瞼の裏の、あの景色

「じゃあ後で来いよ?」
「うん、後でね」
数時間後のゲーム大会にお呼ばれした私は、エースと別れてサッチの部屋に入った。ごろんとベッドに寝転がったサッチは、私の小さな頃のアルバムを眺めている。
視線を一瞬合わせて再びアルバムへ戻してしまった彼に、今の私はここにいるのにと多少おもしろくない気持ちになりながらも、何も言うことはせずにいた。
ふと、壁に立てかけたコルクボードに目がいく。そこには、かの地で私の友人となってくれた男が三人と女が一人、今より幼い私の周りに立っている写真があった。
私はその時のことを思いだすように、そっと瞼を閉じた。


◆◆


 今から三年前、私がまだ十四歳だった頃、白ひげ海賊団はウォーターセブンに一か月停泊したことがあった。
十年に一度、この船はウォーターセブンの造船会社で点検してもらっている。モビーに乗っている船大工たちだけでは直せなかった船の傷を直すためにその習慣は続いているらしい。その十年に一度の習慣に、丁度私が居合わせたのだ。
「ねえ!あれがウォーターセブン?」
「ああ、水の都なんて呼ばれてる。綺麗だろ?」
甲板から見えた造船都市は、建築物と水の芸術だと思った。今までの船旅でこんなに発展した都市は見てこなかったため、私はこの街を散策するのが楽しみで仕方が無かった。


 だけど結果は居残り。とりあえず今日は査定をしてもらわなくてはいけないらしくて、マルコを筆頭に一番隊の男達が船から降りていく。
「良いなぁ」
「今日だけは我慢しろい」
心底羨ましいといった顔つきで彼らを船の上から見下ろせば、マルコは宥めるように笑って中心街の方へ足を向けてしまった。
――つまんない。彼らが出ていってから早三十分。いったいいつになったら彼らは帰ってくるのだろうか。この街がどんなものなのか、早く話が聞きたくてたまらないのに。
サッチのベッドを占領してごろごろしているのも飽きてしまった。もう一度甲板に戻って街でも眺めようと決め、外へ向かう。
「え?」
甲板に着いて街をぼうっと眺めていると、信じられないものが目に入り思わず瞬きを数回繰り返した。
――人が家の上を飛んだり走ったりしている。しかも、段々とこちらに向かってくるではないか。
能力者でもなさそうなのに、あんな動きをする人間を始めてみた。というか、この街の人々は一般人ではないのか。どうして普通の人間があんな身体能力を持っているのだろう。
「ちとお邪魔する。ガレーラの者じゃ」
とんっと軽やかに甲板に現れた四角い鼻を持った青年に、その場にいた者たちは軽く驚いた。それもそうだ、見たこともない青年がいきなり臆せず白ひげ海賊団の船の上に現れたのだから。だが、彼がガレーラカンパニーの者で、しかも大工職職長のカクだと軽く自己紹介すると、彼らは納得したようで船の中を自由に見て回る権限を与えたようだ。
「おや?」
じっと見つめていたことに気が付いた彼がこちらに視線を向ける。わ、と一瞬驚いたが、彼が柔和な笑みを浮かべてこちらにやって来たためそれはすぐに落ち着いた。
「こんなちびっちゃいのも船に乗っとるのか」
「チビじゃない。だよ」
確かに私はこの船の中で一番小さい子供だ。だけど、私にだって出来ることはある。そう思ってむっとすると、彼はそりゃ悪かったとにこやかに謝ってくれた。
わしはカクじゃ、と改めて自己紹介してきた彼に思わず笑ってしまう。だって、なんだかこんなに若いのにおじいさんみたいな話し方をしているからおかしくて。
「何笑っとるんじゃ」
「じじくさーい」
けらけらと笑う私に、彼はそうかのうと顎に手を当てる。そんなくだらない会話をしながらも、彼はしっかりと船の査定をしているようで、しかしこの船は中々に広く大きい為一時間程時間を要してしまった。
「とりあえず、そこまで酷い傷はないようじゃの。ここの船大工たちの腕は中々のもんじゃわい」
「当たり前だ、俺が連れて来た連中だからな」
甲板で査定の結果を聞いていたパパは、この船の船大工の腕を一流の船大工師に褒められて機嫌良く笑っている。そんな彼の様子に、何人か集まっていた船大工たちが嬉しそうに頬を緩ませた。皆、パパに褒められることが好きなのだ。
「さて、それじゃあわしはドックにいる隊長さんにも話をしなくちゃならんから帰る」
またの。そうカクに手を振られるが、私は彼に待ってと声をかけた。そこまで話を気にしていなかったサッチも、私の行動にどうしたんだ?と首を傾げているが、私はそれには構わず彼を見上げ口を開いた。
「私も一緒に行きたい」
途端サッチから飛んでくるマシンガンのような言葉たち。
「――は?駄目に決まってるだろ、。マルコだって明日まで我慢しろって言ってたんだからよ。お前はそうやっていつも唐突なんだからよ、たまには――」
そう言う彼に同調するようにうんうんと頷く男達。皆何をそこまで心配しているのだろう。カクが一緒にいるのだから安全に決まっているのに。それに彼が向かう場所にはマルコもいる。
もしかして、彼の背中に乗せてもらいたいと思ったことがばれてしまったんだろうか。
「わしは構わんが、お前の保護者がああ言うからのう」
残念じゃったな、と笑うカク。何で駄目なの?皆のケチ。ちょっとくらいこの街に降りてみても良いじゃないか。
サッチのけちぃ。ぼそっと呟けば、それが聞こえたのかまた何かを言おうとする彼。だが、それよりも先にパパが口を開いたため、彼は黙った。
「まァ、良いじゃねえか。少しくらい行かせてやれ」
「で、でもよ、オヤジ…」
思いの外パパが簡単に出かけることに了承してくれて、私はぱあっと笑顔になった。サッチはまだそれについて渋っているけれど、パパがもう一度行かせてやれと言えば、頷いた。
良かったのう、と隣りでカクが笑う。そして、お前の保護者はちと過保護じゃの、とも。悪戯っ子のような顔をしている彼に、小さくそうなのと呟く。私たちは隠れてくすくす笑い合った。
「良いか?暗くなる前に、絶対にマルコと一緒に帰って来るんだぞ」
「はーい」
最終確認として厳しい顔を見せながらそう言った彼に頷く。そうすれば彼は「心配だなァ」と小さく呟いた。
わしがついているから安心せい、とカクが彼に言えば何故か彼はぎろりと睨まれ、おっかないおっかない。そう私の耳に届くくらいの小さい声で呟く。
「じゃあ行ってきまーす」
「お嬢、気を付けろよー!」
「長っ鼻、お嬢に怪我させたら覚悟しろよー!!」
男達の声を聞きながら、私は背に乗せてくれたカクの首にしっかりとしがみ付く。愛されてるんじゃな。そう言う声が聞こえると同時に襲われる浮遊感。わああと声を上げれば、彼は大丈夫というように私の顔を見て笑った。
「すごーい!飛んでる!」
「走っとるだけじゃよ」
あっという間に遠ざかっていくモビーから視線を外して、眼下の街を眺める。こんな風に風を感じたのは初めてだった。ガレーラカンパニーに行くまでの間、私はカクからこの街のことについて色んなことを聞いた。市長でありガレーラカンパニーの社長でもあるアイスバーグさん。この街の美しい水の造形。ヤガラブルという生き物。そして、職場仲間の男達やカリファという美人秘書のこと。
私はその話を聞いているだけで、彼がいかにこの街を愛しているのかが分かった。楽しそうに目をきらきらさせて話す彼は、アイスバーグさんのことをとても尊敬しているのだろう。


