05:知ってしまった何か

 今年私は七歳になった。この二年で、ハルタやイゾウはあの若さで隊長にまでなってしまったのに、私は身体的な成長しかしていない。それに加えて船医のイリオスからはその成長さえ一般的な子供からすれば少し遅いと言われてしまっている。昔はもう少し成長速度が速かったのに、今の私の身体は七歳なのに六歳程度の身長しかない。もっと食べたり寝たりしないといけないのだろうか。別に不摂生なんて――マルコやサッチが見張っているのだから尚更――していないというのに。
私がこの世界に来てからもうそんなに月日が経ったのだから、精神年齢もさぞかし成長しているのだろうと思ったが、どうも身体が子供のままだと精神年齢は成長しないようだ。たぶん、自分の見た目に惑わされてその年相応の態度を取っているのだろうな、と少し遠い目をしてみたくなる。
しかしこんなに幼い子供が妙に大人びていても薄気味悪いだけだろう。私は他の子供たちに比べれば聞き分けの良い大人しい子だと自負している――大体元の年齢が十六歳だったのだからその子たちより落ち着きが無い方がおかしい――し、頭もそれなりに良い、筈だ。ハルタたちと一緒に悪戯をすることも間々あるが許せる範囲内のものだから悪い子ではないだろう。
だからまあ結論は、これまで通りに自分の好きなようにしていれば良いだろうといったものだった。
子供らしさを取り繕うのではなく、自然体で過ごしていけば良い。そう思った。
だから今目の前でされている会話に目をきらきらさせるのも、別に変なことではない。
「――ってことで、お前も大きくなったしな。町に降りてみるか?」
「うん!行く!!」
マルコの膝の上で嬉しさの余り飛び跳ねる。それをサッチたちが微笑ましそうに見つめてきた。
何ていったって私はこの船に乗せてもらってから今までに一度も港に降りたことは無い。たとえ白ひげの縄張りだろうが、そうではなかろうが私は決して島に降ろされることはなかった。特に降りたいと主張することがなかったのも原因の一つに含まれているだろうが、彼らはあまり私のことを船から離れさせるのをよく思っていなかったに違いない。
仮にも海賊をしているのだ。しかもこんなに大きな海賊団だと他の海賊団から恨まれることも多々あるだろうし、彼らの弱味を握られたくなかったのだろう。
だからそんな風に島に上陸するのを許可されて、私ははしゃぎまくっていた。今まで何から何まで私に関するものは全部マルコたちが買ってきていたから自分でもどんなものが売っているのかを見てみたい。それにそれぞれの島には島の特徴があって昔から観光に興味があった私はそれを拝んでみたかったのだ。
「じゃあ決定だ!今日は俺がおめかししてやるからな」
「うん」
サッチに手を引かれて食堂を出る。きっとマルコは私のおめかしが終るまでの間コーヒーでも飲んでいるのだろう。廊下でジョズと出会って挨拶をする。彼に町に行くんだよ、と言えば良かったなと自分のことのように喜んでくれてとても嬉しくなった。
「さぁて、何にするかなァ」
サッチは動物の耳と尻尾が付いた洋服が好きだ。だから彼が選ぶ服は大抵フード付きのもので、年々何故かは分からないが直射日光が苦手になっていく私にとっては丁度良い太陽避けになる。ふんふんと鼻歌をしながらタンスに手を突っ込んでこれじゃないやらあれでもないと繰り返している彼をベッドに寝転がりながら見つめた。
「よし、今日はこれだ!!」
「はーい」
彼が選んだのはオレンジ色が目立つ虎のフード付きツナギだ。ツナギといってもパンツスタイルではなく、スカートなので可愛らしさも十分ある。下にシャツやレギンスを履けば温度も丁度良いに違いない。
「トラだぞ、がおー!」
「うおおお、強ぇえ」
虎のツナギを着てテンションが上がったのか、ふざけて彼の脚に痛くもない攻撃をする。そうすればそのおふざけにサッチも乗ってくれて、ベッドの上に倒れ込むというオーバーリアクションまでしてくれた。
あはは、すごい楽しい。
「この色なら迷子になってもすぐ見つかるな」
「迷子になんてならないよ」
虎の耳をぴんぴん引っ張りながら呟いたサッチにそんなことはないと笑う。だってマルコとサッチがいるのに、そんな簡単に迷子になれるわけがない。私には方向音痴の気はないし、普通に歩いていたら大丈夫に決まっている。
「よーし、じゃあ行くか」
「いえーい!」
