69:思い出すのは小さなやくそく

 一晩中、私達は寝ることなく戦争への準備を続けた。元々吸血鬼は夜型の種族だからか、皆ギラギラと瞳を光らせ、興奮冷めやらぬ様子で浜辺にある巨大な黒の潜水艦へと武器などを詰みこんでいく。
モビー・ディック号とそんなに大きさは変わらないから全員が乗ってもゆとりがありそうだ。朝日が徐々に昇っていく中、アリシアは甲板の上で航海士たちから話を聞いている。私はオリヴィエに呼ばれて金髪の青年の話を聞いていた。
「おい、じじい。あんた、前から作ってたもんがあんだろ」
「ああ、わしのあれか」
じじいと呼ばれた彼は一見好青年だけど、吸血鬼たちは年齢不詳が多い。きっと彼は人間で言うおじいさんなのだろうと理解して、彼がいそいそと倉庫へと向かうのに付いて行く。大きな倉庫の中にはたくさんの服が乱雑に散らばっており、部屋の三割を占める巨大な鍋に何やら怪し気な液体も入っていた。
どうやら彼は科学者であったようで、今まで太陽の光を通さない服や特殊な日焼け止めを開発してきたらしい。それが今回の戦争で役に立つということで持ち込んできたのだろう。彼から渡された服は黒でどちらかと言えば軍服のようだった。隙間から太陽の光が入らないようにぴっちりとしたデザインにされている。
「伸縮性に富んでいるので、苦しくはないかと」
「なるほど」
彼の説明を聞いていると、ふむと顎に手をやったオリヴィエが「実際に着てみる」とぱぱっと服を脱ぎその軍服に腕を通す。じじいことドミニクが、「我が君の前で脱ぐなど、はしたないぞ、ショタよ」と穏やかに笑う。一応背を向けていたがショタという現代的な言葉を彼が知っていたことに笑えてくる。どうやら彼の話ではオリヴィエは人間で言えばおっさんと呼ばれるような年なのだと言う。なるほど、マルコたちと同じくらいなのかと少し親近感が湧いた所で、オリヴィエがおお!と声を上げた。
「どうでしょうか、我が君?」
「おっさんがぶりっこするでない」
「テメェはじじいだろーが!!」
自身の可愛らしさを自覚しているおっさんはきゅるんと表情を作って私を見やる。その言動にぷっと吹き出しそうになるも、更にドミニクからも追い打ちをされてとうとう噴き出した。けらけらと笑えば彼らは年の功だろうか、そんな私をふふと見やり、伸縮性を確認する。
色々な体制をして、なおかつ数度組手をしてみても、中々伸びるようだ。しかも、特殊な蜘蛛の糸から作ったというこの服は伸縮性だけでなく強度も中々にあると言う。
戦争時には中々役に立つだろう。そう思って、人数分以上に生産していた彼にありがとうと感謝の気持ちを伝えた。エースを助け出すためには、時間はいくらだってほしい。


 シア島を出発して既に3日。マルコたちに細めに連絡をしていたが、やはりあちらの方が先に海軍本部に着きそうだった。既にエースの公開処刑まで5時間を切っている。この数日間、焦りに焦った私の心を、過去の新聞記事に載っていた麦わら海賊団やその他の海賊団が少しだけ安らがせてくれた。ルフィとキャプテン・キッド、そしてトラファルガー・ローの3つの海賊団が首謀して天竜人を襲ったという一面記事。余程大事だったからか、その記事は数日間一面を占拠していた。ウォーターセブンで別れたルフィたちが無事にシャボンディ諸島までやって来れたという事実や、久しく見ていなかったローの顔に安堵したのだ。しかし、それもまたエースの処刑の話題に掻き消されてしまったけれど。
――ルフィはどうするのかな。
じっと、潜水艦の窓から暗く渦巻く海を見つめる。窓ガラスに反射した自分の顔が、強張っている様子に気付いた。この戦争は勝っても負けても、沢山の死人が出るだろう。大切な人を助けるために、誰か大切な人が傷付き死ぬかもしれない。だが、私達は勝ちにいかなければならない。
たとえ、エースを助けることが世界にとって悪だとしても、私はそれを分かった上で彼を助ける。
ぐっと握りしめた拳を見つめ、決意を新たにする。彼を失うことだけはあってはならない。


