06:恐れるのは、独り

 先日、は上陸した町で迷子になった。
目の前から消え失せてしまった彼女に、俺の背にひやりとした寒気が走った。それがどれほど恐ろしかったか。彼女がどこかの不埒な輩に捕えられて閉じ込められたり、どこかに連れ去らわれて売られてしまったらと考えると、居ても立ってもいられなかった。
町の捜索はサッチに任せて、一度俺は船に戻ってが迷子になったことを伝えた。そうすれば甲板にいた連中は一様に慌てだしてああだこうだ言い出すから、珍しくオヤジが大きな声で俺たちを鎮めた。
「何人か一緒に探してやれ。ここは俺のなわばりだから比較的安全な町だ。もし、が帰ってきたら連絡するから行って来い」
「ああ、ありがとうオヤジ」
落ち着きを取り戻した俺たちは、数人引き連れてまた町の方にやってきた。普通、何かあったら海兵の屯所に行けばどうにかなることが多いが、俺たちは海賊だ。迷子を捜してほしいなんて言えない。だから比較的悪人顔じゃない奴らを連れてきて道行く人に声をかけまくった。
しかし彼女の写真を持っているわけでもないから、彼女の身体的特徴と今日の服装を説明しながら回る。大抵の人間は知らないと言っていたが、一人、八百屋の女主人が「ああ、その子なら赤ん坊を抱えて走っていたよ」と情報を教えてくれた。なぜが赤子を抱えていたかは分からないが、とにかく先程までは無事だという事実に安心した。そんな目立つ様子の彼女を見つけるのには、そんなに時間もかからないだろうと少し平静を取り戻した時に、サッチから連絡があった。
を見つけた。もう大丈夫だ』
「ああ、そうかよい……。ったく、あのバカ急に走り出しやがって!!」
サッチがを保護したということで一気に安堵して次いで怒りがやってくる。ああ、もうこれほど心配をかけやがってあの娘は。迷子にならないようにとしっかり繋いでいた手も、急に走り出したら意味がないではないか。
本当に、寿命が縮んだ。ともかく彼女の無事を自分の目で確認するためにサッチのいる所へ歩き出す。その最中に子電伝虫で散らばっていた仲間たちにを捕獲したことを伝えた。これであいつらも安心して船に戻れるだろう。
「ったく、いったいどこにいたんだよい……」
サッチの腕の中で眠る少女を見て、心底安心した。どこにも怪我はないようで、だが流した涙の痕だけは残っていたから、怖い思いをしたのだろうなと思った。
はぁ…と精神的疲労をたっぷりと含んだ溜息を吐きだすと、サッチが苦笑している。
「こいつも懲りたようだからもうあんなことしないだろうさ」
「もう、当分外出禁止だ」
こんな恐ろしい思いをするのは今回限りで十分だ。普段、が俺の視界から消えるだけでも不機嫌の原因に繋がるというのに、こんな迷子だなんて洒落にならない事態になるのは金輪際無しであってもらいたい。本当に、気が狂うかと思った。
こんな簡単に逃げ出せてしまえるのだなと思うと、酷く心が寒くなる。今度からはそんなことにならないように気を付けなければ。彼女が逃げてしまわないように、しっかりと捕まえておこう。


