31:覚醒

――嫌な予感がした。何か、ざわざわと胸騒ぎがして落ち着かない。
最初は小走りだったのが、徐々に本気で走っていた。あの丘の上の古城までそう時間はかからない筈。
後ろからついて来るエースとサッチは文句も言わないで、俺の後を走っている。
「どうすんだ?」
「こっちだよい」
古城に着いたが、先程とは違ってがこの中にいるとは思えなくなった。それよりも、すぐ側にあった小さな石の塔から嫌な気配を感じる。そちらに足を向けた。
久々に全速力で走ったせいか息が切れている。それでも、一刻も早く彼女を見つけたかった。階段を二段飛ばしで駆け上がっていく。最上階まで部屋は無いらしく、俺たちはひたすら駆け上がった。
最上階付近で何やら話し声が聞こえる。恐らく、彼女はそこにいる。
!!!」
三人分の叫び声が合わさって、塔に響き渡った。駆け込んだ部屋には、石の台に手足を拘束されたがいた。彼女から俺たちを窺うことはできない。けれど声で分かったのだろう、どうして来たの!!?と責められた。
その言葉にずきりと心臓が痛む。それでも、今は彼女を助けるのが先決だ。相手は五人。一人長い剣を持っているが、他の四人は丸腰だ。
俺たちでかかれば何とかなる可能性の方が高い。視界の端で、エースが今にもぶち切れそうな様子が目に入った。
「今助けるからな!!」
「邪魔をするな。そこで見ていろ」
サッチがそう叫んで腰の二本のカトラスを引き抜こうとした。俺も身体を青い炎に包もうとしたが、奴らの目を見た瞬間身体が硬直した。どういうことだよい。
何だ、これ。隣でエースが悔しそうに唸るのが聞こえる。
その間にもに一番近い場所にいた男はすらりと剣を引き抜いた。こんな時でなければ、見惚れてしまう程の美しい文様が描かれた剣だ。それを男が振り上げる。
――やめろ、やめろ。
ぞわりと鳥肌がたった。彼女に突き刺さろうとする剣に手を伸ばそうとした。それでも、意志とは裏腹に身体は全く動かない。
やめろ、やめろ。やめてくれ!!!!!!!
「いやあああああああああ!!!!!」
骨の髄まで響き渡る彼女の絶叫。深々と心臓に突き刺さった剣。
ただ、俺たちの震える息だけがこの場の静寂を破る音だった。
彼女はぴくりとも動かない。だって、そうだ。心臓を貫かれて生きているわけがない。
「――……、…」
漸く声を出すことができた。けれど、やはり体は動かない。どうにかして彼女の元に行きたいのに、どうしてだ。
「テメェらよくもをおおおお!!!!」
「ルイーゼ…この者たち…、」
「ああ、長引かせない」
エースが咆哮した。ぎちぎちと俺らを硬直させている何かを突き破るように踏ん張っているのが分かる。
俺とサッチは吠える事すら出来なかった。ただ、茫然と彼女を見つめることしか出来ない。
――を失った。あの、俺たちが愛し慈しんできた少女が、目の前で殺された。
絶望しかない。
「安心しろ、これは儀式だ。我が君の中に入っている穢れた人間の血を捨てているだけだ」
「何言ってんだテメェ!!!!!」
ルイーゼと呼ばれた男が俺たちを冷ややかな目で見つめる。
「これは我が種族の宝剣でな。王の純化の儀式の時に使うのだ。見ろ、我が君の人間の血が吸い上げられているのが分かるだろう」
「な、に言って……」
ヤツが言う言葉の一つ一つが理解できない。王?純化?儀式?
だけどヤツが言う通り、彼女の胸に突き刺さった刀身が段々赤く染まってきたことで、それが本当なのだと分かった。赤い月の光が彼女を照らしている。
――何なんだ、何なんだよい。どうしてがこんなことにならなくてはいけないんだ。
漸く怒りが沸々と沸いてきた。ぐっと身体に力を入れる。そうすれば、俺たちを睨みつけていた四人の目付きが更に強くなった。
これは、こいつらの能力か。ふと、視界に入った男の目が琥珀色だったことに気が付き、俺は目を見開いた。
「お前……あの時の…、」
「…そう。俺がお前に催眠をかけてここまで連れて来た」
プラチナブロンドの男はそう言って笑った。
――あの時か。咄嗟に分かる。あの時、俺があの琥珀色の目から視線を逸らせなかった時から、こうなることは決まっていたというのか。まるで、あらかじめ予定が決められていた喜劇ではないか。俺たちはまんまとそれに乗せられたわけかい。
「お前たちは我が君に相応しくない。我が君を苦しめ、怯えさせることしかできないお前らは、生贄になってもらう」
全て知っているぞ。そう歪んだ唇から吐き出されたルイーゼの言葉にぞっとした。こいつは、知っている。彼女の苦しみも、俺らに捨てられることに怯えていたことも、俺が彼女にしたことも。
直感的に分かってしまった。どうして知っているんだ。何を見た。何を知った。矢継ぎ早に言葉がぐるぐると俺の頭の中で駆け巡ったが、怒りの余りそれが口から出てくることは無かった。
「我が君は我らが王になられるお方…。主の苦しみを全て理解するのが、臣下としての役割だろう」
「ルイーゼッ!」
「…ああ、」
俺たちに術をかけるのがそろそろ限界なのか、女が汗を垂らしながら催促の声を投げかけた。
ヤツはそれに頷いて、の胸に刺さっている剣に手をかけた。もう、柄の部分にまで赤に染色されていた。
「お前ら、腕を出せ」
そう言ったヤツは、一気に剣を彼女の胸から引き抜いた。その光景を見て、俺たちは堪忍袋の緒が切れた。何とかして身体を動かそうと力を入れる。
ルイーゼは俺たちのそんな様子を見ながら、何でもない事のように自分の腕、次いで仲間の腕を剣で引き裂いていく。びしゃあっと悍ましい量の血液が彼女の口に注がられた。
赤い月の光が益々輝きを増した。――瞬間、空気が揺れた。ドクンッ、と彼女を中心に放たれた波動に身体が振動する。それは三度続いた。
大気を揺るがしたその波動の直後、何か巨大な気がこの空間を占めた。膨大で異質、俺たちが押しつぶされそうな気迫を持ったそれに背筋が凍りつく。

