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「姉ちゃん!ちゃん、俺第一希望に受かった!」
ダダダ、と台所に駆け込んできたのは珍しく破顔した夏雄。その表情と言葉に驚きのあまり固まっていたは、漸く意味を理解して隣で同じく固まっている冬美と抱き合った。


07 誰にでも等しい歩幅で



嬉しさのあまりに台所中を桜の花びらで覆いつくしてしまったは、自分の個性のコントロールが利かないことを謝りつつ花びらをゴミ袋に一つにまとめた。
「でも本当に良かった…夏雄くんあんなに頑張ってたもんね」
「姉ちゃんにもちゃんにも1日10時間は勉強しろって言われてたしなぁ」
「そのおかげで合格できたんだから良いじゃん!」
一旦お茶を淹れて会話に花を咲かせる3人。それだけには留まらず、お祝い用に、と予め夕食後のデザートとして買っておいたケーキを取り出して食べ始めてしまう始末。美味しいね、と舌鼓を打ちつつ、入学金のことやいつから学校だとかを楽しそうに話し出した夏雄に、は目尻が下がった。
「まずは夏雄くんが第一志望に受かって良かったわ」
「……その件だけど、第一志望だと一人暮らししないといけないから迷ってるんだ」
「夏、あれだけ行きたいって言ってたじゃん」
ほう、と安堵の溜息を吐いたは次は焦凍だと既に頭を別の方向へ働かせていたが、思い悩む表情で告げた彼に目を見開く。同じく、彼の言葉に驚きを隠せない冬美の言葉には頷いた。せっかく第一志望に受かったのだから行くべきだ。
彼が抱える不安は、大学との距離が遠く、家との往復が3時間かかること。一日3時間あれば十分に勉強ができる時間だ。何度か乗り換えもするので電車に乗っている時に集中して勉強することは難しい。せっかく将来に向かって勉強出来るようになったのに通学時間でそれを無駄にするのは勿体ない。
だが、この家を出て家事の負担を全て姉とに押し付けることになることも申し訳が無い、と。先ほどまでの笑顔が消えた彼に、は目を伏せて思案する。
が来るまでは冬美と夏雄が交代でご飯を作っていたが、それ以外の所は冬美が全て行っていたという。漸く、受験が終わって少しでも家事の負担を減らせる筈だったのに、家を出ないといけないのだったら、より家に近い第二志望や第三志望の方が良いのではないか。
悩みを打ち明けた彼に、は黙り込んだ。社会人だったからしてみれば、一人暮らしをすることで夢に一歩でも近づくことが出来るのなら出た方がいいと思う。だが、轟家の内情を知っている身としてはそう簡単に夢に向かって頑張れと無責任に背中を押してやることは出来ない。
重くなった空気には暫し逡巡したが、黙り込んで考えている冬美の代わりに口を開いた。
「…何とも言いにくいけれど、夏雄くんがどれだけ頑張ってきたのかは、ずっと見てきたからよく分かるの。将来の為に逆算して選んだ大学に行くか行かないかの選択は大きいよ。この家のことは一度おいておいて、」
――夏雄くんはどうしたいの?
今まで夜遅くまで頑張っていた彼の姿を見守ってきたはそれらの光景を思い出しながら、問いかけた。その言葉に彼はぐっと眉を寄せる。
「…第一志望に、行きたい」
「………」
彼の言葉を聞いて冬美の強張っていた目元がゆっくりと弛緩していく。はそれを見て、新たに口を開くことはしなかった。夏雄の気持ちも、冬美の気持ちも今まで聞いていたからこそ、があれこれ言えるようなことではない。
「分かった。家のことは私たちに任せて、夏は好きなことやりな」
「姉ちゃん……」
どこか吹っ切れたような面持ちで笑う冬美に申し訳なさそうに頭を下げる夏雄。はそんな二人の顔を見てぽんぽんと肩を叩いた。春からは炎司の事務所で働く可能性が高いが、今まで以上に頑張ることを伝えれば、彼は少し安心した様子でありがとうと微笑んだ。
――大丈夫、炎司さんに言われた通り、私はこの家を守るよ。


