09:艶やかになっていく蝶

 ごろりと寝返りを打つ。けれど、サッチに抱きしめられている状態だから、あまり変えることはできないことを無意識に分かっていた。ずくずくと下腹部に何やら鈍痛を感じて徐々に意識が浮上してくる。
サッチはそんな私をまたしっかり抱きしめて小さく唸った。それで私の意識は覚醒した。
「……………?」
何だかよく分からないけれどお腹が痛い。それもいつもとは違うお腹の痛さで、身体の奥底から来るような鈍痛だ。何か悪いものでも昨日食べたっけと考えてみたが、別に思い当たる節はない。
どことなく下着が濡れているような感覚がして、嫌な予感がした。まさか、まさか。
「……血だ…」
「ど、した……?」
サッチの腕を無理やり退かして起き上がってシーツを確認すると、小さな赤い染みが出来ていた。隣で寝ぼけ眼だったサッチもそれを見たら「うお」と少し驚いた様子で、私はただ茫然とその血痕を見つめていた。
――生理を体験したのは初めてだった。前の世界では生理がくるほど私の身体は正常にできていなかったらしい。だから知識としては知っていたけれど、実際に来てみると案外どうすれば良いのか分からなくなってしまった。
未だ生理について考えていた私よりも、男であるサッチの方がテキパキと新しい着替えやナプキンを用意してくれて――そろそろそのくらいの年頃だろうと思って用意していたらしい――私は言われるがままにそれに従う。
「お前ももうそんな年かァ。一つ大人になったな、おめでとう」
「ありがとう」
漸く軽いショックから立ち直って、これで私も子供を産める身体になったのだなと感慨深く感じた。元の世界では元々子供を持てるような年齢ではなかったけれど、こちらの世界ではそんな年齢になるまで生きていられる希望が高い。もちろんそれは健康面だけだけど、ここは天下の白ひげ海賊団だし、めったに危険な目に会うことは無い。平穏に暮らしていれば、結婚して子供が出来るような年齢まで生きることは出来る筈だ。
誕生日に彼らから貰ったチョーカーとイアリングを付けながらそんなことを考える。
「マルコにも伝えてこいよ」
「うん」
洗面所でシーツを洗ってくれている彼にお礼を言って部屋を出た。お腹は未だに鈍痛がするけれど、気分は晴れやかだった。たぶん、本当の女になれたからだと思う。性別上は女でも子供は生理がきた女からしか生まれないのだ。その生物にとって必要な女になれたことが嬉しいのだろう。
「マルコー?」
「どうした?こんな朝早くに」
とんとんとノックをしてから彼の部屋に入ると、ベッドに座ってくわと欠伸をした彼がいた。サッチの時には当然の成り行きだったから恥ずかしさも感じなかったが、なんだろう、いったん落ち着いて他の人に報告するとなると言いにくさを感じる。だが相手はマルコだ。今まで私の恥ずかしいことなど全部見られてきた。今更こんなことで恥ずかしがるなんておかしいだろう。
「……生理がきた」
「……本当か!?良かったなぁ!」
寝起きで言葉を理解するのに時間がかかった彼だったが、すぐさま喜んでお前も大人になったんだなぁと呟いた。そんな彼の膝の間に座れば、ぽんとお腹を撫でられた。痛くないか?と訊いてくる彼に少しと返す。ほんのりと温かさを持つその大きな手がお腹に乗せられているのが安心できる。鈍痛も心なしか落ち着いた気がした。
「今日はお祝いだな」
「この前誕生日を祝ってもらったばかりなのに」
膝の中に座ったまま彼に甘えていると、抱きしめられてそのままベッドに横になった。珍しくごろごろと怠惰に過ごそうとする彼に流されて私も再び眠くなってくる。それもそうだ、いつもの起きる時間より一時間も早い。こんな時間に起こしてしまった彼らには本当に申し訳ない事をしてしまった。
「とりあえず、あと一時間寝るよい」
「うん」
優しく背を撫でられて、再び開けようとした瞼はもう持ち上がらない程にくっついてしまった。
きっと寝過ごしたらサッチが起こしてくれるだろうという根拠のない確信を持って、私はまた夢の世界に落ちて行った、


