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が咲き始めるこの季節。4月は皆明るい気持ちで外へと出ていく。
今日は焦凍の入学日。朝から出勤前に朝食を作っていたはパタパタといつもより慌ただしく動き回る。
その様子を眺めていた炎司は「少し落ち着け」と彼女を諭した。


10 夜に帰ってきますように




炎司の一言で慌てずに行動し始めたは、彼と共に食卓へ着く。今日からはついにも正式採用として働き始めるのだ。今までは徐々に身体を慣らすように勤務時間を増やしていっていたので、アルバイトのようなものであったが、今日からは正規の時間帯で働く為少し緊張する。
「新調したスーツ、おかしい所ないですか?」
「ああ。明るいグレーが春らしい」
それでもやはり、彼の秘書として働くのだからおかしい所があってはいけない、という思いが強い彼女は目の前にいる炎司につど質問してしまう。寝ぐせは無いか、とか彼にとってはどうでもいいことだろう。だが、いつもなら言わないようなコーディネイトの感想まで言ってくれたのだから、だいぶ彼はに早く落ち着いてほしいのだろう。
――私のせいで炎司さんの顔に泥を塗るなんてあってはならないもの。
いつにも増して気合十分な彼女は、気合を入れすぎて空回るなよと彼から厳しい言葉を貰った。

出かける間際に朝食の後片付けをしていたら、焦凍が起きてきた。
「焦凍くんおはよう」
「おはよう、
ふわ、と欠伸をした彼は今日から正社員として働くの姿を一通り眺めて「新しいスーツの方がよく似合ってるな」と頷いた。今まで着ていたのは就活用の黒スーツだった為、地味に見えていたのだろう。
スーツに関しては冬美と一緒に見に行ったこともあり、より春らしい素敵なデザインを見つけてきてもらったから、は彼の言葉に嬉しくなった。
「朝食の準備はもう終わってるから温めて食べてね」
「ああ。いつもありがとう」
「どういたしまして。焦凍くんも今日から学校でしょ。お友達出来たら教えてね」
「…ヒーロー科だから仲良しこよしじゃねぇと思うけどな。出来たら言う」
ぱぱっとお皿を元の位置に戻しながら話すという、彼の顔をしっかり見てゆっくり会話が出来ないことにはもどかしさを感じた。もう少し朝の時間でも焦凍や冬美と接する時間が取れれば良いのに、と思ったが、彼女が外で働きたいと望んだ結果でもある。そのうち上手くやりくりできるようになるだろうと自己完結して、彼女は「行ってきます」と焦凍の前を通り過ぎようとした。
――だが、手首を彼に優しく掴まれて立ち止まる。
「待ってくれ。これ、大したもんじゃねえが、お守り。が怪我しねぇように」
そっと手首を持ち上げた彼が、彼女の白い手首に華奢なバングルを付ける。それに目を見開く。
「焦凍くん、わざわざ探してきてくれたの?ありがとう」
思わずがぱあっと咲き乱れる。それに彼がふっと笑った。
細さを調節できる仕様らしくバングルの端と端をぎゅっと握って手首から落ちないようにする彼。
「これじゃあ外れないわ」
「外さなくても良いだろ。もし汚れたら新しいの探すから」
の手だけでは外れないようにした彼の意図は彼女には分からなかったが、それでもお小遣いを使って買ってきてくれたのも事実であり、外れなくても何ら困ることはない。彼女はバングルを太陽の光に透かして眺めた。
金の輪にの誕生石が一つ埋め込まれているだけの、シンプルなデザインのそれはたとえスーツの袖から覗いたとしても悪目立ちするようなものではない。
時計をしている方とは逆の腕に付けてくれた彼によく見ているなと感心したくなった彼女だったが、それよりも先に彼の顔を見上げる。
「大事にするね」
「ああ。あいつの事務所で働くなんて心配だからな」
ふっと彼が微笑んだと同時に玄関から炎司の「!」と呼ぶ声が聞こえる。それにはっとしては彼から離れる。それにどことなく不服そうな焦凍。
「また夜にね。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてな」
手を振るに小さく手を振ってくれた彼を確認して、は玄関へと急いだ。

ハイヤーで通勤することに関しては未だに慣れない彼女だったが、満員電車に乗り込む必要がないのは本当に気が楽だった。
「今日のスケジュールは11時にインゲニウムさんの事務所へ行き挨拶をし、その後は一旦事務所に戻る予定です」
「分かった」
スケジュール蝶を確認しつつ彼に今日の予定を伝えていく。は秘書として雇われているが、実質エンデヴァーの何でも屋という立ち位置だった。秘書らしいことも勿論するが、総務面や営業面も割り振られる。
その仕事の中でも、彼女にまず与えられたのはエンデヴァーと共に他事務所へ挨拶しに行くこと。これはエンデヴァー自ら考案というよりは、が提案したものだった。と誰かしら一人で挨拶しても良かったのだが、あのエンデヴァーが自ら足を運んだ、という事実があった方が他事務所もより円滑に連携が取れそうだと思って。
「あまり気負うなよ」
「ありがとうございます。困ったらすぐ助けを呼びますね」
「俺が待機中に頼む」
ふっと笑った彼の軽口にそうですねと笑って頷く。その和やかな空気に運転手も楽しそうにアクセルを踏んだ。
移動時間の間を有効活用する為に書類を取り出した彼。それは昨日の報告書であった。その方向書1枚1枚には重要な所に赤マーカーで印をつけてある。これはがサイドキックたちにお願いしたことであった。どれも重要な情報だと思うが、彼が一目でどの部分が特に重要なのか分かりやすくすることで業務がより円滑になる筈であると伝えた所、皆快く頷いてくれたのだ。
更にそこからが精査して、重要な書類順に並べ替えてある為彼がより素早く情報収集できるようになっている。
腕を組んで報告書を読み始めた彼を確認して、は今日のシミュレーションを頭の中で始めた。

