mha

待ちに待った金曜日。朝早く目が覚めたはいつも以上にるんるんとした気持ちで布団を畳む。
思わず身体から溢れ出したの花びらに苦笑する。この個性をコントロール出来ていないおかげで周りの人間にはの感情が駄々洩れで伝わってしまうから。


04 死ぬまでいなくならないで



朝食の準備をして緑茶を淹れていると部屋着の炎司が腕を組みながらおはようと居間に入ってきた。おはようございます、と彼に微笑んで、ちょうど淹れたばかりのそれを席に着いた彼の前に置く。
「昼食は冬美に頼んでおけ」
「はい。昨日のうちに頼んでおきました。なので今朝は私が担当です」
ず、と緑茶で喉を潤した彼の言葉に頷く。昨夜のうちに今日の昼食を冬美に頼んでおいた彼女は、冬美から久しぶりの外出を楽しむように言われていたのだ。「お父さんがいれば安心でしょ」なんて笑顔で付け足されて。
確かに、NO.2のエンデヴァーに護衛をしてもらって――という言い方には語弊があるかもしれないが――外出となれば、は安心して外を歩ける。今までも外出に付き添ってもらうのは全て彼だった。まだ片手で数える程しかないけれど。
朝食は和食だ。既に味噌汁も和え物も出来ているからあとはアジの開きを焼くだけ。普段仕事で中々家族と食事をする機会がない炎司に、は時計を見上げてあと30分程で起きてくるだろう冬美の名を出す。
「朝食はもう食べられますけど、冬美ちゃんが起きてくるまで待ちますか?」
「…いや、先に食べてトレーニングをしておく」
だが、彼は一瞬逡巡したが、先に食べる選択をした。そのわずかな間に考えたことをは推測した。
――私と出かけるから、本来その時間に充てる筈だったトレーニングを朝一で行うのだろう。
特にの名を出さずに簡潔に述べた彼に微笑んで彼女はグリルの火をつけた。が気にしないように気を使ってくれた彼。そういう優しさを垣間見ると、そういう部分を轟家の人たちにも知ってほしい、と思う。
「熱いですから気を付けてくださいね」
「ああ」
彼の前に配膳をしていき、最後に焼き終わったアジを置く。も味噌汁とご飯を少しだけ盛り付けて自分の前においた。
「いただきます」
一緒に手を合わせて食事を始めれば、彼はアジの開きを口に入れて「む」と声を上げた。心なしか目が輝いているような気がしなくもない。
「これは、美味いな」
「本当。美味しいですね。夏雄くんに買い物を頼んだんですけど、どこで買ってきたんでしょう」
小首をかしげた彼女は、たまたま冬美がいない時に外へ行く夏雄を見つけて買い物を頼んだ時のことを思い出す。魚の選び方など高校卒業時の男の子はろくに知らない筈。ということは、たまたま購入した店の魚の仕入れが良かったということだ。
後で聞かなくては、と目を輝かせる彼女は炎司から口の端に米粒が付いているのを指摘されて顔を赤くした。

