63 躊躇うならあいしてよ

 ルッチが入院してから一日。彼はまだ目を覚ましていない。私たちは割り振られた時間ごとに彼の見舞いをして、目が覚めるかどうか確認していた。私たちは彼の見舞い以外では、ホテルで自由に過ごしていた。今はカリファが病院に行っていて、部屋には私しかいない。
こんこん、とドアがノックされる。はあいと返事をすれば、カクの声が外から聞こえた。がちゃりと扉を開いて彼を中に招き入れる。
「何か飲む?」
「コーヒー頼む」
椅子に腰かけた彼を確認して、私は小さなキッチンに立った。ヤカンに入れた水が沸騰するのを待ってインスタントコーヒーの粉を入れたコップにお湯を注いでいく。私はコーヒーは飲めないので、紅茶にした。
彼と自分の前にことんとコップを置いて、彼を見やった。どことなく表情が硬い彼に、自分の気持ちを引き締める。
「ずっと考えてたんじゃが…そんな簡単に許してもらえるのはおかしいと思うとってな」
沈黙を破った彼の言葉に、数日間の記憶が甦る。彼は、それを気にしていたのか。私はもう、彼らに友達だと認めてもらえて、仲直りできたことで水に流していたのだが、彼は違ったらしい。
「わしはどうすれば良い?」
が望むことなら、何だってする。真剣な表情の彼に、困った。私は別に見返りを求めて彼らと友達をしたいわけではない。ただ、一緒にいたいと思った。私が彼らのことが好きで、彼らも私のことを好いていてくれるならそれで十分なのに。
「何もしなくて良いよ…」
「じゃが、わしの気がすまん…!」
自己満足かもしれんが、耐えられん。続ける彼の目を見てみれば、苦悩が窺えた。あまりにも真摯な様子の彼に、私は何かを彼にお願いすることにした。だけど、何がある?彼にしてほしいこと。私の願い。
ふと、思い浮かんだのはサッチと、エースのこと。どちらにしよう、と考えて選んだのはサッチだった。
「…私の大切な人がね、植物状態になったの。だから、植物状態の人間を元に戻す薬とかがあったら私に教えて」
今は新世界のある島にいるサッチ。植物状態になった原因は、あの時黒ひげに腹部を刺されて一時的に呼吸が止まり酸素を脳に供給することができなくなったことだとイリオスは言っていた。その島の医師は他の島と比べたら名医とはいえ、現状を維持し続けることは出来るが植物状態を治すことまでは出来ないらしい。
「分かった。絶対に約束じゃ」
カクは私のお願いに頷いてくれた。ありがとう、と言えばなぜお前が礼を言うのだと笑われた。礼を言うのはこっちだというのに。苦笑する彼が、小指を差し出す。それの意味に気付いて私も小指を差し出せば、きゅっと絡まるそれら。
「指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」
あの頃を思い出した。離れても、私を忘れないで。そう約束した5年前。あの頃と同じように、私達は笑っている。少し遠回りしたけれど、また友達になれた。それが、どれほど嬉しいか。
――カク。私、あなたと友達に戻ることが出来ただけで、こんなに幸せなんだよ。

