10:目覚めた渇き

 喉が渇いて目が覚めた。けれど、辺りはまだ真っ暗で今の時刻が起きているような時間帯でない事を伝えてくる。どうしようかなと思いながらも喉の渇きを誤魔化すことが出来ずに、そっとサッチの腕の中から出てキッチンへと向かった。
ぺたんぺたんとサンダルの音を響かせながら食堂の扉を開ける。こんな丑三つ時に起きて普段しないようなことをしているからか、何か冒険をしているような気分になった。お化けがでるかもしれないという少しの幼稚な不安と期待が込められたスリル。それで胸をドキドキさせながら目的の水をコップに注いで飲む。そうすれば渇きは収まってようやく安眠できるとサッチの部屋に戻った。そうっと開けた扉の先には気持ち良さそうに寝ているサッチの寝顔が見える。彼の横にするりと潜り込んで、私はまた目を閉じた。


「……?」
あくる日の夜も喉の渇きを覚えて目が覚めた。夕飯にしょっぱいものを食べたせいだろうか。水分を求めている喉に、いったいどうしたものかと考える。今日一緒に寝ているのはマルコだ。がっちりと私のことを腕に閉じ込めて寝てしまっている彼の元からキッチンへ行くのは至難の業だろう。彼を起こさないように腕を動かしても、基本眠りの浅い彼を起こしてしまう確率の方が高い。
あーあ、こんなんだったらあんなにソースかけるんじゃなかったなあ。なんて後悔をしながら、どうにか彼を起こさないように細心の注意を払って腕を緩くさせていく。身体に巻きついているがっしりとした腕を剥すのは大変だったが、緩くなった腕からするりと身を抜け出して、夜の廊下を歩いた。
静かな海に照らされる月の光を見ながら、星が綺麗だなぁと上に首を向ける。キッチンに着いた私はこの前のようにコップに水を注いでそれをごくごくと飲み干した。ああ、すっきり。
布団から抜け出したせいで身体は少し冷たくなっている。早くマルコの所に戻って寝てしまおう。そう思って成るべく速く、だが足音を立てずに彼の部屋に小走りした。


「(またか………)」
夜中に喉が渇いて目が覚めるのは何度目だろう。以前は全くこんなことなど無かったのに、ここ最近の一年ではこういったことが段々増えてきた。今日はこれといってしょっぱ過ぎるものを食べた記憶はない。寧ろ、素材の味を活かしたレシピだったようで、いつもより薄味だったのだ。ああ、こんな夜中に起き上がるのも面倒だ。けれど喉が渇く。そう思いながらサッチの腕の中から抜け出す。廊下に出るとひやりとした空気が身体を包み込む。もうすぐ秋島が近いのだろう、船が進むにつれ段々気候が冷たいものになってきた。
「のどかわいた……」
食堂の扉を開けながらぼそりと呟く。昔はわざわざ電気を付けて水を飲んでいたが、今ではそんな電気を付けることなく水を灌ぐことが出来る。どうやら私は夜目が利くらしい。電気を付けなくても食堂に何が置いてあるのかが分かるのだ。それは風景においてもそうで、皆に比べて遠くの方までも見ることが出来た。双眼鏡いらずだ。
「……おなかいっぱい……」
おかしい。いつもなら水を一杯飲んだら満足してまた眠くなってくるのに、今日はまだ喉の渇きを訴えてくる。まだ飲み足りないのかと思ってもう一杯水を飲んでみるけれど、それでも喉の渇きは収まらなかった。たぷたぷとお腹の中で水が揺れているのを感じる。
いったいどういうことだろう。流石に一年近く夜中に喉が渇いて目が覚めるということをやってきたら疑問にも思う。
もしかして糖尿病なのだろうか。同じ病室にいた糖尿病になった人はよく喉が渇くと言っていた。そんな糖尿病になるような不健康な食生活はしていなかったと思うが、この喉の渇き様は異常だ。この前の健康診断では異常なしという結果だが、万が一ということもある。
だが、とりあえず今は眠ろうと思った。このままじゃ寝不足で朝起きられなくなってしまう。今度からは夜喉が渇いて目が覚めても平気なように枕元に水筒でも置いておこうと決めた。


