あれから一週間経ってはドイツへと飛んで行った。あんな状況の新一を蘭や博士だけに任せるのは気が引けたが、留学を取り消すことが出来る筈もなく。この留学はある意味ゼミだけではなく大学の信頼がかかっている為、既に提携先のハイデルベルク大学にもの情報が届いている。
名残惜しいが、半年後にまた会おう。漫画の展開で彼は死なないと分かっているし何とかなるだろう、とは高をくくっていた。何よりは自分の命が惜しい。このまま家にいたらきっと黒尽くめの男達がやって来るかもしれないし。さらば日本。アデュー、新一。

 飛行機で10時間以上飛び続けて漸くハイデルベルクに到着した。フランクフルトからハイデルベルクに行くまでに鉄道に乗ったのだが、それはかなり緊張した。何せドイツ語はとても速いし行先を間違えないように耳を澄ませていないといけない。荷物はホームステイ先に送られているから大きな荷物はないので、乗り換えしたりするときは本当に安心した。あんなに大きなスーツケースがあったら鉄道どころではない。
目的の駅に着いてきょろきょろと周囲を見渡す。昼間だというのに時差ボケのせいで既に眠い。確かホームステイ先のアリベルトという男性が車で迎えに来てくれると聞いていたのだが。一目で分かると聞かされていた為、待ち合わせ場所の周辺に目をやれば、「Willkommen in Deutschland!(ようこそ、ドイツへ)」と書かれている厚紙を持った黒髪の背が高い青年がいた。下にはの名前が書かれているから彼がアリベルトで間違いはないだろう。確かに分かりやすいけれど、少し恥ずかしい。日本人との感覚の違いに早速ぶつかるが、笑顔で彼に近付いた。
「Freut mich! Herr Aribert.(アリベルトさん、初めまして)」
「Ganz meinerseits!(こちらこそ)」
東洋系の面立ちをしたが近付いたことによってであると気付いた彼がにこやかに出迎えてくれた。移動するのに疲れただろうと言う彼にはいと頷く。実は25歳だからそう年も変わらないし呼び捨てで良いよと爽やかに笑ってくれる彼が、時差ボケで眠いの目にはキラキラ光って見えた。イケメンってそれだけで華やかになるから反則だ。
「家はアウトバーンで30分くらい走った所にあるんだ」
「あ、じゃあそんなに遠くないんですね」
駐車場に行くまでの間さりげなく何度もエスコートしてくれる彼に、は胸が高鳴りっぱなしだった。背も高いし格好良いしエスコートも出来るなんて。日本では中々お目にかかれない男性だ。
助手席の扉を開けてくれた彼に礼を言って席に座る。アウトバーンか。話では聞いたことがあるけれど、いったいどれくらいの速さで走るのだろうか。
「うちは父と母と犬の5人暮らしでね。部屋は広いから安心して」
「犬がいるんですね。楽しみです」
彼の家はハイデルベルク大学からそう離れていない所にあるらしいから、そこにも安心できた。少しばかり方向音痴の気があるナツには嬉しい。早速アウトバーンに入り途端に速度を上げた彼にナツは驚いた。見た所この車はスポーツカーと普通車の中間くらいなのだが既に180キロを超えている。
「は、速すぎじゃないですか!?」
「このくらい大丈夫だよ。彼女と走りに行く時はもっと速いよ」
事故になったりしないかと不安になって隣で笑顔で運転している彼を見上げれば、この程度ではまだゆっくりな方なのだと諭される。の為に配慮してくれているのは嬉しいが、彼女と走る時はいったい何キロ出しているのだろうか。その彼女の肝っ玉の大きさに感服すると同時に恋人がいたのかと残念になった。そりゃこれだけイケメンだったら恋人の1人や2人いそうである。


 そんなこんなで暫くアウトバーンを走り続けているうちに彼の速度にも慣れたはアリベルトの自宅に着く頃には彼と打ち解けていた。最初はこんな素敵な人と恋人同士になれたら良いなと思っていただったが、彼は友人としても最高な人物だった。特に彼とは境遇が似ているのだ。彼の父も大のミステリー好きでシャーロキアンらしい。の弟もシャーロキアンでいつもホームズの話ばかり聞かされているのだという話になった所、2人の苦労は一致したらしい。シャーロキアンの身内あるある話で盛り上がって、は日頃の新一のホームズオタクっぷりを初めて感謝した。アリベルトとここまで話が盛り上がったのは彼のおかげだ。
「我が家へようこそ、!」
「初めまして、フリックさん」
大きな、綺麗に刈り込まれた芝生の庭にレンガ造りの家から出迎えてくれたのはフリック夫妻だ。2人とも背が高くふくよかな体型をしている。長旅で疲れたでしょう、とアリベルトと同じように気遣ってくれる妻のデボラにありがとうございますと言う。3人に促されるまま家の中に入って、勧められたソファに座った。ふかふかしていて気持ちが良い。今日から半年この家にお世話になるので、予めドイツ人にウケが良さそうなお土産を夫のヨハンネスにどうぞと渡す。
中身は抹茶を点てる為の一式だ。お茶を用意しようと動いたデボラにちょっと待ってと言った彼はそれを開いて嬉しそうに笑った。
「とても綺麗だ!これは茶を淹れるための物なんだよね?」
「はいそうです。良ければ淹れましょうか?」
抹茶も入っている為、どのようにお茶を淹れるのかと見本を見せるのも悪くないだろうと思って提案すれば、彼らはぜひと大きく頷いた。茶器を一式用意して良かった。
特に茶道部というわけではないけれど、抹茶の点て方くらいは知っている。抹茶の粉を茶こしで濾したものを茶碗に入れ、デボラが持って来てくれた沸騰したお湯を一度違う器に入れて温度を下げ、それを入れて茶筅でカシャカシャと音を立てて掻き混ぜる。大きな泡が細かな泡に変わっていった所で止めて、茶碗を回してからヨハンネスにすっと差し出した。
菓子や畳があれば本格的なものが出来るのだがここはヨーロッパ建築なので仕方ないだろう。テーブルの上に差し出したそれにヨハンネスはおおと目を光らせながらごくりと飲み込んだ。
「――美味しい!」
「父さん、確かお茶は2回回してから飲むんだよ」
抹茶をごくごくと飲み終わってからアリベルトが苦笑して彼に飲み方を教えていた。凄い、良く知ってるなぁ。驚いて彼を見れば日本に興味があって自分で調べたんだと言う。デボラとアリベルトも飲んでみたいと言うのでまた抹茶を点てることにした。どうやら、の第一印象は良いものになったらしい。明るい先行きに、これからが楽しみになった。


