隣の男に何か話しかける外国人の女性の声が聞こえる。恐ろしくては、先ほど彼女が強盗犯に怒鳴られている様子を見ることが出来ていなかった。
「秀一なの!?秀一なんでしょ!?」
視線は常に膝の上で握り締めている手。だが、それでもこの声に聞き覚えがあった。その上、彼女はどうやら同じように赤井を知っている様子。もしかして、FBIのジョディ捜査官だろうか。そう思った彼女だったが、目の前に来た袋にスマホを入れるのが精いっぱいであった。
「おい!お前もだ!早く出せ!!ぶっ殺されてぇのか!!」
「ひっ」
「………」
なるべく強盗犯を刺激しないように手早くスマホを渡した彼女だったが、なぜか隣にいる彼は携帯を渡そうとしない。な、何で素直に渡してくれないの…!彼のすぐ傍にいる自分にもとばっちりが来そうだと思ったは喉をひくりと鳴らした。
全てが恐ろしかった。男性の怒鳴り声にも、拳銃にも耐性がない彼女はそれだけで呼吸が忙しなくなる。彼女は新一や蘭と違ってこういった修羅場を乗り越えたことがないから。
「口が利けない人、電話持ってても話せないと思いまーすよ!」
すぐ傍にいる強盗犯に震えているとは違い、彼の反対側にいる女性はそんな彼をかばうように言葉を並べる。それに納得した様子の男たちはそれもそうだと彼の側から離れた。それに、はひとまずの危機は去ったと目を閉じる。
――落ち着け。きっと、警察にも連絡はいっている筈。
そう自分に言い聞かせた彼女。そっと目を開けて、周囲を見る。そうすれば、先ほどよりは震えが微かに収まっていた。
少しだけ彼女が落ち着きを取り戻したと同時に、知り合いがいない者は前に来いと指示が出される。
――知り合い…、
ちらり、と盗み見るのは赤井の姿をした男。だけど彼は赤井ではない可能性の方が明らかに高い。ここにコナンたちがいない以上、には知り合いと呼べる人間はいなかった。だが、立つのは怖い。
床に置いた手に力を入れても、情けなく震えてしまう。人々が恐る恐る立つ中で彼女は腰を浮かそうとした。
「――っ!」
だが、そんな彼女の腕を引き留める、大きな拳。それにはっとして隣を見る。の腕を掴んでいるのは、彼だった。言葉もなく、ただの目を見つめる彼。本当は、立つのはとても恐ろしかった。それを引き留めてくれたのは彼女にとっては見知らぬ男だが、それでも涙が出るほどに安堵した。
――でも、どうして…?
が立つことをやめたと感じ取ったのか、そっと離された彼の手。彼女は、その手の温もりに名残惜しさを感じたが、それに耐えて目元と口元を覆うガムテープを享受した。

