35:Restart

 がモビーディック号に帰ってきた。それは喜ばしいことだ。彼女の姿を見るまでは勝手に出ていきやがってと憤っていた心も、あの時の、石台に拘束されている彼女を見た途端に吹っ飛んでしまって。
だから、本当にがこの船に戻って来てくれて良かった。あのままあいつらと一緒に見知らぬ土地に行ってしまわなくて本当に良かった。
あいつらが言っていたLILYとかいうのはよく分かんねえ。だけど俺はそんなわけ分かんないのがであっても、愛していた。昔と変わらず彼女を愛し続けていた。


 今は十六隊の隊長たちが皆して集まっている隊長会議中だ。そんなことを考えながら、おれは背もたれにぎっと身体を預ける。今頃彼女は何をしているだろうか。俺たちがいなくて退屈をしていないだろうか。
否、彼女はこの船の中でも古株で俺たち以外にも仲の良い奴らはいる。きっとそいつらと遊んでいるか、一人で資料室に籠って読書しているのかもしれない。
「――ってことで、十六番隊の報告は終わりだ」
各隊長たちの報告が終ってじゃあこれで今日の会議は終わりかと欠伸を漏らす。最後に報告を終えたイゾウがそんな俺を見て呆れたような顔を見せた。あいつ普段は適当なのに会議の時だけ真面目なんだからな、まいるぜ。
「今日の本題はまだ終わっちゃいねえ。誰にも知らせてなかったが、今からが本題だよい」
さァて、あいつのために久々におやつにケーキを作ってやろうかと腰を上げかけた時、長テーブルの議長の席に腰を下ろしていたマルコが徐に声を上げた。何だ何だ、ともう会議が終ったとばかりに思っていた各隊長たちは再び椅子に腰を下ろす。俺もそのうちの一人だった。
「何だ?俺は早くにおやつを作ってやりてェんだが」
「今日の本題はそののことについてだよい」
自慢のリーゼントを崩さないように頭をぽりぽりと掻いていたら、マルコは本題が彼女だと言い始めた。そんな彼にエースもどういうことだ?と不思議そうな顔をする。本題が彼女だというなら、俺はまだこの場から抜け出せない。彼女の何が議題に上がるんだ?
「――あいつの、正体についてお前たちに知っておいてもらわなけりゃなんねェんだよい」
彼が発した言葉に、フォッサが「吸血鬼だろ?」とそんなこと知っているといった顔で返す。その他の連中もそうだ、と頷いているのを彼は「それだけじゃねェんだよい」と言って、会議室が静かになるのを待った。
「お前たちはLILYって知ってるか?」
マルコが発した名前に、そういうことかと俺は合点がいった。こいつは俺が分からなかったLILYの存在を知っていたのだ。エースや他の奴らは誰だその女、とその名前を何か意味のあるものと捉えることが出来ずに首を捻る。だが、ビスタやイゾウは何となく事の方向性が見えてきたのか、黙って腕を組んでいた。
「LILYってのは、吸血鬼の頂点に立つ者の呼称だよい。LILYからだけ不老不死を授ける賢者の石が作られる」
彼の言葉に、俺たちは「はぁ」という曖昧な返事しか出来なかった。いきなり不老不死だとか賢者の石だとか言われてもお伽噺のようにしか思えない。
「俺もそんなのは伝説だとかそんなもんだと思っていた。けど、がそのLILYなんだよい」
「はァ!?」
二個隣りの席に座っていたエースが、素っ頓狂な声を上げた。お前、あの時俺たちと一緒にいて散々LILYがどうとか、って聞いてたのにまじかよなんていう反応しやがって。って、まあエースはそこまで記憶力良くないからな。が帰ってきたってことでぽーんと抜けたんだろう。
だが、少なからず俺もその言葉には驚いた。彼女が吸血鬼ってことは知っていたが、その吸血鬼のトップで不老不死?俺たちが慈しんできたあの甘ったれた少女が、そんな巨大な渦の中に巻き込まれるようなそんな存在だっていうのか?
「ちょ、っと待てよ。不老不死って色々とまずいんじゃないのか?」
「ああ、だが俺もLILYについてはそれしか知らない。あいつもどこまで知ってるか知らねえが、これからあいつは色んな奴らから狙われるようになる」
ハルタが事の重大性に気が付いたのか、些か顔色を悪くしながら声を発した。そうだ、俺もそれが心配なのだ。LILYが覚醒したということはもう全世界に知れ渡ってしまった。LILYの存在を知っている者だったらそれに気が付くだろうと、あの吸血鬼たちも言っていたではないか。
――不老不死。それは人間が求めてはいけない禁忌。だが、欲に塗れた人間たちはこぞってLILYの存在を探し求めるだろう。その過程で彼女がLILYだということが知られてしまったら。いったい彼女はどれほど危険な状況に立たされてしまうのだろう。闇の人間はもちろん、海軍だって彼女を求める。研究材料として、はたまた貴重な人物として天竜人が目を付けるかもしれない。
「俺たちが気を付けなくちゃいけねェのは、あいつがLILYだってことを知られないようにすることだ」
これからは吸血鬼の奴らがあいつを取り返そうとやって来る恐れがある。そう続いたマルコの言葉にこの場にいた男達は皆一様に大きく頷いた。半分ほどしか理解できてないような男達も、とりあえずを守れば良いのだという結論に導かれたようで、マルコはちょっと違うがまあ良いかと妥協した。
結局、彼女がどれだけ大人になっていっても俺たちにとって彼女はいつまでも守ってやらなくてはいけない存在なのだ。


