04:Bully

――今日は健康診断です。
私は一か月に一回船医のもとで順調に成長しているのか、また健康体であるかと検査をされていた。今日もその日であり、少し憂鬱な気分になる。なんていったって、医者が嫌いなのは前の世界からなのだ。病弱だったあの頃は、助けてもらうためとはいえ何回も注射をされたり、採血をされたりとあまりいい思い出がないのだ。この船の船医は比較的穏やかだが、私は一度彼が大怪我をした船員に向かって怒鳴っているのを見たことがある。どうやら怒らせると怖いらしい。
ということで、私はこの日が嫌いなのだ。もし、虫歯があったりしたらマルコには勿論のこと、船医のイリオスにも拳骨を喰らうかもしれない。まあ子供だから手加減をしてくれるだろうけれど。
先程までマルコが私の隣で寝ていたけれど、今はもう着替えて朝食に行く準備をしている。うう、嫌だ。イリオスが怖い。虫歯が怖い。毎日食べた三十分後までには歯を磨くように躾けられているとはいえ、あの独特なにおいを放つゴム手袋で口の中を調べられるのかと思うと気分が重くなる。
ずーんとした様子で布団の中に隠れていると、マルコはそんな私から布団を剥ぎ取ってベッドの上に立たせた。
「ほら、もうメシの時間だよい」
「うー……」
いつまでも着替えを渋っている私のパジャマをぱぱっと脱がせて今日の洋服を着せていく。大抵マルコが選ぶものは本当に女の子といったイメージの服で、リボンやフリルが付いている。今日も例外なくフリルのスカートで、だけどパンツが見えないように、膝上までのレギンスを履かされた。
「健康診断なら午後からなんだからそんなに嫌がるなよい」
「はぁい…」
私を抱き上げて自室を出た彼の首に腕を回す。私の短い腕では彼の太い首に全部回せるか回せないかといったところだが、そんなにしがみ付かなくてもマルコがちゃんと支えてくれると分かっているから、軽く掴まる程度にしておいた。
「おい、待てよー。マルコ」
「あ、サッチ。おはよう」
後ろから駆けてきたサッチに朝の挨拶をする。マルコに抱かれたまま額におはようのチューをされてくすぐったい。最初はこれも中々慣れなかったけれど、今では慣れてしまったことの一つだ。
マルコはそんな私の額を自分の服でごしごしと無言で拭いている。い、いたい、そんなに強く拭かなくてもサッチの涎なんて付いてないのに。
「おっま、俺のチューを拭くなんてひっで!!!」
「うっせえよい、ばい菌が付くだろうが」
マルコの肩に頭を凭れさせながら彼らの会話を聞く。彼らはそんな風にぎゃいぎゃいと言い合いながら食堂の扉を潜った。朝なんだからもうちょっと仲よくしてくれても良いのに。
「ほら、チビすけ。いっぱい食って大きくなれよ!」
「はーい!」
チビすけというのは私のことだ。この船の皆は私のことをいろんな呼び名で呼ぶ。例えばお嬢だとかお姫だとかチビだとか。でもこの間新しく入ってきた船員にチビうさと呼ばれたのには流石に驚いた。どうやら、白い髪の毛に赤い瞳がウサギを連想させたらしい。
料理長から朝食を渡される。それは勿論両手が空いているサッチが受け取ってくれたのだけど、彼らのトレーの上には乗っていないデザートを目に入れて、「お」と呟く。
今日は苺のようだ。やったあと喜ぶと良かったなァとサッチから笑顔が向けられた。依怙贔屓だねいとマルコは呟いたけれど、私を見る目が優しい眼差しだったから冗談のつもりで言ったのだろう。まあ私がそんな言葉を知っているとは思っていない故だろうが。
いただきますと三人で手を合わせて食事を開始する。あの頃に比べたら小さい不自由な手でフォークを使って目玉焼きを口にまで運んでいく。半熟の黄身がこぼれそうになるのを慌てて口の中に入れてもぐもぐと咀嚼した。ああ、やっぱり料理長の目玉焼きの塩加減は丁度良い。その他にも野菜スープやパンなどもどんどん食べていく。けれど隣からもっと噛んで食べろと注意を投げかけられるから私はそれに従って、勝手に喉の奥に入っていこうとする料理をどうにかして留めて顎を動かした。
「マルコは厳しいなァ」
「お前は甘やかしすぎなんだよい。これは躾けだ」
頭上でやりとりされる会話に、確かにマルコは躾が厳しいなぁとは思う。だけどそれ以上に私には優しくしてくれるし、甘えさせてくれる。だからプラマイゼロかなと私は考えた。サッチは言わずもがなべたべたと甘やかしてくれる。時たま注意や怒ることはあっても、彼は基本的に私には甘い。だからマルコとサッチの飴と鞭が交互に来て丁度良いんじゃないかと思う。
とりあえず、今はこの目の前にある美味しそうな朝食を食べてしまおう。