 ドォオン、と打ち上げ花火が夜空に華やかに彩りを加える。甲板の上では、隊長たちも隊員たちもナースも関係なく、大勢の人が笑顔になってお酒を飲んでいた。船首付近で腰を下ろしている白ひげはその様子を満足気に見ながら好きな酒を煽っている。なんといっても、今日は我らが二番隊隊長エースの二十歳の誕生日という、記念すべき一日なのだから。今まで誕生日を教えてくれなかった彼が、業を煮やしたサッチから無理やり聞きだされたおかげで今日は夜中からパーティなのである。
私はそんな皆の様子を眺めながらも、エースを探していた。彼と出会ってからまだ数年しか経っていないけれど、彼は私にとってはマルコやサッチたちとは違った意味で特別な存在だったから。手に持った誕生日プレゼントを彼に渡したくて、きょろきょろと彼の黒髪と屈強な背中に描かれた白ひげの刺青を探す。
「あっ」
ようやく見つけた彼は、寸前まで二番隊の男たちだけではなく他の隊の男たちから酒を注がれ豪快に飲んで笑っていたけれど、数人で固まってやって来たナースたちに囲まれプレゼントを渡されていた。それを見て、少しだけ気持ちが萎んで、足が止まる。
昔に比べたらまだ女性に対する嫌な気持ちというのは薄らいできているけれど、どうしても自分の特別な人が綺麗な女性に熱っぽい視線を受けているのを見ると、不安が過る。私はもう、誰かの一番を目指さなくても捨てられたりしないのに。いつまでも、誰かの一番を求めてしまうようだった。むっとして尖った唇。傍にいて騒いでいた男たちがそれを発見して笑った。
「お嬢、どうした?」
「エースにプレゼント渡そうと思ったんだけど…」
輪の中に入れてくれた男は私に酒を渡してきた。それにありがとうと言って少し口を付ける。ちらりと見やった視線の先にはナースたちから貰ったプレゼントに満更でもなさそうに笑っているエースの横顔。いつも仲よくしてるのは私なのに。なんて幼稚な嫉妬が顔に表れる。一番の友達を奪われて独占欲が顔を擡げる私に、男たちは笑った。
「エース隊長だってお嬢から貰った方が嬉しいに決まってんだろ」
「いつもあんなに一緒に騒いでるんだからよ」
「ぶすくれてねぇでさっさと行って来い」
ばしっと背中を叩かれて、じんじんと熱を持つそこから彼らの温かな気持ちが流れ込んでくるような気がした。私はいつも皆に見守られてるんだなぁ、なんて改めて感じる。うん、分かったと言って笑えば、その調子だと彼らはニッと笑顔を返す。立ち上がってエースのもとに歩めば、彼はナースたちと話している最中でも私の視線に気付いてくれた。可愛くて綺麗なナースたちの少しばかりむすっとした表情にドキドキしながらも、おずおずと手を上げれば、エースは笑顔で立ち上がった。
「エース、」
「お、ちょうど良かった!便所行きたかったんだ」
一緒に行こうぜ。なんて、「エース隊長〜!」「もっと話したいんですけど〜」と名残惜しそうに彼を見上げる彼女たちの視線を意に介せず手をひらひら振って、顎で私に甲板から離れることを促す彼。ここじゃ駄目だったのだろうか、なんて思ったが彼女たちに見られている中でプレゼントを渡すのは少しばかり居心地が悪いので彼に大人しくついて行く。そんな私を見つけたマルコとサッチが目ざとく鋭い視線を送って来たけれど、あの二人は些か過保護すぎると苦笑した。
「先に便所行って良いか?」
「え…本当にトイレ行きたかったの…」
甲板から離れ廊下を歩く彼がニカッと笑う。それに呆れたけれど、こういう所がエースの良い所でもある。分かったと頷けば彼は一人先にトイレに向かって走って行った。余程祝いの席で酒を飲まされたと見た。
ぶらぶらとゆっくり歩みながら何とはなしに海を眺める。時折思い出したかのように花火が打ち上げられて、その眩い光が海面に映し出されてとても綺麗だった。こんなに賑やかな誕生日会を開いてもらえるなんて、エースは幸せ者だなぁ。ふふ、と笑ったところでエースがゆっくりとした足取りでやって来た。先程より少し酔いが醒めた様子の彼は、ぼんやりと海を見やった。ナースたちに向けていた笑顔などなくなったそこには、どことなく哀愁が漂っている。
どことなく、海にとけて消えてしまいそうな彼に思わずぱしりと腕を掴んだ。私の手の中には、確かにエースの体温がある。人より少し熱い彼の体温は、私の手の平を温かくしてくれる。だけど、ちらりとこちらに向けられた彼の眼差しは熱を失って寂し気だった。
「どうしたの?エース…もしかして、このパーティ気に入らなかった?」
「いや…そうじゃねェよ。こんなに大勢に祝ってもらうのは初めてだ」
不安になって訊ねてみれば、彼はかぶりを振って私の不安を否定する。だけど彼の物憂げな瞳は変わらない。いつもの彼ではない。そう分かったけれど、何が彼をここまで沈めさせているのかが理解できなくて、眉を垂らす。何か気の利いた言葉をかけてあげられれば良いのに、私の頭は鈍くさくて。唇も開いては閉じての繰り返し。