サッチに抱き上げられると、虎の尻尾がぷらーんと彼の腕の隙間から垂れていてそれがどことなく笑いを誘う。こんないかつい顔をしているのに虎の耳と尻尾の付いた服を着ている少女を抱いているとか、ギャップが激しすぎる。
「あ、ハルタ!」
「よ!あれ?トラに着替えたのか?強そうだなぁ!」
途中鉢合わせしたハルタにそう言われて、私はまた調子に乗ってがおー!と虎の真似をしてみた。そうすればハルタは大きな口を開けて笑って、いつもより高い位置にいる私の頭を撫でてくれた。背の高いサッチに抱えられている私に届くように背伸びをしているのが、何か可愛い。
「似合ってるぞ」
「ありがとー!」
にこにことお互いに笑い合って、私たちはそこで別れた。
「最近お前やけにハルタと仲良いよなー」
ハルタと別れたその後に、サッチが少し拗ねたように唇を尖らせているから驚く。別にさっきのやりとりは今までと一緒だったし、それがどうして彼がこんなに拗ねる原因になったのか分からなくて、私はサッチの方が好きーと彼の首に抱き着いた。
そうすれば「そっかァ」と彼はすぐさま機嫌を良くして私の頬にぐりぐりと己のそれを押し付けてくる。私は髭がくすぐったいと笑った。
「遅ェ。着替えにどんだけ時間かかってんだよい」
「女の子はお洒落に時間がかかるんですぅー」
どうやら食堂の扉の前で待っていたマルコがサッチに遅いと文句を垂れている。確かに、着替えに行っただけなのに既に三十分も経っていた。どうせお前がどれ着せるか迷っていただけだろうがと、マルコは先程のサッチをお見通しだというように鼻を鳴らす。
それに私はせいかーいと言うと、ほらなというようにマルコがサッチのことを軽く蹴った。丁度彼の足が脛に当たったのか、イテェ!と叫ぶサッチから、彼がひょいと私のことを攫う。
「マルコ良い匂いー」
「俺はサッチと違って毎朝シャワー浴びてるからねい」
「は!?俺だって浴びてるっつーの!」
スタイリング剤がなぁ〜、とマルコは毎朝サッチの自慢であるリーゼントを作る手間を揶揄した。私もサッチはリーゼントにするより髪を垂らしている時の方がかっこいいと思うからそうそうと頷いておく。そうすればサッチはまで!!と泣き出しそうな顔になるから、嘘だよと慌てて謝った。
そんな風にふざけ合いながら、私たちは町に向かって歩き出した。


――迷子になんてなる筈がない。だって私はサッチに抱えられていたし、そのすぐ隣にはマルコもいた。二人にあれこれ色んな物を見せてもらって、お腹が空いたからといってハンバーガーを食べて賑わっている町を満喫していたのに。それが、どうしてこんなことに。
私は今現在一人で町の外れにいた。どうしてそんな所にいるかというと、私の興味を惹くものがあってそれを追いかけていたらいつの間にか一人になっていると気が付いた。そして早く二人の所に戻らなければと歩き続けていたらこんな所に出てしまったのだ。綺麗だからって、猫なんか追いかけるんじゃなかった。
仮にも私は十六歳なんだからもっと冷静に物事を対処するべきなのに、どうして目の前をちょろりと猫が通り過ぎたからといって追いかけてしまったのだろうか。しかも間が悪くその時間帯は人混みでごった返していたから身体の大きなマルコたちは人々の間をかき分けていくことができなかったのだろう。
これは叱られるパターンだ。と落ち込みながら歩いていると、路地裏に女の人を見つけた。酷く痩せ細った腕には小さな赤ん坊を抱えていて、まさにそれを床に下ろそうとしているところだった。
「何してるの?」
「――っ!?」
不思議に思ってそう声をかけると、女の人は酷く怯えたように肩を震わせてこちらを見た。そして私のことを見て、暫し逡巡した後「お金が無いから捨てるのよ」と呟いた。
その言葉に身体が硬直する。路地裏にこんな生まれて間もない赤ちゃんを捨てる?そんなことをしたらこの子がすぐに死んでしまうことなどこの人は分かっている筈なのに。
「捨てちゃうの?」
「……仕方ないのよ…。もともと、望んだ命じゃなかったの…」
望んだ命じゃない。その言葉は酷く私の心に突き刺さった。この赤ちゃんが、路地裏にひっそりと存在していた私と重なる。今まで考えたことも無かったけれど、もしかして私はあの世界にいらないから、この世界に飛ばされたのだろうか。私がいらない存在だったから、私はこの世界に捨てられたの?
