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は轟家の外に出ることが叶わない。
正確に言うと、一人で外に出ることが恐ろしかった。
外は、美しくて目新しいもので溢れているけれど、同じくらい平等に悪意と暴力に満ちているように彼女には感じられるのだ。
窓の外を見つめる彼女を、焦凍が神妙に見つめていることを彼女は知らなかった。

03:花の夜明け


1年前、突然現れたを焦凍は最初警戒した。だが話を聞けば、彼女は正当に自身の父親と契約を結びこの家に来たことが分かった。腰を痛めて辞めてしまった前任のお手伝いさんからだいぶ長い間経っていたので、このまま母親の代わりに姉の冬美が家事をし続けるのかと思っていた矢先のことであった。
前任のお手伝いさんは年配の女性だったが、今回は焦凍と比較的年が近い女性。といっても20代らしいのだけれど。
「はじめまして、焦凍くん。今日からこの家の家政婦として住み込みで働くことになりました」
にっこり笑いたかったんだろう、彼女は。だが、実際は少しばかり引き攣った笑みだった。それに頬に残るかさぶた。
綺麗なだけでなくて可愛い面立ちをしている彼女の残念な笑顔と傷跡。それは焦凍の心に引っかかった。
――過去も、現在も、彼女の表情がひっかかるのだ。小さなとげが刺さって抜けないように、常にチクチクと。


中学から戻って来て「ただいま」と声をかけた筈なのに、返事がない。いつもならすぐに遠くからでも聞こえるように「おかえりなさい」とが返事をくれるのに。
家の中に気配はあるから大丈夫なはず、と居間に脚を向ければ、彼女は居間でテレビを見ていたようだった。
――」
だが、はっと彼は目を見開く。彼女が見ていたのは敵が人質を捕まえた様子。ぎゅっと握りしめた両の拳が失血して白くなっている。カタカタ、と震えるそれに焦凍は眉を寄せた。
返事を忘れていたのではない。返事が出来ない程に、この光景から目を逸らせなかったのだろう。
、ただいま」
「――!あ、お、おかえり」
あくまで日常を。そう思って、平生のように穏やかに彼女に声をかける。そのままリモコンでチャンネルを変えれば、彼女の強張っていた身体がほっと弛緩したのが見て取れた。
適当に選んだチャンネンが動物の癒し系の番組だったのが良かったのかもしれない。
「小腹が減った」
「あ、本当。もうこんな時間。おやつ作るね」
の隣に腰を下ろして、彼女の瞳を覗く。その瞳に先ほどのような恐怖がないことを探っていれば、彼女はそれに気づかないのかあんみつなんてどう?と提案してくる。
あんみつか。夕食前にはちょうど良いよな。なんて頷いて彼女と一緒に立ち上がる。鞄は居間に置きっぱなしだったが、今は彼女から離れはいけない気がしたのだ。
ぴったりと肩を並べて歩く彼女の旋毛を見下ろして「近いな」という言葉を飲み込む。普段であれば伝えていたが、今は仕方がない。多少歩きにくくても仕方がないのだ。それに彼女の香りがすぐ近くに感じられて心臓が歪に跳ねるけれど。
彼女が安心するなら何だって良かった。


――夜。お風呂も終わってあとは寝るだけの状態の焦凍は、縁側で寝間着のまま外を眺めているを見つけた。こんな寒い時期にそんな所で立ち尽くしていたら凍えてしまうだろうに。
昼間とは違って月明かりが彼女を照らすのが、余計彼女を儚くさせる。
――またあの顔だ。
彼の瞳には、彼女の物憂げな顔が映る。もうあの頃のように綺麗な肌に傷一つ残ってはいないけれど、その表情はまだ心に傷を残したままなのだと訴えてくる。
彼には、直接彼女に聞かないと、それが外への焦がれなのかそれとも忌避なのか分からなかった。
何と声をかけようか、そう逡巡した折だった。扉が開く音が聞こえる。だが、ぼんやりとしている彼女にはその音が聞こえなかったのだろう。いつもならすぐさま玄関へと向かう彼女はまだ外を眺めている。足音から帰ってきた人物が父親だということは分かっていた。顔を合わすのも嫌だったが、彼は何故か廊下の角から動けなかった。もし角を曲がられたら鉢合わせしてしまう距離に胸がムカムカとする。
「帰ったぞ。…、お前そんな薄着で阿呆なのか?」
「!おかえりなさい、炎司さん。言われてみれば、確かに寒いです」
父親に声をかけられた瞬間に、見えていなくても彼女の顔がぱあっと明るくなったのが分かった。だって、廊下の端にまで彼女の桜の花びらが舞い落ちたから。感情が大きく動くと現れる桜の花が、彼女の個性。
壁に背を持たれてその桜の花びらをそれとはなしに眺める。彼女にとって、どうしても父親は大きな存在らしかった。
「また飽きずに外を見ていたのか」
「…はい。まだ、怖いので、ちょっとずつ慣らそうかなと」
えへへと苦笑した彼女に対して父親がふんと鼻息を吐き出した。
「見てるだけでは変われんぞ」
「そう、ですよね」
先ほどとは違って萎んでしまった彼女の声。彼女のちょっとした努力を認めようともしない彼に焦凍は眉が寄った。自分にも厳しい彼は他人もそれが出来て当たり前だと思うのだ。だが、その後に続く言葉に彼は目を見開いた。
「俺の次の休みは金曜日だから準備をしておけ」
「!良いんですか?ありがとうございます」
彼の言葉に再度彼女の纏う空気が華やぐのが分かった。嬉しそうな彼女に午前中だけだが、と釘を刺したがそれでも彼女の嬉しそうな声はそのままだ。うふふ、と笑う彼女に、何も言わない父親。その様子からあの父親が彼女には絆されているのが分かる。
「今のジャケットが大破したからその代わりを見に行くついでだ」
「勿論です。似合いそうなジャケット、研究しておきますね」
呆れたような、それでいて仕方がない奴だ、と言うような声でそうかと頷いた彼は食卓へと向かう。それを追って、今日の夕食の話を始めた彼女の声が徐々に遠ざかっていくのを焦凍は複雑な心境で聞いていた。


2020/04/14
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