 だが不思議と、朝になればそんなことを無かったように忘れてしまう。おかげで調べておこうと思うだけで既に一か月経過していた。
今日も日差しがきついと思いながら昼食に向かうサッチとマルコの後を追う。待ってー、と今では鎖骨まで長くなった白い髪を揺らしながら食堂に入った。食堂に入った瞬間溢れる匂いに、今日はステーキだ!と嬉しくなる。他にも、一度嗅いだことのある匂いなら、私は判別できるようにまで嗅覚は鋭くなっていた。そんな風に匂いを選別できるくらいになってしまったのは生理が来たからだと勝手に思い込んでいた私は、血も滴るようなステーキを前に大喜びした。
「わーい、ステーキ!」
「お前、肉が好きだよなぁ」
「ちゃんと野菜も食えよい」
最近の好きな食べ物はお肉!と断言してしまう程、私はお肉が好きだった。殊更、血も滴るようなミディアムレアな状態のお肉が好きだ。けれど、それは牛肉に限る。とにかく、じゅわっと肉汁が出てくるお肉が好き。そんな風にお肉が好きになったのは生理を迎えてからだと思うけれど、育ち盛りなんだから別に変なことではないだろう。
もっと、女の子ならケーキとか甘いものと言うべきだろうけれど、今の私にはお肉さえあれば良いといった様子だ。そんな肉食な私に、マルコは当然のように野菜をもっと食べろと要求してくる。私はそれに従いながらも、どうやったらこのお肉をおかわりできるかなと考えていた。たぶんおかわりと言えば料理長は喜んで出してくれる。けれど、その隣でマルコが野菜もさらに追加しろと言うに決まっている。それは嫌だ。お肉がお腹に入らなくなってしまう。
「いつからそんな肉食獣になっちまったかなぁ」
「サッチのケーキも好きだよ?」
けれど、お肉と比べると、お肉になってしまう。でもまあ確かに、サッチが言うように私は異様にお肉が好きだなあと思う。特に牛肉。ブタと鳥はしっかり火を通さないといけない分、肉汁に血は混ざっていない。あの、牛肉から溢れる血が良いのだ。程よく脂が混ざった血と一緒にお肉を食べると、生きているという感じがする。
「まあ、健康体なら良いが、もっと野菜を食わねえと心配だよい」
「はぁい」
注意するように向けられたマルコの目にうっと言葉が詰まる。確かに今までお肉ばっかり食べてばっかりだったからそんな目で見られても仕方がないだろう。少しお肉は休憩することにして、私は傍にあるサラダをフォークでつついた。しゃきしゃきとした食感に、やっぱりお肉の方が良いなと考える。
「今度の誕生日には肉一年分にしてやるかねい」
「あはは、それ良いかも!」
冗談に違いないだろうが、そう言ったマルコの言葉に笑う。14歳の誕生日プレゼントがお肉だなんて同じ年頃の女の子に比べたら全然色気など無いが、私はそれでも良いかもしれないと心中こぼした。
そんなにお前肉が好きなのか?と隣のサッチからからかいの言葉が投げられるが、うんと頷くだけである。さて、サラダも全部食べ終えたし、残りのお肉を食べてしまおう。
「いっただきー!」
「ああ!サッチ!!」
だが、私がフォークでステーキを刺すよりも前に、横からにゅっと伸びてきたサッチのフォークが私のステーキを奪っていった。へへ、と笑う彼はぱくっと口の中にステーキを放り込んで「うめえ」と呟いている。
してやったりとほくそ笑む彼の皿の上にはまだ何切れかのステーキが残っている。私はそれを全部刺して一気に口の中に入れた。もちろんサッチにまた盗られないように、既に自分の皿のステーキは完食している。
「あ!お前よくもやったなー!」
「サッチがいけないんだよ!」
「お前ら、食事中は静かにするよい」
ステーキを巡ってじゃれ合う私たちに、前に座っているマルコが呆れたような顔をしながら注意する。口喧嘩をしながらも、本気ではないのでけらけらと二人して笑い合っていると、彼は諦めたように残りの料理をくちに運んでいた。


――喉の渇きは忘れた頃にやってくる。私は毎晩それに悩まされる。昔は週に何度かのペースだったそれが、近頃では毎晩だ。起きている間は渇かないのに、一度寝るとその渇きを覚える。この渇きの正体は分からない。
水を飲んでも収まらない。何か、他のものを求めているとでも言うのだろうか。その求めているものが何か分かれば、この苦しみからも解放されるのだろうか。それだったら、早くその目的のものを探し出したい。
今はまだ我慢できているけれど、これからもっと酷くなっていくなら、なるべく早く解決したい。こんな渇きをいつまでも我慢できそうにもないから。
そして私は今夜も目を覚ます。最愛の人に抱きしめられながらも、その腕の中をするりと抜けだし水筒の中の水を飲む。ごくごくと水を流し込んでも喉の渇きが癒えることはない。

――足りない。私はいったい何を渇望しているというのだろうか。


2012/02/02


inserted by FC2 system