18:in the room

!!」
「……だぁれ?」
資料室に籠って夜寝られない分を仮眠して補っている所に、ばたばたと慌ただしい足音、次いで扉を勢いよく開け放つという暴挙をしでかした相手を寝ぼけながら睨む。入口から射しこんでくる逆光で顔は見えないが、あのテンガロンハットのシルエットは恐らくエースだろう。
何だろうと思いながらも、怠い身体をソファから持ち上げる気にはなれずに、そのままそこで彼を見つめる。
「俺、お前たちと家族になることにした!!」
ソファに寝そべっている私の所まで来て、清々しい笑顔でそう言う彼。何だ、そんな笑顔も出来たんだと思うと同時に、やっと決心した彼に笑みがこぼれた。久々の心からの笑みである。なんとも遅い決断に思わずだ。何かが彼を決断させるにいたったのだろう。にこにこと私を見下ろしてくる彼は太陽のようだと思った。
「そうなんだ」
寝たまま彼を見上げていると、彼は何故か目をぱちくりさせていた。どうしたの?と問えば、お前そんな風に笑えるんだなと驚かれた。何それ、私も思っていたのに。お互い様だな、と心中呟く。
「今日からエースは末っ子だね。私と同じ」
「何だよ、お前がいるから末っ子じゃねえよ」
明確にお互いの年齢を聞いたことはなかったが、どうやら彼は私の方が年下だと思っているらしい。まあ実際に聞いてみたら彼の方が一つ年上だったから、当たっていたといえば当たっていたのだが。
「でも男の中では末っ子じゃない」
「まあな。でも実質的にはお前が末っ子だ」
「私の方が先輩だよ?」
くすくす笑いながら言葉の応酬を続ける。ああ、こんなに楽しいのはいったいいつぶりだろう。一瞬でも、喉の渇きや自分でも制御できない凶暴な化け物が侵略していくことに怯える不安を忘れられていることが嬉しい。
「おい、こんなとこで寝てないで外に行こうぜ」
「ちょっと待って、身体が上手く動かないの」
光の少ない資料室は彼にとっては陰気な場所であるらしく、私の手を掴んで外に連れ出そうとする。けれど私は思うように身体を動かせない。そんな元気が身体には無いのだ。彼に引っ張られてふらついていると、彼が仕方がねえなとばかりに私のことを抱えた。マルコやサッチがするようなことをエースにされて「わ!」と情けない声が出る。それくらいに吃驚したのだ。
「今日から俺はお前の兄ちゃんだからな」
「何それ」
私の方が実年齢では年上なのに。にっと笑いながら私のことを見る彼に笑いが止まらない。楽しい。エースと一緒にいると不安を感じなくて済む。彼の存在は私の闇の部分を払ってくれるようなのだ。彼の手配書を見た時に、誰がこんなことになると思っただろうか。私を抱き上げる彼の身体は能力のせいかぽかぽかと温かくて、私はそれが気持ち良かった。いつもなら、彼の香りを嗅いでいたら噛みつきたくなるのに、今日はそれを感じなかった。ああ、真っ当な人間のようだ。顎を彼の肩に置いてかたかた揺らしていたら、彼がくすぐってえ!と笑う。
私たちはそのまま仲良くパパの所まで行った。


 私とエースは男女の仲というよりは、限りなく兄妹に近い仲だった。彼と一緒にいると、気兼ねなく過ごすことが出来る。それを私は好いていた。彼の前では気を使う必要もない。何より、話が合う。大人たちはたまに小難しい話をして楽しむけれど、私たちにはそういったものがない。私たちにとって大切なことは、何が楽しくて楽しくないかだけだった。年が一つしか離れていない事もあって、私たちはすぐに仲良くなった。
「おい、!お前またそんな所にいるのかよ」
「エース…。だって眠いんだもん」
私が資料室に籠って仮眠をしていると、必ずと言っていい程、彼は私の所にやって来て外に連れて行こうとする。けれど、最近では彼も私の肌の弱さを知ってくれて長時間外に連れ出そうという事はしない。ただ、数十分外で何かをしてその後は船の中に入る。そんなことの繰り返しだった。
ソファで横になっている私の所まで来て、彼が眩しい笑顔で私のことを見下ろす。薄暗い資料室の中でも、彼の笑顔は太陽のように輝いて見えた。
「じゃあ、今日はこの資料室を綺麗にしない?」
「はァ?態々休みの時間使って綺麗にするのかよ?」
今日は何だか外に出たくない気分の私は、この部屋を綺麗にして陰気な雰囲気を無くせば、エースも私がここに籠ることを嫌がらないだろうと思ったのだ。そうすればやはり彼は面倒だという顔をしたけれど、身体動かせるでしょと言えばまあそうかと頷いた。


