70:その血さえもあなたのもの

 船長室の下にある艦首室。そこにある電々虫を手にしてもしもしと話す。そうすれば、ウォーターセブンで聞いた以来聞いていなかった白ひげの声が聞こえた。彼は色々とこの戦争のために、忙しかったから。娘よ、と切り出された言葉にごくりと生唾を飲み込む。
「エースの処刑まで3時間を切った。俺たちはもう着く。先に始めているから、お前も後から来い」
「うん、分かった。私たちもあと少しで着くから、お願い」
「ああ。、良いか。エースの背中を押したのはお前だけじゃねェ。俺たち全員だ」
「…?――……!」
交わした言葉は僅か。だが、お互いの声音から今どんな気持ちで話しているかは伝わっている筈だ。ガチャリと切れた電々虫。切れる直前に彼から発せられた言葉に送れて目を見開く。震える肩に、ぐっと奥歯を噛み締めた。彼は自分を責めるなと言っているのだ。そして、それだけでなく、それを全員でカバーすると。
自分を責めなかったわけではない。あの時、何が何でも彼を止めておけばこんなことにはならなかっただろう。だけど、彼は絶対に止まらなかった。止まれなかった。だから、私は彼の背中を押してしまったのに、彼はそれを受け止めて。ぐっと拳を握りしめる。
「アリシア!海軍本部の湾岸まであとどれくらい?」
「出力最大ですので、あと10数分です」
気持ちが逸って船の進行方向を見つめている彼女の名前を呼ぶ。彼女の言葉に頷きながらも、着替えた黒装束のジッパーを弄ってしまう。10数分か。ふと、僅かに振動した潜水艦。もしかしたら、もう白ひげがその力を使っている最中なのかもしれない。
見える筈がないのに、その海の先にエースの瞳がこちらを見ているような気がしてならなかった。


