その日は雪が降る日だった。
「行ってきます」
「お気をつけて。今日は雪ですから滑らないように」
「はーい!」
家の中にいても沖矢の姿をしている赤井に玄関まで見送られた。彼女はそれに笑いながらブーツを履いて外に出た。雪なんて久しぶりだからウキウキしちゃうなぁ。なんて少しスキップをすれば、つるりと足元が滑って体制を崩す。
「っぶな……」
だが、なんとか踏ん張って転ぶことは回避できた彼女。ふうと一息つけば、この現場を見ている筈がない沖矢から「だから気を付けろと言ったのに」と言われているような視線を送られているような気がした。
――いや、まさかね。
ちらりと振り返った彼女は彼を甘く見ていたらしい。
「だから気を付けてと……」
「す、すみません…」
彼女の視線の先には、扉をうっすらと開けた状態で若干唖然とした沖矢がいた。その表情からは先ほど彼女が想像したようなことを考えていそうなことが窺える。彼と目が合った瞬間彼女は「しまった」と苦笑した。まさか本当に見られているなんて。
「もう成人しているんですからもう少し落ち着きを持った方が良いですよ」
「わ、分かってますよ…!」
その上心配までされて彼女は顔を赤くした。そんなこと言われなくても自分が一番分かっている。ただ、今日は久々に見た雪にいつもよりテンションが高くなってしまっただけ。そう心の中で言い訳した彼女は、多少むすっとしながらも再度、彼に「行ってきます!」と挨拶をして門を出て行った。
 そもそも、なぜ彼女がこんなに寒い日に出かけるに至ったかといえば、生活費を銀行から下しに行くためであった。子供であればつい先日の元旦に貰ったお年玉を預けに行くだろうが、生憎彼女は既に成人済みであるため、もらう側ではなく与える側である。
るんるん、と鼻歌を歌いながら銀行までのいつもの道を通り過ぎていく。視界に入るパン屋や洋服屋さんは新年が明けたことで気合が入った様子で店を開いている。帰りにパンでも買って帰ろうかな〜なんて、今日の晩御飯のことを考えながら彼女は銀行に到着した。
 流石に正月ということもあり、銀行は多くの人で混んでいた。
「今は1時か…」
ATMに並ぶ人々の先頭を探せば、何十人かは並んでいる。これは結構時間がかかりそうだなと踏んだ彼女は、その間スマホでゲームのアプリをしていることにした。上からどんどん落ちてくるキャラクターを並び替えて、同じキャラクターを繋げればそのキャラクターが消えていくというもの。それはが好きな遊園地のキャラクターが出ているもので、暇な時に好んでしているものであった。
暫くそれをして時間を潰していた彼女だったが、漸く先頭にやってきたことでポケットにスマホをしまう。
――とりあえずまずは記帳から。
「!?」
そう思って通帳を入れた彼女は、そこに記されている金額に目を見開いた。なぜか先月よりもゼロが一ケタ増えていたのだ。いったい誰が、と心臓を煩くさせた彼女だったが、娘に甘い両親のことを思い出す。お年玉と生活費をもしかしたら同時に振り込んでくれたのかもしれない、と推測すれば漸く動悸は落ち着いて。
――びっくりした…。
必要な分だけを取り出した彼女は列から出て出口へ向かおうとした。だが、
「いっ、あ、すみま――」
「……」
ちょうど前から来る人物に気づかずに肩がぶつかって立ち止まる。咄嗟に顔を見て謝ろうとした彼女だったが、その顔を見て目を見開いた。
――赤井さん……!?
キャップを目深に被ってはいたが、それは紛れもなく赤井秀一その人で。ぽかんと呆けた彼女は謝罪が途中であったが唇が止まる。だが、彼はそれに対して小さく頭を下げてATMに向かうのみ。
何でこんなところにこんな格好で、と考えた彼女だったがそれはあり得ないことだと瞬時に否定する。彼はが家を出たときに見送ってくれたのだから、ここにいるわけがない。つまり、今ここにいる赤井は、彼にそっくりな人物か、もしくは変装している誰か。
はこの展開を何となく知っているような気がした。そっと、黒いキャップを被った赤井に目を向ける。先ほど自分が見せた反応に、引っ掛かりを覚えていなければ良いのだが、と彼女は唇をきゅっと結ぶ。
「あれ!姉ちゃん!」
「えっ」
「こんなところで奇遇ね」
しかし、彼女の思考は少年少女の声によって遮られた。はっとして振り返れば、そこにはコナンと哀、そして博士と共にいる少年少女が立っていた。
――あ、これが噂の少年探偵団…。
「こんにちは、初めましての子もいるね。」
「この人は工藤。で、こっちが歩美ちゃんで、元太、光彦」
「よろしくー!」
しゃがんで彼らに目線を合わせれば、キラキラとした瞳を向けてくる。ああ眩しいなぁ、なんて思いながら彼らを見つめていればコナンこと新一が初対面の者たちの紹介をしてくれた。初対面にもかかわらず、人懐っこい子供たちである。
にこにこしている彼らはどうやらお年玉を預けに来たらしい。お年玉と言えば先ほどの吃驚な金額が頭を過るが、こっそりと新一に伝えれば彼もまた「仕方ねぇなぁ」と呆れ顔。
「イテテ…腹が急に…」
「だ、大丈夫?元太くん…」
「お腹痛いの…?」
しかし急に腹部を押さえ始めた元太に、はそちらに意識を持っていかれた。直前まで健康体だと言っていた彼がこうも突然腹を壊すなんて。と心配になった彼女だったが、要は昼間に色々食べ過ぎたようだった。
呆れた様子で元太を見た哀に、彼女は「仕方ないよね…」と苦笑する。流石にカレー2杯食べた後にまたお餅をいくつも食べたのなら腹を壊すだろう。
「じゃあ近くの薬局で胃薬買ってくるから…」
「すまんが、子供たちを頼む…」
「はーい」
薬局へと向かう博士と哀を見送り、は元太たちをトイレへと連れていくことにした。銀行でお金を下したら帰ろうと思っていたが、新一だけでなく少年探偵団に会えてラッキーだったなぁ。そう口元を綻ばせた彼女は男子トイレに元太を入れる。彼の腹痛もすぐに治ると良いのだが。
「元太くんの様子見てくる!」
「え、あ、うん…」
トイレの前で待ち始めてから一分も経たない頃に、歩美たちが彼を心配して男子トイレへと入っていく。女の子が男子トイレに入るのはどうかと思っただったが、子供だしまあ良いかと流してその背中を見送った。背中を壁に預けた彼女は、少しの沈黙の後に視線を天井に持ち上げる。
「あ、コナンくん。ちょっとATMのところに忘れ物したから取ってくるね」
「うん、分かった。ここにいるよ」
コナンも同じように男子トイレへと入ろうとした所、ふいに先程の赤井の姿をした男を思い出して、彼女はコナンを引き留めた。後で彼と沖矢には伝えておこうとしていたから、もう一度見間違いじゃなかったか確かめたくて。
彼女の言葉に頷いた彼にすぐ戻るねと手を振って、彼女は受付の方へ足を向けた。