そんなことがあったせいで、俺のへの監視の目は厳しくなった。前以上と言っても良い。当分の間島に上陸するのは認めないと言った時、はぐずるかと思ったが予想外に大人しく頷いたから、そんなに迷子が怖かったのかと思った。それとも、迷子の間に何かがあったのか。
八百屋の女店主が赤子を抱えていたと言っていたのに、サッチに保護された時はそんな赤子など持っていなかったらしい。いったい、その赤子はどうしたのだろうか。そう彼女に問うてみれば捨てられたみたいだから海兵の屯所に預けてきたと言う。自分が迷子の時によくそんな余裕があったなと思ったが、それ以上を語ろうとしない彼女に無理に訊くのも良くないかとその話は切り上げた。十中八九、その赤子との間に何かがあったのだろう。
彼女は自分がサッチに拾われたことを知っている。この幼い年齢ではまだよく理解できないと思うだろうが、後々彼女が傷付かないようにするためにも、俺たちが本当の親ではないことを幼い頃から少しずつ伝えてきた。本当の親じゃないからと言って愛情が無いわけではない、むしろ愛情はあり余る程あり、俺たち以外にもオヤジや他の船員たちも大きな愛情を与えてきた。だから、俺たちがのことを愛しているのは伝わっていると思う。
けれど迷子になってからの彼女はどこか余所余所しさを感じる。反省して良い子になっているのなら分かるが、そうではなく、その先の何かに怯えているように思えるのだ。捨てられた赤子を見て思う所があったのかもしれない。
、もう寝る時間だよい」
「うん」
昨日、彼女は泣きつかれてそのままサッチと一緒に寝てしまったから、今日は俺と一緒に寝るのだ。と一緒に寝るようになってから、俺はめっきり早寝早起きをするようになった。成長期のが未だ小さなままなのも気になっていて、彼女が寝る時は俺も一緒に寝るようにしたのだ。どうしても終わらせなくてはいけない書類がある時は、彼女を寝かしてからサッチの部屋を借りて片づけたり、彼女をサッチに預けることもあった。
しかし、先日のこともあって、俺はなるべくの傍にいてあげようといつもより早めに寝ることにした。
もそりと俺の横に入ってきた彼女の身体は眠たいのか温かい。俺よりも何度か高いその熱を愛おしく思いながら背を撫でる。ぎゅうと小さな身体を包み込んでやれば、安心したのか力を抜いてすり寄ってくる彼女。真っ白な子猫のようだと思いながら、そっと彼女に話しかけた。
「本当に、お前が見つかって良かったよい…」
何度も何度も良かったと呟き、の頭を撫でる。彼女が何に怯えているのかは分からない。今すぐにでもその原因を聞きだしたいところだが、どうにも彼女は言いたくないようなので、ただどれだけ俺が彼女の事を思っているのかを伝えてやろうと思った。
それを何度も繰り返していると、今までだんまりを決め込んでいた彼女がぽつりと何かを呟いた。だが、小さかったそれは俺の耳に入る前に消えてしまって、俺は「ん?」と訊き返す。
「……赤ちゃんが、目の前で捨てられたのが…怖かった……」
「そうか……」
それは随分とショックが大きかったことだろう。捨てる側にも何らかの事情があるのは分かるが、それをこんな子供の目の前で行った事に対して怒りが沸いた。ただでさえ、は似たような状況なのだ。彼女も捨てられた身の上にあるから、余計にその赤子を捨てる母親を見たのが怖かったに違いない。
「その赤子が幸せになれると良いな」
「うん……」
そう彼女の不安を取り除くように言う。きっとその子供は立派に成長すると。今の彼女のようにいずれは大きくなるだろうと。そうすれば彼女は頷くから、この時の俺はそれでこの問題は解決したと思っていた。


