24:許されるなら、地獄にだって行くから

 エースの部屋で寝泊まりするようになってから数日経った。最初彼はやはり私が考えていた通り俺がソファで寝ると言って聞かなかったが、私が頑なに私がソファで寝ると主張すれば彼は渋々頷いた。その攻防の最中に「エースは寝相が悪いんだから落ちちゃうでしょ!」と述べた一言が結構効いたのかもしれない。
この数日の間、私は何をするでもなくただぼうっと彼の部屋で過ごしていた。隊の仕事や隊長の仕事で彼がいない時は居座っている私が彼の部屋を掃除したりしてわりと自由に行動している。
――あの日以来、サッチとマルコには会っていない。エースも気を遣って彼らの話題を私に振ることは無かった。どことなく今までの喧嘩とは雰囲気が違うことを察知していたのだろう。
そういうわけで、今日もまた一日彼の部屋で何をしようかと思っていると、彼が数冊の大きな本を抱えて戻ってきた。彼にしては珍しい本というお供に、私は「それどうしたの?」と声をかける。そうすれば彼はあー…と少し唸った後、サッチから渡されたと私が座っている机の上に慎重に置いた。サッチ、という名前にぴくりとした私の頭を彼はぽんぽんと撫でて、とりあえず見てみたらどうだ?と勧めてくる。
表紙には金の文字でアルバムと書いてあった。
「俺も見て良いか?」
「うん…」
彼に返事をして、そっと表紙を捲った。最初のページには私が初めてこの船に来た当時の写真がいくつもある。そういえば、サッチはやたらカメラを持って走り回っていたなぁと当時を思い返した。アルバムの中にいるのはほとんど私ばっかりで時々私と一緒にマルコやサッチが映っている。時たまアルバムの下には一言書かれていて、子供なんて育てた覚えのない彼らがいかに頑張って育児をしていてくれたのかが分かった。「お誕生日おめでとう」だとか「××センチ伸びた」だとかサッチがいちいち私の経過に一言付けていてくれていたことが嬉しくて、それと同時に申し訳なく感じて。
ベッドの上で私のアルバムを静かに眺めていたエースが、お前にもこんな時期があったんだなァと感慨深く呟いているのが聞こえた。それに当たり前でしょと返す。その言葉には棘など一切含まれておらず、私はまたページをぱらと捲った。
「あ……」
「どうした?」
私が声を上げたことでむくりとベッドから起き上がった彼が私の手元を覗き込む。そこには10歳の私のことを抱き上げているマルコがいた。そしてその写真の下に「がいて良かったよい」と彼独特の字でそっと書かれている。幾つもあるアルバムの中での唯一の彼の一言が、そこにはあって。それを見た刹那、私は胸をぐっと圧迫されるような感情に襲われた。
写真の中の私たちは、幸せそうに笑っている。抱き上げる彼の頬にすり寄っている私は、何も不幸せなことなどないといった笑顔を惜しげもなく振りまいていた。
そっと書かれていたマルコの一言。一つしかないが故の威力。その言葉の中にどれほど彼が私のことを大切に育ててきてくれたかがありありと想像できて、私は後悔と懺悔がために涙を流した。
「なぁ、お前はあいつらのことが信じられないって言ってたけどよ、あいつらはこんなにお前の事を大事にしてきたんだよ」
「、うん…」
「お前は幸せもんだぞ?海賊なのに、こんなに大切にされてさ。とんだ箱入り娘だよ」
「うん」
「あいつらのことを信じられなくても、あいつらの愛情だけは疑うな」
「う、んっ」
ぼろぼろと涙をこぼす私に彼は汚い顔だなァと笑って、タオルで優しく拭いてくれた。泣き続ける赤子をあやすように、彼は私の頭をぐりぐり撫でまわす。
今なら素直に言えそうだ。マルコに、サッチに「心配かけてごめんなさい」と。
十何年も私の為に色々としてきてくれた彼らに、あんなことを言ってしまってごめんなさいと。大嫌いだなんて、もう思っていない。思っていたのはあの一瞬だけで、本当は、私はずっとずっと前から彼らのことが大好きで愛しくて。それ故に私のことをもっと信用してほしいだとか捨てられるのが怖いとか思ってしまったのだが。


