12:月夜に吠えろ

 この欲望に屈するわけにはいかない。翌日、マルコの腕の中で目を覚ました私は起きて早々決意した。
今日も資料室に籠って私の身体について調べなくては。傍で良い匂いを放つ彼から意識をどうにかして逸らして着替える。くわ、と欠伸をした彼は私の身体の異変については気付いていないようだった。
それで良い。こんなこと知られたくないのだから。絶対隠し通してやる。
けれど、身体が血を求めているのはどうにもできない。せめて他のもので気を紛らわせようと、朝食の時にお肉を多めに食べる。隣で食べていたサッチが、今日もまた肉いっぱい食ってんなぁと笑っていたが、私は血を欲しようとする身体を押さえつけるのに必死だから仕方がない。
最近お肉を好んで食べていた理由が今やっと分かった気がする。たぶん、人間の血を欲していると気が付かなかった時は無意識に擬似的なものを身体に取り入れようとしていたのだろう。
「ごちそうさま!」
「早いな」
一刻も早く私を誘惑してくるこの人間臭い場所から離れたくて、私はさっさと食事を終えて席を立った。こんな所にいつまでもいたら理性が持たない。誰彼かまわず血を求めてしまいそうだ。まだ朝食を食べていた二人がぽかんとしているうちに食堂を抜け出す。
――今日こそ、私の正体をはっきりさせてやる。
疑似餌を食べたことによって、少しだけ落ち着いた欲望を感じながら、私は資料室に足を向ける。だが、相変わらず喉の渇きは常にある。からからの喉に手持ちの水筒の水を流し込みながら資料室の扉を開けた。


 今日徹底的に探そうと思ったのは、想像上の動物だ。西洋のおとぎ話では狼男や吸血鬼など、そういった血肉を好む妖怪がいる。この世界には魚人や巨人が普通にいるのだし、そういった者がいてもおかしくは無い。私もそのうちのどれかかもしれないのだ。正体が分かれば焦燥感に駆られることなく、冷静に判断できるようになるかもしれない。
片っ端からおとぎ話や伝説上の生き物についての本を手に取っていく。昨日よりだいぶ本数が多いが、それを持ってきた机の上に置く。羊皮紙と羽ペン、インクもその隣に並べ手際よく情報を纏めて後で比べられるようにもしておいた。
まず、最初に開いたページは人狼についてだった。

『一般的に「満月を見ると狼に変身する」「銀の弾丸で撃たれると死ぬ」とされている、狼の頭部を持った人間のことを指す。満月を見ると通常の人間から狼の姿へと変身すると伝えられている。獣人化すると凶暴になり、人間の血肉を好むようになる。神学者たちはそれを悪魔の所業であるとして強く恐れていた。……』

狼人間についての伝承は少ないらしい。空想上の生き物のことについて研究する物好きはやはり少ないのだろう。とりあえず、文献に書いてある特徴を羊皮紙の人狼の欄に書き写していく。血肉を好む、という部分は今の私に当てはまる気がするが、私は満月を見ても狼になってはいない。それは何度もサッチと月見をしていたから確認済みだ。
次のページは魔女のことについて書いてあった。だが、魔女は特に血肉を好むなどという表記は無かったため、特に羊皮紙に書き写すこともなく、次の項目に飛んだ。吸血鬼の文献だ。今の所、この吸血鬼という存在が私に一番近いような気がする。ごくり、と生唾を飲み込んで目で字を追った。

『生と死を超えた者、または生と死の狭間に存在する者、不死者の王とされる。凶悪な犯罪者の通称としても使われる。一般に吸血鬼は、一度死んだ人間がなんらかの理由により不死者として蘇ったものと考えられている。この場合、吸血鬼という名称が用いられているが、人間の血を吸う行為は全ての吸血鬼伝承に共通するものではない。
多くの吸血鬼は人間の生き血を啜り、血を吸われた人も吸血鬼になるとされている。一度死んだ人間が蘇ったもの、生きているもの、幽霊のように実体が無いもの、魔女、精霊や妖怪などの人間ではない存在、狼男、変身能力を持った人間、吸血動物、睡眠時遊行症者が該当する。
古くから血液は生命の根源であると考えられており、死者が血を渇望するという考えも古くから存在する。
吸血鬼伝承の形態は、全ての民間伝承がそうであるように地域や時代によって一定しないが、一度は葬られた死者が、ある程度の肉体性を持って活動し、人間・家畜・家屋などに害悪を与えるという点では、おおむね一致している。
死者が吸血鬼となる場合は、生前に犯罪を犯した、神や信仰に反する行為をした、惨殺された、事故死した、自殺した、葬儀に不備があった、何らかの悔いを現世に残している、などの例が挙げられる。また、これらの理由以外にも、まったく不可解な理由によって吸血鬼になることもあるとされた。そのため吸血鬼の存在が強く信じられた地域では、墓に大量の黍を捲く、にんにくを置く、茨を置く、一定期間墓の周りで火を焚き続ける、などの予防措置がほぼ全ての死者に対して行なわれた。
吸血鬼がその活動によって与える害悪としては、眼を見る・名前を呼ぶ・何らかの方法により血や生気を吸うなどの手段により人を殺す、家畜を殺したり病気にする、家屋を揺さぶる、生前の妻と同衾し子供を産ませるなどの例がある。
最近では、吸血鬼に生き血を吸われた人間や、吸血鬼に殺された人間が吸血鬼になるとされることも多い。………』
その他にも吸血鬼の特徴が事細かく書かれている。狼人間に比べて情報量の多さにいったいどこまで読めばいいのかと吃驚してしまったが、休めることなく手を動かす。吸血鬼の性質において、私はいくつも当てはまる箇所があった。それには丸印を付けていく。昔から日光には弱いと思っていたが、今現在では1時間も直射日光に当たっていると身体が熱を持ち融けてしまいそうにしまいそうな感覚になる。表面は火に焼かれているような感覚がするし、身体の色素が薄いせいかと思っていたが、どうやら違うらしい。また、この喉の渇きは血を欲している故だと判明した。吸血鬼は死者の王として存在するために、血を奪うことによって生気を得るのだ。定期的に血を飲まないと段々弱っていくらしい。
理由はどれも私に当てはまらない気がする。私は(たぶん)元の世界では死んでいない。死ぬ前にこの世界に飛ばされて赤子になっていたのだ。私に死んだ記憶は無い。
それとも知らないうちに死んでいたのだろうか。ああ、もうこれはいくら考えても分かることはないだろう。大切なのは限りなく私の今の状況が吸血鬼に近いということであって、それをどうすれば解決できるかということだ。
人間としてまた生きていけるようになるためには、いったいどうすれば良いのか。今度はそれを調べることにした。