 ずきずきと身体中が痛む。眩しくて瞼を開いてみれば、破壊され尽くした司法の島ではなく、どこか消毒液臭い清潔な部屋の天井が広がる。外を見れば燦々と太陽が照って春めいた街をより明るくしていた。
――俺は、麦わらに敗けたのか。
直感的にそう思った。この状況から察するに、あの戦いで勝ったのはとんでもない海賊団の船長、麦わらのルフィなのだろう、と。ぼんやりと、自分の今の状況を把握した。しかし、どうして自分があの場から生き残っているのか分からない。任務に失敗したのであれば、あの場で殺されていてもおかしくはないのに。
ふと、白い頭が俺の布団の上にあるのが視界に入った。何故こいつがここにいる。腕枕をしてすやすやと寝息を立てる彼女のことをじっと見た。馬鹿な少女だ。俺の傍で無防備に寝て、今度こそ捉えられるとは思わなかったのだろうか。彼女の愚かさを哂ったが、それは建前だけで更々そんな気持ちは湧かなかった。
ただ、穏やかだった。どことなく空虚ささえ感じる。外からは子供たちや女の楽しそうな声が聞こえる。この部屋には彼女と俺の2人きり。ほとんど、静寂に近い。
――全ては終わった。CP9としての身分を失った今、LILYを捕まえる必要はなくなった。
もう、とは何の柵もない。自分の思う通りに行動して良い。身体は痛むが頭はすっきりしていた。
CP9でなくなった途端これとは、酷い人間だな。任務のために友を捧げようとしたのに。自嘲するも、彼女に対する罪悪感はそこまで無い。あるとすれば、身勝手な自分への嘲笑のみ。何故なら仕事と自分の気持ちは関係ないから。彼女を捕まえろと言われたら、それに従うまでだった。
彼女の癖のない髪の毛をさらりと梳く。穏やかな寝顔を晒す彼女を、静かに眺めた。
元々彼女は海賊だが悪事を働いていない。それが何だと言うのだ。過去の自分ならそんな生ぬるいことを言ったりしなかっただろう。だが、今は違う。彼女は唯一俺に影響を及ぼした。無碍に死に追いやることを躊躇わせた。
一度は裏切った。だが、今はもう任務に縛られる身ではない。自分の思う通りに、彼女を扱うことが出来る。
――だから、お前だけだ。お前だけを特別に見逃す。
海賊であるだけで罪。そう思っているのに、彼女だけはそれに当てはまらなかった。海賊だろうが、LILYだろうが関係ない。お前だから…だから。
ずっと、あの頃から囚われていた。最初は彼女の瞳に、次はその内面に。何か俺と同じような獣の匂いがすると思って、多少の仲間意識も持った。
するりと彼女の頬を撫でれば、彼女はゆっくりと目を開いた。とろけたルビーが俺を視界にいれる。はっと、彼女は身を起こす。
「良かった…、目が覚めたの…。今先生を呼んで――」
「行くな」
がたりと椅子から立ち上がった彼女。廊下へと向かおうとした彼女の腕を引いて、止める。彼女はそれに驚いて俺を見た。自分でも何で止めたのか分からない。ただ、彼女が俺の視界からいなくなるのが嫌だった。
ぐい、と腕を引いて再び椅子に座らせる。彼女を繋ぎとめる言葉を、適当に探した。
「もう、お前を捕えようとはしない。お前は自由だ。どこにでも行け」
だが、出たのは天邪鬼な言葉で。俺なりの謝罪だったが、これでは彼女に伝わったかどうかさえ分からない。
ねぇ、ルッチ。彼女の声が俺の鼓膜を揺らす。天井から彼女へと視線を向ければ、訊いて良い?と訊ねる。何でも聞けば良い。返事はしなかったが、彼女を見つめ返せば彼女は恐る恐る口を開いた。
「私を裏切る時、ルッチは…もう、私のことが嫌いだった…?」
ゆらゆらと、彼女の赤い瞳が不安そうに揺れる。言うのを躊躇う程、彼女の中でそれが渦巻いていたのか。海列車の中で、絶望した彼女の表情を思い出す。あの時零れ落ちた涙は、今でも鮮明に脳裏に描ける。
ここで嫌いだと言ったら、きっともう彼女は立ち直れないのだろう。俺の言う通りもう、どこへでも行くに違いない。彼女の考えていることは本当に分かりやすかった。否、分かってしまう程、ずっと彼女を見てきただけか。
「馬鹿野郎…任務と私情は関係ない」
それでも、言葉を濁した。直接的なことを言うのは俺のガラではない。察しろ。そう思ったが、彼女はきちんと言葉にしてほしそうに俺を見返した。
「……つまり?」
「嫌いじゃない」
先を促す彼女に、仕方なしに答える。本当にそうだった。麦わらと戦う時にさえ、時折脳裏には彼女の泣き顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。あれだけ譲歩して逃がしてやったのに誰かに捕まっていたら馬鹿だろうとか、バスターコールで死んだら俺が逃がした意味がないとか。だからと言ってこれ以上任務に手を抜く筈もないが。スパンダムから完璧に命令されたら、今度こそ彼女を逃がすつもりはなかった。
麦わらと俺の違いは、大切な物を守るために戦うのか、大切な物を犠牲にしてでも戦うのかの違いだった。その差が俺を敗北へと押しやったのだろうか。
自分の思う通りに行動できるあの男が、ほんの少し羨ましかった。任務に縛られた自分には、あの少女一人さえ見逃すことができない。好きな女一人、守ることもできず、彼女を間接的に死に追いやることしかできない。
「言って、お願い、ルッチ…」
この言葉が俺にとっては精一杯だったけれど、は涙で目を潤ませながらも先を促す。それが引き金となって、俺の胸にじわりと温かいものが溢れる。この感覚は、彼女と接する中で何度か感じたことがあった。その名前を、俺は知っている。だが、認めたくない。
――馬鹿か、俺は。俺の好む女は着飾って美しい、魅惑的な大人の女で。それとはまったく違う、かけ離れた少女になぜこのような愛しさを感じている。人を愛したことなんて無い。誰かを守りたいと思ったこともない。大体、俺にはそういった心が欠如している筈だった。それなのに、5年前に冗談で言った言葉を思い出す。
『俺の女になれ』
それをまさか本気で思うことになるなんて。いつから好きだったかなんて、分からない。ただ、この瞬間に自分の気持ちに気付いてしまった。
俺は馬鹿か。海賊の少女を、何よりも愛しく思うなんざありえねェ。身の内に現れた新たな感情に、ぐっと眉を寄せる。それもこんなに歳の離れた、自分のタイプとは全然違うガキ相手に。だが、俺が選んだのは彼女だった。他の女では、このような気持ちになる筈がないのだ。
――言葉にするのも悪くない。それで彼女が喜ぶなら、安いものだ。涙なんかより、彼女には笑顔が似合う。俺の言葉で、あの頃のように笑えば良い。
彼女が求めている言葉は友情としての“好き”だろうが、俺はこの思いのたけをぶつけるように、彼女の目を見つめて呟いた。
「好きだ。ずっと、好きだった」
は友情の言葉として受け取っているのだろう。そんなことは分かっている。だけど、その言葉には、今までで一番心を込めた。これまでの行動を懺悔するように、ありったけの愛しさを込めて。
「だからもう泣くんじゃねェ」
そっと痛む腕を動かして彼女の涙を拭う。ぼろぼろと俺の手を濡らしていく彼女の涙。ガラにも無く、綺麗だと思った。
「悪かった…」
静かな病室に、の嗚咽だけが暫く響いていた。


穏やかな愛を、君にあげる。
2015/04/11

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