嬉しい報告というものはどうやら続くらしく、焦凍も無事に雄英高校に受かった。
その為、今日は二人分のお祝いをまとめて行ったのだが、炎司は敵が出現したことによって警察への報告等で帰宅が遅れてしまい、一緒に食べることは出来なくなってしまった。
珍しく家族皆が揃うか、とウキウキしていた冬美の表情が残念そうになったが、すぐに持ち直していつも以上によく喋る。
ご馳走が並ぶ食卓に炎司もいてくれたら、とは思ったが夏雄と焦凍の精神衛生を考えるとタイミングが良かったのかしら、と複雑な心境だ。だが、よく食べ、よく飲み、家族らしく会話をする彼らを見ていると胸が暖かくなる。
「夏兄はどこで暮らす予定なんだ?」
「一応寮があるからそこかな。申請書出す必要あるけど」
「学業で忙しいかもしれないけど自炊頑張ってね」
「そうだよー、全部総菜で済ましてたらバイト代いくら稼いでも足りないからね」
「うわ、きっつー」
あはは、と暖かい笑い声が居間を満たしていく。ふと、夏雄が提出するという申請書のことで、親権者からの判子がいるのではないのか、などといらぬ心配が沸いただったが、あえてここで口にするような内容でもないだろうと飲み下す。
――流石に炎司さんからちゃんと判子もらうよね。
心を落ち着かせた彼女は竜田揚げを口にぱくりと入れる。
「そういえばちゃんも春からお父さんの事務所で働くんだよね」
「え」
ね、と嬉しそうにに話を振った冬美に神妙な顔で固まる男二人。眉を寄せる夏雄に表情筋は一切動いていないものの一気に暗くなった焦凍の顔を見て、は苦笑した。
「まだ決まってないけれど、一回働き方を見て社会復帰できるか確かめてくれるみたい」
「…わざとあいつの前でミスを連発したら良い」
「いいな、それ。あいつの秘書なんて危ない危ない」
「もー!二人とも!」
大真面目な様子で焦凍と夏雄が頷き合う様子を見て、冬美がこらと声を上げる。はこの二人の気持ち的に中々事務所で働くことは受け入れてもらいにくいだろうと推測してはいたが、予想していた通りで苦笑するしかない。
「心配しないで。まずは職場体験で確認してもらうから」
「そうそう!ちゃんだって普通に働きたいよね」
スープを飲みながら援護射撃してくれる冬美の言葉にはうんうんと大きく頷いた。今までは轟家にお世話になっていたにすぎない状態だったのだから、しっかりと炎司の事務所で働いて今まで通りお給料を貰って、更にそのうちの一部を住居費や食費として納めさせてもらうのが社会復帰の第一歩というとこではないだろうか。
そのようなことを二人に伝えれば社会人とはそういうものなのか、と微妙な顔をして一応は納得してくれたようだった。
「だからもし外で働くようになったら家事は交代制で良いんじゃないかな?」
「冬美ちゃん、ありがとう」
「俺も出来るか分かんねぇが、なるべく手伝うようにする」
不安要素だった家事のことを冬美が皆でカバーする方法については台をすり替えてくれたおかげで炎司の事務所で働くことに関しては食い下がられることはなくなった。
特訓に精を出さなくてはいけない焦凍も何かしら頑張る、と言ってくれるのではへにゃりと笑った。
「俺も週末帰って来て力仕事とか手伝うから」
「夏はそんなこと気にしなくても良いのに」
慌てて何かできないかと思考を巡らせていた夏雄が庭掃除とか重い物の買い物とかさ!と声を張り上げる。何とかして姉弟の力にならんと提案し続ける彼に、冬美があははと笑う。もそれにつられて笑えば、焦凍は居心地良さそうにしながらさりげなく最後の竜田揚げを大皿から取って行って夏雄が悲鳴を上げた。


2020/04/18

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