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オールマイトが雄英高校に教師として働き始めた、というニュースが全ての新聞会社一面を飾ったのは少し前の事。だが、毎日のように彼の記事が紙面を飾るのは、それだけ凄いヒーローが教鞭を振るうのが全国1位2位を争う雄英高校だからだろう。
今後は彼が雄英高校でどんな授業をするのかが焦点に当てられるのではないか。そう思っていたはエンデヴァーの事務室に呼び出され、出された業務命令に目を見開いた。
「雄英高校からお前にオファーが来ている。には今後学校側から要請があった際に特別授業の講師として出張してもらう」
「えっ!?」


14 ちとせの夕暮れ



どうやらヒーロー事務所だけでなく、雄英高校にまで”エンデヴァー事務所の秘書”の噂が伝わっていたらしかった。
エンデヴァーから聞かされる”秘書”の武勇伝の数々には苦笑するしかない。彼の事務所で本格的に働き始めてからまだ1、2ヶ月しか経っていないのに、どんな強者認定をされてしまったのだろうか。
彼の机の前に立つ彼女の表情を見てそれもそうだなと渋い顔で頷く彼。
――私が事務所を空けることが不安なのかしら。
ふと、自惚れそうになった彼女だったが、すぐさまその考えを霧散させた。
「噂には尾ひれが付き物ですけど…私、そんなに凄いことした記憶がありません」
「ああ。だが、世間から見れば評価は高いみたいだな」
この評価の高さに二人して首を傾げる勢いだった。彼女がこの数ヶ月でやったことと言えば、事務所内をより円滑に回すことであったり、エンデヴァーと共にチームアップの為の挨拶を彼と一緒にしに行くだとか、あとは細々とした彼の用事を片付けることだけであった。
”謎の敏腕秘書”などと評価を受けること自体、想像してすらいなかったのだ。ホークスが噂になっていると教えてくれた時もそこまで本気にしていた訳では無い。そもそもヒーロー事務所では秘書自体が存在しないので、注目されるに至ったのかもしれないが。

顎に手を当てて彼女は雄英高校での授業を想像してみた。だが、焦凍がそこまで詳しく授業について教えてくれていたわけでもないので、ぼんやりとしたものになってしまう。
「…それで、私は何の授業をすれば良いんでしょうか?」
「雄英高校の相澤に連絡して聞いておけ。大方、事務所でどのように働くかを教えるような授業だろう」
眉を下げて少しばかり唇を尖らせるを見て、エンデヴァーはふうと溜息をついた。どうやら彼女が雄英高校に行くためにエンデヴァーと離れて働かなくてはいけないことに不安を感じてることを察知したらしい。
先ほどまでの二人の様子が逆転していた。
彼女の、いつもはまっすぐ先を見つめる瞳が自然と俯きがちになる。
「エンデヴァーさんと離れて働くなんて怖いです」
なんて、口を開けば出てきそうであった為、彼女はごくりと生唾と共にその言葉を喉の奥にしまいこんだ。
この世界で普通に暮らすために彼女は今エンデヴァー事務所で働いている。更にいえば、ここで働くことで彼に対して恩返しをしていきたいとも思っている。
エンデヴァーと一時的とはいえ離れることに不安を感じるが、その障壁を乗り越えた時にまた彼女は一歩”普通”へと近づくのだ。そして、何かしら事務所で活かせるようなことを得てくるかもしれない。
だから、が自ら「行きます」と言うのをエンデヴァーは黙って待っている。腕を組んで、を見やる彼。その目つきは至らぬ子供が足を踏み出すのを待つ父親のものだった。
手元に俯いていた視線を持ち上げて彼女は彼の青い瞳を見た。厳しくも、不器用に優しくも見守ってくれていた青い炎。ちかっと瞬いたそれに背中を押されて、は頷く。
「――分かりました。雄英で授業をしてきます。」
「そうか。では学校側に報告しておこう」
時間を要したが了承した彼女に暫し瞑目した彼。目を閉じてどんな感情を彼が隠したのか分からなかったが、それでもを見つめるその青い瞳からはを気遣う思いが少しだけ滲み出ているような気がした。

