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今日は焦凍の体育祭だ。
小学校の運動会で焦凍の体育祭を見に来られない冬美に代わって、は沢山彼の写真と動画を撮って来ることを冬美と約束をして家を出た。中継も録画するらしいが、やはり一人にずっと焦点が当てられるわけではないだろうから。
手に持ったお昼用のお重が入った風呂敷を持ちなおそうとした所、炎司がの手からそれを奪い取った。
「ありがとうございます」
「ああ。行くぞ」
見上げた先の炎司は、心なしかワクワクしているようにには感じられた。


17: ゆるやかに毒




雄英高校へと向かう前に、まずは焦凍の担任の相澤やクラスメイトたちに何かお菓子を買っていきたい、とは炎司に強請った。ハイヤーで移動して、炎司の家の近くで有名な和菓子の老舗店へと到着する。
「素敵!これなんてどうでしょうか?」
「良いんじゃないか」
艶々と輝く羊羹やちんまりと可愛らしい形に揃えられた練り切り。それらを見て回りながら、楽しそうに数種類を選んだ彼女に炎司は機械的に頷いた。炎司にとっては高校の教師とクラスメイトに渡すお菓子など何でも同じようなものだった。
だが、満足そうに微笑む彼女に、何故か炎司も満足感を覚えてしまったのだから不思議だった。


雄英高校へ着いて、は人の多さに圧倒された。そこかしこに見えるプロヒーローたち。もちろん一般人も多く来ているが、屋台に並ぶヒーローコスチュームの人間はどうしたって人目を引いた。
例に漏れず炎司も今日はエンデヴァーとしてコスチュームに身を包んでいる。
は感嘆の溜息を吐きながら、炎司と共に屋台の間を通り抜けていく。
「あっエンデヴァー!」
「おお、威圧感スゲェ……」
遠巻きにエンデヴァーを見つけた人々が嬉々として声を上げるが、かと言って近寄ることもなく。は隣を平然とした顔で歩くエンデヴァーの顔を見上げてつい笑ってしまった。
――こういう所がコアなファンには堪らないのかもしれない。
ふと、りんご飴の屋台を通りかかったは「あっ」と声を上げた。
「エンデヴァーさん、りんご飴買いたいです」
「お前、あれを食べたら昼食が入らんだろう」
指さした方向に視線を向けた彼はその大きさに眉を寄せる。の胃袋の大きさを的確に把握している彼ならではの正論に、お祭り気分になっていたはむうと頬を膨らませる。まるで父親のような言葉だ。
いつものすました表情ではない彼女に何を思ったのか、ふうとため息を吐いた彼。その音を聞いた彼女ははっとして子供のような態度をしてしまったことに気が付いて顔を赤らめた。
――お父さんと同じようなことを言うから、つい……。
だが、りんご飴の屋台に並ぶ彼に目を丸くする。
「どうした?食いたいのだろう」
「は、はい」
前の人がりんご飴を買って列の外へとはけたことで、目の前にりんご飴が現れた。やはり、食べたい。お祭りの時はいつだってりんご飴を食べるようにしていたから、彼女はお祭りの雰囲気の時はそれを食べないと気が収まらなかった。多少ご飯が入らなくなったって仕方がないとさえ思う。
「後で半分に割れば良いだろう」
「えっエンデヴァーさん半分食べてくれるんですか?」
「ああ」
ごく自然にりんご飴を一つ購入した彼。りんご飴を持つエンデヴァー、という物珍しい姿はファンからすれば写真に残しておきたい瞬間だっただろう。だが、きょとんとした顔のにそのりんご飴が渡されて、彼女はもう少し見ていたかった気持ちを抑えて素直に受け取った。
――炎司さんがりんご飴を買ってくれるなんて。
うふふ、と思わず満面の笑みをこぼした彼女は周囲にさくらの花を大量に咲かせてしまった。それを見て、ふんと彼が鼻を鳴らした。
「お前は娘みたいなものだからな。……特別だ」
まるでの思考を読んだかのような発言に彼女は益々眦が柔らかくなる。
「私もさっき、エンデヴァーさんのことお父さんみたいって思いましたよ」
「実際それくらい年が離れているからな」
他愛ない話をしながら客席へと向かうと、広大な校庭が目前に広がった。どこの席にしようか、と悩ましく思った彼女だったがズンズンと進んでいくエンデヴァーを慌てて追いかける。
彼の中で既に座る場所は決まっているらしく、ゆったりと腰を下ろしている。もその隣へと座ってふうと一息ついた。
「今日は全国からヒーローたちが呼ばれているんですよね。圧巻ですね」
「ああ。ここまで一斉に集まることは中々無いからな」
がキョロキョロと周囲を見渡している間に、彼は丁寧すぎるくらいに手を拭いた後でバキッとりんご飴を割った。そのまま棒から離れた方をぽいと口に入れて、バキバキと飴ごとかみ砕いている。
残りの棒が付いた半分はに返されて、彼女は礼を言った。
――それにしてもこんなに綺麗に割れるなんて、流石エンデヴァーさん。
妙な所で彼の器用さを感じた彼女だったが、開会式が始まる前にお手洗いに行っておこうと立ち上がった。
「一人で平気か?」
「ん~……今日は周りに沢山ヒーローたちがいますし、大丈夫だと思います」
暫しの間りんご飴を彼に持っておいてもらうことにして頷く彼女。敵に襲われた記憶もまだ新しいが、今日は見渡す所全てにヒーローたちが見える。こんなところに敵は入り込まないだろう、と踏んだ為だった。
そうか、と納得した彼にすぐ戻る旨を伝えて、お手洗いを探すことにした。立ち上がると、白地にブルーの花が散ったワンピースの裾が大きく風に捲られそうになって慌てて手で押さえる。
階段を上って廊下へと出た彼女は標識に沿ってお手洗いへと向かった。