目の前の出来事と、自分の昔を重ね合わせて思考の海に沈んでいたら、赤子の母親はだっと駆けだして逃げてしまった。
「待って!!この子、どうするの?!」
彼女は振り返ることなく、走り去ってしまった。懸命に細い腕を振って、遠ざかっていくその後ろ姿。そんな彼女と取り残された赤ん坊を見ていたらぽろりと涙がこぼれた。
ぽつんと残された私たちは暫くの間何も話さなかった。赤ちゃんは元々話せないから、あーだとかうーだとかも言わなかったという意味だ。
私はこの状況が急に恐ろしくなった。私は前の世界に捨てられた。それは何故か私の中で確信としてぐるぐる渦巻いている。証拠なんて一つもない。だけど、直感的にそう思ったのだ。
マルコたちも私のことがいらなくなったらまた捨てるかもしれない。あんなに甘やかしてくれているけれど、私のことが嫌いになったら捨てるかもしれない。いつでも、彼らならそう出来るのだ。私の力は彼らとは比べ物にならない位に弱いのだ、力ずくでどこかに放り投げることなど容易い。
もしかして、そもそも迷子になった私のことなんて探してはいないんじゃないだろうか。もう一人でなんとかすれば生きていけるような年になったのだ、突き放すつもりで私のことをこの島に連れて来たのだとしたら。
「マルコ…、サッチ…!」
そんなことを考えてしまって酷く恐ろしくなった。段々呼吸が忙しなくなる。早く、早く彼らを探さなければ。皆に置いて行かれちゃうかもしれない。もしかしたら、もう船を出しているかもしれないのだ。こんなに探したのに見つからないんじゃ仕方がないと諦めているかもしれない。
「あー」
「あ…」
ふと、初めて声を上げた赤子にはっと意識を戻される。この子はいったいどうしよう。こんな所に一人捨てられて、可哀想な子。できることなら連れて帰ってあげたいけれど、私が育てられるはずもない。いったい、どうしよう。
――怖かった。
私もいつか、この赤ちゃんと同じように捨てられるのかと思うと、酷く心細くなった。元々私は皆の家族であっても、仲間ではない。刺青は彫っていないし、戦闘だってしたことがないのだから。仲間と言える程、何かを手伝っていることもない今の状況は、ただ養ってもらっているだけだ。対等な立場ではない。
ひたすら、彼らに甘えている、そんな状態。私は地面に置かれたままの赤子をそっと抱っこした。緑色のくりくりした目が私を見つめる。
――今は、何よりもまずこの子を安全な所に預けよう。海兵の屯所に連れていけば、きっと孤児院にでも入れてくれるに違いない。
そう思って私はマルコたちに置いて行かれるという不安から逃げるように屯所を探し始めた。道行く人に、屯所はどこにありますかと何度も訊きながら町中を駆け回る。
一時間以上歩き回った末に、私は小さな屯所を見つけた。中には人がいるようだが、まがりなりにも海賊船に乗っているということもあり、姿を見られないようにそうっと扉の前に赤ちゃんを下ろす。母親から離れて随分時間が経っているから、もう暫くすればお腹が空いて泣き出すかもしれない。そうすれば、部屋の中にいる海兵も赤ちゃんに気が付いて保護してくれるだろう。
「ばいばい、元気でね」
「あーう」
今まで大人しく私の腕の中にいた赤ちゃんに微笑む。そうすれば赤ちゃんはにっこりと笑い返してくれて、私はそれだけのことなのに涙が出そうになった。もしかしたら、サッチが私のことを見つけた時、こんな気持ちだったのかな。
さて、今度はマルコとサッチを探さなくては。もしかしたら探されていないかもしれないと思うととても怖かったが、それを我慢してきょろきょろと精一杯背伸びをしながら彼らを探す。
昼間は多かった人通りも、少し時間が経ってしまえば当初よりは少なくなり、いくぶんか人の顔が見渡しやすくなる。
「マルコ……、サッチ……ッ」
――捨てられたくない。
この世界で初めてたった一人になってしまって、私の心にそんな不安がこびり付いて離れない。赤ちゃんを抱えて歩き回ったせいでほとんど体力を消耗してしまって、私はふらふらしながら彼らを探し続けた。
「……あ!」
ふと、少し離れた所から特徴的な金髪のリーゼントが見えて、そちらに走る。少し走れば、サッチの焦ったような顔が見えて、私は最後の力を振り絞って彼に駆け付けた。
「サッチー!!!」
!!」
ずっと探し続けていた人が見つかった安堵から、私は涙をぼろぼろ流しながら彼に抱き着いた。迷子がこんなに恐ろしいものだとは思いもしなかった。彼はそんな私をぎゅうっと抱きしめて何度も「良かった」と呟いている。
「ばかやろう、急に駈け出していなくなるからびびっただろうが!」
「ごめんなさい!!」
怒鳴ってはいても、優しく私の頭を撫でる彼の大きな手に、とめどなく涙が溢れてくる。良かった、私のこと探してくれていたんだ。
「ああ、マルコに連絡しねえと…」
一先ず私を発見したと電々虫でマルコに連絡する彼の声を聞いていたら、私は眠くなってきた。赤子を捨てるというショッキングな場面を見て精神的に疲れてしまっていたのか、目蓋が今にも閉じそうだ。子電伝虫がマルコの声で何かを叫んでいるのは聞こえていたけれど、彼の言葉を理解するよりも先に、私は夢の中に旅立っていった。
最後に伝えようとしたのは、「良い子にするから捨てないで」だった。


2013/01/29


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