それから少ししてのドイツ留学の件は決まった。書類を提出してからそう時間が経っていない筈だったが、こんなに早く決まるとは思ってもみなかった。やはり、の所属しているゼミの力が大きかったのだろう。面接も一回で済んだし、教授サマサマだ。
そして今日こそ、新一が蘭とデートをする日である。相変わらず彼は8時になっても起きてこない。全く、何時に待ち合わせしているのか知らないけれど彼女を待たせるなんてことは絶対にあってはならない。
ドイツに留学すると彼に伝えて以来、拗ねているのか知らないけれど以前にも増してベタベタ度が引き上げられた状態に溜息を吐きたくなる。自分のことを棚に上げて言うけど、もうそろそろ姉離れしてほしい。
「新一!遅刻するよ!」
乱暴に部屋に入ってカーテンを勢いよく開ける。起きて、と布団を引っぺがして丸まっている彼をベッドの上から転がり落とした。いて!と悲鳴を上げた彼は、床に転がった状態から恨めしそうにを見上げた。ほらほら、と彼を起こして「約束の時間に遅れないようにして」と朝食を食べさせる為に背中を押す。
「遅刻なんてしねーよ」
「はいはい」
ふわぁ、と欠伸をする彼の背を押しながら階段を下りダイニングに連れて行く。これでは姉というよりは母親のようだな、と少しばかり弟の将来が不安になった。もし蘭と結婚したとしてこんな風に甘えた様子だったらどうしようかと思って。流石に蘭ちゃん相手にそれはないよね。


 何とかデートに遅刻しない時間に新一を送り出すことが出来たことにふうと一息吐く。この日を心待ちにしているだろう蘭に『今家出たからね』とメールを送る。そうすればすぐに『分かりました!』という可愛い絵文字付きのメールが返ってくるものだから微笑ましくては笑ってしまった。
――あ〜、私も恋したい!
ドイツに行ったらホームステイ先にお世話になることだし、そこで素敵な男性と出会うかもしれないなんて夢を見る。国際結婚も悪くないな、と思いながらドイツに行く為の準備を進めた。スーツケースは家にいくつかあるけれど、どれくらいの服やその他に必要な物を持って行こうか悩む所である。
蘭の父親の小五郎一押しのアイドル、ヨーコちゃんの歌を流しながら荷物を詰め込んでいく。にしても、ドイツ語が日常会話レベルで出来る人間は普通の人間より早くドイツに行くことができるという制度は本当に嬉しい。新一と一度離れなくては、という思いもあったが何より早くドイツに行って異文化やドイツ語に触れたかった。が行く大学はハイデルベルク大学という所でドイツの中では南部に位置する。南部にはロマンティック街道があるしぜひそこは観光したいなぁ。
るんるん、と観光にばかり気が行っていただったがそろそろ昼食の時間だと思い出して一旦留学の準備を休憩して昼食を作ることにした。
――博士と一緒に食べようかな。
隣に住む発明家の阿笠博士のことを思い出して窓からちらりと彼の家を見る。相変わらず大きな家だな。勿論工藤家も大きいけれど彼の場合は発明家だからだろうか、家も何だか一風変わった様式をしている。
ボカンッ、と何やら爆発する音が隣の家から聞こえてまた何か失敗したのだろうか、と苦笑した。きっと発明に夢中になって昼食のことなど忘れているのだろう。仕方ない、と彼の分まで作ることにしてはキッチンに向かった。