エンデヴァーの部屋に一番近い所に席を置いてもらっているはそこでサイドキック達や、事務の職員から集められた書類の再査をしていた。重要性の高い順に並べ替えつつ、でも処理出来る案件であれば目を通して承認印を押していく。
承認に関しては、エンデヴァーから権限を与えられてはいるが、彼が把握しておかないと不味い為、後で連携しなくては、と付箋に走り書きをして手帳に貼っておく。インゲニウムのもとへ移動するときに報告しよう。
ちゃん!お茶いる?」
「ありがとう、バーニン」
隣の席にいるのはあれからだいぶ仲良くなったバーニンだった。彼女との性格は正反対に近いが、だからだろうか、は彼女に惹かれる。それはバーニンも同じだったようで、時々こうして隙間時間に会話することも珍しくなかった。
マグカップに紅茶を注いでくれたバーニンに礼を言って口を付ける。ダージリンの香りがふわりと鼻腔を駆け上るとリフレッシュされた。
その勢いのまま書類を片付けていれば、いつの間にか出かける時間間際になっていた。
「あ、準備しないと」
「名刺忘れないように~!」
鞄を持ち立ち上がった彼女に、隣でバーニンがニヤリと笑う。確かに挨拶をしに行くのに名刺を忘れてしまったら意味がない。あとは菓子折りを持って…と鞄に綺麗に詰め込んでいく彼女。
鞄の隣に紙袋に入った菓子折りを置く。他にも必要な物を鞄に詰めて立ち上がると同時にエンデヴァーの部屋の扉が開いた。
、行くぞ」
「はい」
「行ってらっしゃい!!」
彼が扉へと向かうのに慌てては追いかけた。扉を通り抜ける際に、サイドキックたちからの言葉に「行ってきます」と返して、彼女はエンデヴァーの一歩後ろに追いついた。
「インゲニウムの事務所までに出来る仕事はあるか?」
「はい。総務から上がっている書類も合わせると62枚はあります」
エレベーターで下に向かう中で、移動中の仕事内容をエンデヴァーに伝える。枚数は多いが、が承認したものもいくつかあるので、多少時間は削減されるだろう。
頷いた彼を確認して、はエンデヴァーの事務所からそう遠くないインゲニウムの事務所のことを思い浮かべる。彼のことをある程度調べていた彼女は彼の相棒が65人もいることに驚いていた。
エレベーターを降りて、ビルの前に止まっているハイヤーにエンデヴァーが乗り込み、続いてが乗り込んだ。
「インゲニウムさんの事務所も大きいですよね」
「ああ。サイドキック達の数だけで見れば奴の方が上だな」
書類に目を通しながら相槌を打つエンデヴァー。その声に棘は含まれていない。彼女はそういう所では競争意識はないのかと自己完結して、持ってきたファンレターを開いて読み始める。
「そういえばインゲニウムさんは弟さんがいるそうで…ちょうど今年から高1になったらしいです」
「確か雄英だったか…家族皆がヒーローなのだから末弟がヒーロー科を選ぶのもおかしくないだろう」
電話でアポを取る際にサイドキックが教えてくれた情報。弟が雄英のヒーロー科へ進むことを我が事のように喜んでいたらしいので、きっと話題にしたら快く会話をしてくれるだろう。そう見越してエンデヴァーに伝えれば、既に彼は知っていたようだった。彼の情報網もまた広い様子。
ぺら、とファンレターを捲れば、そこにはエンデヴァー宛ての熱い思いの丈が認められており、は思わずふふと笑った。
「変なことが書いてあったのか」
「いえ、皆さん、エンデヴァー愛が強くて。…私も負けてられないですね」
ミミズのようなのたうち回ったような字から丁寧に丁寧にと意識しすぎる余りに震える字。どれもにとっては情熱的に感じられた。まるでラブレターのようにも感じられるその手紙たちに、本人ではないのに胸が熱くなる。何せ、彼女もまたエンデヴァーの部下であり、ファンの一人であるから。
じっと手紙を見つめていた彼女に、彼が鼻を鳴らした。
「お前はそこらのファンたちと違って俺と働いているだろう」
言外に他者を気にする必要はない、と言われたような気がして、彼女は目をぱちくりと瞬いた。
「炎司さんのデレ、珍しいですね」
「……!」
「ケー!!!」
思わず思ったことを口にしてしまった彼女は、彼からのギロリとした視線に射抜かれる。「あら」と思った所でもう遅かった。彼からぶわっと噴出した炎。それに運転手がゲラゲラと笑って。
「あつ、熱いですって」
「すまん」
彼の羞恥を煽るようなことをしたのはであったが、車の中で蒸し焼きにされても困るので彼から距離を取って宥める。彼もすぐにここが車内であることを思い出し炎を身体の中にしまったが心なしかハイヤーの天井が焦げていた。


2020/04/24





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