「さあ、LILYの覚醒だ」
ヤツがそう宣言した。


◆◆◆


――同時刻。ウォーターセブン、ブルーノズバー。
「何じゃ…?」
「……これは…、ついに目覚めたか」
「どういうこと?ルッチ」
「“LILY”が目覚めた」
いつものように定例議会をブルーノの酒場で開いていたルッチ、カク、カリファ、ブルーノは三度に渡る波動を身に感じ視線を辺りに巡らせた。それは普段の職長としての彼らの目ではなく、CP9としての目であった。未だ震えている空気を肌に感じながら、カリファが珍しく口元を楽しそうに歪ませているルッチに問う。当然というように返された名前に、LILYの詳細を今まで知らなかったカリファとカクは驚きに目を見開いた。
「そういやァ、お前たちはまだ知らされてなかったな。LILYの覚醒は波紋となって全世界に知らされる」
「それが…さっきのだっていうの?」
「ああ」
定例議会の内容など放っておいてしまう程の衝撃を齎された四人は、しいんと静まり返るバーでその余韻を未だ感じ取っていた。カチッカチッと時計の針が進む音がやけに大きく感じられる。
LILYが目覚めたということは彼らにとっては今あたっている任務と同じくらいに重要なことだ。世界政府があらゆる手を使ってでも欲しているその存在を、可能な限り捕えるようにと上層部から申し渡されているからである。自分たちにとっても重要な意味を持つその存在がついにこの世界に誕生したことに、畏怖と同時に好奇心が沸き上がった。
誰かのごくりという生唾を飲み込む音を合図に、緊迫していた空気はいつものそれへと戻った。
「とりあえず、これを感じ取れていないようなあのバカに報告しておけ」
「分かったわ」
「にしても、ぞくぞくするのう」
三者三様の反応を示した彼らは、暫くしたのちにバーから出て闇の中に姿を消した。