ただ、掴みっぱなしだったエースの腕をそっと、ぎこちなく撫でることしかできない自分に嫌気が差した。
「…パーティ、嬉しいよ。……ただ、分からねェんだ」
「…何が…?」
「……」
手摺に背中を預け、夜空を見上げる彼。嬉しい、と言った時は普段よりはあまりにも落ち着きすぎているけれど、小さな笑顔を浮かべていた。だけど、やはりその笑顔もすぐに陰ってしまう。何が分からないんだろう。何かを考え込んでいる様子の彼に訊ねてみるけれど、彼は一度口を開いたものの逡巡して口を閉じてしまった。もしかしたら、彼が抱える気持ちを明確に表してくれる言葉を見つけることが出来なかったのかもしれない。
彼は何かを決めたように、目を閉じた。
…俺、ゴールド・ロジャーの血をひいてるんだ」
その言葉に、返事ができなかった。目を見開いて、彼を見つめる。だって、私はまだその時この世界にはいなかったけれど、マルコや白ひげたちからその男のことについてはよく聞いていた。白ひげのライバルでもあり、海賊王だったその男は海軍によって処刑され、その時の彼の言葉が海賊時代を巻き起こしたのだ。
「本当に……?」
「…ああ」
ようやく絞り出せた言葉はたったそれだけ。はぁと大きな溜息を吐いた彼はぐっと眉を寄せて、私のことを見下ろした。手に持つプレゼントが落ちそうになるけれど、咄嗟に持ち直す。ただ、驚いた。彼の出自がそんなに複雑だったことに。パパは知ってるの?と恐る恐る訊けば、それにも頷く彼。どうやら、白ひげはそのことを知った上で彼をこの船に乗せていたらしい。
「もしゴールド・ロジャーに子どもがいたらそいつは死ぬべきだって子どもの頃はよく聞いた」
「……」
生きているだけで罪。そう子どものころから植え付けられた彼。勿論彼らはエースがロジャーの息子だなんて知らないけれど、その残酷な言葉は幼き日々の彼を傷付けただろう。自分は生を望むのに、世界が彼の生を望まなかった。そんな世界で彼は世界を憎んで自分のことすら憎んでいた。だけど、ルフィとの出会いが彼を変えた。生きたいと、生きていて良いのだと思わせてくれた。そうして、旅をしてきて私達と出会ったのだ、と静かにぽつぽつと語る彼に胸が張り裂けそうだった。
「今この瞬間、俺の誕生日を祝ってくれる奴らはこんなにいてくれる。だけど、世界は俺の誕生なんか望んじゃいなかった」
だから、よく分からなかったのだと。夜空に浮かんだオレンジ色の花火が彼の瞳の中で爆ぜてぼんやりと消えていく。彼はそんな思いを抱えてずっと生きてきたのか。20年もの間、ずっとその血を疎み、我武者羅に何かを見つけようと走り続けてきた。
私はそんなことも知らずに家族だと、友達だと思っていた。恥ずかしかった。あの時、エースがこの船に来た時に彼も同じように何か闇を抱えていると分かっていた。だけどそれをいつの間にか忘れてただ笑い合っていたなんて。
「エース。私は、エースが生まれてきてくれて嬉しいよ。…いつもエースは私を正しい方向へ導いてくれてさ」
エースがいてくれたおかげで今の私が、家族たちがいるんだよ。目を合わせるようにして、彼を見上げれば彼はくしゃりと顔を顰めて。
「いつも一緒にいてくれてありがとう、エース。二十歳、おめでとう」
そう言って、私はプレゼントの包み紙を勝手にバリバリと破いて、中に丁寧に入れておいた高級骨付き肉を彼の口に入れてやった。そうすれば、彼はぽろりと一滴だけ涙を流してそれを頬張った。美味ェ、と呟く彼にこの肉を絶妙な加減で焼き上げるために頑張ったことを伝える。それに、「お前、料理あんまり上手くねェもんなァ」と笑う彼。ようやく心から笑ってくれた彼に私も嬉しくなって、一緒に笑った。
――たとえ世界がエースの誕生を疎んだとしても、私は、私たちはエースが生まれてきてくれたことを何よりも幸福なことだと思うだろう。だから、こんなにも皆で派手なお祝いをしているのに。白ひげだって、父親として彼のことを愛している。私だって、照れくさくて言葉にはできないけれどエースのことが大好きだ。だから、自分が生きていて良いのかなんてそんな悲しいことを考えないで。私たちは何があってもエースの味方だ。
「エースはエースだよ。皆、分かってる」
「…ありがとな」
私の目を見た彼の瞳からは、先程の寂寥感なんて無くなっていた。


 潜水艦のガラス窓の外を、イルカの群れが通り過ぎて行って意識をこちらに戻す。
――あの時の気持ちは今も変わっていない。エースが死ぬなんて、誰も望んでいないのだ。だから生きることを諦めないで、エース。絶対に助けに行くから、それまで足掻き続けて。
様、白ひげから連絡です」
部屋の外でアリシアの声がするのに返事をして、立ち上がった。
エースの背中を押したのは私だ。だったら、最後まで彼のことをサポートするのが私の仕事。


2016/01/17

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