――イゾウは自分より古株のあの幼い少女が好きではなかった。あの少女、というよりは子供自体が好きではなく、あまり関わらないようにしている。なぜなら子供はすぐに泣いて甘えて大人に縋らないと生きていけないからだ。大人が自分にしてくれることを当然のことのように享受して、更にそれ以上を欲張る。ある意味、子供が一番海賊に相応しいのではないかと思ってしまう。奴らはどこまでも自分の欲望に正直なのだ。欲しいものを得られないとすぐに機嫌を悪くする。これ以上の海賊はいない。
――甘ったれてんじゃねえと思う。俺が子供の時は泣いて甘えるなんてことは許されていなかった。そんな贅沢な境遇ではなかったのだ。毎日を生きることに必死で泣いて大人に甘えるなんてことはしたことがなかった。俺は泣く暇もないくらいに必死に生きてきたのに、この世の大半の子供たちは親に甘える。だから、目の前で子供が泣いていると言いようもないくらいに腹が立つし、不愉快になる。
「………」
そう、今目の前いる子どもも泣くと思ったのだ。ずべしゃ、と盛大に転んで顔が床に叩きつけられた少女もすぐに泣き喚いて周りの大人たちにあれやこれやと慰めてもらうのだろうと冷めた頭で考える。だがここには俺しかいない。ったく、面倒なことになっちまったと一番隊隊長あたりが聞いたらぶち切れそうなことを内心呟いて、床に転がった少女を見つめた。
だが、少女――は少々呻きながらも自力で立ち上がって顔や膝に怪我をしていないかと確認するだけだ。膝を軽くすりむいていたようだが、俺が尽く嫌っているあの子供特有の大きな声で泣き喚くようなことをしない。予想外の事態に煙管を咥えていた口が薄らと開いてしまう。
大声で泣くと思ったのだ。こんなに盛大に転んでいるのだから、泣いて泣いて大騒ぎをしてサッチたちが飛んでくるくらいに泣き叫ぶと思ったのに、この子供は泣きもせず落ち着いた対応をしている。
俺はあまりにも子供らしくない、と子供のことが嫌いな癖にそんなことを考えてしまった。だからだろう、思わず声をかけてしまったのは。
「おい、大丈夫か」
「うん、いたいけどへいき」
痛みに耐えるように俯いていた顔を上げると、やはり膝の傷は痛むのかの目は潤んでいた。けれど彼女はへらりと笑う。自分で言うように痛い癖に。赤いピジョンブラッドのような瞳が溶けそうなようにきらきらと光っているのに暫し見とれてしまったが、ハッと意識を取り戻す。笑んだ後の彼女は泣かないように堪えているのだろう、唇をきゅっとむすんだ様子は健気だ。
自分の中で作り上げられてきた子供のイメージといったものが、この目の前の子どもには当てはまらないのだと今俺は気付いた。それならば、少し優しくしてやっても良いだろう。
「医務室行くぞ」
「イゾウ?」
ふわりと軽い身体を抱き上げると、不思議そうにこちらを見つめる二つの赤い目。こいつはきっと敏感に俺がこいつのことを嫌っているのを感じ取っていたのだろう。子供のくせにそういったところは気が付くらしい。まあ俺が明け透けに子供が嫌いだオーラを纏っていたからだろうが。
そんな俺が自分に優しくするのが不思議なのだろう。何度もどうしたの?と聞いてくる。
「どうもしねェよ」
初めて俺の名を呼ぶその澄んでいて高い声が心地よく鼓膜を揺らす。こいつの声はこんなにも良いものだったのだろうか。こいつのことを疎ましく思っていた時の俺には考えられない心地よさだ。
そりゃァ、毎日呼ばれ続ければマルコやサッチがあんなに執着心を持つのが分かる。そのくらいに愛おしい音だ。海賊にしては変わっているが、一番隊隊長のマルコは物事に執着しない男だ。特別なものというのが極端に少ない男であり、その数少ない中にこのチビが入っていることをこの船の皆なら知っている。そんな執着心の薄い男があれほど執着するのだ、よっぽど特別なのだろう。
彼の部屋の家具は必要最低限のもので、他の奴らに比べたらすっきりしすぎた部屋だ。しかしが来てからは彼女の物が増えてそれなりに生活感のある部屋にはなったようだ。執着心がないのは女に対してもだ。彼が以外の女(そんな風に呼べる年齢ではないが)と一緒に歩いているのを見たことが無い。同じく彼女に執着しきっている四番隊隊長のサッチでさえ女のケツを追いかけているというのに、彼の傍には全く女の影がない。俺たちに気付かれないように厳重に注意して会っているのかもしれないが、彼の様子を見る限りそんなこともなさそうだ。
本当にこいつ一筋といった様子で鉄壁を巡らせている。娘に指一本触れてみろ、その指だけじゃなく全身焼き尽くしてやる、といったようにだ。普段はそれを隠しているようだが、言動の端々からそういった感情が漏れている。
――ああ、俺の仲間はロリコンだったのだな。