◆◆◆


――同時刻、ドレスローザのある部屋にて。
三度空気を、我が身を振動させたその波動を感じ取った男が、にいっと口元を三日月型に吊り上げてどこか楽しそうに笑い声を上げた。
「フッフッフ…ついに、“あの”継承者が現れたか…」
「若様、どうなさいましたか?」
ショッキングピンクのファーコートと特徴的なサングラスを身に着け、ソファにふんぞり返る長身の男――ドフラミンゴに執事の恰好をした翁がにこやかに問いかける。この男が笑みをたたえているのは常だが、今日はそれに増して機嫌が良いことを、翁は敏感に感じ取ったのだ。楽しくて仕方がないといったように笑い続ける主に、彼は思い当たる節を思い出して、ふっと笑む。彼もまた、LILYの覚醒の時の反動を知る者の一人だったのだ。
「これから、世界はこいつを手に入れる為に動き出すだろう」
「若様もその激動に身を投げ込まれるのですか?」
フッフッフ、当たり前だ。返された言葉に翁は柔らかく笑んだ。
これからいつにも増して世間は忙しくなるだろう。LILYが覚醒し、我らの主も動き出す。
世界が混沌に陥れられるのは、そう遠くないかもしれない。ドフラミンゴが満足そうにワインを口に運んだのを見て、翁はそう思った。


◆◆◆


――同時刻、正義の二文字を背負った海軍本部にて、二人の男がその波紋を感じ取り、今まで続けてきた会話を中断した。ざわり、と空気でさえ粟立っているような気配に、二人は意味深に視線を合わせ、動揺のあまりに立ち上がりかけた腰を、革張りのソファと椅子に再び下ろす。
「今のは……そうじゃろうな」
「…ついにこの時が来たか。呪われし血が、再びこの地上に……」
はあ…というどちらともなく吐き出した溜息が空間に消えた直後、センゴクと呼ばれた男が白髪の男に目を寄こした。
「何だ、ガープ」
「これからそのLILYを追うんじゃろ?」
鋭い目をして問いかけてくる目の前のこの男に、センゴクはそうだと無機質に答える。まずはこの波紋がどの方角から調べてその付近でそれらしき人物を目撃しなかったかを探索させる。そう続けた彼に、ガープは先程の鋭い目を消して、窓の外を眺めた。
「そいつは可哀想じゃのう」
あろうことか数百年も世界政府が探し求めてきた人物に憐憫の情を抱くとは、と元より堅物のセンゴクはガープの言葉に「正義には必要なことなのだ」と言葉を発した。上からお達しになられる言葉に、個人が一々感情を交える必要はない。
そんな言葉も、曇った空を見上げているガープには届いていなかった。


◆◆◆


――同時刻。偉大なる航路のとある深海にて。
自身の身長ほどもある刀を側に置いて、目の下に濃い隈を携えた不健康そうな男は、この潜水艦だけでなく自身の身体さえ振動させた波動に、常より鋭い目付きを更に鋭くさせた。これは……と思慮の波に飲み込まれそうになっていた男の元に、ばたばたという慌ただしい音が近付いてくる。
「キャプテーン!今の、何!?」
「ベポ、静かにしろ」
男――トラファルガー・ローはこの振動の意味を知っていた。三度の波動。たったそれだけの事柄だが、博識な彼にとってはこれしきのことで頭を悩ませるようなことではない。
「くっくっく……」
「???」
ベポはいきなり笑い始めた船長に訝しげに首を傾げた。それでもくつくつと笑い続ける彼は、気にするなと言ってベポを部屋から追い出した。さっきのことは心配しなくても大丈夫だ。見張りはいつもどおりやっておけ。そう伝えたからか、外に追い出した思いの外気の弱いクマは再び扉を開けることは無い。
「ついに現れたか……。さあ、誰があいつをゲットするんだ…?」
それぞれの思惑がLILYを中心に動き出す。
それを知っている彼は、またくつくつと含み笑いをした。


2013/03/01


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