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敵がやって来た時に演習場で頭を過ったのはの笑顔。焦凍はここで自分が怪我をすれば彼女の笑顔が泣き顔に変わることを理解していた。家族もまた等しくそうだ。それに、学校に対する非難も多方面からぶつけられるだろう。
――俺が今やるべきことは怪我をせずこの場の敵を倒すこと。
ワープで飛ばされた直後、視界が安定しない中で彼は一面に冷気を迸らせた。


16 指先に愛をこめて




相澤との打ち合わせから数日後。普段通り、はエンデヴァー事務所で仕事をしていた。
さん、これ頼みます」
「はい」
「あ、こっちもよろしくお願いします」
「分かりました」
ヒーローたちから渡された書類には簡潔に、期日と重要事項が付箋に書いて貼ってある。それに目を通して重要度順に並び替えて机の上に置いた。
――プルルルル。
ふと鳴り響く自身の電話に目を移す。着信は雄英高校からだった。相澤だろうか。そう思って画面をスライドさせて応答する。
「エンデヴァー事務所、です」
「お世話になってます、雄英高校の根津です」
思いもしなかった相手に軽く目を見開いた彼女。雄英高校の校長として根津は有名であったから、校長という前置きが無くても彼が雄英高校のトップなのは自明のことであった。
緊迫感ある固い声に、何を言われるのかと息を詰めて待っていた彼女は、彼から聞かされた事実に思わずガタリ、と椅子から立ち上がった。それに付随して動揺のあまりに身体から桜の花びらがぱらぱらと床へと落ちる。
――1-Aの生徒が演習授業中に敵に襲われた。
突然大きな音を立てて立ち上がった彼女に、少しばかり驚いた表情で視線を送るヒーローたち。それは彼女が普段このように取り乱すことが無いからだろう。
「この件で轟さんに繋いでもらえればと思うのですが」
「かしこまりました。少々お待ちください」
根津の声は相変わらず固いが、それに加えて謝意も感じられる。炎司専用の部屋へと向かう足は今までで一番早く、カツカツとハイヒールの音が乱暴に響く。
――焦凍くんは…?
根津に一番に聞きたいのは彼の事。だが、親族ではない彼女は一番にそれを聞くべきではない。炎司が居間は事務所にいるのだから彼が最初に聞くべきであった。コンコンコン、と急いたように扉をノックしてしまった彼女は、絵彼からの「入れ」という言葉と同時に勢い余って部屋へと飛び込んだ。
「どうした」
「雄英の校長からお電話です」
滅多にない彼女の行動に目を見開いた彼が、顔面蒼白の彼女から何かを察したのか、要件も聞かずにすぐに彼女の電話を取った。
炎司が根津と話し始めた途端、眩暈に襲われた彼女は彼の机へと凭れかかった。ぎゅっと固く目を閉じる。
――焦凍くん…!
どんな敵かも分からない、想像上の何者かが彼に襲い掛かる様が、勝手に脳内に何度も浮かび上がり、消えて、また現れた。炎司が話す声が遠く、遠くで聞こえる。だが、暫くして少しずつ、ぐわんぐわんと揺れていた視界は徐々に落ち着きを取り戻し、冷静になり始めた。
「少し、落ち着け」
「すみません」
電話を切った彼が椅子から立ち上がり、をそこに誘導して座らせる。ああ、ここは炎司さんの席なのに。そう申し訳ない気持ちになりながらも、彼女はようやく定まった視点で彼を見上げた。
「焦凍は無事だ。怪我一つもないらしい。アレはそこらの敵にやられるような育て方はしてないからな」
「――良かった……」
冷静に事実のみを伝える彼に、胸を撫でおろす。苦しさを訴えていた胸も、ようやく深呼吸出来て頭が回り始めた。ああ、よかった。思わず涙ぐんだ声が出てしまう程、恐ろしかった。怪我はもちろん、彼を万が一にも失ってしまう恐怖。
あの愛しい男の子の顔が二度と見られないかもしれないと思うだけでの世界は大きく欠けてしまう。
「だが念のため帰宅時に保護者に迎えに来てほしいと言われてな」
「分かりました。炎司さんの代わりに迎えに行けば良いのですね」
「ああ」
言葉が途中で途切れて、を見やる彼。続きを彼が伝えるよりも早く、彼の言いたいことを読み取った彼女は頷いた。それに彼も話が早くて助かると小さく微笑んだ。
この後の彼のスケジュールを頭に入れている彼女には、それが最善の策だとすぐに理解できた。彼はこの後どうしても仕事を抜け出すことができない。それが例え、大事な家族の用件であっても。
事務所で追い続けていた敵をとうとう見つけたのだ。この機会を逃せばまたあの敵は雲隠れしてしまうだろう。
「待機中の誰かしらを連れて行って良い。焦凍を家に届けたら二人とも今日は直帰で構わん」
「はい。では早速準備をして焦凍くんを迎えに行きますね」
テキパキと今後のことを話し合い、彼女は彼の部屋を出ていこうと足を向けた。
だが直後にずしりと彼の両手が彼女の肩に乗っかった。
「わ!」
不意打ちのそれに吃驚して声を上げてしまい、くるりと振り返る。ぽかぽかと暖かな彼の両手。彼は特に何かを言うわけではなく、ただの瞳を見ていた。
瞳の奥を探るように見やる彼の青い瞳には「ああ」と納得した。この不器用な人は言葉で何かを伝えられないから、目から感情を読み取ろうとしているのだろう、と。
「気を付けて行ってこい」
「はい。炎司さんもお気をつけて」
ぱっと離された肩。彼の熱が移ったそこは彼がいなくても暫くは暖かいままだ。
彼女の動揺が無くなっていたことが確認できたのだろう。いつも通りの彼に、彼女は微笑んで彼の部屋から出ていった。


