29:最後の晩餐

 俺たちの眼前に三つの島がある。それらのうちの一つに、がいる可能性が高い。俺は先に偵察として何か情報を掴めるかもしれないと、不死鳥になって空を舞った。
「マルコ!頼んだ!!」
「分かってるよい」
モビーの上で、声を大に叫んだサッチに頷く。俺はまず左に見える島に翼を傾けた。その島は上から眺めても家など一つもない島だった。聳える絶壁に、この島に彼女が上陸できる可能性は低いと考える。次は真ん中の群島に翼を傾けた。そこには小さな古城とレンガ造りの町が広がっていた。浜辺もあって彼女が上陸することは可能だ。ふと、浅瀬付近に顔を覗かせた一角に先程話していた男達の言葉が甦る。“頭に角を持ったイルカ”。
ざぷんと、水中から姿を現したイルカには、確かに角がある。まさか、と思って周囲に目を凝らしてみると、消えかかってはいるが足跡らしきものが砂浜に残っていた。
はこの島に上陸した可能性が高い。しかし、最後の島も一応偵察しておいた方が良いだろう。俺はそう考えて次の島へ飛んだ。


「失礼します」
「はい」
しんと静まり返っている場内。古城に案内された私は、塩水が乾いて白くなった服からまともなワンピースに着替えさせられ、今ルイーゼの仲間だと紹介された女性――エリザに眼球や口の中を確認されている。俗にいう診察。彼女は金髪に紫色の瞳をしていた。
「いったいいつから血を飲まれておりませんの?」
「四年、前から…です」
四年!?復唱された言葉にはいと答える。傍に控えていたルイーゼも愕然とした表情を出していた。よく四年も耐えることが出来ましたね。そう彼は沈痛な面持ちで呟く。
「我々は定期的に血を飲まなくては生きていけません。我が君、あなたさまのその不屈の精神には恐れ入ります。しかし、もう少し遅ければ、あなたは命を落としていたでしょう」
身体の内部はかなり憔悴しきっています。そう言った彼女に素直に頷く。私の身体が憔悴しきっている事など、自分が一番分かっていた。それでも、絶対に家族の血を飲むのだけは嫌だったのだ。
「我が君が生き残れたのは王位継承者の血、ゆえです。これからはそんな無茶をしないでください」
「…はい」
私が何年も血を飲まずに生きてこられたのは、私が王の血を受け継いだ者だからだと彼らは二人して私の行動を咎めた。もう血を吸ってしまって、引き返せない所まで来てしまった私は素直に頷く。そうすれば、二人とも安心したように詰めていた息を吐きだした。
「応急処置でしかありませんが、これを飲んでください」
「?」
差し出されたいくつかの赤い錠剤に首を傾げる。前の世界でよく見たサプリメントみたいだ。ちら、と彼女を見上げると「人間一人分の血を凝結してある薬です」と説明する。なるほど、人間からいくら血を貰っても身体が吸収しきれないからこのサプリメントで間に合わせるのか。
「暫くは、たくさん血を飲んでいただきますからね」
彼女はそう言って微笑んだ。


「あなたをこの世界に呼んだのは、我々です」
その言葉に、思わず歩いていた足がぴたりと止まってしまった。
――彼は、今何と。
驚愕に目を見開いて、言葉も発する事ができない私に再び彼は口を開いた。
「我らが頂点に立つべく、私はあなたをこの世界に呼んだのです」
LILYの血を、意志を受け継いでいるあなたを。続く言葉に私は頭が真っ白になった。
――LILY?何それ。ていうか、私にはそんな人身内にいない。ルイーゼは勘違いをしているのではないだろうか。さっきの、私が王だとかいうのは百歩譲って認めるとして、私はLILYなんてものや人は知らない。会ったことすらない。
「あなたはLILYの生まれ変わりです。時空の歪みで、こことは違う世界で生まれたが、あそこは本来あなたがいるような世界ではなかったのです」
「な、なにを言ってるんですか……」
生まれ変わり?何それ。そんなこと、本当にあると思っているのだろうか。非科学的すぎる。ああ、でもこの世界は前の世界と比べて科学とかなんかでは計り知れないようなことが起こる世界だ。悪魔の実や海の天候とか。魚人とか、前の世界にはいなかった人種や生物もいる。でも、生まれ変わりということはどうしても信じることが出来ない。頭がそれを拒否した。
「あなたにはLILYの血が流れている。何から何まで、あなたは彼女に瓜二つなのです」
――“容姿も、意志も、その気高き血も。”
「は、はは……っ」
笑うことしか出来ない。頭が痛い。自分では到底理解できないようなことを先から言われ続けて疲れが現れ始めていた。
もし、彼が言うことが本当なら、私がこの世界に来たのは彼らのせいになる。私が吸血鬼であることに悩んでいたのも、全て彼らが私をこの世界に呼んだからだということだ。この世界に呼ばれた事は恨んでいない。家族を一度失って寂しい時期もあったけれど、あの人たちが私の新しい家族になってくれた。
それで満足していたのだ。彼らがいてくれるなら本当に何もいらないと思えた。一度失ったから、そう思えていたのに。だけれど、吸血鬼だなんて正体はいらなかった。家族を苦しめることしか出来ない存在なんかになるくらいだったら、のたれ死んだ方がマシだとさえ思っていた。
――私がこの世界に連れてこられたのは偶然ではなく、必然だったのか。
「中々お迎えに上がることが出来ず、申し訳ありませんでした」
「………」
彼は頭を下げたけれど、私はただぼんやりと空を見つめることしか出来なかった。
とぼとぼと、先程よりいくらか歩みが遅くなった私たちが古城に到着するのは少し時間を要した。