「私、マルコに謝ってくる……」
「――おう、行って来い」
私の心境の変化にエースは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐさま私が好きな太陽のような笑顔で私の肩を軽く叩いた。彼の手に後押しされたような気がして、私はこの勇気が挫けないうちに彼の所にいこうと椅子から立ち上がってエースの部屋を出、マルコの部屋に向かう。
マルコは今仕事中ではないだろうか、だとか拒絶されないだろうかという不安がぐるぐる渦巻いて、私は心臓が五月蠅く響いているのを耳元で感じていた。
とうとう彼の部屋の前に着いてしまって、ノックをしようと上げた手が震える。心臓もこれまでにないくらい酷く鳴り響いていた。
「……マルコ?私。入っていい?」
彼の部屋に入るためにノックをしたのはこれが初めてだった。声は少し震えている。暫く待っても返事がないことから、彼は別の場所にいるのだろうかと踵を返そうとした時、ああという扉越しのくぐもった彼の了承の言葉が聞こえた。
ばくばくと五月蠅い心臓を鎮める事も出来ないままに、私は震える手でかちゃりと扉を開く。恐る恐る踏み込んだ彼の部屋は、久しぶりに嗅いだ彼の匂いで満たされていて、それだけのことなのにじわりと涙が浮き出しそうになった。
けれど、今は泣く時ではない。彼にきちんと謝って許してもらわなくては。見栄を張ったばかりにエースを巻き込んでしまったあのことも嘘だと彼に伝えなくては。
「マルコ、忙しい時にごめんね、あの…私、」
私が部屋に入ってきても机に置いた書類から目を離すことなく処理をしていた彼に声をかける。彼の目が、私のことを映してくれないことが酷く恐ろしい。ごめんなさいを言おうとしていた口は、突如発せられた彼の殺気に震えて意味のない音を生み出しただけだった。
「なァ、
ゆらりと立ち上がった彼の目は確かに私を映してくれた。けれど、そこには私に対するいつもの優しい眼差しではなく、敵に対する射殺すような冷たい眼差ししかない。
――いつものマルコではない。
今までに向けられたことのない視線を向けられて、私は本能的に後退って扉のノブを握ろうとした。
「エースの奴と付き合ってんだろい?良かったなァ」
「――っ!?マ、マルコ…ッ?」
しかしそれよりも早く伸びた腕に私の首は絞めつけられた。ぎりぎりと私の気道を塞いでいるのは、紛れもなく私が愛した彼の手だ。その事実に頭がついて行かなくて、私は酸素を求めてただ口を開くことしか出来ない。
――どうして、マルコが。なんで。なんで。なんで。私の首を絞めてるの?
へし折ろうとさえするような力の込め方に、私は苦しげな喘ぎ声しか出せない。口からはだらしなく唾液がこぼれて、意識が途切れる前に見た、涙で歪む視界に映る彼は、瞳孔が開いた壊れた人形のような表情をしていた。



今は昼だ。外から聞こえてくる男達の元気な声が、私にはどこか別の世界のように聞こえた。
カーテンを閉められた部屋は薄暗くて、その空間に響く荒い息遣いと肌が打ち付けられる音が、私の鼓膜を揺らす全てだった。
「あ、う、う、」
……ッ」
マルコのものが私の中に何度も出たり入ったりをする。尻を突き出すように押し倒された私は、手首を背中で拘束されてこの状況から逃げ出すことさえ出来ない。襲い来る痛みと恐怖に、涙はとめどなく流れ落ちて、彼の枕がぐっしょりと濡れていた。
逃げる気力など更々ない。ただ、私にあるのは、絶望だけだった。

――マルコは私がいらなくなったのだ。

こんな、娼婦にするような行為を私にしたということは、もう私は彼にとって必要でなくなってしまったということなのだ。こんな酷いこと、彼は今まで私にしたことは無かった。
もう、私は彼にはいらないのだ。私が約束を破って、それに見栄を張った嘘を吐いたから彼は私が嫌いになってしまったのだ。
だから、彼は私を捨てる前に犯している。

枯れた声でごめんなさい、ごめんなさいと何度も彼に謝った。けれど、彼はこの行為を止めてくれない。私の口からは絶えず意味のない音と唾液と謝罪しか出てこなかった。心が、壊れてしまったのだ。

 捨てられる。捨てられる。嫌だ、捨てないで。もう、マルコは私のことがいらなくなったの?ごめんなさい、約束を破って。あんな嘘を吐いて。もう二度としないから、何でも言うことをきくから、お願いだから捨てないで。痛いよマルコ。痛くて、怖くて、マルコのことが大好きなのに、こんなことをしてくるあなたが怖くて。だけど捨てられたくない。ごめんなさい。ごめんなさい、マルコ。あなたに私はいらなくても、私はあなたが必要なんだよ。許して、マルコ。ごめんなさい。ごめんなさい。お願いだから、私のこと捨てないで。捨てられるのは嫌だよ。あの世界からも捨てられたのに、あなたにまで捨てられたら私は生きていけない。今度こそ、本当の化け物になってしまう。

「ごめ、なさ…ごめんなさい」

私の背中に落ちるのは、彼の汗かそれとも涙か。涙であってほしい。そう私はこんなことをされても嫌いになれない彼に縋りつく。腰を打ち付ける律動が一際激しくなって、一瞬後に吐き出された熱を感じて私は意識を飛ばした。


――この日、私たちの何かが壊れた。


2013/02/19


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