瞼の裏の君

「さて、そろそろ休憩にしようかのう」
昼時になってお腹を空かせた部下たちに声をかける。そうすれば彼らは「休憩だー!」と嬉しそうに食堂や自分の食べたい店へと散らばっていった。自身も、最後に作業台を見渡してその場を後にしようとしたのだが、ふと置いてあった日誌が目に入る。それは何年か前の自身の日誌だった。
ぱらぱらと捲っていくと、あるページで止まる。三年ほど前にやって来て一か月この街にいた少女と、自分たちの笑顔が映っている写真。

彼はあの頃の情景を思い出すように、瞼を閉じた。


 それは、わしが大工職職長になってから間もない頃だった。18歳という若さでありながら職長にまで上り詰めたわしはそれなりに楽しい毎日を送っていた。そんな時、世界に名を轟かせている白ひげ海賊団の船を修理する機会がやってきた。まだ入社して間もないわしは、社長であるアイスバーグから「十年に一度の修理なんだ」と伝えられ驚いたことを今でも覚えている。十年に一度、それではさぞかし時間はかかるだろうと思われた。
白ひげ海賊団の船の査定を任されて訪れた先で出会ったのが、例の少女――。彼女の第一印象は何というか、不思議だった。その船の中の誰よりも小さな少女。海風に長い間当てられてきた白髪はしかし痛みもなく、肌も雪のように白い。動物の耳が付いたフード付きパーカーとジーンズを着ているのに、首と耳を飾るのは高価そうなイアリングとチョーカー。普通なら不釣り合いな組み合わせなのに、なぜか彼女が身に着けていると様になっている。
何より目を惹きつけられたのは、彼女の赤い瞳。薔薇のように赤いそれは、見る者を惑わせるような力があるような気がした。
CP9の時の自分であれば、海賊など捕える対象でしかなかっただろう。けれど今は任務で船大工として暮らしている。それに任務とは全く関係ない少女だ、仲良くしてもバチは当たらないだろう。そう思って、わしはと一人の人間として接することにした。
「ねえ、カク。カクの仕事、今日も見せて」
「良いぞ。ただ、周りには気を付けるんじゃぞ?」
は白ひげ海賊団がこの街に滞在する間、毎日ガレーラカンパニーに訪れていた。今日もそれは変わらないようで、何が面白いのかわしの仕事をじっと見つめている。けれど、悪い気はしなかった。任務とはいえ誇りを持ってやっている自分の仕事に興味を持ってくれているのだから。
わしとは会って間もない上に少し年が離れているけれど、わしらの間には小さな友情が芽生えていた。それは彼女が自分の仕事に興味を持っていてくれているからかもしれないし、毎日毎日ここに来てわしやその他の奴らの仕事を勉強するように眺めているからかもしれない。だけど、何よりも、彼女が自分の遂行しなくてはならない任務とは全く関係が無い人間だからというのが一番強い気がした。任務の時の自分ではなく、本来の自分で接することが出来るから。
「今日は誰と来たんじゃ?」
「ナミュールだよ」
彼女と出会った初日で、彼女がどれだけあの船で大切にされているかを理解していたわしは、ここまで送って来てくれた今日の保護者は誰かと訊ねた。彼女から返ってきたナミュールという名は知らないが、きっと隊長の一人だろう。滅多なことが無い限り、あの船の隊長たちは部下に任せるよりも、自分から彼女にかまいたがるのだ。それほどまでに大事にされている少女。きっと、があの船からいなくなってしまえば多大な影響が出るのだろう。
「あら、。今日はカクの所なのね」
「あ、カリファ」
わしに連絡をしにきたこの会社の秘書、カリファにが笑顔で手を振る。最初、彼女はやけにカリファを警戒している節があった。よっぽどわしら男の方に警戒した方が良さそうなものを、なぜ――多少厳しそうだが――女性の彼女をあれ程気にしていたのだろう。今では、普通に会話出来るようになったものの、あの時は流石にカリファもどうすれば良いのか分からなさそうにしていた。
二言三言、わしにアイスバーグさんからの言伝をした彼女が消えてから、わしはに目を向けた。
「そういえば、はどうして最初カリファを嫌がってたんじゃ?」
なるべく深刻な雰囲気にならないように、笑みを浮かべながら彼女に訊く。彼女もその空気を感じ取ったのか、別にそこまで固くならないで「えーと」と言葉を選んでいた。
笑わない?と不安げに聞かれた言葉に「笑わん」と頷く。マルコたちにも内緒だよ?と言われながら差し出された小指に「ああ」と自身の小指を絡ませた。小さい、指だと思った。
確かに約束を交わせば、彼女はもじもじしながら拙い言葉を吐きだした。
「あのね、女の人はマルコたちを好きになっちゃうから……」
「??」
彼女の言うことは少し要領を得ない。どうして、女が彼女の保護者を好きになることがいけないんじゃろうか。
彼女もわしがいまいち理解してないのを分かったらしく、閉じかけていた唇を再び開く。
「男の人は、綺麗な女の人が好きなんでしょ?だから……」
「ああ、そういうことか」
彼女の言わんとしていることがやっと理解できて、思わず笑わないと約束したにもかかわらず笑いそうになってしまった。彼女は、あの保護者をカリファにとられるのではないかと危惧していたのか。なんとまあ可愛らしい嫉妬だろうか。
「私はいつも二人の一番でいたいの」
「そうじゃなァ、それは叶ってると思うぞ?」
わしが笑いそうになっていることを敏感に察知した彼女がむっとしながらこちらを見やる。それにすまんすまんと返しながら、わしは彼女の保護者を思い返した。あの一番隊隊長の彼も、四番隊隊長の彼もどちらもを溺愛しているように見えた。あれは、彼女が彼らの一番だと確信できるだろう。
「でも、知ってる?マルコは分からないけど、サッチはね、可愛くて綺麗な女の人が好きなの」
「まあそりゃそうじゃろ」
男なんて皆そんなもんじゃ。愚痴をこぼすように尖らせた彼女の唇はアヒルのようだった。それは気が気じゃないだろうなあと、彼女が敵視している女たちとはまた違うが愛らしい彼女に苦笑を送る。
「でもね、カリファはそうじゃないって思ったんだ」
「あやつはセクハラセクハラうるさいからのう」
彼女が言うには今まで見てきた女たちとカリファは違ったようだった。白ひげ海賊団の隊長たちとなれば、それはもう色んな女に媚を売られてきたのだろう。それを遠目に見てきても彼女は嫌だったに違いない。しかしカリファにそんな姿勢は見られない。彼女の保護者も別にそういった目で見ていないようだから、も彼女が彼女の大切な保護者たちを奪っていくような女ではないと安心して、仲良く出来るようになったのだろう。
「カリファはねー、良い匂いがするし優しいから好き」
「そうかのう、あやつわしらには厳しいぞ?」
初めて女の人が好きになった、と言うは彼女の自分たちに対する行為を知らないからそんなことを言えるのだ。確かに同じ機関の仲間ということもあって他の人間たちよりは心を通わせているだろうが、彼女が次々自分たちに与えてくる仕事量の多さと言ったら。容赦なくアイスバーグさんにも蹴りは入れるし、少しでも意に沿わない事を言うと「セクハラです」とばっさり切り捨てられる。
に向ける優しさを少しでもわしらに向けてもらいたいと思うのはわしの我儘じゃろうか。カリファの奴も、何だか彼女のことをけっこう気に入っているみたいだし、仕方がないかのう。
彼女がわしらにしてきた所業をに伝えれば、そうなんだとけらけら笑った。
「カクは恋ってしたことあるー?」
仕事を続けるわしの手元を覗き込みながら、今度は彼女が質問をしてきた。おお、このくらいの年頃の女の子が好きそうな話題じゃわい。
「残念ながら、ないのう」
「そうなんだ」
私もないよ。と返された言葉に笑う。彼女は恋とはどんなものか知りたかったようだ。生憎、わし自身が恋に落ちたことが無かったためそれを教えることは出来なかったが。この場にエニエス・ロビーにいるあの狼がいれば、その感覚を教えてやることが出来たかもしれない。奴は年がら年中女に恋をしているようだから。
恋をしたことがない者同士「おそろいじゃな」と言えば、「カクより早く恋してやるからね」と意気込まれた。
「そうじゃのう、その時は教えてほしいのう」
「うん、カクも恋したら教えてね」
わしらは変な約束を立てた。手紙でもなんでも良いからね、と言う彼女は本気のようだ。わしも知りたいとは言ったが、それは別の意味だった。彼女が、どのような人間に恋をするのかを知りたかった。
の友人として、その相手のことを知りたいと思ったのだ。
指切り拳万をするわしらのことを、周りの職人たちはまた変なことをしているといった呆れ半分生暖かさ半分な目で見てくる。
穏やかな午後が過ぎていった。


