あの後、警察署でひったくりにあった時の様子を伝えた彼女は、警察署に行く前に予め沖矢にそのことを伝えておいたため、彼が迎えに来てくれた。おかげで夜道を一人で歩く心配も無くなったわけであったが、その際に彼から「目を離すとすぐにこれですね。暫くは大学まで迎えに行きましょうか?」なんて過保護発言をされてしまい、思わず首を大きく横に振ってしまったことも記憶に新しい。
「なーんてことがあったんだよね」
「大変だったね…」
昨日は結局来られなかったポアロでそんなことを梓に愚痴れば、彼女は苦笑して彼女の目の前の席に座る。今はちょうど客が少ない為、ちょっとだったら話して良いとマスターから言われていたのだろう。既に注文は済んでいるから後はカフェラテが出てくるのを待つだけ。
「でも何もなくて本当に良かった。ね、安室さん」
「そうですね。――まさかあの時のあなたがここの常連さんだとは知りませんでしたが」
「え、あ、え〜??」
カチャリとの前にカフェラテを置いたウェイター。梓だけを見ていた彼女は、梓の言葉と頭上から聞こえる声に顔を上げれば、そこには先日助けてくれた安室が立っていた。
にっこり笑う彼に、はぽかんと間抜け面を晒す。あれ、この人ポアロで働いてたんだっけ?だけど最近まで彼の顔は見たことがない筈。
「つい最近、こちらで働き始めた安室透です」
「――く、工藤です。昨日は大変お世話になりました」
の視線の意味に気づいたのか、ご丁寧に自己紹介をする彼に彼女も名乗る。まさか、彼とこんな所で再会するなんて考えてもみなかった。いまだに目をぱちくりさせる彼女に梓は「その上今は毛利さんの弟子として働いてるんだって」と無邪気に教えてくれる。
――うわぁ……必然的に顔を合わせるのが多くなりそう。
コナンが彼に何かボロを出さないか心配であると同時に、自分も何かしでかさないかという不安が首を擡げる。
「この前事件があった時に毛利先生の推理に痛く感動しまして…」
「へぇ…そうなんですね」
自分はまだまだ未熟だったと思い知らされたのだと言う彼の表情は毛利を尊敬しているそれだ。いや、たぶんあなたの方が余程頭が切れるでしょうに、とは決して言えないはうふふと優雅に笑ってその思考を誤魔化すようにカフェラテを一口飲む。
――あれ、今日は何だかいつもと味が違うけど、美味しい…。
微かに目を見開いた彼女に、安室の目元が柔らかくなる。
「実は今日は特別に僕に淹れさせてもらったんです。お口に合えば良いんですけど」
「えっ、安室さんが?確かにいつもと違いますけど、とても美味しいです」
まさか彼が淹れていたなんて思わなかった彼女は、今度は感嘆の意味を含めて「へぇ…」と呟いた。こんなに美味しいカフェラテまで淹れられるのだ、ここに通う女性からは大いにモテそうだ。
思わず自然に溢れた微笑。美味しいものに対しては目がない為、今後このポアロに来ていいのかと自問自答していた彼女は苦渋の決断を迫られる。
「(梓ちゃんと会えなくなるのは嫌だし美味しいカフェラテを飲めなくなるのも寂しい。だけど、安室さんがいるとなぁ…)」
カフェラテを口につけ暫し逡巡していた彼女の鼓膜を客の「すみません」という声が揺らす。加えて新しい客が訪れたベルの音も響いて。
「では、そろそろ仕事に戻りますね」
「あ、私も」
「はい、わざわざありがとうございました。梓ちゃんも」
それに対して梓と安室はそれぞれの客の元へ向かう。はそれに笑みを浮かべて見送った。
いつまでもおしゃべりをしていたら他のお客様の元に彼らが行けないから。
安室がいる危険に対して美味しいカフェオレ、梓との会話、そしてイケメンを見られる至福のひと時。それらを天秤にかければぐらぐらと左右に揺れる。
肘を付いて外を眺めれば道行く人たちは穏やかな表情の者もいれば、何かに悩んでいる様子の者もいる。
「まあ仕方ないか……」
結果として、天秤が傾いたのは「安室がいることの危険」。何かボロを出して新一に迷惑をかけては申し訳が立たない。彼女が望んでいるのは、出来るだけ危険を回避して無事に新一が元の姿に戻ること。
その為なら自分の交友関係を狭められるし、美味しいカフェラテもイケメンを眺める至福の時間だって諦められる。
ここを訪れるのも今日が最後。安室が出てくるのは楽しみだったけれど、必要最低限にしか安室透とは鉢合わせないようにしよう。そう決めて残りのカフェラテを飲み込んで立ち上がる。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「それは良かったです。また来てくださいね」
今後彼のカフェラテを飲めないのが残念だ。そういう思いを込めて感想を伝えれば、彼はそんな彼女の内情は一切知らない様子で微笑んだ。

2019/1/5

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