 がりがりと書き進めて行った羊皮紙が段々黒く染まっていく。吸血鬼の特徴や性質が細かく書かれたそれは、今後私の身体にどのような変化が訪れるかを検証するのに使うつもりだ。今はひたすら、人間に戻る――吸血鬼になった記憶など全く無いが――手段を探す。
だが、探せど探せどもそのような情報は出てこない。苛立ちと焦燥から、無意識に噛んでいた親指の皮がぷつりと切れてぷっくりと血が浮かんだ。
あ、と思ってそれを舐める。じわ、と舌の上で広がった血の味により一層喉の渇きが強くなった気がした。ああ、これからは気を付けないと。そう思って親指の先を見ると、そこにある筈の傷が無かった。
どういうことだ。そう驚いてしげしげと親指を触ってみるが、血が滲んでくることは無い。まさか、唾でもつけときゃ治る、なんてよく人が言っているけれど、それが本当だったというのか。もしかしたらこれも吸血鬼の特徴の一つなのかもしれない。羊皮紙の一番下に、それを書き足す。
なんだか、自分が化け物じみていてほとほと嫌になった。元々吸血鬼になった記憶も無いのに、元の人間に戻る方法を探して、自分のやっていることが本当に正しいのか分からない。
――ずっとこの部屋に閉じこもって調査していたからこんな風になってしまのだろう。
つんとした鼻を感じて、休憩にトイレにでも行こうと立ち上がった。ついでに顔を洗えば気分もしゃきっとするに違いない。
そう思って資料室を出る。すぐ側にある女子トイレに入って用をたした後、鏡に映る自分の顔を見て思わず自嘲した。
「酷い顔……」
14歳にしては幼い顔付き。そしてその幼い顔には似合わない疲労の色。そんなものが私の顔に表れていた。まるで飢えた獣のように赤い瞳がぎらついている。洗面台で勢いよく出した水で数回顔を洗う。ぽたぽたと水が滴るのをハンカチで拭いて、私はもう一度鏡の中の自分を見た。
――雪のように白い髪に、赤い瞳。肌は透き通った白。昔の自分とは似ても似つかないその容姿。
キッと鏡の中の自分が睨んできた。この容姿を最初の頃は驚いて受け入れられなかった。鏡を見てもまるで自分ではない人間がこちらを見ているようだったし、赤い目なんて気持ち悪いと思った。
肌は白くて嬉しいなとか思っていたけれど、それも今となっては笑ってしまう。
この、私であるけれど私ではない容姿が、吸血鬼としての自分なのだ。赤い目なんて今までで一人か二人くらいしか見たことが無い。それほど赤い目の人種が少ないのだろう。
この姿が、今は憎い。この世界に来た時から私の容姿は変わってしまった。この世界に私を連れて来た何かが、もしくは私をあの世界から捨てた何かが、私のことを吸血鬼として変えてしまったのだ。
――どうして。私はそんなこと望んでいなかったのに、どうして私の幸せを壊そうとするの?
「この、悪魔が……」
鏡の中の自分を野次って叩いて、立ち上がれない位にしてやりたい。がんっと鏡を叩く。
平凡で良かった。黒髪黒目で、どこにでもいるような、そんな少女で良かった。丈夫な体にしてくれて嬉しい、感謝している。けれど、誰が化け物にしてくれだなんて頼んだ。
私は普通の女の子でいたかったのに。どうして、こんな。
一人でこんな苦しい思いを背負って生きていかなくてはならないのだ。
「う…っ、く…、ふっ」
涙が出てきた。立っているのが辛くてずるずると蹲る。
今となっては分かる。この異常なまでに発達した五感も、血に飢えだしたのも、全ては初潮が来た時からだ。少女から大人の女に変わっていくその変わり目の時から、私の身体の中の化け物が目を覚ました。
こんなんだったら、やっぱり生理なんて来なければ良かった。あんなに嬉しかったのに。やっと、本物の女になれたんだって思いでいっぱいだったのに。
悔しい。悔しい。
誰か、私の知らない誰かが、こんな私を見て嗤っているのだろう。こんな状態になった私を影からにやにやと笑って、それを見て楽しんでいるに違いない。
この内側に巣食っている凶暴な獣が、私を狂わせたのだ。

――私は、惨めな怪物。


2013/02/03

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