 そして今にいたる。
時間をかけて、与えられた情報を少しずつ理解していった私は、先程よりは落ち着きを取り戻していた。血のサプリメントを飲んだ為、栄養分が少しずつ身体に吸収されて視界が霞んでいたことや頭痛が和らいでいる。特に、身体の内側から乾いていた細胞が満たされていくのが分かった。
「では、少し早いですがお食事にしましょうか」
「まだ紹介していない者が数名いますので、行きましょう」
「はい」
LILYがどうとかいうのは気にしない事にした。私は私だ。椅子から立ち上がりながらそんな事を考える。
それに、私がLILYだからといって何も困ることはあるまい。血を飲んだことで狂気じみた衝動が駆け上がることもない。それなら良いではないか。


 彼らの後に続いて廊下を歩いていくと食堂に着いた。大きな重厚な扉をぎいと押すと、中の調度品が見えて思わず怯んだ。船の食堂のようなものを想像していた私は、あまりにも豪奢、しかし嫌味に感じられない程度の装飾を施された調度品を見て驚いた。いや、古くてもお城なんだからそれくらい豪華でもおかしくないのだろうけど。

私は酷く場違いなような気がしながらも彼らの後に続いて部屋に入る。そこには二人の男性と一人の女性が既に長テーブルの席に着いていた。(吸血鬼という者たちは総じて不思議な色彩なのだろうか。)しかし私の顔を見るや否や私の前にまでやって来て跪いて手の甲にキスをした。
――これ、後で皆してドッキリでしたー!とかいうやつなんじゃないだろうか。
そんな現実逃避をしてしまった私を主役の席に置いて、彼らも席に着く。
ワイングラスの中に赤々とした液体を注ぐ執事をぼんやり眺めながら、私はやはりこの状況が酷く現実味が無いと思った。
「ただ食事をするだけというのも退屈ですし、吸血鬼の生態をお教えいたしましょう」
私の右前に座っていたエリザがそう言って、ワイングラスを傾けた。それは匂いで血だと分かった。
私もそれに口を付けて、頷く。
この食事はフルコースなのか、長いテーブルには前菜のスープしか乗っていない。それを口に運びながら、彼女の話を聞いた。


―――吸血鬼の特徴は血を飲み、日の光に怯える。これは間違っていない。けれど、牙があるというのは俗説であって、実際は鋭くした爪で皮膚を切り裂き血を飲むのだ。また、我ら吸血鬼が太陽の光を浴びても倒れない時間は平均で二時間。それ以上浴びていると、生命維持が危険になるため、日中はやむを得ない場合以外屋内から出ることは無い。また、吸血鬼に出来ることはたくさんある。一番はやはり不老不死だろう。吸血鬼はある一定の年齢に達するとそこから先の老いは著しく低下する。いったい何百年生きられるのかは知らないが、吸血鬼は血の気が多く、怪我で死ぬことが多い。大抵の怪我なら死ぬことはないが、心臓や内臓を大きく損傷すると死に至るのだ。また、病気で死ぬこともある。けれど、寿命では死ぬことは無い。
次に特徴的なのは、催眠にかけたり、動物に変身できる。怪力で頑丈、治癒力が高くスピードが速いなどである。
一般に、吸血鬼はニンニクと十字架、銀に弱いとされているが、そんなことはない。

要約するとこんなところだろうか。彼女が簡単に説明した情報を頭の中にインプットしていき、吸血鬼はそんな多くの事が出来るのかと驚いた。だが、そのようなことが出来るようになるためにはそれなりの訓練をしなくてはいけないらしい。何度も訓練することによって、術をものに出来るようだ。
「我が君も訓練すれば空を飛べるようになれますよ」
「そうですか」
彼女の言葉に頷けば、儀式が終わり次第訓練を始めましょうかと提案された。
「儀式?」
「ええ、我が君はまだ完全な吸血鬼ではありません。完全な吸血鬼になるためには儀式が必要なのです」
儀式という単語に首を傾げれば、左前に座っていたルイーゼがそう言った。どうやら、他の吸血鬼たちは自然に純化――身体の血が完全な吸血鬼のそれになること――するらしいが、王である吸血鬼は力が強すぎるあまり、何段階かに分けて純化しなければならないらしい。最後の純化で真の吸血鬼になるらしく、私にはその儀式が必要なのだ。
それを理解した私はなるほどと頷いて、食事を続けた。太陽が沈みだしたこの時分ではまだお腹はあまりすいていなかったけれど、好意を無碍にするわけにもいかないと思って、私はメインディッシュの牛ヒレのステーキにナイフを突き刺す。銀のナイフとフォークに赤い血が飛び散って、それがどうしようもなく綺麗に見えた。

――今日は満月だろうか。


2013/03/01


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