々歳だ。今は彼が作った料理を食べたい。
「和食……!!」
「ドイツはジャガイモが主食だからお米が恋しかっただろうと思いまして」
テーブルの上に並べられているのは、夢にまで見た白米に味噌汁、サンマの塩焼きという純和食であった。彼が言う通りドイツはジャガイモとパンが主食で毎食色んな加工をされたジャガイモや蒸したジャガイモを食べていたからお米が恋しくて仕方がなかったのだ。そして梅干し。どん、とテーブルの真ん中に鎮座している真っ赤なそれを見ただけで口の中に唾液が溢れ出す。
「いただきます!」
「どうぞ。お口に合うか分かりませんが」
手を合わせて食事を始めた。ああ、このお米を噛む感触。生き返る。味噌汁の風味が母と同じ味をしていることに驚きながらもずずと飲んでいく。味噌汁の中でも茄子と油揚げの味噌汁が一等好きなは、このチョイスをしたのは新一から聞いたのかそれとも母から聞いたのか気になった。何にせよ、彼が留学から帰ってくるの為に和食を用意してくれたのは最高に嬉しい。日本に帰ってきたと感じられるから。ドイツの家庭料理は勿論大好きだけど、久々に食べる日本食は格別だ。
「美味しかったです。ご馳走様でした」
「お粗末様です」
ぱくぱくとあっという間に完食したは手を合わせて彼に微笑んだ。最初は怪しすぎる彼に不信感を抱いていたが、この料理を食べた後はそんな気持ちなど消え去ってしまった。こんなに料理が上手な彼と暮らしていくなら安心できる。何せ新一は全く料理出来なくて毎食が作っていたから。
きっと私生活でもそんなに多干渉してくるような人ではないだろうというのが、食事中の会話からも分かったしそんなに気にしなくても良いだろう。


 沖矢と暮らし始めて数日経った頃、小学校の帰りに寄った新一には博士の家に呼ばれていた。そこには博士と新一の他に小さな可愛い女の子がいる。
「博士、誘拐してきたの?」
「わしがそんなことするわけないじゃろ!!」
冗談で彼にジト目を送れば彼は大いに慌てた。知ってる知ってる。沖矢が自宅に来たことで少しでも原作を思い出そうとパソコンに覚えていることをまとめていたは彼に笑った。彼女の本名は忘れてしまったが、確かお姉さんが居た筈。彼女が死んでしまって、今は組織から逃げ出してきた所だろう。
「灰原哀よ。よろしく」
「哀ちゃんね、私は知ってると思うけど工藤。よろしくね」
背の小さな彼女に合わせて腰をかがんで目線を合わせる。彼女の名前は知っていたけれど、彼女から正式に名を教えてもらってはにっこり笑った。漫画を読んで知っていたけれど本当に彼女はクールビューティーという言葉が似合う女の子だな。の方が年齢的には年上なのに、この落ち着き様。少し母に分けてあげたいとさえ思う。
「女同士だし何かあったら相談しろよ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
つんと澄ました表情だが、とりあえずのことは認めてくれたらしい。それは新一の義姉という設定があったからだろうか。きっと赤の他人からスタートだったら信用なんてしてもらえなかっただろうなあ。
それにしても、がドイツに留学していたこの半年の間に色々あったらしい。もう濃すぎる。誘拐されたり誘拐されたり誘拐されたり…。ってあまりにも濃すぎてまさかの両親が新一を誘拐したことばかりが頭に残ってしまった。ちゃんとFBIのジョディが潜入していたことやベルモットに追い詰められかけたこと、赤井の死などの話も覚えているけれど。本当に2人ともお茶目なんだから。最終的にはそこに戻ってしまうから困りものである。
「で、沖矢さんとの暮らしはどう?」
「ん?新一と違って料理もしてくれるし程々の関係だから暮らしやすいよ」
コナンの姿で沖矢について訊ねてくる新一にああと彼との暮らしを思い出す。思い出すと言ってもまだ数日しか一緒に過ごしていないけれど。は日中、大学に行っているから一緒にいる時間はそんなに多くないけれど料理は当番制で作ってくれるし、掃除だってしてくれる。洗濯物は下着を見られたくないという理由からが全て行なっているが、あれ程家事に協力的な人はいないだろう。まぁ、あのクールキャラな赤井が家事を進んでしてくれると考えると少し違和感を覚えるが。
「変なことされてねーだろうな?」
「変なことって…新一が一緒に暮らせって言ったくせに何言ってんの?」
しかし新一はそれだけでは満足していなかったらしい。いやに突っかかってくる。下からじろりと睨んでくる彼にはあと溜息を吐く。別に何も変なことなんてされてないし、寧ろの為になることしか彼はしていない。そんな風に疑うことすら失礼だ。だが、敢えて答えを焦らしてみれば彼は途端に目付きを鋭くする。
――ちょっと、この半年で更にシスコン度増してるんじゃ…。
会えない日々が愛を強くする、なんて言葉を聞いたことはあるけれどシスコンが強くなってしまうなんて知らない。いや駄目だろ。何の為にドイツに留学したんだ。少しでも姉離れしてもらう為だったのに。まあ、この姿じゃ間違いなんて起きようはないけれどそれにしても、ちょっと…。
助けを求めるように博士と哀に視線を寄こせば、彼らはの考えを読み取ったのか無理と首を振った。
「何もないから、大丈夫」
「ドイツのあの男とも何も無いんだろうな?」
「アリベルトは彼女いるから」
面倒くさい。すごく面倒くさい。新一の咎めるような目にどうしてここまでに執着するのだろうかと面倒くささを通り越して感心さえしてしまう。やっぱり子供の時から可愛がって何でもしてあげていたからだろうか。
彼がここまでシスコンである理由は分からないし分かりたくないとは思うが、さえいなければ原作通りの格好良い工藤新一だったのかと思うと非常に残念だ。できることならそんな彼を間近で見たいとは思うけれど、今更彼から離れるなんてことは出来る筈も無く。
「私に彼氏出来ても泣かないでよ〜」
「別に泣くかよ」
つん、と小さな新一の額を指で突けば彼はむすっとしながらも顔を少し赤くしていた。相変わらず彼は初心だ。母にキスをされたくらいで頬を赤く染めているのだから。いや、でもそうすると自分も一緒か。彼女が電話越しに投げキッスをしただけで照れていたのだから。
「ぜってー彼氏なんて作らせねぇ」
「本当にあなた、お姉さんのことになると面倒くさいわね」
博士と今晩の献立について話を盛り上げていたには2人の小さな会話は届かなかった。


2015/08/05


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