 到着しました!という声と共に潜水艦の入口が開く。そこから鴎の姿に変身したたちは一斉に空へと飛んでいく。ドミニクに船の留守を頼み、海軍本部の門の上を通過していった。身体を撫でる熱風に気付くのと同時に、眼下に広がる凍った海、立ち上がる黒煙、その煙のきな臭さに眉を寄せる。
「オーズ……!!」
その上、広場へと踏みこもうとしていたオーズが漆黒の影のようなもので胸を刺し貫かれて。それに目を見開いた。もう既に戦いは激しさを増しているのだ。怒りのあまりに身体がぶるぶると震えていたが、オーズの身体の先にある台の上にエースがいることに気が付いた。
――オーズはエースを我先に助けようとしたんだ…。
許さない。ぶわり、と膨らんだ殺気。この怒りのままに海軍を蹴散らしてしまいたかったけれど、鴎の姿で飛んでいるのは吸血鬼たちが来たことを悟らせない為。だが、この大量の鴎の軍勢に何も気付かぬほど海軍も王下七武海も馬鹿ではないだろう。
眼下に広がる戦場の中で一際身体の大きな白ひげ。ちらり、と一瞬だけ向けられたその視線が、私のそれと絡まる。きっと、彼はこの鴎たちが私とその仲間の吸血鬼だと気付いただろう。交わした視線が一瞬でも、通じ合った心。それはあまりにもまっすぐだったから。
様!』
『大丈夫!』
突如、飛んできた半透明の高速の連弾は避けることが出来た。海軍と王下七武海たちに対して予測していなかったら危なかっただろう。自分だけではなく、鴎たち全てに向けられたその弾。その軌道先を辿れば、そこには桃色のファーコートを風にたなびかせる派手な男がニヤリと不敵に笑ってこちらを見上げていた。
――あれは…!
尚且つ、攻撃の手を緩めない彼。チッ、と舌打ちをすれば皆この状況に一度鴎の姿を解くのが最善であると考えたようだった。弾を避けつつ、皆決められたポジションに急速に下降していく。
目指すはエースが囚われている処刑台の広場。そこを突破する為にはオーズの身体を乗り越えていかなければならない。
スタッと音を立てて地面に足を着ける。そこから人型に戻れば、どよめく海軍たち。どうやら、私がLILYであることに気付いたらしい。先程私たちに攻撃をした巨大な男――ドンキホーテ・ドフラミンゴともサングラス越しに一瞬目が合って、その中にある瞳の強さにぞくりと背中に悪寒が走る。
――あの男は、強い。
「LILYだ〜〜!!吸血鬼たちを引き連れてやって来たァア!!」
「……五月蠅い奴らだ」
ワァッと先程以上に必死の形相になる海軍。それにすぐ傍にいたオリヴィエが眉を顰めた。私の周囲を囲むように立っているアリシア、ルイーゼ、エリザ、オリヴィエが動く。それに私も遅れじと駆けた。それと時を同じくして男の声が電々虫を介して高官たちに伝えようとした瞬間、全ての吸血鬼たちが動き出した。
「LILYは生け捕りにしろ!!その他は殺せ!!」
狼のように吠えた吸血鬼たちは一目散に処刑台に向かって高速で進んでいく。陣形は私を囲んだ形だったが、既に血の匂いが充満している戦場で彼らの神経は昂っていたらしい。私がエースの処刑台へ向かう為に淡々と海軍を倒していくのに対して、彼らは目を爛々と光らせて海軍へと飛びかかっていく。
「餌どもがァア!!」
「や、やめろ…!!」
「ハッ!!弱小種族が叫んでも何も聞こえねぇよ!!」
「ギャァアアッ!!」
純粋な握力だけで兵士たちの腕をもぎ血を啜る者、次々に殺した者たちの首筋に噛みついて血を飲みゴミのように地面に投げ捨て次の人間に飛びかかる者。吸血鬼たちが向かう先々で上がる悲鳴と血に、海軍の者たちは本能的に食う者と食われる者の関係になっていると気付いて恐怖に顔が引きつっている。
――彼らが味方で良かった。
私でさえ血に興奮し残虐性の限り殺人をくりかえす姿を見て慄いているのに、その対象である海軍たちの恐怖はいかほどか。ごくりと生唾を飲み込んで襲い掛かって来た兵士の腹部に鬼切安綱を叩きこむ。瞬間その身体は吹き飛び、その先にある戦況が視界に入る。だが、信じられない光景に目を見開いた。
「…!アトモス!!」
!こっちに来るな…!!」
叫んだアトモスは何故かドフラミンゴではなく、彼の部下たちを攻撃している。最初はそれに対して止めるように叫ぶことしかできなかったけれど、その傍で不敵に笑っているドフラミンゴに気が付いた。アトモスに向けられている指が微かに動く様子。それは、まるで人形を操る動きのようで。
――アトモスに何をしたの…!!
何かをアトモスと話しているようだったが、一際彼が大きく叫んだそれは、「勝者だけが正義だ!!」という言葉。それに全身の毛が逆立って瞳孔が開いた。
――私は勝つ。この戦争に勝たなくてはいけない。だって、エースを失いたくないから。
その為なら、目の前にいるこの男だって越えていかないといけない。大きく息を吸ってドフラミンゴを見据える、その瞬間彼の身体から湧き上がる威圧感。圧倒的強者としての気迫によって、まるで食う者と食われる者の立場が逆転したような錯覚を覚えた。
「会いたかったぜ…!!子兎ちゃんよぉ…」
「皆を傷付けて…!許さない…」
不敵な笑みを浮かべた彼の指先から何か光っている物が伸びているのに、私だけではなくアリシアたちも気付いた筈だろう。それはアトモスの身体へと繋がっている。五感が人間よりも優れている私たちだからこそ気付けたそれ。すぐさまアトモスの身体に巻きついている糸を切り離して彼を助け、そのままドフラミンゴへと跳躍した。
「気を付けろ!!!」
「うん!」
覇気を纏った鬼切安綱で彼を切りつけようとしたが、それは見透かされていたらしい。俊敏に避けてふわりと宙を舞った彼。その際しっかりと自身に向かって投げられる糸を避ける。あの糸に捕まったら、きっと自力では逃げ出せない。
「フッフッフ!!お前のその身体がほしくて堪らなかった…海軍も政府も関係ねェ…今日ここでお前をいただく」
「……!!絶対捕まらない…!」
その言葉と共に私の身体を切り刻もうとする糸。うねるその糸は想像以上に頑強で、鬼切安綱で跳ね飛ばそうとした身体が逆に後方へと勢いよく飛ばされて。どうやら死なない程度に痛めつけて動けなくさせる気らしい。
「我が君!!」
「くそ!…!ありがとう、ルイーゼ!」
寸での所でその身体をルイーゼに受け止められて地面に足を着く。どうやら私が飛ばされた直後にアリシアたちが彼へと猛攻を始めたらしい。だが、三人がかりでどうにか彼の足を止めていられる状況だった。覇気と糸を自在に操る彼は中々に手強い。
その上海軍たちは何かを始めようとしているようだ。戦いながらも電伝虫を手にして何かを話している海兵たちの姿がちらほら見える。だが、それに気を取られていた所に新たに加わる声。
――……ぁあああああ!!!
「?」
どこからともなく聞こえる叫び声。ちらり、とドフラミンゴが上空を気にした様子を見せたことで、それが上から降ってくる声なのだと気付く。はっとして空を見上げれば、そこには逆さまになって落ちてくる海軍の船と、何人もの人。
「えっ、ルフィ!?」
その中に、麦わら帽子を持った青年を見つけて目を見開く。あれは見間違いではなければ、ルフィの筈だ。ドッパァアンと大飛沫をあげて凍った海面へと落ちた船。
――だ、大丈夫なの……。
「七武海も新旧お揃いで…!!そして…アレが噂の大問題ルーキー“麦わら”か…!!」
彼の身が心配だったが、あの強運の持ち主ならばあの程度では死なないだろう、と目の前の敵へと突っ込む。落ちた船へと一瞬気を取られたドフラミンゴの腕を切り落とすために。一瞬で間合いを詰めた私に、彼はニヤァと口角を持ち上げた。
「少しは殺気を隠さねェか」
「隠したって気付くくせに…!」
寸での所で糸にガードされた刃。だが、少しばかり彼の肌を傷つけることができたらしい、宙に舞った微かな血の香りに瞳孔が開く。その甘美な香りは、神経と五感を研ぎ澄ませるには十分すぎる。瞬時に見えた活路に、高速で脳が身体へと指令を送る。
「ここはお願い」
「御意」
脚の筋肉を収縮させて一気にドフラミンゴの死角から飛び抜ける。その際、仲間たちにしか聞こえないような声で呟いた。彼らなら大丈夫だと思ったから。しかし、そうは上手くいかない。
「逃がさねェよ」
「うっ!?」
おどろおどろしい声が聞こえたと思った瞬間に、地面に叩きつけられる身体。後方から一気に距離を詰めたドフラミンゴの蹴りを食らったのだ。瞬時に身体を起こして横へと転がれば、倒れた場所へと糸の弾が撃ち込まれて。
「ハァッ…!」
様!先へ!」
瞬時に立ち上がる。冷や汗がぶわりと噴き出したが、それを気にせずに走り続ける。返事はしなかったが、こくりと頷けば背後でドフラミンゴへと攻撃を仕掛けるアリシアたちの殺気が膨らんだ。


2016/09/18

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