「おーい、!!」
「ハルター!」
1番ドックの柵の外から、彼女の名を呼ぶ青年がいた。王子様のような恰好をした彼は、彼女がすぐさま振り向いたことに笑顔になっている。
「ほら、お迎えが来たことじゃし」
「うん、また明日ね」
そろそろ日が暮れてくる。そんな時分になると必ず誰かが彼女を迎えに来た。そんな保護者のためにわしは彼女には開けることが出来ない分厚い入口までついて行く。ぎぎ、と扉を開けてやると、彼女はばいばいと手を振ってハルタという青年の所に小走りで近づいた。
「よーし、今日は久しぶりに肩車してやる!」
「やだあ!恥ずかしいよー!」
「何だお前、昔はあんなにしてして!ってうるさかったのに」
人が見ていて恥ずかしいからと嫌がる彼女は、結局彼に肩車をされて注目を浴びていた。賑やかな様子で帰路に着く彼らの後ろ姿を暫し見つめる。
――家族、か。良いのう。
幼いころから政府の機関にいた自分には経験したことが無いようなやりとり。そんなものを見て、少し羨ましく思った。
ふと、彼の肩の上で振り返った彼女と目が合う。
「カクー!約束だよ!」
「――約束、じゃ!」
にっこりと笑いながら、小指を上げる彼女に一瞬言葉が詰まる。何で詰まったのかは分からない。けれど、彼女に負けないぐらいに大きな声で返せば、は一層笑った。

――ああ、そうだ。彼女との繋がりが、胸を温かくしたから、わしはもう寂しくなんかない。


2013/03/08


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