17:Predator

 エースが白ひげ海賊団に乗ってから、私は彼を観察するのが日課になっていた。
今日も今日とて喉の渇きは酷い。けれど彼の前ではそれを隠す必要がなくて楽だから、私は彼の傍にいた。
「お前、毎日毎日俺の所にいて良いのかよ?」
「なんで?」
未だに彼は私のパパである白ひげの首を狙っている。それは幾度もパパ自身によって返り討ちにされていたけれど、彼はいまだ諦める様子がなく、隙あらば攻撃を仕掛けていた。たぶん、そのことを彼は指しているのだろう。マルコとサッチが私の保護者であるということはここ何日かで理解していたようで、エースは彼らが心配すると思っているに違いない。
その質問の意味を分かっていながらも、私はとぼけたふりをする。マルコたちは確かに私がエースと二人で一緒にいるのはあんまり良くは思っていないようだったけれど、それは彼以外とて同じである。それに彼らはこの新しい家族をパパ同様に気に入っているみたいだから、そこまで気にしなくても良いと思って私は彼と過ごしている。
「だから、あいつら心配しねーのかよ」
「大丈夫。家族なんだから」
ぶつくさと呟く彼に、私は虚ろな表情で返す。きっとエースはこいつ大丈夫かなとか思っているに違いない。それくらい私は空を見つめてぼんやりとしながら会話をしていた。
というか、それの一部は彼のせいでもあるのだが。彼は肉体が若々しい分、美味しそうな匂いを放つのだ。それはもう、マルコたちを越えるような。マルコたちは熟成されたような旨みの香りなのだが、エースはさっぱりとした血の香りだ。その中には甘さも多分に含んでいて、今すぐにでも彼の喉元に噛みつきたい衝動が駆け巡る。それを紛らわすために、私は関係ないものに目を向けていた。無意識に口の中に溜まった唾液を飲み込む。
そんな風になるなら、彼と離れていれば良いのに、私は彼の前では取り繕う必要がないことの方が楽に感じられて、ここから動けない。サッチたちの所にいけば嫌でも笑わなくてはいけないから。ここで、私を捨てる心配のない彼と過ごしている方が精神的に落ち着くのだ。
「変な奴」
そう言いながら彼もぼうっと空を見つめる。彼はどっか行けよとか言いながら、結局私が傍にいることについて何も言わない。きっと話し相手がほしいのだろう。他の船員の話では、彼はまだ皆に心を開いていないようだから、こんな風にしか話すことができない私でさえ重宝しているのだ。


という少女の第一印象は変な奴、だった。彼女の父親である白ひげの首を狙って戦いを挑んだにも拘わらず、何の警戒心も抱かず俺の横に腰を下ろす変わり者。
普通ならもっと離れたり、枷で身体の自由を奪うはずなのに、彼女はそんなことを気にせずに俺に話しかけてきた。ブタの耳と尻尾が付いたピンク色の長袖パーカーを着ている。フードを目深にかぶって、また極度に肌の露出が少ない。彼女をきちんと見るまではそんなことしか分からなかった。けれど、顔を上げて彼女を見ると、綺麗な白髪に薔薇のように赤い瞳。肌は船の上で暮らしているというのに、雪のように真っ白でいっそ病的にさえ見えた。普通の人間の容姿とは離れている彼女の雰囲気は独特だった。目の下には少し隈が出来ていて、笑いもしない。
この船に何日か乗って分かったけれど、彼女は俺の前以外ではにこにこと笑っている。俺と一緒にいた時が嘘のようにだ。やはり警戒していたのだろうか、と思うが、全然そんな気配はなかった。余所者の俺のことが気に食わないのか。そう考えても、進んで俺の傍にやってくる彼女に益々何を考えているのか分からなくなる。
俺は今までの経験で、笑わない=楽しくない、好きではないと考えていたから、この少女の行動が理解できなかった。俺のことが嫌いなら寄ってこなければ良い。けれど彼女はしょっちゅう俺の傍に来る。俺の隣にいる時の彼女は大抵ぼうっとしている。虚ろな表情で空を見つめ、四六時中喉が渇いたやらお腹すいたと呟いている、そんな奴。けれど、時たまその虚ろな表情が消えて、目が炯々と光る時がある。まるで飢えた肉食獣のようなその瞳に、焦燥感や不安といった負のオーラを漂わせることも間々あった。そういう時の彼女からは底知れぬ雰囲気を感じる。何か得体のしれない生き物と会った時みたいに。