相澤、という者がどんな人物か知らない彼女であったが、実際に相澤に電話をかけてみれば彼が焦凍の担任であることが判明した。焦凍の話で少しばかり打ち解けた彼女は、彼に本題を投げかけた所、訝し気な声を上げられた。
「特にさんの授業に関して一任されていたわけじゃないんですが…校長に聞いておきます」
「そうだったんですね。すみません、お手数おかけします」
電話口の男の声は少し疑問に感じていた様子だったが瞬時にそれを消して対応してくれた。はその声を聴きながら、焦凍と担任の相澤という二つの要素によって、エンデヴァーが何を考えてこのように相澤を指名したか推測できた。ただの推測だが、彼は相澤経由で焦凍がどのように学校で過ごしているかを知りたかったのだろう、と。
「特別授業と言っても教師に緊急の用事が出来た時に来てもらう感じなんで、たぶん多くても週1くらいだと思いますよ」
「それくらいの頻度なんですね。安心しました」
連携されている情報を相澤から受け取った彼女はほっとして胸を撫でおろした。これでそこまで事務所に迷惑をかけずに済む。その様子が電話口でも伝わったのだろう、ふっと笑う声が微かに聞こえた。
「また後で授業について電話します」
「ありがとうございます」
失礼します、とお互いに礼をして終話ボタンを押す。抑揚のない、というよりは落ち着いた成人の男性の心地よい響きが耳の奥に残っている気がした彼女だったが、意識を切り替えて、机の上に置いておいた書類を捌く為にマグカップからコーヒーを一口飲んだ。

もうそろそろ退勤する時間にさしかかった所であった。プルルル、と無機質な音が自身の仕事用携帯から鳴る。画面を見てみれば、「雄英 相澤様」と出ているそれに彼女はすぐに受話器ボタンを押した。
「エンデヴァー事務所のです」
「お疲れ様です。相澤です」
数時間ぶりに聞いた彼の声にどことなく眠気を感じる彼女。何でだろう、相澤さんの声って低くて落ち着いてるから眠気を誘うのかしら。思わず小さな欠伸が出そうになった彼女だったが、彼の話に耳を傾ける。
「授業に関しては黒板に書くことを前提にしておいてください。パワポとかはいらないです」
「はい」
彼の言葉を聞きながら手近なメモにボールペンで走り書きしていく。話してもらいたいことはメインがエンデヴァー事務所で秘書としてどのような業務に携わっているか、ということだった。その他にも将来ヒーロー事務所のリーダー以外の立ち位置になった時に役立つ知識を披露してほしい、というものもプラスされるらしい。
対象は普通科、サポート科がメインであるがまれにヒーロー科にも授業をしてもらうことがあるかもしれない、なんて言われてしまった彼女は珍しく慌てた。
「そ、そんな…授業なんてしたことないですし、高校生に分かりやすく教える為にどういう所に気を付けたらいいか全然分かりません」
「確かに…一から自分で作るのは難しいですよね」
相澤がうーん、と声を上げて数秒沈黙が続いた。どうやら何か考えを巡らせているらしい。はサイドキックたちが情報交換したり、援護へ向かう様子を見ながら彼の言葉を待った。
「業務が終わった後に一緒に考えることも出来るんですが…そうするとだいぶ時間が遅くなるので、土日の昼間に打ち合わせするのはどうですかね」
「私は大丈夫です。でも普段中々休めないでしょうに、貴重なお休みを頂いて大丈夫ですか?」
さんが良いなら大丈夫ですよ」
相澤の休日を使って打ち合わせをすることに申し訳なくて彼の声色を伺えば、彼は特に声音を変えることなく、頷いた。詳しい日にちの候補はまた後でメールで送ります。と伝えられて彼女はほっとして電話を切った。
――現役教師の相澤さんが添削してくれるなら安心ね。
携帯を机の上に戻してぐぐっと伸びをすれば、隣で事務作業をしていたバーニンが「お疲れ様」と微笑んでくれた。


2020/07/12



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