28:生まれし女王

 皆の手前、浮かべていた笑みを自室に入った途端消した。すっと室内を見渡せば、が共に暮らしていた形跡があらゆる所に残っていて、俺は胸が押しつぶされそうになる。
「すまねえよい、……!!」
あの日、犯した罪を今はいない彼女に懺悔する。許してくれなくて良い、俺のことを恨んでくれても良い。けれど、この船に戻ってきてほしかった。彼女がいないだけで、俺はこんなにもどうしようもない人間になってしまうのだ。
傍にいろとは言わない。ただ、気配が感じられるところに、がいてくれればそれで良い。
あれだけ傷付け怖がらせた彼女が、そう簡単に俺のことを許してくれるわけがないから。寧ろ許してほしくない。罵って、拒絶して、殴ってくれたって良い。責めてくれる方が、気が楽だから。
今となっては、俺の醜い狂気じみた彼女への愛が恐ろしかった。
――愛していた。ずっとずっと、彼女が言葉も喋れないような赤子の時から面倒を見ていたのだ。情が移らないわけが無い。徐々に成長していく彼女を見て嬉しかったし、時には寂しくてもうこれ以上大人にならないでほしいなんて願った時もあった。
は捨てられるのを恐れていた。そうエースは言った。けれど、本当に捨てられるのを恐れていたのは誰だ?いつか来る別れを想定して、彼女にさようならを言われるのを恐れていたのは、この自分自身ではないか。彼女を捨てるなんてこと、俺たちがするはずがない。ありえない。けれど、逆はあるのだ。彼女が成長して大人になったら、恋人を作って結婚したいと願うかもしれない。それがもし陸の男だったら。俺たちはたぶん、永遠に会えなくなってしまう。未来が怖かった。彼女を手放したくなかった。真に、彼女に捨てられるのを恐れていたのは俺だ。家族か、それとも愛する男を選ぶか、その選択の時が来るのを恐れていた。
だから、エースとが付き合っているという嘘を聞いた時、あんなにも逆上して彼女を傷付ける事しかできなかったのだ。
「マルコ…、お前にとっては何だ?」
部屋に戻る前に、オヤジに問われたその言葉が耳から離れない。俺にとっての。たぶん、オヤジは分かっていたんだ。俺が、あいつに囚われていることも、彼女を滅ぼしかねない狂気じみた愛を持っていたことも、何もかも。きっと、心配していたことが起こったと思ったのだろう。ああ、俺は何てことを。


――彼女は、俺にとって大切な娘であり、妹であり、かけがえのない存在だ。彼女の代わりなんていない。彼女にとって代われる人間なんていない。それほどまでに大切な少女。昔なら、そう答えられただろう。でも、今となっては俺が彼女をどのように見ているのか分からなくなってしまった。
ただの、愛しい娘なら、あの時あんなに逆上して嫉妬をして殺意を抱くことなんてなかった。けれど、一人の女として見ていたわけでもない。ただ、俺から離れていくことが許せなくて、これが愛であることには変わりないけれどどういった愛なのか分からなくて。
娘、妹、恋人。そのどれとも違うような気がして、でも全部をひっくるめているような気もして、訳が分からなくなる。
けれど、彼女を見つけ出すまでにこの気持ちを整理しておかないと、また彼女を傷付けてしまう。縋りつかれる側が、揺らいではいけないのだ。
――そもそも、彼女が俺に縋りついてくれるのかさえ、分からないけれど。


 耳を劈くような甲高い悲鳴が、私を現実へ戻した。
「いやぁぁぁぁ!!!ば、化け物!!!」
気が付けば、私は血を溢れさせている男の首に顔を埋めていた。はっとして、顔を上げ路地裏の外を見やれば青褪め血相を変えて逃げ出した女性が目に入る。
――わ、私は。私は、
「あ、あ、ぁぁあああっ!!!!」
手にべっとりと付いている赤。顎から滴る赤。意識を失って血を流している男の首から溢れる赤。
頭を抱えて震えあがる。恐ろしくなった。意識のない間に、自分がやってしまったことを眼前に突き付けられて。もう、駄目だ。私は人間ではなくなってしまった。正真正銘の化け物――吸血鬼だ。
いやだ、誰か。誰か、助けて。
「ぅ……」
死んでいたとばかりに思っていた男性から小さな呻き声が上がる。それにはっとして、恐る恐る声をかけてみた。
「お、おじさん……だいじょうぶ?」
大丈夫な訳が無い。けれど、私はそう問いかけることしか出来なかった。男性は私が話しかけても、何の反応も返さない。どうしよう、このままではこの人は死んでしまう。
嫌だ、人なんて殺したくない。私のせいで人が死ぬなんて、耐えられない。
通りは一瞬騒がしくなった後、気味が悪い程の静寂に包まれた。


