数年ぶりにまともに顔を合わせた従兄に目を見開いた。赤い髪は炎のように燃え、以前にも増して黄金色の瞳は強く光を発する。
筋肉も付き、甲冑を身に着ける姿は雄々しい戦の神を思わせた。だが、数年顔を合わせていなかったのに、どうして今更栄光を掴んだ彼が自身の所にやって来るのか分からなかった。


お前の全てを食い尽くす




 自身の棟でいつものように、夏秀と散歩をしていた折のことだった。、と彼女を呼ぶ低い声に振り返ってみれば、そこには煌帝国第一皇子としてあらゆる国を制圧して炎帝と恐れられている、自身の従兄が従者を引き連れて立っていた。
禁城にいる間は本殿にいる彼がなぜ後宮などに来ているのだろう、と数年ぶりにまともに顔を合わす彼に頭を下げる。昔であれば白徳の娘であるといっても同じ程度の身分関係であったゆえの、親しげな空気はそこにはない。
「紅炎殿、お久しぶりです」
「ああ」
あの時、大火で亡くなった白雄たちの葬式以来、彼と会うことは無くなっていた。まるで、を避けるように次々と戦争に赴く彼に、嫌われてしまったのだろうかと悲しくもなりその身を案じたこともあった。
彼は正統な皇太子となり、対しては故皇帝の妾腹の皇女と地位を落された。そんな自身と会うことで周りに悪影響を及ぼすから、きっとこれまでのように仲良くしてくれないのだろう、と当時のは思っていた。
わざわざ後宮にまで彼が足を運んできたのだから、きっと何か理由があるに違いない。そう思って彼の言葉を待っていただったが、いつまでたっても言葉を発することなく、じっと己を見てくるその強い視線に耐えきれず、不躾にも訊ねてしまった。
「本日は、どういったご用件で…」
何せ、数年ぶりに見た従兄はあの頃より更に身長が伸び、男らしさを増した美丈夫に変わっていたのだから。時折、図書館で会う紅明とはそれなりに顔を合わせていたから成長に驚くことはなかったが、それ程紅炎の成長は目を見張るものがあった。彼の凄まじい成長に対して、の成長など足元にも及びはしない。
「何、久しぶりにお前の顔を見たいと思ってな」
「そう、ですか」
お心遣い感謝します。隣国に嫁ぐ予定の無い彼女は、殿方を喜ばせる言葉使いなどを教育されてこなかった為、ただそう言うことしか出来なかった。
嬉しいのは事実。紅炎が自分を覚えていてくれたのだと、態々自分に会う為にここまで来てくれたのだと喜びを感じるのだが、それをどう失礼にならないように表せば良いのか、は分からなかった。
「元気そうで何よりだ」
「――っ紅炎殿も、次々と武功を増やしているようで…」
するり、と頬を撫でられてびくりと肩が跳ねた。幼い頃はこうして当たり前のように肌に触れあうことがあったが、今はもうそう簡単に触れてはいけないものであるとも分かっている。黄金色の瞳が何を考えているのか分からずに硬直していれば、その骨ばって大きな手はそのまま下にいき、首へとかかる。喉元にある親指に微かに力を込められたが、瞬間的に離れた彼の手にそれを疑問に思う暇も無かった。
「暫く帝都にいるつもりだ」
また来る。唐突にそう言ってくるりと背を向けた彼。少し遅れてはい、と頷いて去りゆく彼に頭を下げた。
いったい何だったんだろうか。威厳のある外套を風に煽らせて徐々に小さくなる彼の姿に、は首を傾げた。

 遠征から煌帝国へ帰ってきた折に、数か月ぶりに紅明と話をした。その際にの名前が出たことで、あの頃の忌々しい記憶が甦る。俺ではなく、白瑛に縋ったあの娘の記憶が。
忘れていた訳ではない。ただ、思い出すと沸々と怒りが湧いてくるから、それを抑えるように何度も戦争に赴いた。その度紅炎は勝利を収め、各国へとその名を知らしめていった。
あの時の怒りはまだこの胸に燻っている。ただ、当時の紅炎は彼女を力づくで手に入れても周囲から文句を言われないように権力を手にすることが先決だと思った。表では紅徳が皇帝になり、紅炎を正当な第一皇子として扱う者がほとんどだが、本当のところ彼らがどう思っているかなど分からない。
故第一皇子の白雄が驚くほどに優れた人物であり部下たちからの信望も厚かったことから、まず臣下たちの心を掴むことから始めることにしたのである。それを成すために何度も戦争で良い成果を齎し、数年も経てば彼の皇子たちに厚い信頼を寄せていた者たちさえも、今では紅炎のことを心から認めて尽くしている。
だから、そろそろ頃合いかと思った。
紅明の話を聞き、が暮らしている棟へと向かった。
「夏秀、あの雲は龍のようじゃない?」
「そうですね、でも私には鰻に見えます」
数年ぶりに目にした従妹姫は男の従者を傍に付けていた。従者の言葉にお腹が空いているの?と小さく笑うの声が聞こえる。大方白瑛がその身を案じて付けたのだろうと思ったが、忌々しいことには変わりない。
しかし、以前にも増して伸びた月光色の滑らかな髪に、すらりと伸びた身長。純粋に、美しいと思った、その姿を目に入れると先程の暗く重い感情はすっと消えていく。
白瑛より遥かに低いがだからといってずんぐりむっくりという印象を抱かせる程小さくは無い。紅玉より頭一つ分高い程度の身長だろうか。最近武の道へと進みだした末の妹を頭に思い浮かべてみて納得した。
15という齢でありながらも十分に女を思わせる美貌に成長したを見て、あの頃の独占欲が湧きあがる。
自分に気付いていない彼女たちにあと数メートルというところで声をかけた。振り返った彼女の面立ちに、数秒目を離すことが出来なかった。
あの頃と何ら変わらぬ白い肌に、亡き従兄たちを思わせる瑠璃の瞳と、母親譲りの緑の瞳。細くすらりと伸びた首の下には、幾重にも血管が張り巡らされているのだと思うと、それに手を伸ばしたくなった。
欲望のままに頬に触れれば肩を跳ねさせる。それは、他の男に触らせたことが無いからか。そのまま手を下に滑らせ、細い首に手をかける。
少しでも力を入れれば、この首はぐにゃりと折れてしまうだろう。それをしてみたいと思う。彼女の綺麗な顔が苦痛に歪むさまをじっくりと眺めたい。
あれだけ自分に懐いていたのに、あまりにも簡単に白瑛に縋りついたあの映像が甦った。欲望に、あの時の怒りが加わる。そっと親指に力を入れるも、瞬間的に力を抜いた。
ここで殺してしまっては、せっかくここまで美しくなった彼女を手に入れることすら出来ない。
首から手を放されたは全く紅炎の身の内に宿る獰猛な欲望に気付いていないようだった。そんな彼女を見て哂いを抑えきれない。昔と変わらず、彼女は愚鈍なままであったようだ。
その笑みを隠すように背を向ける。背後から彼女の小さな声が聞こえるが、それに振り向くことはしない。
徐々に、逃げる気も起らぬようにしてやろうと、紅炎は画策した。