「おい、誰かこいつの怪我を消毒してくれ」
「あら、珍しいわね」
医務室に入ってすぐに俺に片手で抱かれているの姿を見とめてナースの一人が軽く目を見開く。珍しいとはいったい何に対してだ、とその言葉の意味を分かっていながらもそれを無視してナースにこいつを預ける。ここまでしてやったんだ、別に待つことまでしなくて良いだろう。
「ありがとう、イゾウ」
「ああ」
俺に手を振って微笑んだ少女は、それはもう嬉しそうに笑っていたから、俺は思わずふいと目を逸らせてさっさと医務室から出て行った。
――ああ、柄にも無い事をやってしまったもんだ。
そんなことを思いながら甲板に出ようとすると、丁度マルコと出くわした。どことなく焦っているようで、その焦りの原因が十中八九先程の少女にあるのだろうと俺は目を細めた。
「おい、を見なかったか?あいつ、健康診断が嫌で逃げ出したんだよい。まったく、逃げ足の速い奴だ」
いつもより言葉数の多い彼に、くつくつと笑いがこみあげてくる。なんだ、あいつはそんなものが嫌で走り回っていたのか。やはりまだまだ子供だったのだな。
「あァ、目の前で転びやがったから医務室にまで運んどいたぞ」
ああ、良い事をした。俺の良い事とはマルコの役に立ったことではなく、少女が逃げていた所に本人をぶち込んでしまった事に対してだ。あの時の彼女は怪我を消毒することしか考えていなかったのだろうが、ナースに捕まってしまった今ではもう逃げることは叶わない。
すぐさまこの目の前で意味あり気に眉を吊り上げている男も医務室へ向かうだろう。少女は抗うことなど出来ずに健康診断を受けさせられるのだ。
「何か変なもんでも食ったのか?」
「失礼だな、気まぐれだ」
目の前で目を細める男にそう返す。これくらいのことで疑いの目を向けられるのだ、いつもの自分はどれほどのことが嫌いオーラを出していたのだろうか。くつくつとまた笑えてきたが、目の前の男は先を急いでるようなのでそれ以上何を言うわけでも無く、医務室へ向かっていた。

――ああ、やはり自分はこうでなくては。


2013/01/29


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