お手洗いから出てさて彼のもとへ帰ろうかと周囲を見渡した彼女は「あら」と一人声を上げてしまった。
そういえばいつも誰かしらと行動していた為、道を確認しながら歩くということをしていなかったおかげで、今回も彼女はエンデヴァーがいる席までの帰り道を覚えていなかったのだ。
「どこだったかしら?」
ひとまず壁際へと寄って観客席の地図を確認する。ここからそう遠くはない筈だったが、ABC、などと区画分けされている席のアルファベットをしっかり見ていなかった彼女にとっては難易度が高い。
地図と睨めっこしていた彼女の隣にすっと背の高い影が落ちる。
「えーと、」
同じく地図を見に来た人物をちら、と確認すれば、それはちょうど数日前にを助けてくれたホークスであった。
「あ、ホークスさん」
派手な赤い羽根が視界に入った時点で気づくべきであったが、地図に熱中していた為挨拶が遅れたことを彼女は恥じた。
「ああ、さんじゃないですか」
「先日はありがとうございました」
の方へ顔を向けた彼も、相手が彼女だと気付いたらしい。あの後のことまで心配してくれる彼に再度頭を下げる。今日彼と会うことが分かっていたらお礼の品を一緒に買っていたのに。
そう漏らせば、「あー、そんなの気にしなくて良いですよ」と彼が頭ぽりぽりと掻く。ヒーローとして当たり前のことをしただけですから、なんて付け足して。
――ヒーローの鏡ね。
彼の年齢は知らないが、他のプロヒーローたちに比べれば若く、才ある彼。それなのに奢ることをせずに謙遜する彼は、きっと大層な志を持っているのだろう、と彼女に思わせた。
その上、数日前とは違って敬語を使うのは、彼女がエンデヴァーの秘書という立場だと理解しているからだろう。聡明な彼に、は少し頼ることを決めた。
「実は、エンデヴァーさんと一緒に来ていたんですけど、一緒にいた席を思い出せなくて…」
ホークスさんはご存じですか?と続けるつもりだった彼女は、「ああ!エンデヴァーさんの場所ですね」と目を見開いた後に笑う彼に目を丸くする。
どうやらあれだけの人数がいる中でも、彼の居場所をしっかりと知っているらしかった。
「記憶力が良いんですね」
「いや~、エンデヴァーさん目立つじゃないですか。つい見ちゃうっていうか」
こっちですよ、と向かう方角を手で指し示してくれた彼がの半歩前を歩く。明るく、今日の洋服似合ってますね、とか秘書に関する仕事を聞いてきたりだとか、そういう他愛のない話をしてくれる彼に、彼女は何度も笑みをこぼした。
「あっ、あそこの列ですよ」
「あ、本当。ありがとうございました。お話できて楽しかったです」
会場の入り口から顔を覗かせてエンデヴァーの席を指す彼。も遅れて彼の姿を発見して安堵の溜息を吐いた。焦凍くんの学校で大人が迷子だなんて、恥ずかしいもの。
ホークスに向き直って感謝を伝えれば「いえいえ」と微笑まれる。改めてお礼の品を今度渡そうと勝手に心の中で決めた彼女は、彼に会釈してエンデヴァーの元へ行こうと一歩踏み出す。
「あ、さん」
「はい」
だが彼に呼び止められ、眩い太陽光の下で、外に比べれば少し暗い廊下にいる彼を振り返る。きょとんと彼女が小首を傾げれば、ホークスは聞きそびれちゃったんですけど、と前置きを述べる。
さんの名前教えてほしいなって」
です。ありきたりですよね」
会場の扉へと肩を凭れかけている彼の言葉にああと頷いて、彼女は名乗った。そうすれば、彼は満足そうに頷いて「可愛い名前ですね」と褒めてくれる。ほんの一瞬、何を考えているか分からないような表情をした彼に、無意識下で訝しく思った彼女だったが、へらりと笑った彼にその違和感は消えた。


2020/05/01
、ね」
スマートフォンのメモ機能に彼女の名前を入力した彼を、彼女は見ていない。
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