「よっと、こんなもんか」
「次は床ね」
私たちはそれぞれの仕事を分担して、掃除をしていた。資料や文献などに対して丁寧に扱うことが出来なさそうなエースは窓や机、床などの設備担当。私は膨大な蔵書の埃を払っていく担当。
二人とも埃が舞う中でマスクをして窓を開け放ち、新鮮な空気を取り込む。ぱたぱた、きゅっきゅと掃除の音の合間に気ままに会話を続けていた。
窓にかかっていた埃っぽいカーテンも、二人がかりで洗濯して外で乾燥させている。近くで干しているため洗剤の良い香りがふわりと潮風に乗ってやってくる。


「終わったー」
「疲れた」
数時間掃除をし続けて漸く資料室の掃除は終了した。私が使っていた頃とは見違えるほど綺麗になった。まず日の光が窓から射しこんでくるあたりから違う。埃は殆ど無くなり、机や床もピカピカだ。埃っぽかったソファは外で日光消毒した後に叩きまくって埃を追い払って、もう寝ていても咳をせずにすみそうだった。
「綺麗になったなァ」
「そうだね」
二人して並べた対のソファにごろりと横になる。エースは身体が大きいからソファから足が飛び出していた。思いの外、掃除と言うものは体力を使うらしい。元気が取り柄のエースも少し疲れたようで「ふわぁあ」と大きな欠伸をしている。
ぽつぽつと会話を続けていたが、どちらともなく夢の世界に旅立って行ってしまって、二人して昼寝をしてしまった。


「おい、
「…んー?」
起きたのは夕方だった。窓からオレンジと赤が混ざったような色の光が射しこんでくる。ゆさゆさと揺さぶられる感覚に目を開くと、そこにはマルコがいた。眠たい目を擦りながらなんでここに彼がいるのだろうと思っていると、彼はもう一つのソファで寝ていたエースにもおい起きろと起こしにかかっている。
彼には容赦なく拳骨を食らわせていて、エースは「いてぇ!」と飛び起きた。
「お前ら、やけに静かだと思ったらこんな所で寝てやがって」
「掃除して疲れたの」
何だかよく分からないけれど、マルコは不機嫌らしい。元々栄養失調気味の脳みそはそのくらいしが情報を読み取ってくれなくて、私はどうしてソファの上で正座をさせられているのか理解できなかった。同じようにエースも正座をさせられている。どうやら彼は隊の仕事の時間になっても来なかったらしい。たぶんその時は二人とも夢の中だ。そういえばエースは一時間したら起こしてくれといったようなことを言っていたが、私もその時には既に片足を夢の中に突っ込んでいてよく覚えていなかった。彼が怒られる理由は分かるが、何故私は怒られているのだろうか。
でもそんなことを言ったら余計怒られるのは目に見えているので、私は黙って彼の言葉を聞いていた。西日とはいえ、資料室に入ってくる光が辛い。目に刺さる。
やっと説教じみた小言が終った時には、私はくらくらしていた。日の光はもう沈んでしまったから、今度は飢えによってである。早く夕食を食べに行きたい私は、同じく腹を空かせていたエースと共に食堂へ向かった。


 掌に残る名残惜しい熱を握り締めて、二人がいなくなった資料室をぼんやりと眺める。室内をどこというでもなく眺めている目は虚ろで、これを見たはきっと心配するのだろうなと思った。
――最近、彼女は俺たちとではなくエースとよく行動するようになった。一人きりでいる時間の方が長いようだが、それでも俺ではなくエースを選ぶ彼女になぜだという思いが募る。エースが俺たちよりも遥かに若くて魅力的だということは分かる。彼女が保護者だけではなく、友達がほしいという気持ちも分かる。
それでも、俺はが俺の傍から離れていくのが許せなかった。あれだけ、手塩にかけて育てた彼女が俺の隣から消えていくなんて認められない。彼女の事をこんなに、それこそ尋常ではない程に愛しているのに、彼女がそれと同じくらいに俺を愛していないというのなら、その時俺は――。


2013/02/12


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