 簡単に作ったオムライスを博士の家で一緒に食べたは、留学の準備を再開させていた。豊かに育ったお腹を抱えて美味しかったと笑ってくれた博士を思い出しながら、彼は彼で新一とは違った子どもっぽい部分があるなぁと小さく笑う。
数時間準備に費やしただろうか、時計を見ればもう既に時刻は19時。そろそろ夕飯を作るか。新一の分の料理はいらないだろう。彼は今日蘭と一緒に夕食を食べて帰ってくる筈だろうから。というか、これで夕食を一緒に食べて帰ってこなかったら逆に驚きだ。さてさて、と夕食を作ることにしてスーツケースを閉じる。もうこれ以上持っていくものは無いだろう。ぱんぱんと手を叩いて、部屋の中を見渡した。
いつも通り手際よく料理を作って皿の上に盛り付ける。一人で夕食というのは少し寂しいけれど、たまにはこういうのも悪くない。少し豪華な夕食にしたから一緒に白ワインでも飲もうか。甘いワインなら飲めるナツは冷蔵庫の中から冷えた貴腐ワインを取り出した。
――あぁ、これ本当に大好き。
新学期祝いに両親がドイツから取り寄せてくれたそれを開ける。グラスに半分ほど注いで、一人優雅な夕食を食べた。新一がいたらお酒に興味を持ちそうだから飲めないし、たまにはね。
極甘というランクにあるそれを味わいながら夕食を進める。
ゆっくり食べていたからだろうか、一時間があっという間に過ぎていた。あらら。
そこにプルルルル、と電話が鳴るのが聞こえた。リビングからだ。こんな時間に誰だろうかと思いながら電話を取ると、その相手は蘭だった。
『もしもし、ちゃん?』
「あれ?蘭ちゃんどうしたの?新一とデートだった筈じゃ…」
どうして彼女が自宅から電話をかけているのか分からなくて首を傾げれば、新一が先に帰っててくれと言って途中から一人で帰って来たらしい。何だそれ。デートなのに新一は彼女を家まで送ることも出来ないのか。
まだ帰ってきてないかと訊ねる蘭にうんと頷く。
『何か発見したみたいで突然走って行っちゃって…』
「とりあえず帰ってきたら連絡するように言っておくから蘭ちゃんは心配しないで」
蘭と別れる間際の様子を伝えてくる蘭に、新一ならあり得るとは思った。大方事件の匂いを感じて蘭を置いて突っ走っていったのだろう。一人で彼女を帰させたことは遺憾だったが、変に彼女を事件に巻き込まないで無事に帰したと思えば良いか。一先ず彼女を安心させるようにそう言えば、彼女は分かったと頷いた。
がちゃり、と受話器を下ろして窓の外を眺める。暗闇の中、しとしと降っている雨に瞳が揺らぐ。彼女にああ言った手前だが、何かあったのだろうかと少し不安になった。
そこにガシャアン!と大きな音が響いた。言わずもがな、阿笠邸からだ。全く、こんな時に博士は。そう思っていた所に、ピンポーンとチャイムが鳴った。博士だろうか。もしかしたらガラクタをどうにかするのを手伝ってもらいたいのかもしれない。雨の中そんなことをするのは嫌だが、普段両親がアメリカにいるたちの面倒を見てくれているのは彼だ。
「はーい、って博士その子…」
「すまんが、中に入れてくれんかのぉ」
小さな時の新一そっくりの子供を連れてやって来た彼に、目を瞬かせたは一先ず彼らを家に上げることにした。