車田に運転してもらい、と待機中だったヒーローは雄英高校へと到着した。
「車田さんたちはここでお待ちください」
「分かりました」
「校門に入ってからも気を付けろよ!」
車田たちに見送られて、校門へと立つ彼女。チャイムを鳴らして暫くすると職員が出て、用件を伝えると校門が開いた。
中へと入ると、広がる校舎までの道。足早に進む中、生徒たちは授業中だからか人っ子一人見当たらない。敵に襲われたことなど無かったかのように安寧とした空気が流れているように感じられた。ただ、襲われたのは校舎から離れた所にある演習所という風に聞いていたので、他の生徒を動揺させないために教師たちが配慮しているのかもしれない。
コツコツと鳴っていたヒールを一旦止め、扉を開き校舎へと入る。持参していたスリッパに履き替えてヒールは紙袋へとしまった。
「轟君の保護者のさんですね?」
「はい」
靴箱の場所に現れたのは露出が激しいように見える教師、ミッドナイトだった。軽く挨拶されながら教員室へと向かう。
「今回は本当にご心配おかけしました」
「電話があった時は本当に驚きました。皆さん無事だったんですか?」
やはり、学校側が生徒の安全を守れなかったという点から彼女は謝ったが、だいぶ落ち着いたは他の生徒や教師へも心配の念を向けることができた。ミッドナイトの顔を横目でちらりと窺えば、彼女は一呼吸置いて口を開いた。
「生徒一人と教師二人の重傷者以外はほとんどが軽傷です」
「!」
重症だった生徒はリカバリーガールによって既に回復させられている所らしい。教師にまで被害が及んだということは相当な力量の敵だったのだろう。頭に浮かんだのは最近仕事上で付き合いがある相澤。その思いを振り払うように、恐る恐る彼女に訊ねれば、彼女の口からは案じていた彼の名ともう一人教師の名が出た。
「そんな…相澤さんが…」
「大丈夫。二人とも命に別状はありませんから」
相澤も13号も暫くしたら復帰できる状態なのだ、と教えてもらったはほうと胸を撫でおろす。13号のことはろくに知らないものの、相澤と共に生徒を守って負傷したというのだから、いい先生なのだろう。
重苦しい気持ちになりかけた彼女だったが、職員室へと入る際に、今度お見舞いの品でも送ろうと心に決めた。あんなにもに時間をかけて授業の作り方を教えてくれた彼に、少しでも気持ちが伝われば、と思ったのだ。

職員室の客間で待つこと数分、以外にも生徒の保護者が2人程待っていたが、元々早く来ていた彼らは子供が職員室の外に来たと知らされるや否やすぐに子供のもとへと行ってしまい、今は一人。
さん、轟くんが来ました」
「ありがとうございます」
名は知らないが、屈強な男性教員がを呼びに来てソファから立ち上がる。スリッパをパタパタと忙しなく動かして職員室の扉を開ければ、少し離れた所に焦凍が鞄を持って立っていた。
「焦凍くん…」
、仕事だったのに悪かったな」
行内では走るのは厳禁。だから極力足早に彼へと迫って、傷がないか確かめるようにその頬や肩に触れる。くすぐったそうに目を細めた彼だったが、の眦に浮かんだ涙の膜に、拒否せずじっとそれを受け入れてくれた。伝わる彼の温度は確かに彼が生きていることを伝えてくれる。それにほっとして、一度瞑目する。
「皺、寄ってる」
「もう、すごく心配してたのよ」
目を開けば彼の手が迫っていて、指で眉間の間をぐいと伸ばされた。皺、なんて。彼のなんてこと無さそうな言葉に思わず笑ってしまう。眩暈を起こすほどに心配していたというのに。全くの無傷の彼はけろりとした表情で階段へと歩き出し、振り返ってに手を差し出した。
「腹が減った。帰ろう」
「ええ。帰ったらおやつ作るわね」
その表情に違和感はない。ふわりと微笑んで、は彼の手を取った。クラスメイトや担任の相澤が重体になってしまい少なからず衝撃は受けている筈だ。だが、を心配させまいとしているのか、彼はいつも通りの彼。
それならば、彼女もまた同じようにする他ない。彼の隣を歩く中、彼女は階段の窓ガラスに映る彼の横顔を眺めた。
――だけど、少しでも焦凍くんが受けた衝撃を軽くすることがでるのなら。
彼の手を握る手にぎゅっと力を籠める。
「どうした?」
「何でもないわ」
きょとんとしてを見やる彼に微笑み返す。少しでも、彼に元気を分け与えたくて、握っただけ。ただ、それを言えば彼が気にする必要はない、と言うのは分かっていたから。彼女はただ今は姉のように彼を包み込むだけ。


2020/11/18
内線は使いたくなかった/オールマイトの負傷に触れなかったのは配慮



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