37:もう一度、最初から愛を

 談話室に座り込んでいる二人――ハルタとイゾウを視界に入れて、私はその部屋に足を踏み入れた。
開きっぱなしだった扉を閉めると、彼らは私によっと手を上げた。
「こんな所で何やってるの?」
「暇つぶし」
二人の間に腰を下ろせば、トランプ遊びに興じていた彼らがそう答える。ハルタが劣勢だったのか、床に置いていたカードと手持ちのカードをぐちゃぐちゃに混ぜる。あ!テメッ、汚ェぞ!だなんてイゾウが彼に突っかかるけれど、彼はも来たんだし最初からやろうぜとイゾウのカードをふんだくる。
「何する?」
「んー、ババ抜き」
「ガキか」
私が提案すればすぐさまイゾウに却下された。じゃあジジ抜きと言えばやはりガキかと一蹴されて、じゃあ何だったら良いの?と私は彼にむっとした顔を向けた。
「神経衰弱」
「ガキか」
ポーカーだとかを想像していた私は、それこそガキだと思ってイゾウの真似をする。そうすればハルタは「ははっ」と笑った。イゾウは脳みそ鍛えられるぞと不敵な笑みで対抗する。
「まァ、バカには無理か」
「誰がバカだって?」
ふふん、と意味あり気な目付で私たちを見た彼はじゃあ別のゲームにするかなんて言い出す。そんな安い挑発にふざけ半分で乗ったハルタに、私も賛成する。言葉はなかったけれど、私とハルタの間にはイゾウを負かしてやろうという協定がアイコンタクトで結ばれた。
「まァお前らがそう言うなら良いけどよ。ただ勝負するってのもつまんねえし、どうだ?ビリが罰ゲームってのは」
「良いよ」
「やってやる」
記憶力はそこまで悪くない筈。そう思って私はイゾウの提案に乗った。彼を打ち負かしたらいったいどんなことをやってもらおうか。クールでやけにプライドの高い彼のことだから、皆の前で腹踊りなんてさせたら面白いかもしれない。そんなことが顔に出ていたのか、イゾウがデコピンをかましてきた。
「いたっ」
「まだ勝負もしてねェうちから勝った後のこと考えんのはやめな」
「そりゃそうだな」
私と協定を結んだハルタでさえも意地悪い顔をして、頷く。何だ、さっきの協定はもう無かったことになってしまったのか。こうなれば皆単独で勝利を目指すしかないじゃないか。
私たちは床にカードを散りばめて訳が分からないようにした。じゃんけんで順番を決めると、ハルタ、イゾウ、私という順番になった。
「じゃあ、俺からいくぞ」
最初にハルタが引いたのはスペードの4とハートの8。やはり初っ端から当たることは無いようだ。何か仕掛けされていないかと思っていた私は次のイゾウの選ぶカードを見つめていた。
「まァ、そうだな」
彼の場合も同じ数字を引くことはなかった。これで、仕掛けの線は消えた。まあ狡賢い彼の場合、後々から何かしてくる可能性もあるが、流石にそんなことをするほど大人気なくは無いだろう。
私の順番が回ってきたので、灯台下暗しという慣用句に従って私の近くにあるカードを二枚捲った。だが結果ははずれ。そう簡単にはいかないかと思ってその数字を覚えておく。
さあ、ゲームはこれからだ。


 ゲームの終盤、私は焦っていた。おかしい、どうして私の手札よりも彼らの方が若干多いのだろうか。私の記憶力が悪いわけではない。カードの場所だって大体覚えている。しかし、彼らは尽く私が一番覚えている場所のカードを捲っていくのだ。
まずい、このままでは私がビリになってしまう。意地の悪いイゾウのことだ、何をさせられるか分かったもんじゃない。ハルタがいるからそこまで酷い罰ゲームにはならないだろうが、このままでは私が罰ゲーム直行コースだ。
「うぅ……、なんで二人とも…。何かしてるんじゃないの?」
「勝負の世界に小細工なんてしねェよ」
使ってるのはココさ。とんとんと頭を叩くイゾウに苛立つ。こういう時の彼は途端に表情が生き生きとするのだ。普段は少し気だるげに煙管を吹かしている彼が、他者を打ち負かす時の至福の表情といったら。とんだSの化身だ。
ハルタは標的にされている私のことを憐れむように苦笑いしているが、そんな彼が繰り出す手は容赦ない。私の覚えている所を知っているのではないかと思う程、その組み合わせを取っていく。今も私が狙っていた1の組み合わせをすいすいっと選んで彼の手札に加えた。何なんだ、本当に。これではまるで彼らが協定を結んでいるようではないか。二人して私をビリにしようとして!!