――九歳の夏を迎えた。
夏といっても、この世界は四季が順番に来るわけではない。今、私たちが向かっている先が夏島だから、夏を迎えたという意味である。
「サッチ…あつい……」
「うーん……」
徐々に夏島に近づいていることで、日中の気温はいつもより高い。そんな中で彼に抱き着かれるような形で昼寝をしていた私は額に汗が浮きそうだと思った。サッチはよくこんな暑い中で私を抱きしめながら眠れるなぁ。
まあ、彼は昨日まで提出しなくてはならない隊長の書類を片づけていたのだから、寝不足なのだろう。だからいつもはリーゼントにまとめている金髪が今日は無造作に後ろに束ねられているのも仕方がないことだと思ったし、こうやって昼寝をするのも構わないと思っていた。
――けれど暑い。
唸ったまま私のことを離そうとしないサッチの腕からそうっと抜け出す。流石に二時間も寝てたら飽きるし、何より暑くて敵わない。
私は彼の部屋を出る前にフードを被った。気候がどんなに暑くても、私は常に長袖だ。なぜなら太陽からの光が刺すように痛いからだ。すぐに赤くなってひりひりするぐらいだったら多少暑くても長袖を着ていた方が良い。
因みに今日の洋服は黒猫だ。もうそろそろ動物系から卒業したいなとは思うが、嬉しそうに選ぶサッチを見るとそんなことは言い出せなくなってしまう。ていうか、未だに自分で服を選べないってどういう状況なの?全然自立してない感たっぷりではないか。
「よう、チビ」
「あ、イゾウ」
甲板に出ると、イゾウが海に釣り糸を垂らしていた。どうやら彼は酒のつまみになるような魚を狙って釣りをしているらしい。そんなまどろっこしい事しないで、冷蔵庫の中にある魚を使えば良いのにと言うと、新鮮なのが美味いんだよと返される。まあ、そう言われると何も言い返せなくなってしまうのだが。
「まだ釣れないの?」
「バカ、釣りはこうやって待つ時間を楽しむんだよ」
暫くしても全然魚が針にかかる様子がなくて、隣に座っている彼に問いかける。そうすればバカと失礼な言葉が返ってきて若干むっとする。すぐ傍で、マルコがパパと何か仕事の話をしながらもこちらに視線を投げかけているのが分かった。私に向けるものは鋭くないけれど、どうしてかイゾウに向ける視線は鋭くて痛そう。よくこんな視線投げかけられながら飄々としていられるな、と思う。横目でちらりと見上げた彼はそんなものを全然気にした様子もなく、黙々と魚が引っかかるのを待っていた。頭上からはじりじりと容赦なく肌を焼く様な太陽の光が降り注ぐ。そして横からはちくちくとマルコの刺すような視線があてられていた。
「お!」
「え?」
イゾウはぐいと身体を引っ張られたかと思えば、猛スピードでリールを巻き始めた。どうやら大きな獲物がかかったらしい、あの隊長のイゾウが気を抜いていたとはいえ身体を持って行かれそうになったのだ、相当な大きさだろう。
「何かな?」
「美味けりゃ何でも良いさ」
魚類に対する拘りは無いのか、彼はそう言ってぐるぐると糸を引いていく。徐々に海の中に影が見え始め、いったいどんな魚なのだろうかと期待が膨らむ。もしイゾウが一人で食べきれなければ私もおこぼれに預かろうと思ったのだ。
「こりゃ、デケェな」
「わー」
甲板から落ちない程度に身を乗り出して海を見つめる。先程よりもかなり大きくなった影に比例して、水面がバシャバシャと波立つ。彼が最期のひと踏ん張りと大きく糸を引けば、水面下から現れたのは、モビーディック号の三分の一程もある大きな青いエビだった。
「オマールブルーだ!!」
たまたまデッキにいたコックの一人が大きな声で叫ぶ。びちびちと私には凶器にもなりうる程の力で尾鰭を動かしているエビに、目が釘付けになる。
、危ないから離れてるよい」
「え、うん」
イゾウの横に突っ立っていた私をマルコがひょいと抱き上げて、エビから離れさせる。それを見計らって、エビを吊り上げていたイゾウが腰から銃を抜き、何発か弾をその固い甲羅に打ち込んだ。自分たちが食べるエビに銃を撃つなんてどうなの?と思うが、それでエビの動きが無くなったので、まあ良いかと自己完結する。
「よっしゃァアアア!美味そうなの釣ったぜ!!」
「グラララララ、またそんなデケェの釣りやがって!」
イゾウの釣り上げた巨大なエビに、ナースに囲まれながら酒を飲んでいたパパまで笑っていた。
――どうやら今日はご馳走のようだ。


2013/01/31


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