03:とびきり甘い

私がこの船に来てからあっという間に五年もの歳月が過ぎた。月日って早いね。
「はーるーたー!」
「どうしたー、?お、今日はウサギさんなのかァ」
足を動かす度に頭の上とお尻の所でぴこぴこと揺れるウサ耳尻尾。たたた、と駆けてどしんと彼の脚に突撃する。そんな突進に揺るがず立っていたハルタは私のことを抱き上げて目線を合わした。似合ってるな!と笑いながら私の今日のフード付きパーカーとキュロットという服装――因みにこういった服を着せてくるのはほぼサッチだ――を褒めてくれる彼は最近白ひげ海賊団に入った男の子だ。もう一人、イゾウという男の子がいたけれど、彼は私のことが嫌いみたいだ。その嫌いの矛先が私ではなくて子供自体へだと、私は頑なに信じているが。でないと悲しいし。
ハルタは多分十代後半で(実年齢なら)私と同じくらいの彼は、私のお気に入りのお友達だった。何しろ私たちはこの船で一番年が近いのだ。マルコやサッチは友達というよりは保護者といった感じで、私にはそれ以外の友達も欲しい。ハルタは面倒見が良くて、こんなに歳の離れた私の相手をいつもしてくれる。
「おにごっこしよ!」
「良いぞ!じゃあ俺が鬼だからな。は逃げろよ」
そういう彼の言葉にきゃーと逃げていく。後ろから「じゅーう、きゅーう」とカウントダウンをする彼の声が聞こえて、私は甲板の方へ足を動かした。


――楽しいな。


前の世界の私は病弱でこんなことをしたことは無かった。生まれた頃から身体が弱くて、母親の徹底的な管理の元に生活をしていたが、入院していることがほとんどで同じ年頃の友達と、こんな風に怪我を気にすることなく遊びまわった記憶が無かった。
おにごっこもだめ、かくれんぼもだめ、泥んこ遊びなんてもっての外。母親はいつもそんな風に私のことを管理して不衛生なものに近づけさせようとはしなかった。今となっては、母親の気持ちはよく分かる。念願の子供が生まれたと思ったら、その子は予想以上に身体が弱くて集団行動ができないのだ。子供を守るためには危険なこと、汚いものから遠ざける必要がある。そう思って私のことを守ってきてくれたのだろう。だから私は何がどうなってかは分からないがこの世界に飛ばされるまで、16年間死なずに生きてこれたのだ。今、あちらの世界の私がどうなっているかは分からない。もしかしたら死んでいるのかもしれないし、はたまた死んだからこちらの世界に来たのかもしれない。
しかし、なぜ赤子の姿になってこの世界に飛ばされたのかは分からないが、こんな健康な身体にしてくれたことを感謝している。


――初めて自分の姿を鏡で確認した時は吃驚した。今まで私は黒髪黒目の普通の日本人の容姿をしていたのに、それがどうして白髪の赤眼なんかになってしまったのだろうか。サッチの言っていた薔薇という比喩がその時初めて分かって、「ああ、確かに」と納得してしまったのを覚えている。最初は中々自分の容姿を受け入れがたかったが、五年も経ってしまえばそんなことを気にしなくはなってしまった。
ああ、気にしなくなったといえば、マルコやサッチと一緒にお風呂に入るのも気にならなくなってしまった。一週間程して悟ったのだ。私は自分の身体を自分で洗うことなど出来ないし、彼らは私の親代わり。そんな彼らに裸を見られるのが嫌だと文句を言えようか、いや――そもそも物理的に――言えない。といった感じだ。
半年もそんな風にしていれば彼らの裸にも慣れてしまって何の感慨も抱かないし、年頃の乙女としてはどうなのコレと思わなくもないが、別に良い。ダッテ私マダ五歳ダモン。


「パパー!」
「どうした、。また追いかけっこか?」
「うん!」
甲板へダッシュすればパパもといオヤジがグララララと笑って出迎えてくれる。後ろから追いかけてくるハルタの声に騒ぎながらパパの足元をぐるぐると駆けまわる。
私がオヤジではなくパパと彼を呼ぶのは、オヤジという言葉が当時とても発音しにくかったせいである。最初は皆と同じようにオヤジにしたいと思っていたのだが、パパという音がすんなりと口から出たのでその後もパパと呼び続けている。パパとオヤジのことを呼んだ時の彼の顔といったら、相当嬉しそうなものであった。思わず私まで嬉しくなってしまいそうなほどに。まあ、隣でどうして俺の名前が一番最初じゃないんだと男二人が騒いでいたけれど。そんなこと言ったって、二人の名前は赤子には難しすぎる。余談だが、マルコとサッチの名前を呼べるようになったのはパパの後だ。拙いながらに頑張ったつもりだ。
「待てー、ー!」
「ハルタ鬼が来たー!!」
きゃっきゃと騒ぎながらハルタから逃げ続ける。彼が手加減をしてくれていることは分かっているが、それでも私はあの頃どんなにやりたくても出来なかったことをやっていて幸せだった。そう、子供時代をやり直しているようなそんな感覚。
「つかまえた!!」
「わあ!」
パパの足を壁にしてハルタから逃げ回っていると、フェイントをくらって彼に抱きしめられる格好で掴まってしまった。走り回ったせいではあはあと大きく息をしていると、ハルタが私の乱れた髪の毛をそっと直してくれる。
「あー、つかまっちゃったあ」
は段々逃げ足が速くなるなあ」
パパの足の下から出てきてハルタに抱き上げられ、そのまま肩車をされる。わーい、ハルタの肩車好きなんだ!!
足が速くなったとハルタに褒められて嬉しくなる。えへへ、と笑ってハルタの髪の毛に顔を埋めた。
「将来が楽しみだなァ」
グララララと愉快そうにパパが笑って私ごとハルタを大きな手で包み込む。それに二人してわーわー騒ぐ。ハルタもパパにこうやってされるのは好きみたいだ。まあ照れくささがあるのか顔を赤くしているが。




