はキッチンで朝食を作り終って時計を見る。時刻は7時半。休日だからといってまだ起きてこない義弟に呆れる。今日は確か彼の話では幼馴染の蘭と一緒にデートをする約束をしていなかっただろうか。以前にデートかと訊いた際には「デートなんかじゃねーよ!」と怒っていた彼だが、きっと恥ずかしかっただけだろう。本当に今更すぎる。何と言ったっては2人の傍でいつも彼らが想い合っているのを見てきたのだから。
料理をテーブルの上に置いて二階へ上がる階段を上る。コンコン、とノックをして彼の名を呼んでも返事がない。仕方なしに扉を開けて中に入った。
高校2年生の男子らしいといえばらしい彼の部屋。勿論父親の影響で机の上には読みかけの探偵小説が何冊か重なっている。暗い部屋に光を差し込む為にカーテンを開ければ、朝日に驚いた彼がううと唸りながら布団の中に顔を隠す。
「新一、起きて。ご飯冷めるよ」
「あと5分……」
ぽんぽん、と布団の中に潜り込んでしまった彼の頭がある所を軽く叩けば、眠そうな声が返ってくる。あと5分っていつも言うけど彼は放っておくとまた二度寝する。高2になっても一人で起きられないの?と彼の身体を揺すれば「がいるからヘーキ」という言葉と共に、布団から出てきた彼の腕にぐいと身体が引っ張られた。
「わっ」
「二度寝しよーぜ……」
強引にを布団の中に引きずり込んで腕の中に閉じ込める彼に、は頭を抱えた。もともと新一は幼少期からのことを血の繋がった姉と思って甘えてきた。中学校に入って漸くとは血の繋がりがないということを両親から聞かされた彼は、何を思ったのか余計にべたべたとに纏わり付くことが多くなった。弟としてとても可愛がって世話を焼いてきたは勿論思春期真っ盛りの弟に冷たくされないことを喜んでいたのだが、両親がロサンゼルスに行ってしまってから彼のシスコンぶりは増々激しくなってきたように思う。
――甘やかしすぎたのかな。
いくら弟とはいえ、流石にこの年になっても一緒のベッドで寝て良いという考えなどないは、彼女を抱きしめてすやすやと再び眠っている新一の顔を何とも言えない気持ちで見つめる。可愛いことは可愛いのだが、このままで拙いのは分かっている。かと言って両親は今ロサンゼルスだし、相談したとしても「昔から新ちゃんはちゃんのこと大好きなんだから〜」と親バカを発揮する母親の姿しか思い浮かばない。
と、一通り現実逃避した所では「新一」と低い声を出した。この声音はいつも彼を叱る時に使うものだ。それにぴくりと肩を揺らした彼。
「もう起きてるんでしょ」
「…バレた?」
はぁ、と溜息を吐けばぱちりと目を開いた彼がへらりと笑った。そんな彼の頬をぎゅっと抓る。ほら、早く起きる。ついでにぺしっと頬を軽く叩けば暴力女とジト目で睨まれた。気合を入れる程度なのに何を言っているんだか。だがそんな視線にはもう慣れたもので、は彼の腕を強引に抉じ開けて立ち上がった。思いの外新一のベッドの中が暖かかったらしく、外に出て少し肌寒さを感じる。
、朝ご飯何?」
「茄子と油揚げの味噌汁に納豆、鮭、サラダ」
彼の質問に答えながらも、いつもお姉ちゃんって呼びなさいって言ってるでしょと窘める。新一はいくらがそう言っても改めようとしないのだが、これはいったいどういうことなんだろうか。外国の兄弟たちは名前で呼び合うとは言ってもここは日本だし。母親譲りの可愛い顔を持っている新一と特に彼女に似ていないが一緒に外を歩くとその呼び方のせいで恋人同士だと思われることも少なくないが、その噂を聞いた蘭に変に誤解させてしまうのは勘弁願いたい。
下に行こうと新一の部屋を出た所で彼がパジャマ姿のまま腰に抱き着いてきた。もー、階段下りにくいんだけど。
「まだ寝ぼけてるの?」
「さみーんだよ…」