「さあ、ここがわしの働く1番ドックじゃ」
「わぁ……」
彼の背中から下りた私は大きく目を見開いた。ここは、近代都市だ。重そうな扉を開けて中に入っていく彼の手に引かれながらきょろきょろと落ち着かなさ気に辺りを見渡す。筋骨隆々とした男達が多い。それには船で慣れているからどうとも思わなかったけれど、彼らが作っている物に目を奪われ続けた。大砲や、マスト。設計図を眺めながら部下たちに指示をしている人間。
職人、という仕事を見るのは初めてだった。目に映るものすべてが真新しくて、私はカクに手を引かれなければ迷子になっていたかもしれない。
「その子供は誰だっポー!」
「おお、ルッチ」
「ハトが喋ってる……」
いきなり現れたタンクトップにハット帽をかぶった男に、行く手を阻まれる。恐らく私のことを部外者だと思ったのだろう。だが、私はそんなルッチと呼ばれた男よりも彼の肩に止まっている鳩が喋ったことに目を奪われていた。この子、ネクタイなんてしてる。
は白ひげんとこのお嬢ちゃんじゃ」
「そうかっポー!俺はハットリで、こっちはルッチ」
「よろしく。ハットリ、ルッチ」
どうやら鳩がハットリで、人間がルッチらしい。びしっと指、ならぬ翼を指す彼の仕草でそう分かった。にしても、ルッチは話さない人なのかな?そう思っていたら、言っとくがこれは腹話術じゃぞ?とカクに笑われてしまった。
――何だ、全くややこしい。
そうして新しく知った彼の仲間との会話は終了して、彼は仕事に戻っていった。
「マルコー!」
「――!お前、なんでここに」
再び歩き出した彼に連れられて行くと、マルコの特徴的な頭が見えた。おーいと手を振れば、彼は私がここに来たことに驚いているらしくて、周りにいた一番隊の男達も「お嬢(おチビ)!?」と騒いでいた。
彼はどうやら私が船から離れてここまでやって来たことに少し腹を立てているようだった。彼らが、私を上陸させる前にどの程度安全なのかを見極めようとしていたことを知らなかった私は、パパが良いって言ったんだもんと頬を膨らませて対抗する。
「まあまあ、もう来てしまったんじゃし、早めに帰れば良いじゃろ?」
ばちばちと火花が散りそうな勢いでお互いに抗議をしようとしていた私たちに、カクが宥めるように間に入ってくる。彼のまん丸いつぶらな瞳でそう言われてしまえば、マルコも怒る気は失せてしまったのか、仕方ないねいと私がここにいることを許してくれた。

その後、私がこの造船所に虜になったことは言うまでもない。


2013/03/08


inserted by FC2 system