「おーい、よい」
先程まで部屋で大人しく絵本を読んでいた小さな俺の天使は、俺が書類を片づけている間にどこかへ遊びに行ってしまったようだ。きょろきょろと部屋に彼女の姿が無いかと探してみるけれど、やはりあるわけは無く、それが俺の神経を逆撫でする。
ああ、いつからだろう。目の届く範囲にがいないと俺の気分が悪くなるようになったのは。彼女が傍にいないだけで、彼女のピジョンブラッドの瞳が俺以外を映しているだけで、俺の心は平穏を欠いてしまう。
がたりと椅子から立ち上がり、自室から出る。最初はゆっくりだった足も彼女の笑い声が段々と大きくなるにつれて速さを増す。

「マルコー!」
比較的穏やかになるように声を抑えて彼女を呼んだ。彼女の名を呼んだ瞬間にぱっとこちらを振り返る彼女に先程の苛立ちが徐々に収まっていく。人を惑わすようなその赤い瞳が俺を映したことに酷く安心した。
「ほら、お迎えが来たぞ」
ハルタが肩車をしていた彼女を床に下ろす。はそのままこちらにだっと走って来て俺の足に体当たりした。どんっと身体にぶつかった衝撃を受け止めて彼女を抱き上げる。先程までハルタと遊んでいたは大いに満足そうだ。
「鬼ごっこでもしてたのかよい?」
「ああ、こいつ段々走るのが速くなるんだよ」
走り回って赤くなった頬ですりすりと俺にすり寄ってくる彼女。まるで猫のようだなあと思いながらも、そんなに俺の機嫌は良くなる。さらさらとした彼女の白い髪の毛が優しく俺の頬をくすぐった。
すごいでしょ、なんて笑いながら話す彼女に愛おしさを感じる。船の上にずっといるというのに、彼女の肌は透けるように白くて柔らかい。
「怪我しなかったか?」
「うん、してない」
鬼ごっこをしていたということで、転んでどこかを怪我していないかと確認するが、そんなことはなかったようだ。過保護すぎ、とハルタがぼそっと呟くのが聞こえてぎろりとそちらに目を向けると、彼はふいと目を逸らした。ふてぶてしい奴め。
「ほら、いつまでも遊んでないでお勉強の時間だよい」
「はーい」
聞き分けの良いによしよしと頭を撫でて彼女を抱いたまま甲板を後にする。自室に戻って、を膝の上に乗せて絵本を読んでやる。先程彼女が読んでいたものより、少し文字が多い物語を選んで読んで聞かせる。彼女は俺たちが赤子の時からこうして本を読み聞かせてきたこともあって、今では大の本好きだ。
好きなことをやりながら勉強が出来るのだ、一石二鳥だろう。
「ほーら、サッチお兄ちゃんが頑張ってる良い子におやつを持って来てやったぞー」
「サッチー!」
がちゃり、とノックも無しに入ってきたサッチにがきらきらと目を輝かせる。そう言えばもう三時を過ぎていたな、と思って三切れのアップルケーキを皿に乗せて運んでいる彼を見やる。
「ったく、甘いもんばっか食わせやがって。虫歯になったらどうするんだよい」
「すぐ歯磨かせりゃ良いだろ?」
「そうだよ!」
サッチの作る甘いものには目が無いは、奴が持つアップルケーキを早く食べたいらしく、虫歯がどうたらと言う俺の膝の上から抜け出そうとする。だがその小さな身体を片手で押さえつけて、俺は早く机の上に置けとばかりにサッチを睨む。
「おー、怖ェ」
「ほら、あーんしろ」
大してびびってもねえ癖にそう呟いたサッチは無視して、に小さく切ったケーキを与えた。小さな口を一生懸命開けてケーキを頬張る様は雛鳥のようで酷く愛らしい。一通りにケーキを食わせてから俺も自分のケーキを食べる。ソファにだらしなく座ってケーキを食べていたサッチは美味いだろ?と笑った。まあ確かにこいつの作るお菓子が不味かった験しはないから素直に頷いておく。
「サッチのケーキもっとたべたーい」
「今日はだめだ。夕飯が食べられなくなるだろ?」
「…はーい」
そんな彼らの会話を聞きながらケーキを食べ続ける。甘さ控えめの生地だからか、甘いものをあまり食べない俺でも全部平らげることが出来そうだ。コーヒーを一口含んでこう思う。


――ああ、良い午後だなあ。


2013/01/28


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