困ったちゃんめ、と眉を寄せれば彼は寝ぼけた声で応答する。彼のせいでゆっくりと階段を下りるはめになり、ずるずると腰に纏わりつく彼に邪魔くさいとは思うが、いつものことなのでつい流されてしまった。いや、これ本当に正しい姉弟の姿じゃない。ちょっと誰かに相談しないと。
「今日蘭ちゃんとデートなんだからしっかりしてよね」
「だからデートじゃないって言ってんだろ…。それに出かけるのは今日じゃなくて来週だっつーの」
テーブルの前について漸く彼女から離れて席に腰を下ろした新一。その言葉にあれ?そうだっけとカレンダーを見れば確かに来週に印が付けられていた。あはは、間違えた。どうやらもまだ頭がボケていたらしい。
それなら特に何も気にする必要はないか、とは朝食を食べ始めた。
最近では、新一は高校生探偵として有名になってきたから色んな事件に引っ張りだこで。その上彼は多くの女の子たちからラブレターを貰っているようだし姉としては誇らしいが、好きな子一筋でいてもらいたいものだ。それと、危険なことに彼が巻き込まれないで欲しいとは常々思っている。
――何だかんだで、私もブラコンなのかな。
その事実に気が付いて彼に気付かれないようにこっそり溜息を吐いた。


 週末が終わっていつものように東都大学に向かう。2度目の人生では失敗は繰り返すまいと高校で猛勉強を続けた結果見事(ギリギリ)東都大学という良い大学に入れたわけだが、前世の記憶では日本にこんな大学など無かった筈。
――パラレル世界だったりするのかな。
特に深く考えていなかったは3年になって入ったゼミに向かう。文学部外国語科所属の為、ゼミを選ぶ際は勿論外国語関連のゼミしかなかったのだが、特にはドイツ文学に興味があったからそれに特化したゼミを選んだ。
「おはようございまーす」
「おはよう、ちゃん」
教授の研究室に集まってゼミは行われるのだが、早めに来たせいかそこにはまだゼミの中でも一番に親しい藤悠莉しかいなかった。相変わらず綺麗な茶髪をまとめてお洒落な格好をしている。丁度良い。
悠莉ちゃーん、と彼女の横に腰を下ろして相談があるのと言えば、彼女はどうしたの?と首を傾げた。
「最近弟がね…」
「ああ、新一くんね」
“弟”で既にどんな話かは検討が付いたのだろう彼女が苦笑する。そう、彼女が考えている通りだ。この前の布団に引きずり込まれた話や始終ベタベタしてくる話をいくつも聞かせると彼女は可愛いねぇと言いながらも、やはり若干困惑気味だ。
「このままだといつか間違いが起きそうで怖い」
「確かに…新一くん多感な時期だしね…」
新一には蘭がいるとはいえ、いつも傍にいるのはだ。その上今は一番そういったことに興味がある年頃ではないだろうか。としては新一相手に手を出すなんてことは考えられないが、男子である新一の気持ちは分からない。彼が興味本位にそんなことをしてしまうことはあってはならない。そう思ってしまうのも、あまりにも距離が近い新一のせいだ。
「もういっそ留学してみれば?」
「留学かぁ…」
丁度今度半年間のドイツ留学の話があるし、このゼミの生徒は有利になるという話ではないかと悠莉から聞かされは成る程と頷く。確かに前々からゼミの為にドイツ語を受講していたしドイツには結構興味がある。一年だと流石に長いと思うが半年の間なら新一だって一人で暮らせるだろうし、その間に蘭と関係が進展してくれるなら丁度良い。きっと、がいない方が彼らのじれったい恋愛だって進むだろう。
少しずれてしまった思考回路を元に戻して、それ良いねと悠莉に笑った。彼女から話を聞かなければきっと留学なんて考えなかっただろう。もしかしたら一人暮らしを始めようとか考えていたかもしれない。
「じゃあ後で書類貰いに行こうよ」
「ありがとー!あ、お昼今日はどこで食べようか?」