――時を同じくして、議題の中心に上がっていたは白ひげの部屋に訪れていた。
今日こそ言わなくちゃ、と私は意気込んでパパの部屋の扉を三回ノックする。か?と誰が来たのかを瞬時に見抜いたパパからの応答にうんと頷く。そうすれば入ってこいと言われて、私はパパの部屋に足を踏み入れた。
「どうした、お前がここに来るなんて珍しいじゃねェか」
「うん、ちょっとパパに話さなきゃいけないことがあって…」
突然の訪問にも驚きもせずにグラララと微笑むパパ。その揺るぎない姿に安心を覚えると同時に、不安が顔を覗かせる。こんなことを言って、パパは本当に信じてくれるだろうか。私が抱えていることを、理解して受け止めてくれるだろうか。彼の懐の広さは私が一番知っている。私だけじゃなくてこの船の皆が周知のことだけれど、どうしても私が今から話すことを考えると非現実的すぎると言われそうで。
でも、いつまでもうじうじしているわけにはいかない。私はベッドに半分身体を横たわらせているパパの元に近づいた。
「お前は思い込む癖があるって前にも言ったよなァ?相手がどんな風に出るのかはその時にならねェと分かんねェんだ。考える前に言っちまいな」
パパは私のことを何でもお見通しだというようにそう言った。その言葉一つ一つは確かに真実で、私は色々と考えすぎる傾向にあるようだ。それを指摘されながら、しかし言外に受け止めてやると言った彼に背中を押された気がして、私は口を開いた。
「パパは、…LILYって知ってる?」
ぴくりと、彼の眉が動くのに私は気付いた。彼はその存在について思い出しているのか、数秒経ってからああと頷いた。
「私が、それみたいなの……」
LILYの生まれ変わりだと言われた私。世の吸血鬼たちを統べる者だと言われた私。そんな私を、パパはどんな目で見るのだろう。面倒なもん抱えやがってっていう目?――ううん、そうじゃない。そうじゃないって信じてる。パパはこの海の誰よりも懐が広い男なんだ。
「…そうかァ、お前だったか。あの時、妙に胸騒ぎがしたんだ」
白ひげは当時の、三度空間を振動させた波動のことを思いだしていた。あの時、自分は船の上にいた。の捜索を各隊に任せ、船大工やナースたちの居残り組と残って待っていたのだ。あの波動を感じた時、やけに嫌な予感がした。愛しい家出娘が上陸したと思われる島の丘の方から放たれたその揺れに、まさかと思っていた。もし、自分の娘がLILYだったとしたら。LILYは女にしか受け継がれないことを知っていたからか、その不安は大きかった。なにせ、この船で女といえばナースたちか彼女しかいない。
その波動から暫く経ってから彼女たちは無事に船に戻ってきた。それは嬉しかった。愛した子供たちが多少傷付きはすれど帰って来たのだ。事情は聞かなかった。聞いてもこの幸せなひと時に水をさすと思ったから。
しかし、杞憂では済まなかったようだ。賢者の石と密接に関係しているLILY。それが、愛娘だったとは。LILYはその特徴ゆえ古代兵器と同じような扱いを受ける。自身でさえ知らないこともまだ沢山あるのだろうが、この少女もまた何も知らずにその存在を背負うことになってしまったのか。
「お前は、これから自分のことをもっと知っていかなくちゃなァ」
「……そうだよね。ありがとう」
私がLILYだという存在を知っても尚、変わることのない彼の表情に安堵する。ほら、やっぱりパパはそんなことで私を嫌いにならなかった。これからは物事を悪い方向ばかりではなく良い方向に考えていかなくちゃ。すぐに変われるとは思わないけれど、気を付けていれば徐々に変わっていくだろう。
「話はそれだけか?」
穏やかに笑った彼に、ううんと首を振る。私が本当に話したかったことはこれではない。これはただの前振り。この話でパパがどのように受け止めてくれるのかを見てから、話したいことがあったのだ。いわば、私の心が傷付かないようにするための作戦。まだまだ私は精神的にも肉体的にも弱いのだ。
「実は、私ね――」


 赤い目を持った娘が出て行った扉を見やりながら、白ひげは思考の渦に沈んでいた。
先程、娘が話したことは全て受け止めた。今まで誰にも話してこなかったことだ。デリケートで、話すことにも戸惑いはあっただろう。そもそも、それを自分が信じてくれるだろうかという疑問も会った筈だ。
しかし、白ひげは愛する娘の言うことを全て信じた。信じられない部分も確かにある。それでも、信じられないようなことが起こるのがこの海だ。自分では理解できないようなことがこの世界にはまだ沢山残っている。
「そうか、お前は――」
このことはパパとマルコたちだけに言うことにする。そう言った少女。
その言葉の次に告げられた台詞を思い出して、白ひげは難しい顔をしていたのを、微笑に変えた。


「だって、私が帰ってくる場所はここだから」


2013/03/06


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