「はぁ!?」
「おい、声がデケェよ!」
トロピカルランドに行った際に怪しい男達の取引の現場を見ていたら、もう一人いた黒尽くめの男に変な薬を飲まされて身体が縮んでしまったという新一。書斎で聞く話に信じられないと声を上げた。意味不明だ。そんな薬があったら今頃世界中でそれが何かしらに使われていても不思議ではないだろう。何しろ若返りの作用があるのだ、富裕層の者たちが求めそうだ。
ずるずると引きずっていた新一の服装では可哀想だと小さな時の服を彼に与えただったが、どうにも彼はこの服装が気に入らないようだ。とりあえずで着せたんだから今は我慢してほしい。だが、何だかこの展開を知っているような気がするな。
「頼むよ博士、天才だろ?身体を元に戻す薬を作ってくれよ…」
「む、無茶言うな…」
小さな姿で博士に懇願する新一に、我が弟ながらとんだ無茶ぶりを言うなと思った。その薬にどんな成分が含まれているのかも分からないのに博士がその薬の逆作用のある薬を作り出せるわけがないだろうに。
とにかく、新一がその男たちの居場所を突き止めて元に戻る為の薬をゲットする方向で話は決まったらしい。
新一が生きていることは博士とと新一だけの秘密だという博士にオーケーオーケーと頷く。弟がそんな危ない組織の人間に殺されてしまうのは何とか防がないと。
「新一、いるの?」
しかし何故か聞こえる蘭の声。まさか勝手に家に入ってきたのだろうか。いったい何のためのチャイムなのか、とは思ったが気心知れている仲だしまあ良いかと流す。いや、良くないな今の状況では。驚いて目を見開いている新一に、はとりあえず隠れていてと机の下に押しやる。
ちゃん!今新一と話してなかった?」
「話してないよ。博士じゃない?」
ひょこり、と書斎を覗いた彼女に首を振る。新一ばかりに母の演技力が受け継がれていると思ったら大間違いだ。もそれなりに演技することは出来る。蘭を巻き込まない為にも彼女にはこのことを隠さないといけないし。
新一いないの?と訊ねる彼女にもう少しで帰ってくるよと言ったのだが、後ろから頭をぶつけた音が聞こえる。ばかー、何やってんの。
「誰かいるの?」
机に近付く彼女にあちゃーと額を押さえる。どうにか乗り切って、新一。お姉ちゃんは力を貸してあげられないぞ。
子ども姿の新一に蘭は目を丸くする。どうやら気付かれてはいないらしい。照れ屋さんね、と蘭の方向に向かされた新一は目を見開いて固まった。可愛い、と抱きしめられた彼の顔はだらしなく緩んでいる。大丈夫かな。そんな彼の様子に呆れたが、博士が遠い親戚の子じゃと紹介しているのにうんうんと頷く。博士のことを全力でサポートしよう。ちらりと彼を見上げれば、頼んだぞとアイコンタクトで頷かれる。合点承知の助。
「お名前は?」
「名前は新――じゃなくて」
危うく新一と言いそうになっている彼にハラハラとしながら2人を見つめる。どうにか誤魔化して。そうすればフォローはするから。本棚に追い詰められた彼はちらりと本のタイトルを見て何か思いついたようだった。
「コナン!僕の名前は江戸川コナンだ!」
そう言った彼に、は「あれ?」と固まった。
――コナン…。江戸川コナン…。高校生探偵である工藤新一が変な男たちに薬を飲まされ姿が小学生になってしまった…。
ぐるぐる、と先程の話と今までの人生の記憶が一気に駆け廻っては思わず「あ―――!!!!!!」と叫びそうになった。江戸川コナン!工藤新一!幼馴染の毛利蘭!!どうして今まで思い出さなかったんだろう、の前世ではコナンが主人公である『名探偵コナン』という漫画が国民的な漫画として売れていたというのに。
――うわぁああ!!
新一のフォローどころではなく、彼のことは博士に任せては頭を抱えた。それでは私は工藤家に引き取られたことで新一の従姉、そしてやむをえない事情から義姉となってしまい、彼と一番近い人間になってしまったのか。何それすごい死亡フラグ!!
2度目の人生でまだ大学生というスタート地点にも立っていない状況で突然自分が危険な立ち位置にいることが分かったは大層慄いた。
これから新一、否、コナンはあらゆる事件に巻き込まれ黒の組織と渡り合って行くことになる。うわ、何だそれ。私の命がいくつあっても足りそうにない。そもそも20年以上前の記憶なので物語の進行状況などあやふやだったりするが、危険な目に遭いながらも何だかんだ彼が生きていることは知っていた。
「――ちゃん!ちゃん!」
「あ、ああ、蘭ちゃん…私もそれの方が助かるかな。もうすぐ留学するし」
博士との話で新一が蘭の家で暮らすことになる方向に進んでいたらしい。自分のことで精一杯だったは一先ず笑みを浮かべてその方向でよろしく頼むと彼女にお願いした。新一は博士の腕の中で抗議の為に暴れているけれど。
ひそひそと話しあっている博士と新一に意識を持って行かれないようにする為、は蘭に次の週にドイツに行くことになっていて帰ってくるのは半年後なのだと伝える。それに彼女は「半年も?寂しいなぁ」と眉を下げた。良かった、新一たちからは意識を逸らせた。だけどこんな風に彼女に寂しがってもらうとこちらも寂しくなる。きっとドイツに行ったら日本食が食べたくなったり新一や蘭たちに会いたいと思ってしまうのだろうなぁ。
一先ずお父さんに相談するね、と新一を連れて帰ってくれた蘭に感謝してこの慌ただしい夜は終わった。


2015/08/05


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