 それからは視界が奪われて何が起きているのかほとんど分からない状況が続いている。いつになったら機動隊は突入してくるのか。一秒が一分に、一分が一時間のように感じられる空間の中、は耐え続けた。
「くそ!こうなったら金庫ごと吹っ飛ばしてやる!!野郎共、手伝え!!」
しかし唐突に聞こえた犯人の声。その声は大分焦れた様子で、はまた心拍数が上がるのを感じた。暫くしてドォンと何かが破裂する音が遠くからする。もしかして、あの爆弾で金庫を開けたのだろうか。は考えたが、実際に目で見えない中それが正しいのか分からない。
「よーし、次は全員立って…俺の声がする方にゆっくり歩いてきてもらおうか!」
「……?」
その上まだ犯人たちのやることは終わっていないらしい。指示を出す彼に従って、も立ち上がったがふらりと身体が傾く。何とか倒れずに済んだが、前も見えなくて手も使えない状態ではよたよたとしながら進むことしか出来なくて。
――新一……!
目の見えない状態で前方へと進むというのは酷く恐ろしい。何が待ち受けているのか分からないのに、進めと命令される状況。これに逆らえばどうなるか。命令に従うことも拒むことも恐ろしい彼女は、ただ震えるばかりであった。
だが、突如聞こえるコナンの声。それに、は泣き出したくなった。どうやら、彼らがこの状況をどうにかする為に頑張っていたのだと気づいて。静かに隠れているだけの子たちではないと思っていたが、やはりそうではなかったらしい。
彼が出てきたのなら事態が収拾するのもそう遠くないはず。そう安堵しかけただったが、突如加わった男の声にびくりと肩を揺らした。
「おい!そこのガキ共!こいつの首へし折られたくなかったら、カウンターに入って拳銃を持ってこい!」
「ええ!?」
聞こえるのは歩美たちの困惑する声。そこにコナンの声はない。つまり、今あの男に捕まっているのはコナンだった。とりあえずお前は死ねや…という男の声には心臓が締め付けられたような衝撃を覚えた。
――新一…!!
「んんー!!」
必死になって彼の名を叫ぼうとするがガムテープで塞がれている口では意味のない音にしかならずに終わる。
――瞬間、ドン!!と隣で大きな音がする。それは、発砲音であった。なんで、急にこんな近くで。キィン…と耳鳴りがしたことで平衡感覚が狂ったのか、その場にどたんと尻餅をつく彼女。
「…っ!!…っ!」
「機動隊突撃!!」
今の音でパニックに陥った人々が駆けまわっているのか、彼女は何度か誰かに手を踏みつけられたり、背中を蹴られた。痛い。それよりも、早く逃げないと。だけど新一は?子供たちは?逃げたいのに、それでも阿笠に託された子供たちを放って逃げるなんてことが出来ない彼女は半べそ状態で。
どうにか立ち上がろうとしても、また次の人に蹴られてまた尻餅をつく。そんな中、彼女の腕が乱暴にぐいと持ち上げられた。
「!?」
たたらを踏む彼女のことなどお構いなしにそのまま引きずってどこかに連れていくその手。は先の見えぬ方向へずんずんと進んでいくことに恐怖したが、それでもその手はの背中を何かに押し付けた。それは壁だった。
彼女がそれに気づいた時には既にその手は離れていて、彼女は焦る。今、自分を助けてくれた人に少しで良いからお礼を言いたかったのに、と。
悲鳴が上がる中、彼女は震えながらもその騒動が収まるのをじっと耐えて待った。今闇雲に動けば怪我をするのは目に見えていたから。銃声が聞こえないこともあり、先ほどよりも落ち着きを取り戻した彼女は、自身の名を呼ぶ少年の声に顔を持ち上げた。
!!!」
――新一…!
どんと足に体当たりしてきた彼に、は力が抜けてずるずると座り込んだ。すぐに拘束された手を解放してくれた彼に、手を伸ばす。目が見えなくても、彼がそこにいるのは分かっていた。ぎゅっと抱きしめれば彼は「怪我は…って少しありそうだな…」と呟いて。
――良かった…、新一…。
そのまま彼の身体を抱きしめていたけれど、彼の小さな手がベリベリと残りのガムテープも剥がしてくれる。やっと取り戻した視界に、ほっとしたような彼の表情が入れば、彼女はとうとう涙を抑えることが出来なくなった。
「無事で良かった…!ありがとう、コナンくん…!!」
「俺は何もしてねーけど…」
ぎゅっと彼の身体を抱きしめれば、彼は少しそっけない声音でありながらもの背中をぽんぽんと叩いてくれる。こういう声の時の彼が照れていることを知っている彼女は、それでもありがとうと伝えた。だって、彼の存在がそこにいてくれるだけで安心するのだから。

 工藤家までコナンに送り届けられたは――普通逆なんじゃないのかと彼に伝えたが「良いんだよ」と押し切られてしまった――やっと帰ってきた我が家にほっと一息ついた。
出かけるときに沖矢に気を付けてと言われたのに、結果銀行強盗と鉢合わせるような形になって散々な目にあった彼女は、彼に何を言われるのかと思いながらも扉を開く。
「あ」
「お帰りなさい」
「た、ただいま帰りました…」
すると目の前には腕を組んで仁王立ちしている沖矢がいるではないか。立ち姿とは対照的に彼の声音はとても優しかった。テレビで報道されていて心配していたんですよ…、電話も繋がらないし。と言う彼に、はっとしてスマホを取り出す。
そこには確かに彼からの着信履歴が何件も残っていた。きっと、強盗団に没収された時もかけてくれていたのだろう。そんなことに漸く気づけば自然と瞳には涙の膜が張って。
「無事で良かった」
靴を脱いで上がった彼女の肩をそっと抱いた沖矢の体温に、今までになく安堵したのはきっと仕方のないことだ。


2016/09/01

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