「なァ、なんでお前は俺のとこに来んだよ?」
今日も今日とては俺の所にやって来る。俺は今日も白ひげの首を狙っているのに、この少女はいったい何がしたいのだろう。ついに日頃気になっていた疑問がぽろりと口からこぼれた。
彼女はその言葉にちらりと俺に視線を向けた。その表情は、いつも彼女の保護者である男達と一緒にいる時のような柔らかなものではなく、どこか疲れを含んだ眼差しだった。
「楽だから」
「は?」
ぽつりと簡潔に述べた彼女に、ハテナマークが浮かぶ。俺と一緒にいることのどこが楽だと言うのだろう。こいつらは俺の事を家族だというが、俺はまだこいつらの家族になった覚えは無い。虎視眈々と彼女たちの船長の首を狙っている男と一緒にいて楽?なんでだよ、と訊こうとしたが、俺はそこまで彼女と立ち入った話をしたことはない。加えて、仲間でも無い癖にそんなことを聞く必要もないと思った。
「あなたは、いつもの私を知らないでしょ?だから笑わなくて良いの」
「ふうん……」
そう言った彼女は自嘲するように少し微笑んだ。彼女の年齢に似合わないようなその笑みは酷く大人びているように見える。初めて見た彼女の微笑みが自嘲だというのはとても残念だけれど、理由を聞かなくても教えてくれた彼女に、少し興味を持った。
皆の前で笑わなかったら心配させちゃうから、と言った彼女の憂いに満ちた横顔をちらりと見やる。その目は闇を孕んでいる、そう思った。これは同じように闇を持っている人間にしか見抜けない光だ。俺もそういった一種の闇を抱えていたから、それを見つけることが出来た。今にもその内側の闇に食われてしまいそうな彼女は、ぱちりと瞬きをしてその闇を赤い瞳の奥に隠してしまう。
まるで、仲間のようだと思った。彼女が何の闇を抱えているのかは知らないが、それを彼女の仲間には見せたくないのだろう。だから、それを隠さなくて良い俺の所にやって来る。宛ら休憩場のような扱いに苦笑いが浮かんだ。けれど俺はそれでも良いかなと思えた。この船で唯一まともに会話が出来る相手が、俺と同じように闇を持っている。しかもそいつはいつも他の奴の前では明るく楽しそうに笑っている、そんな奴の裏の顔を見れるのが俺だけだという事が面白い。どうやら俺はには少し心を開いているようだった。俺の傍にはやって来るが、余計な詮索をかけたり深くまで関わって来ようとしない彼女のスタンスが良かったのかもしれない。俺の領域を守りつつ、人と会話が出来る。それが、嬉しかった。


「なあ、
「なぁに?サッチ」
ベッドに二人で横になって部屋の電気を消すと、彼が私の名を呼んだ。暗がりの中でも私はよく彼の顔が見える。徐々に暗闇に慣れ始めた彼もたぶんそうで、私はちゃんと微笑むことが出来ているか不安になった。最近は笑うことまで億劫になってきているのだ。身体はすこぶる重い。
「最近お前エースのとこにいるよな」
「うん」
構いすぎじゃねえのか?と不貞腐れたような声を出す彼に、サッチやマルコだってよく構ってるくせにと返す。私はよく知っている。彼らが新しい一番下の弟にもっぱら関心を寄せて、あれこれと手を出したがっているのを。彼がパパに返り討ちに会う度に笑い転げて、それで快く助けの手を差し伸べる。久しぶりの新しい兄弟だから、彼らは構いたくて仕方がないのだ。
「まぁそうだけどよ……」
「サッチは良いのに私は駄目なの?」
正論を返されて、彼がうっと返答に詰まる。返事をすることができずにいる彼は、私のことをぎゅっと腕に閉じ込めて溜息を吐いた。溜息を吐かれるようなことを言ったっけ?と思い返してみるが、分からない。最近は彼らと一緒にいない時の方が多かった。夜は一緒に眠るけれど、自由時間はもっぱら資料室かエースの所にいたから、もしかしたら寂しかったのかもしれない。こんないい年した大人が。いつまでも子離れできていない、なんて思う私は自惚れているのだろうか。願わくば、それが自惚れなんかではなく、事実であってほしいと思いながら、私はこの愛しい保護者の胸に顔を埋めた。

――寂しいのは私も一緒。いつまでも一緒にいたいのに、私は日に日に理性が崩れて化け物へと近づいていっている。
そんな私を彼らに見せるのが嫌なのだ。エースはそんなことを気にしなくても良い。彼は私のことなど全く知らないのと変わらないから。
じわ、と涙が滲む。怖い。段々自我が獰猛な獣に浸食されていくようで怖かった。私が、家族の血を求めている化け物だなんて知られたくない。捨てられるのが怖い。

――サッチ、見捨てないで。


2013/02/06


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