新一との問題が解決できそうな方向に向かって行ったので、安心して他の話題に移る。今日はあそこの日替わりランチにしようよと言う悠莉にそれは良いと頷く。学生の為の食堂だが、そこはそれなりに金額が高い為美味しいことで評判なのだ。それ故人気も高く、早く行かないと食券が切れることもしばしばある。2人でゼミが終り次第まずその食堂に行って食券を確保しなくては、と計画を練っているうちに他のゼミ生たちもやって来て、仙人のように髭を伸ばしたお爺さん、つまり教授もやって来たのでゼミが始まることになった。


 その後無事に書類をゲット出来たは必要事項を大学のラウンジで埋めていきながらも、母親である有希子に国際電話をかけていた。前の席には有利がいるが、マイペースにゼミの課題を進めている。
「もしもしお母さん?」
「久しぶりじゃないちゃん!!」
今の日本の時刻は11時だからロサンゼルスの時刻は19時あたりか。夕食の準備をしている最中だろうに、テンション高く出てくれた母に久しぶりと返す。普段は母から電話が来ない限りはあまり連絡をしないから嬉しかったのだろう。いくつになってもと新一を子供扱いして可愛がる彼女に恥ずかしい気持ちになっても嫌な気はしない。
から電話をかけてきたということが嬉しかったのかぺちゃくちゃとロサンゼルスでの暮らしを話す彼女に何度か相槌を打っていただったが、ナツが話を切り出さない限りは彼女の話は止まらないだろうと思ったので、申し訳ないけれど「あのさ」と彼女の話に割り込んだ。
「半年ドイツに留学しようと思ってるんだけどどうかな?」
『あらっ、ドイツ?アメリカじゃないの?』
どうやら彼女の弾んだ声からして留学自体に反対というわけではないらしい。だが行先が不満なのかロサンゼルスに来れば良いのに、と言う彼女。まあロサンゼルスでも良いと思うが、今の時期からのアメリカ留学は無かったのだ。あったとしても長期留学になるからそうなると単位の関係もあり少し面倒になる。
それに対して、ドイツ留学であればドイツの大学に通って決められた単位を取ればその単位が東都大学で単位を取得したことになるし一石二鳥なのだ。それを説明すれば、そうねぇと彼女は納得したようだった。
『じゃあ留学に必要なお金は振り込んでおくから、何かあったらまた連絡してね!』
「はーい!お母さん、いつもありがとう」
明るく了承した母に、父に訊かなくて良いのかと訊ねるけれど今は締め切りに追われていてそれ所ではないらしい。それに話さなくても留学には賛成する筈だからと彼女は茶目っ気たっぷりの声で言うものだから、そっかと納得する。最後に、いつも遠くにいても見守ってくれている彼女に礼を言えば、彼女は『大きくなって…』と電話先で涙声になった。
「もう、お母さん大げさ!じゃあ切るよ。お父さんにあともう少しだから頑張れって伝えておいて」
『分かったわ〜!じゃあね、ちゃん!大好きよ』
女優としての演技なのか本当に泣いているのか区別出来ずに、少し慌てれば彼女はふふふとすぐに笑い声をあげた。どうやら今回は演技だったらしい。全く、娘をからかわないでいただきたいものだ。電話を切る際にちゅっと彼女から投げキッスを貰ったことに照れくささを感じながらも、スマフォの終話ボタンを押す。
普段もそれなりに電話で話しているけれど、こうやって話せるとどことなく気持ちが落ち着くのだから母親とは偉大である。
「相変わらずちゃんのお母さん元気ね」
「そうでしょ」
何度か母との電話を聞いたことがある悠莉は今回の電話での彼女のテンションに笑っていた。それにも笑う。少女の頃の気持ちをいつまでも忘れない母親なのだ。とても可愛らしい人。そのおかげでは少しばかり落ち着いた性格になったと自分では思っているけれど。
そんなこんなしているうちにお昼が近付いてきて、とりあえず食堂に移動しようかと2人は席を立った。


2015/08/05

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