 結果は、私の負けだった。僅差だった。いや、嘘を吐くのは良くない。私のぼろ敗けだ。
私はイゾウから与えられる罰ゲームのことを考えて意気消沈した。彼のことだ、私なんかには思いつかないようなことを提示してくるに違いない。
「じゃあ、罰ゲームの発表!」
ハルタが手をぱんっと叩く。ああ、どうかそこまで酷い罰ゲームではありませんように。見世物のようなやつだけは嫌だ。
「マルコとさっさと仲直りしてこい」
「…………」
ケッといった表情でそう言ったイゾウ。全く想像していなかった方向からの罰ゲームの内容に、私は口をぽかんと開いたまま塞ぐことが出来ない。マルコと、仲直り?どういうことだ、頭がついて来ない。まさか彼らはそれを促すために?
「お前ら二人がいつまでもうじうじしてんの見てると苛々すんだよ」
はマルコがいなくて寂しいんだろ?だったらそう言えば良いんだよ」
暴言に近いイゾウの言葉に、ハルタがフォローをする。な?と首を傾げる彼とそっぽを向くイゾウは私の為に色々と考えてくれたのだろう。
そっか、二人は私たちのことを心配してくれていたんだ。当たり前のようにくっ付いていた私たちが離れて、ぎこちない様子でいるのを見て気にしていてくれたのか。私は、幸せ者だなぁ。
だけど――
「だけど、仲直りの仕方が分かんない…」
私がマルコを避けているのではなく、彼が私を避けているのだ。私が謝ったとしても、彼はそれは違うと言って頷かないだろう。悪いのは全部自分だと言って。それで、きっとまた私から距離を置くのだ。彼は謝らない。私に許してもらうことを求めていないから。ずっと、自分を責め続ける気なのだ。
仲直り出来るなら仲直りしたい。あの頃のようにとはいかなくても、せめて彼と一緒にいたり他愛ない会話をしたり、ご飯を食べたりしたかった。
「俺たちはよく知らないけど、はどうしたいんだ?」
「、話したい。一緒にご飯食べたいし、もっと一緒にいたい」
何より、笑ってほしかった。私を見るたびに彼が浮かべるのは、ぎこちない笑み。無意識なのかもしれないけれど、私を怯えさせないように少し後退りする癖。その癖が、私は嫌いだった。何よりも私を傷付けた。
「だったら、それを言えば良いんだよ」
優しい声で私の心を揺さぶるハルタ。けれど、私は怖いのだ。仲直りしようと手を差し伸べても、彼に拒絶されたら?俺に近づかない事がお前の幸せなんだって言われたら?意気地が無くて、彼に手を伸ばせなかった。
「何のために俺たちが罰ゲームを押し付けたと思ってんだよ?あ?」
仲直りする名目を作ってやったんだろうが。そう続いたイゾウの言葉にはっとした。彼は、私が躊躇している理由が分かっているのだ。だから、こんな回りくどいことをして逃げられないように、半ば強制的に仲直りさせようとしている。傷つくのを恐れて、どちらからも手を差し出すことが出来ない私たちだから、彼らがこうしてきっかけを作ってくれたのだ。
「……行ってくる…」
「おう、行って来い!」
ハルタに気合の一発を背中に入れられた私はよろめきながら談話室を出た。


