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とうとう以前から決められていた職場体験の当日になった。
はぱちりと目を覚まして布団から起き上がりぐぐぐと身体を伸ばす。丸窓の障子を開けて窓の外を見れば風が強いものの晴れであった。
――頑張らないと。


08 目の中に青い炎がありました



特に炎司に何かを言われたという訳ではないが、前日までに他のヒーロー事務所含めて、世間でのヒーロー事務所の評判や仕事内容などをネットで検索して頭に入れておいたはそれを頭で思い出しつつ朝食の準備をしていた。
と言っても、前夜に冬美が粗方下ごしらえをしておいてくれたおかげで、ほぼほぼ最後の仕上げをするだけで済んでいる。味見をして完璧だと確信したは器へと盛っていく。
「おはよう。スーツ姿は珍しいな」
「おはようございます。だって今日は炎司さんの事務所へ行くんですよ」
部屋着で現れた彼に挨拶をするが、どうやらスーツ姿に驚いた様子。気合入れないと、と続ければ服装は自由で構わない、と彼は平生通りの表情での気合をへし折ろうとする。それに思わず笑えてしまっただったが、今日はのんびりと食事をしている場合ではない。
子供3人分の料理はそのまま鍋やフライパンに入れたままだが今日はゆっくりしている時間は無いため、許してもらえるだろう。炎司の前に腰を下ろしていただきます、と食事を始めた。

炎司と共にハイヤーに乗って暫くしてエンデヴァー事務所へと着いた。家を出る際には私服だった彼も、事務所の更衣室で着替えて既にヒーローコスチュームに身を包んでいる。
「こっちだ」
「はい」
大きなビルの中を歩いて、彼のサイドキックたちが集まる部屋へと向かう。ゆく先々で「おはようございます!」と大きな挨拶をされる炎司に、は緊張を覚えながらもどこか誇らしい気持ちだった。
彼に導かれるまま大きな扉の先に足を踏み入れる。一歩踏み込んだ瞬間に、全員の視線がエンデヴァー、次いでへと向けられる。
「おはようございます!エンデヴァー」
「ああ、おはよう」
30人以上いるサイドキックたち一人一人から朝の挨拶をされる彼の後ろで、はどくどくと緊張から心臓が脈打つのが分かった。どことなく口も乾いている。
彼の仕事部屋の前で立ち止まった彼は全員に集まるようにと声を上げた。
「今日から3日間事務所を彼女に見学してもらう。秘書として雇うつもりだ。皆、面倒を見てやれ」
です。よろしくお願いします!」
色取り取りのヒーローコスチュームを身に纏った者たちに目をチカチカさせていただったが、炎司に背中を押されて一歩前に出る。一番後ろにいる人物までに声が届くように声を張り上げてお辞儀をすれば、各所から「よろしく!」と暖かい声が上がる。
ほっとして顔を持ち上げれば、一番前で聞いていた金色の炎の髪の女性と目が合った。好戦的な笑みを浮かべた彼女は特に何も言わなかったが、は彼女の顔を見て「あ、」と思い出す。
確か彼女はがこの世界に来た当初、敵に襲われて傷を負った所を応急処置をしてくれた女性だった筈だ。

それぞれの持ち場へと戻っていったサイドキック達を見て、炎司はを仕事部屋へと招き入れた。多くの人の目に晒されることなど大変久しい感覚だったは、漸く炎司のみの空間になりほっと一息ついた。
「緊張しているのか」
「はい。轟家の外にいるから、というのもありますが…」
椅子へと座った彼の前に立ち苦笑する。社会人としての感覚など1年も家政婦をやっていればどうしても薄れてしまう。その感覚を取り戻すだけではなく、今回は採用されないと意味が無い。
――とはいえ、3日間採用試験に時間を取ってもらう、なんて聞いていなかったから少なからず驚いた。
そうか、と頷いた炎司は一枚の紙を引き出しから取り出してへ渡した。
それは雇用条件が書かれた紙だった。採用試験とは関係ないが、しっかり見ておけと言われた彼女は頷いてそれに一通り目を通した。
――すごい、前職の時よりもだいぶ好待遇。
目を見開き驚いた彼女だったが、彼が口を開いたことではっと意識を彼に集中させる。
「今日から3日間お前に与える課題は、“この事務所の改善点を見つけること”だ」
「…!」
エンデヴァー事務所の改善点を探す。情報収集していたにはその難しさがよく分かった。彼の事務所はヒーロー事務所の中でも大手だ。サイドキック達だけで30人は超えているのだから、事務の方までもしっかりと形が出来上がっている筈だ。
その中から改善点を探すというのは、1年のブランクがあるにとっては険しい道のりだった。
「…改善点は何でも良いんですか?」
「ああ。いくつ出しても構わん。評価の仕方は的を得ているかどうかだ」
「分かりました。尽力します」
思わず「難しいですよ!」と言いたくなるだったがそれを飲み下して彼の言葉に頷く。こんな厳しい試験を他の者にはしていないだろう。きっと、自分がまだ社会復帰をするのが早いと思っているから課題を重くして一旦落とそうとしているに違いない、と彼女は考えた。
だが、彼女の気持ちはその程度の難易度でくじけるようなものではない。
――必ず受かってみせます。
彼女は炎司に対してにっこり笑った。