ATMの側に戻って、目立たないようにきょろきょろとしているは、少し離れた所に黒いキャップの男性を発見した。背は高くて体格もしっかりしている。少しばかり観察した彼女だが、肝心の顔が見えない。あと少し…。そう思って移動した次の瞬間。
――ドォン!!
店内に響く低い音。それに驚き振り返る。
「出入り口にロックをかけてシャッターを閉めろ!!」
「…!?」
大声をあげて指示を出すのは、覆面をかぶった男たちだ。それにはぎょっと目を見開いた。これは、銀行強盗。咄嗟に脳裏に浮かんだその言葉に頭が真っ白になる。まさか、事件に一度も遭遇したことがないが、こんなことに巻き込まれるとは思いもよらぬことであった。
――な、なんで。何が起きてるの…。
「オラ!こっちに早く座れ!!」
発砲音に竦んだの身体は思うようには動かない。耳元でうるさく喚いている心音に、自分が恐怖していることを悟った彼女は、手の震えを抑えつけようとしてぎゅっと握り締める。だが、とは対照的に、果敢にも強盗グループに突っ込んでいった男性。それは、勇気ある行動だったが、彼は腕を撃ち抜かれて床に倒れ伏した。
「キャアアアア」
店内に響いた発砲音に、飛び散る血、そして男性の苦痛に悶える悲鳴。阿鼻叫喚と化した店内に、ははくはくと浅い呼吸を繰り返す。
――やだ、やめてよ…。
人々の悲鳴に頭が鈍り、彼女はただ尚も震える身体を押さえることしか出来なかった。
「知り合いや連れがいたら一緒に固まるんだぞ!!」
その言葉に忙しなく周囲を見渡すけれど、少年探偵団は見えない。背が小さいから見えないのかもしれないが、あのままトイレにいるのであればそのまま見つからないように待機していて、と彼女は祈りながら地べたへと座り込む。
冷えたタイルと接した部分からぞっとする程の冷気が伝わってきて。
――どうしよう、どうしよう。
カチカチとぶつかる歯は寒さから来るものか、それとも恐怖から来るものか。否、両方であろう。
――直後、すとんと腰を下ろした音に、は右隣を見た。
「!?」
そこには、先ほど顔を確認できなかった赤井の姿をした男がいて。目を白黒させた彼女は、はっとして彼から視線を逸らした。あまりおかしい態度をしていたら彼に不審に思われるだろう。ちらりと見えた彼の顔はやはり赤井とそっくりだったが、火傷の痕がある。
「持っている携帯をこの袋に詰めろ!」
彼の姿に目を奪われていただったが、強盗グループからの指示にスマホをポケットから取り出し、前から順番に来る袋を見つめる。このスマホがあれば新一にも沖矢にも連絡を取れるが、反抗できる程の精神は強くない。ぎゅっとそれを握り締めた彼女は、何でこんなことに巻き込まれてしまったんだろうと今日この時間帯に銀行へ来たことを後悔していた。

2016/08/16

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