「ったく、手のかかる妹だ」
火を点した煙管からふうっと吐き出した煙を眺めながら、イゾウはそう呟いた。


「ん?」
部屋に入ってサッチの名を呼ぶと、彼はいつもの微笑を浮かべて私を見つめた。この船に戻ってからというもの、彼は鬱陶しいくらい私に付きまとっていた。最近ではそれも少なくなってきたが、彼は彼なりに私のことを心配してくれていたから、彼にもきちんと話をするのが義務だろう。
「今から、マルコと仲直りするからついてきて」
「…お前、大丈夫なのかよ」
ベッドに腰掛けた彼が不安そうな表情で私を見上げた。彼は私がマルコに怯えているのを知っていたから心配なのだろう。事情は聞かれなかったけれど、きっと何があったのかすごく気になっているに決まっている。
そんな彼にうんと頷く。彼はそうかと納得して、私のことを一度だけ抱きしめて立ち上がった。
私は意を決して隣のマルコの部屋を叩いた。「誰だい?」返ってくる声に、私と返す。
彼の返事なんてきっと「今は駄目だ」とかだろう。そうやって私を遠ざけようとする彼が簡単に想像できて、彼が何かを言うよりも先に私は勝手に扉を開けて中に入った。
「お前、なんで…」
がたりと椅子から立ち上がった彼が後退りする。ほら、私を傷付ける嫌な癖。私を思ってのことだとは分かっている。だけど、だけど。
――逃げないでよ、私から。マルコが私のことを傷付けたのに、どうしてあなたが私を恐れるの?今更、あなたを嫌いになれるわけがないじゃないか。怖いけれど、それ以上に愛しているのだ。私の大切な、大切な男の人。
「……!?、離れろいっ」
彼に出ていけと言われるよりも先に、彼に渾身の力で抱き着いた。身体が震える。彼に触れているのだと思うと恐ろしかった。でも、それ以上に嬉しかった。やっと、彼に触れることができたのだ。
「こ、わい!!」
「だ、だから離れろって……!」
――私にとってマルコは、父であり兄であり、恋人でありそのどれとも違うような気がした。それはサッチも同じだけれど、言葉では表せないような関係。そういうものを越えたような存在だった。ただ愛していた。何よりも求めていた。
怖いと言いながら、震えながら抱き着いてくる私をマルコが引き剥そうとする。彼も必死だった。私をどうにかして離れさせようとサッチに目を向ける。けれど、サッチは首を横に振るだけでその様子を眺めるだけだ。
「俺は、お前を――」
「だけど!マルコがいないのは、もっと怖い!!!」
彼の言葉を遮って叫ぶ。そうすれば、彼はびくりと肩を揺らして、私を引き剥がそうとしていた腕が止まった。
「マルコが、したことはゆるさない!だから、ずっと私の傍にいて償ってよ!!」
ちょっとずつで良いから、あの頃のようにとはいかなくても、笑いあえる関係になりたい。マルコがいないなんて、やだ。涙が溢れて思うように動かない口でそう言葉を紡ぐ。少しずつ触れ合うことで、お互いの心の蟠りとか、恐れだとかを無くしていくことが出来るのなら、私はマルコと一緒にいたい。いつまでも、近くにいるのにこんな離れ離れみたいな状態が続くのは嫌だった。
察してよ、私の気持ちを。お互いが一緒にいたいと願っているならそうすれば良いじゃないか。私は、怖くても彼といたいと思ったのだ。だから、彼も怖くても良いから私と一緒にいてほしい。傷つきながらでも良いから、ゆっくりとあの頃に戻っていけば良いではないか。
「こわいけど、マルコが大好きなの!」
……ッ!!」
私の肩を掴んでいた手が、恐る恐る背に伸ばされる。そっと、まるで壊れ物を扱うように抱きしめてきた彼により一層抱き着く力を強くした。そうすれば、徐々に強くなった私を抱きしめる力。
「ごめん…っ、ごめんなァ、ッ」
「マルコ…ッ」
かき抱くように抱きしめてくる彼は震えていた。顔を胸に押し付けられて彼の顔を見ることは出来なかったけれど、彼も泣いているのだと分かった。
私の、何よりも愛しい男よ。どうか、どうか、


もう一度、最初から愛を作りなおそう。


2013/03/06


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