 稽古が終ってから、部下からある連絡が来た。それは、紅炎が後宮にいるのもとまでやって来たという内容で。今まで戦争にばかり精を出していた男が、漸く動き出したのだと感づいた。
ぎり、と奥歯を噛み締める。あの男を寄せ付けるなんて、不用心な
紅炎のことは一人の武将として尊敬しているし、その理念は素晴らしいものだと思っている。彼は先帝の意志を引き継ぎ世界を一つに統一しようとしている。それには純粋に付いて行きたいと思う。だが、それとのこととは話は別だった。昔から、彼ののことに関しては気にくわなかったのだ。
一番血の繋がりがある白瑛より、従兄である紅炎を頼らせる彼に腹が立っていた。は私の妹だというのに、なぜ我が物顔で自分のもののように扱うのか。
それが、当時の白瑛の怒りであった。兄の白雄と白蓮たちはそれを、誰かに好んで頼れるならと黙って見ていたようだが、白瑛はそれに我慢ならなかった。
いつもよりやや速い足取りでの棟へと急ぐ。後ろに付く青瞬が少しばかり慌てた様子で歩いていたが、それに気を遣える程、白瑛の心は落ち着いていなかった。
!」
「お姉様」
何やら焦った様子でやって来た白瑛に、庭でお茶を楽しんでいたがどうしました?と不思議な様子で立ち上がる。御髪が…。ぽつりと溢して手を伸ばす彼女の腕をぐいと掴み、その勢いのまま腕に閉じ込める。
だが、掴んだその手首は放さずに。
「何か、されなかった?」
「特に、何も…」
紅炎がここを訪れたと聞き、居ても経ってもいられなかったのだと彼女に説明すれば、彼女は少しばかり赤くなった顔で頷いた。それに絆されそうになるも、本当に?と訊ねれば、頬と首を撫でられた程度ですと視線を斜め下にやった彼女が呟く。
それに、思わず彼女の手首をギリ…と絞めつけてしまった。よもや、数年ぶりに再会した彼女の肌に触れるなど思いもしなかった。その上、彼女はそれに少なからず胸を高鳴らせた模様。白瑛の瞳がぎらりと光った。しかし痛みに顔を歪めた彼女を見て、ごめんなさいねと徐々に力を抜いていく。不安げな様子の彼女を安心させるようにそっと微笑んで。
そっと痛めつけてしまった彼女の腕を持ち上げて、手首を露わにした。白い肌に、白瑛の手の平の痕が赤く残っている。まるで、鎖のようだと思った。出来ればその痕を首に付けて、誰もが白瑛のものであると分かるようにしたかったけれど、今はこれで良いかと自分を納得させた。
ちゅ、とに見せつけるように、その赤い痕に唇を寄せる。
「お、おねえさまっ」
顔を赤くして困惑する彼女を見て笑みが浮かぶ。口付けを止めることなく、その白い肌に吸い付く。ああ、甘い香りがする。この香りは皮膚の下の肉の香りだろうか。食べてしまいたい。思わす甘噛みをしてしまい、彼女の肩がまた跳ねる。
「西方ではこうやって挨拶をするのよ」
「そう、なのですか?」
漸く手首を解放した白瑛の言葉に、は熱くなった顔を持て余しながら彼女を見上げる。半分本当で、半分嘘。西方の男たちは女性の手を取り手の甲に口付けをするのが挨拶なのだが、彼女はそれを知らない。だがそれを噫にも出さず、ええと頷く。そうすれば、素直なこの妹姫はそれで納得するから。
そしてやはりそれで納得した彼女に笑みを零す。斜め後ろで青瞬が白瑛を咎めるように眉を寄せていたが、彼女はそれに見て見ぬふりをした。


2015/05/28

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