「お前が化け物か……?」
こつりという跫音と共に現れた白いコート。MARINEの文字が入った帽子。それらを身に着けた男が、私を鋭い眼光で睨みつける。きっと、先程の女性が海軍に連絡をしたのだ。この島に海軍がいるなんて知らなかった。
そんなことを、常なら考えられるが、今私を支配するのは、純粋な恐怖。
「間違いなさそうだな」
「あ、…あ、」
ずり、と後退る。この男から発せられる殺気が怖かった。このままでは殺される。化け物として、私はこの男に殺されてしまう。
二丁拳銃を突きつけられた。ああ、駄目だ殺される。男の指が引き金を引いた。
――パン!!
乾いた音が響く。銃弾が回転して私の心臓目掛けて放たれたのがスローモーションに見える。脳裏に、あの頃の、まだ何も変化が無かった頃の幸せな風景が甦った。私の頭を撫でてくれたパパ、躾は厳しかったけれど甘やかす時は思い切り甘やかしてくれたマルコ、おやつの時間に様々な種類のケーキを作ってくれたサッチ。私の遊びにとことん付き合ってくれたハルタ、嫌われていると思っていたけれど、意外と優しかったイゾウ。
それと、エース。私のことを本気で心配して、怒って、慈しんでくれた一つ上の兄貴。あいつらの愛情だけは疑うなと言ってくれたのに、逃げ出してしまった私のことをどう思っているだろう。ごめんなさい、エース。私が意気地なしだから、捨てられるのが怖いからって捨てられる前に家族を捨ててしまって。

――死にたくない。まだ、死にたくない。とことん生きて生きて、この世界に生きた証拠を残したい!!

弾丸はもう私の胸の直前。――キンッと鉄が切れる音が、突如響いた。
走馬灯は途切れた。力を無くした私はどさりと尻餅をつく。どうやら、私は助かったようだ。そんな私の前に立ちはだかる一人の男。その男は黒いマントを身に纏っていた。
「貴様、何者だ」
「我が君に仇なす者を仕留める者だ」
私に背中を向けた男は、そう言って海軍の男に切りかかっていった。銃声が何度も響く。しかし、彼は目にも止まらぬ速さで銃弾を刀で切り、男に止めを刺した。
私はそれをぼんやりと見つめていた。あの男は何者だ。なぜ私を助ける。いくつも疑問が浮かぶけれど、私はそれを口にできないまま、私を振り返り跪いた彼を見つめることしかできない。
「お怪我はありませんか、我が君」

――私を見つめるその瞳は、赤だった。

直感的に悟る。この男は、私と同族だと。茫然として言葉を発する事が出来ない私の血の汚れを白いハンカチで拭いてくれた彼の手は、そのハンカチに負け劣らず白い肌をしている。後ろにたらした長髪は銀色で、私と同じように色素の薄い容姿をしていた。若い上に、とても端正な顔立ちをしている。
されるがままになっていた私は、はっと気が付いた。我が君とは何だ。どうして彼は私に跪いて献身的な行動をしてくれるのだ。
「あ、あなたは誰ですか?」
私を見上げた彼の目に引き寄せられる。私と同じ赤色だというのに、彼の目は何故か私を捕えるように絡みつくようだった。
「申し遅れましたことを、お詫び申し上げます。私は、シュトラウス・ルイーゼ。通称、シュトラウス卿でございます」
吸血鬼でございます。そう続けられた言葉に、やはりとどこか納得している自分がいた。そして、私以外にも吸血鬼という存在がいることに酷く安堵した。私は、一人ぼっちではないのだ。
人間の血を飲む化け物が私一人ではなくて、本当に良かった。
「あの…、助けていただいてありがとうございます」
「いえ、ご無事で何よりです」
とにもかくにも殺されそうなところを助けてくれたのは彼だ。そう礼を述べれば、彼はまた恭しく首を垂れる。先から気になっていたが、どうして彼は私のことをこんな風に持ち上げるような素振りをするのだろうか。私は彼の主人になった覚えはないのに、どうして私を我が君と呼ぶのだろう。
「あの、どうして私のことを我が君と呼ぶんですか?」
跪いても、座り込んでいる私と大して背丈が変わらない彼に、そう訊く。そうすれば彼は「この場にずっと居続けるのは宜しくないので、道すがらお話いたしましょう」と私のことを立ち上がらせた。道すがらとは、彼の住処へいくということだろう。知らない人にはついて行っては駄目だと教わっていた筈なのに、私は何故か簡単に了承して差し伸べられた手に自分のそれを重ねた。
「我々はずっと、我らが主を探し続けてきました。我々にとって、必要な存在だったからです」
「我々?」
ええ、とルイーゼは頷いた。彼が言うには、これから向かっている古城にまた何人か仲間の吸血鬼がいるようだ。古城とは、私がこの島に上陸したとき最初に目に入れた建物だ。まさか、あんな所に住んでいるだなんて。
日を避けながら、ひたすら日陰しかない裏道を通り続ける。
「我々は基本群れたり誰かに従うということは致しません。派閥を作ったとしても、リーダーは作らないそんな種族なのです。ですが、唯一我々を統べることが出来る王がおります」
――それは、あなたです。二つの赤い目に見つめられて、私はたじろいだ。私が、王?そんなことあるわけがない。きっと何かの勘違いだ。大体、彼はどうやって私のことを王だと判別したのだ。
「我々の遺伝子には、吸血鬼の本能が全て含まれております。その中には、王を判別する能力もあるのです。王だと分かるのはほぼ直感ですが、王である者には付き従いたいと思うように出来ているのです」
私の動揺を見透かしたように言葉を続けた彼に、私はそれでもまだ信じることが出来ずにいた。DNAだとかそういう話を持ち出せば確かに信憑性は上がる。けれど、私はそれを見たわけではない。彼の内部構造を聞いたとしても、検証できるわけではない。
「じきに分かる時が来るでしょう」
「そう、ですか…」
町にいられないようなことをしてしまった私は彼について行くしかない。この、自分と同じ吸血鬼だと名乗っている彼が良い人なのかは分からない。けれど、そうするしかないのだ。
そして、彼はまたこう言った。

「あなたをこの世界に呼んだのは、我々です」


201302/21


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