――夢の中で白い女の人と出会った。私と同じように白い髪と赤い瞳を持つ彼女。一見冷たそうに見えるけれど、私よりはるかに背の高い彼女は私のことを優しい眼差しで見下ろしていた。
、あなたも一つ大人になったのね」
「はい」
一面の白い世界の中で、彼女と二人きり。二人とも足元まで隠れる長い白のワンピースを着ていて、周りの白に同化してしまいそうだった。玲瓏とした響きを持つ彼女の声に、自ずと敬語になる。この真っ白な世界の中で、唯一私たちの目と唇だけが色を放っていた。
「これは一つの境目よ。今日からあなたの身体は変化し始める」
「はい……」
変化という言葉に頷く。生理がきたということはこれから自分は徐々に女の身体つきになっていくといことだろう。それは前の世界で既に習っていたことだから何となく分かる。まあ実際そこまで変化しなかったからあまり分かっていないのと同じなのだろうけれど。
私を見つめる赤い瞳はひたすら優しい輝きを放っていた。その赤い瞳の中に自分が溶けていきそうな感覚に陥る。私と同じ目の色をしているのに、何故かこの人の方が底が見えないと思った。
「これから辛いことが起こるかもしれない」
「え?」
私ではなく、その先を見据えた彼女の言葉に間抜けな声を上げる。辛いことって何だろう。確かに人生楽しい事ばかりではなく辛いことだってたくさんある。けれど、今それを言うことなのだろうか。
「あなたの力が試される時が来るでしょう」
「どういうことですか?」
真意を図りかねる彼女の言葉に、問いかけてみるけれど彼女は私の声が聞こえていないかのようにそのまま話し続ける。いったい、どういうことだ。彼女の言っていることの半分も理解が出来ない。理解しようとする頭よりも、彼女の声をただ聞けという欲望がそれを困難にする。
「けれど、いかなる時でも、私たちは共に在るのよ」
「え、どういうこと――待って!」
これが最後の一言だったのだろう、彼女が私に微笑んですうっと消えていく。いったい、彼女は誰なのだ。こんなわけのわからない事をあれやこれや言い述べて、少しくらい私の質問に答えてくれてもいいではないか。消えゆく彼女に手を伸ばすけれど、彼女は周りの白に溶け込んでしまって見えなくなった。
そして徐々に私も辺りの白に溶け始めた。ああ、もういったい何なんだろう。理解できない。


「おーい、二人とも起きろ。朝食食い逃すぞ」
「んぁ?」
ゆさゆさと揺さぶられる感じがしたと思ったら、サッチだった。マルコの腕の中で二度寝をしていた私はその振動に目が覚めて間の抜けた声を上げた。
何か夢を見ていた気がしたが、今の衝撃で忘れてしまった。まあそんなに気にするほどの夢でもないだろう。そう思って乱れた髪の毛を手櫛で整える。その様子を欠伸を噛み殺しながら見ていたマルコが洗面所から本物の櫛を持ってきて梳いてくれた。
「ったく、二度寝だなんて良いご身分だなァ」
「すみません……」
自分が汚したシーツをそういえばサッチが洗ってくれたのだと思いだして素直に謝る。そうすれば彼はそんなのどうでも良いから早くメシ食いに行こうぜと私の手を引っ張った。
部屋を出てすんと空気を吸えば、食堂から漂ってくる香りが分かる。ん、なんだ。今日は牛肉、タマネギ、トマト、タマゴ、チーズ、フランスパン…この材料だとオニオンスープやサラダといった感じか。今日の私の鼻は冴えているらしい。
お腹が空いたなと思いながら海を見やると、何だかいつも以上に太陽の光が反射した海面が煌めいていて、うっと目を細める。やけに今日は太陽の照り付けが強い気がする。
「おはよー!」
「おう、おはよう!」
料理長から料理が乗ったプレートを受けとる。朝からお肉かと思っていたが、実際に目の前に並べられると案外大丈夫なようだ。むしろ、牛肉の香りを嗅いだ瞬間にお腹がぐうと鳴ってしまったほどである。
「いただきまーす」
以前よりも格段に使い方が上手くなったフォークとナイフで朝食を食べ進めていく。ぱくぱくと食べていると、食欲旺盛だなぁとサッチに頭を撫でられた。どんどん食って大きくなれよという意味らしい。まあ横に大きくなるのは嫌なので消費できる分しか食べたくはないが。


 朝食を食べ終わった後は、甲板にいるパパの元で本を読んでいた。しかし、日光がきつくて読書に集中できない。じりじりと照りつける太陽に、パパたちは平気そうにしているのに、私はじわりと汗が滲んでいた。船に乗っている時間の違いなのだろうか?そう思いながら長袖の上からでも熱を持っていると分かる肌に触る。思っていた通り、肌は赤くなっていた。今まで長袖でどうにかしていたけれど、これからは日焼け止めも必要になるかもしれない。日光には弱い私の肌は未だ真っ白で、それを見て少し溜息を吐いた。
海にいる身なのだからもう少し日光に強い身体でも良かったのに、と。けれど、それ以外はいたって健康であるからこれはきっと我儘なのだろう。
そう諦めて私は火照った肌を冷ます為にサッチの部屋へと向かった。


2012/02/02
←良かった!

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