「じゃあ行ってきます」
ちゃん、お父さんと逸れないようにね」
わざわざ玄関まで見送りに来てくれた冬美にええと頷く。こんな巨躯の炎司から逸れることなどないだろう。彼女の優しさに再度ありがとうと言って、外で待つ炎司に足を向ける。
久しぶりに履いたパンプスの履き心地を確かめるように歩く彼女を待つ炎司。彼の隣に立てば、特に何も言わずに歩き出す。前回彼と出かけた時のように、歩幅が違う彼女は早歩きをする心の準備をしていたが、その必要が無かったことを理解して彼の顔を見上げる。
「ありがとうございます」
「何がだ」
にこっと笑った彼女の言葉に疑問符を頭に浮かべる彼。どうやらごまかすつもりらしい、と察した彼女はふふと笑ってなんでもないですと首を振る。
「そういえば、炎司さんに似合いそうなジャケット、いくつかピックアップしておきました」
「そうか」
「駅前の商業施設の中に入ってる店舗なんですが、これと、これと…あとこれですね」
「どれも色が良いな。だがサイズ次第だな。終わったらお前の買い物にも付き合おう」
赤信号で立ち止まっている際に、昨日までに調べておいたジャケットの写真を彼に見せる。どれも彼が来た姿を脳内に描いて似合うだろうと判断したものだ。相変わらず仕事が早いな、なんて褒められた彼女は外出している緊張感が解れた。
尚且つ自分の買い物の時間まで確保してくれる彼に嬉しくなった彼女は、昨夜のうちに新しくほしい洋服と化粧品等をSNS上で探しておいて良かったと胸を撫でおろす。
――外に出られることは喜ばしいことだが、いつどこから敵に襲われるかと頭に浮かんでしまう彼女にとっては心身にストレスがかかるのもまた事実。
彼が午前中だけ、と時間を限定したのもその負担を少なくする為だと彼女は理解していた。その為、買い物にあまり時間をかけずに済むように店舗の選択をしていたのだ。
「おい、ぼんやりするな」
「あ、ごめんなさい」
青信号になって再び歩き出した炎司にはっとしてすぐに彼の隣に並ぶ。たった一歩遅れただけなのに、どくんと大きく脈打った心臓。やはり、そう簡単にトラウマを忘れることなんて出来なかった。
だがこの外出は、そのトラウマを徐々に和らげていくためのものでもある。は隣を歩く炎司の横顔を見上げてほっと一息吐いた。
――この人から離れたら私は物理的に死んでしまうだろう。

炎司のジャケットは全てしっかり見比べて一つのものに絞り、購入することができた。これで寒くないな、と呟いた彼に思わず笑みが浮かぶのは仕方がない。彼の個性を持ってしてもやはり2月の風は堪えるのだろうと。
続いての買い物だ、とレディースの階に向かう彼に「こことここのお店に行きたいです」と柱に貼ってあるフロアガイドの店舗の位置を指し示す。
目的の店に入り、予め探しておいた春用のトップスやワンピースを持って試着室に案内してもらう。まだ少し早いが、春に着るのが楽しみだ。
「炎司さん、ここにいてくださいね」
「ああ」
試着室はさすがに彼に一緒に入ってもらう、なんてことはできないので、外ではあるがすぐ傍にいることをお願いする。ほんの1メートル程しか離れない距離でも、彼女にとって、この部屋に入ってしまえば一人だという意識があった。
安心させるように大真面目に頷いた彼に、多少安堵して扉を閉める。ドキドキと心臓が脈打つのは緊張感から。以前であればにとってショッピングというものは一番好きな時間の一つであった。
どの洋服にしようか、と迷う時間、鏡に映る自分の姿を見て似合っていると確信した瞬間、それを着てどこに出かけようかしら、と想像する時間。それらは、この世界に来た瞬間に植え付けられたトラウマのせいでろくに楽しめなくなってしまった。
――良かった。似合ってる。
鏡に映る自分のワンピース姿を見ても、この一人きりの空間では心が弾まない。機械的に次の服に着替えて確認して、似合ったものとそうでないものを選別していく。それが一通り終わって、元々着ていた服を着て急ぎ気味に扉を開く。
目の前に現れた、少し退屈そうな顔をした炎司が瞳に映って、それだけで彼女は心の底から安堵した。あの時、死にかけていたを救ってくれた手が彼女の前にそっと差し出される。
「いらん服はあるのか?」
「…こっちがそうです」
の顔を見て、安心感から力が抜けたのを察知したのか、すぐさまやって来た店員に、が左に抱えている服を代わりに渡してくれた彼。
どくどくと五月蠅かった心臓も彼の顔を数秒じいっと見ていたら徐々に落ち着いてきた。会計へと促す彼について行き、鞄からお財布を出しお札――因みにこれは、炎司から給料として貰ったものの一部だ――を何枚か出す。
紙袋で綺麗に包装されたそれを受け取って、彼女はようやく満面の笑みを彼に向けた。


2020/04/17


inserted by FC2 system