 ハイデルベルク大学に通い始めてから暫く経った。世界中から訪れている留学生たちとも交流はするし同じく日本から来ている者たちとも仲良くしていた。授業もそれなりに分かるし、分からない所は授業後に教授に聞いたり家に帰ってからアリベルト達に質問することによって理解を深めることが出来ている。
充実した毎日だなぁ。そう思って、今日もまたアリベルトとその彼女、フローラと共に出かけた際に撮った写真をパソコンから新一のアドレスに送る。スマフォでも良いけれど、やはり料金が高くなるからパソコンの方が良いだろう。
フローラはとても金髪が綺麗な美人な女性だ。まるでモデルをしているのかと思う程素晴らしいプロポーションだし恋人のアリベルトとも仲が良く、にまでその優しさを分けてくれるのだから相当良い女だ。驚いたことに彼女の方が彼より2つ上らしい。若々しい容姿の彼女に全くそんな年であるとは思わなかった。
「今日は近場だったけど、週末両親がローテンブルクに行くことを考えてるんだよ。どうする?」
「ローテンブルク!?行きます行きます!」
リビングにあるパソコンの前を陣取っているに近付いてきたアリベルトを見上げては目を輝かせた。ローテンブルクかぁ。ロマンティック街道がある街だ。新一へ送る言葉は一先ず置いておいて、ロマンティック街道に想いを馳せる。やっぱり一番見たいのはノイシュバンシュタイン城かなぁ。
「朝から行くって言ってるからきっとノイシュバンシュタイン城も見れると思うよ」
「本当ですか〜!うわぁ、めちゃくちゃ楽しみです!」
南部の観光名所と言えばやはりそこだろう。ちゃんとそういうことが分かっていて観光に誘ってくれるフリック夫妻とアリベルトに感謝した。アリベルトは今から楽しみにしているにははと笑う。
が乗り気であることに満足した彼は「じゃあ父さんたちに言っておくよ」と2階に上がっていく。わざわざ伝えてくれてありがとうと彼に手を振ればどういたしまして、と彼はにっこり笑った。くそ、彼女持ちなのにそれ以外の女にもこんなに紳士的なのだから困る。
優しさの塊である彼にぐぐぐと拳を握りしめる。早く私もあんな風に素敵な男性とお付き合いしたい。中学や高校では何度かラブレターを貰ったことがあるが、呼び出された場所に行っても尽く相手にすっぽかされるはそれ以降ラブレターを貰っても本気にしないことにした。きっと誰かがのことをからかっていたのだろう、と。その実、新一が裏でラブレターの相手を探し出し徹底的にその恋路を邪魔していたことなんて、は知らない。


 そんな風にドイツでの暮らしを満喫していたにとっては半年という期間はとても短かった。あっという間に過ぎ去った半年に、もっとドイツで暮らしたいと泣き言が出てきてしまう始末。明日、半年お世話になったフリック家を出て行くということで盛大なお別れパーティーを開いてもらっている中で、の為にアイスワインを買ってきてくれたアリベルトがそれをのグラスに注いだ。
「またおいでよ。ならいつでも歓迎だよ」
「アリベルト〜!!」
フローラもまた一緒に買い物しに行きたいって言っていたし。と隣で笑う彼には涙腺が崩壊した。半年という短い期間だったけれどその間に彼らにはとても良くしてもらった。フリック家は勿論のこと、大学で出来たドイツ人の友人や、近所の人達。そして彼の恋人のフローラ。
時々ホームシックにかかるを元気づけてくれたのは彼らだ。そんな彼らと離れるのが寂しくてみっともなく泣けば、手前の席に座っていたデボラまでもらい泣きを始めた。
「娘が遠くに行っちゃうみたいね」
「デボラさん…!!」
女2人が泣いている様子を見て穏やかに笑ったアリベルトとヨハンネスは2人同時にハンカチを差し出した。こんな紳士的な所まで親子そっくりなのかと思ったは、アリベルトから渡されたハンカチで頬に流れた涙を拭いた。
最後の晩餐なんだから楽しくしようよ、とのテンションを上げる為に鼻眼鏡をしたアリベルトに吹き出す。けらけら笑って涙が引っ込んだはデボラが作ってくれた豪華なドイツ料理を口にしながら、彼らとの会話に花を咲かせた。



2015/08/05


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