に与えられた権限は、このビル内なら許可を得ずとも移動できること。だが、トラウマの件もあるので、サイドキック達の部屋から出る場合はまず炎司に移動する件を伝えて案内係を一人伴って歩く必要がある。
一日の中でがこの事務所で働くことが出来るのはたった3時間。時間帯によって仕事内容も違ってくるだろうからその点に関しては目を瞑ってくれるらしい。
まずはサイドキックたちの働き方について見学させてもらおう、と炎司の仕事部屋から出てノートとペンを持つ。仕事の邪魔にならなければいくらでも話を聞いて良いと言われている彼女は誰に話を聞こうか、と周囲に目を配る。
すると、パソコンの上に「質問OK」の張り紙がいくつか貼ってくれている人たちに気付いた。はそのうちの一人の、先ほど目がばっちりあった女性の所に足を向けた。
「バーニンさん、今お時間良いですか?」
「もちろん!どうしたの?」
彼女に話しかけてみれば、彼女は丁寧にもパソコン作業をいったん止めて立ち上がってくれた。口を開こうとしただったが、何故かバーニンが先に「そういえばさ」と声を上げた。
さんと1年前に会ってるんだけど、覚えてる?」
「はい。あの時は応急処置ありがとうございました」
「良かったー!覚えててくれたんだ!」
どうやら、1年前に応急処置をしてくれたことを彼女も覚えていたらしかった。二カッと笑った彼女があの時は怪我が酷かったけど今は元気そうで良かったと背中をぽんぽんと叩く。その手の暖かさに彼女は思わず言葉を失う。
ヒーローが困っている人たちのことを助けたいという思いがあることを知っていたし理解していたつもりだった。だが、時間が経った今でも昔助けた人物のことまで覚えてくれていて、尚且つ、こんな風に親身になって話してくれるとは流石に知らなかった。
「あの時のことがトラウマで中々外へ出られなかったんですが、炎司――エンデヴァーさんにチャンスを頂いたので、採用試験受かりたいんです」
「なるほどね!試験内容はエンデヴァーから聞いていたけど絶対無理ってわけじゃないし、色々聞いてね」
「ありがとうございます。では、早速なんですが…」
ふむふむと真面目に元気に話を聞いてくれていたバーニンに彼女たちが行っている業務内容を質問する。彼女たちは基本的にパトロール組と待機組に分かれて仕事をしているらしい。また緊急要請や警護依頼、イベントオファー等1日100件以上の依頼を捌いているという。
「これだけ人数がいてもフル稼働で回してるから休憩時間ほとんど取れないんだよね!」
アハハと大口を開けて笑う彼女に、周りの席のヒーローたちが「そういう裏事情は言って大丈夫なのか!?」と慌てているが、はにこりと笑った。
「ありがとうございます。皆さんのおかげで私たちは安心して暮らせるので」
その言葉に、周囲でざわついた者たちもほっとしたように微笑んでまた自分の業務へと戻る。
どこの企業にだって、好条件の中にも厳しい部分は必ずあるのだし、ヒーロー事務所は人助けの為の仕事だ。人の命と休憩時間を天秤にかけてしまえば、ヒーローたちは迷わず人の命を取るだろう。
――だからこそ、ヒーローたちは尊ばれるのだ、とは理解していた。
ふわり、と脳裏に浮かび上がるのは、あの時誰よりも早くを助けに来てくれた炎司だった。あの青い瞳が敵を見据えてチカチカと眩く光る様に、まるで目まで燃えているのかと思った程。
『安心しろ、今助けてやる』
にとっては絶望しかないあの状況で、希望の光を差し込んだ彼。彼が家族に手酷い仕打ちをしたのは知っている。だけど、彼女はあの時猛々しく燃え盛った炎の輝きを今でも覚えている。
だから、いずれはそういう面も含めて彼を見れるようになっていってくれれば、と思うのだ。


2020/04/21



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